国に捨てられた貴族


 七夜を背に庇うようなかたちで、シェリアは力みのない姿勢でナイフを構えていた。夜の闇に溶け入るような色の髪が少年の視界で音もなく揺れる。


 そんな髪と同じ色合いの目が、ふと背中越しに向けられ、何かを案ずるように細められたのを、七夜は見止めた。

 その理由を即座に察し、軽く肩を竦める。


「どうした? まるで狐につままれて夢幻でも見させられたみたいな顔をして。そういう顔もできるんだな」


「………、」


「……安心してくれ。今のお前の目に映ってる光景が、正しい方で、ちゃんとした現実だ」


 ここで下手な冗談は無意味だと分かり、言葉を訂正する。


 シェリアがこの場へ到達する直前のタイミングで、七夜は『悪夢を魅せる黒の魔法ヴィムド』を発動していた。

 ただし、彼がつくり出した〝悪夢〟に囚われていたのは、シェリアただ一人だけ。


 柱に縛り付けられた七夜が血に塗れていた姿は、他でもない七夜自身によって生み出された幻であり、彼女はそれを幻視し続けていたのだ。


 シェリアの中にある躊躇いや葛藤、しがらみといったものを削ぎ落とすための、彼女の心を刺激し利用する行為だった。


 ただ黙って立つシェリアの静かな横顔を見て、問いかける。


「……



 返る言葉は端的で。


「ナナヤさんに何もなければ、私はそれで」


 仄かに、安堵のこもった声があった。

 ゆるりとナイフを構えた姿勢はそのままに、シェリアはその美しい顔立ちに薄い、本当に薄いを笑みを湛えた。


 その台詞と、表情で。


 七夜は認識を得た。

 今の彼女の状態を。心の在り方を。


 そうして彼もまた、心の中で安堵の息を零す。

 シェリアの心が、七夜の望むかたちで定まってくれたから。


(……ほんと、酷い人間になったもんだな、俺も)


 斯波七夜は内心で苦笑する。


 シェリア自身の意思で傍にいてもらうべく、いくつかの策を巡らせた。

 彼女の心を試すような真似に終始していたのは、そんなやり方以外に方法が思い浮かばなかったからではなく、複数あった考えの中から、敢えてそのやり方を選んだからだ。


 その方法は正しかったと言えよう。

 だが結果として、シェリアは傷付く羽目になった。彼女の両腕や左の大腿部から流れている血の赤が、七夜の目に映る。


 一抹の罪悪感を覚えて、七夜は自分にまだ人間としての良心が残っていることを確認する。

 しかし、それだけだ。感じた引け目は面に出す事なく呑み込む。


 シェリアが傷付く可能性は十分に考慮していた。

 それでも敢えて、彼女の琴線を刺激する事を優先した。彼女が内に秘めて閉ざした力を引っ張り上げるために。


(……何が出てくるかは正味賭けだったわけだが、さすがに驚かされたな)


 今のシェリアが纏う研ぎ澄まされた空気を肌で感じながら、彼は思う。


 影を操る技能と――純粋に、人を殺すためにのみ在るわざ

 シェリアが見せたその二つの力は、七夜の想定以上だった。


 特に後者の能力に関して強く興味を引かれたが、今は悠々と会話をしている場合でもなかろう。

 シェリアの身体越しに、七夜は視線を前方へと戻した。


「ん?」


 そこでふと、目を眇めた。

 視線の先で、どうしてかウルドが地に膝をつき、長剣を杖代わりにして荒い息を繰り返していたからだ。長い金髪に隠れた顔も血の気を失ったかのように蒼白となっている。


「どうしたんだ、あれ」


 男の唐突な変化に訝んでいると、僅かにナイフを下げたシェリアが数歩下がって、七夜の傍らへと並んだ。


「恐らくは、魔力欠乏の影響だと思います」


 淡々とした物言いに、七夜は視線だけで応じる。


「先ほどあの男は、魔道具に自らの魔力をほぼ全て注ぎ込んだと言っていました。どんなに強靭な身体を持っている者でも、総量の八割も魔力を失えばああなるに決まっています」


「魔力欠乏状態が続けばどうなるんだ?」


「安心してください。死んでしまう事はありません。全身の倦怠感や吐き気、頭痛、眩暈がして……分かりやすく言えば、酷い二日酔いになるようなものでしょうか」


「……シェリアは二日酔いになった事があるのか」


「……昔、諸事情で」


 この世界での成人年齢は十八歳で、シェリアは恐らく七夜と同い年かひとつ上。

 五年の投獄期間があったならば、まだ子供と呼べる歳の頃にその機会があったと思われるが……。


 特に気にする事でもないかと判じて、七夜は頭を切り替える。


 二人が見ている先で、ようやくと言った風にウルドは立ち上がるも、顔色は変わらず青白く、膝はガクガクと震えていた。 

 地に突き刺さしていた長剣が再び構えられる。それを合図としてシェリアが敵意を高めるが、七夜はそれを手で制し、彼女の前へと出る。


 そしてそのまま歩みを進め、ウルドの間合い僅か手前で立ち止まった。


 肩を揺らして呼吸を続ける男に、冷たい声を投げる。


「立場と意地をまとめて抱えて、その挙句に自分が起こした暴走のせいで死に体か。どう考えても自業自得だな」


「……うるせぇよ」


「徒党を率いるボスのくせに、自分で自分の部下をむごい目に遭わせて何が立場だ? ただ自分の我を通して勝手気儘な真似をしただけのくせに、何が意地だ? 綺麗ごとで飾り立てた言葉で自分の行動を正当化して、〝家族〟を傷付けた免罪符にしようとするなよ。頭張ってる人間としちゃ、徹底的に失格だな、あんた」


「うるせぇっつってんだろうがッ!!」


 慟哭が響いた。

 ウルドの顔が、単純な怒りだけではない感情を理由として、大きく歪む。


「何様のつもりだ、ナナヤ=シバ。偉そうに説教なんかしてんじゃねぇよ。テメェにいったい何の権利と資格があって俺にご高説を垂れてるんだ? 身のほどを弁えろよ、無能兇徒クリミナルが」


「だったら」


 どこまでも冷ややかに、七夜は言う。


 顎をついと動かし、ウルドが左手に提げている剣を示す。


「その権利と資格ってやつを持ってから、もう一度言ってやる。だから構えろよ。見せかけの立場とふざけた意地、俺がまとめて叩き潰してやる」


 それは、七夜にしては珍しい好戦的な台詞。

 その身から漆黒の魔力光を漏出させながら少年は言う。


 言葉裏に宿っているのは明確な苛立ちだ。だが感情の理由をわざわざ相手に説明などしない。

 する価値もないと切り捨てて、七夜はただ、力を放出する。


 立ち昇り続ける粒子は空の闇と混ざり合うように溶けて消え―――だから、なのだろうか。


 ウルドにはまるで、夜そのものが少年の魔力の大きさを物語っているように思えてならなかった。

 しかしどうしたって退く事ができない彼は、本能から来る畏怖を押さえつけ、長剣を構える。


「……シェリア。悪いが、ここからは手を出さないでもらえるか」


「解りました」


 首肯を返し、シェリアは一歩、後ろへ下がった。

 それを後ろ目に確認した七夜は、瞬間、更に魔力の濃度を引き上げた。


 ……当然、と言うべきか。


 その後に繰り広げられたのは、どこまでも一方的な、戦いですらない何かであった。



     *



 エルビーアファミリーのボスであるウルドは、元はとある地方の小規模な街を治める貴族の家に生まれた長子だった。


 家の名はロードヴァリス。王より爵位を与えられたその名や、ロードヴァリス家が代々統治してきた街は―――


 しかし現在は、かつての栄華など見る影もないほどに廃れてしまっていた。


 理由は明白。

 とある事情から家を離れ、そうしてアーディアの裏町に行き着いて徒党を率いるようになったウルドが、数年前、自らの生まれた家とその街をファミリーの者達と共に襲撃し、壊滅に追い込んだからだ。


 五十人近い男集団にしてみれば、王都とは比べるべくもない小さな田舎町を襲う事は造作もなかった。


 だが当然、ファミリー側も無傷とはいかず、十数名の〝家族〟が犠牲となった。


 それでもウルドは構わなかった。

 ロードヴァリスの家を、そこが治める街を潰す事が、彼にとって何よりの目的だったから。


 全ては一つの復讐心から来る凶行であり、そして自らを者達に対する報復であった。



     *



 徒党のアジト、その建物前にある広場は、漆黒の粒子が混ざる砂塵で一帯が覆われていた。


 対峙していたのは二人。

 広場の中央、一方の者が勝者の前で地に倒れ、もう一方の者が敗者を見下ろしている。


 分かり切った決着の有り様が、光景としてそこには在った。


「……なに、が、無能だよ……ふざけ、やがって……。とんだ嘘つき野郎だな、テメェは……」


 ボロボロの様相となったウルドが苦悶を洩らしながら悪態をつく。

 対して塵ひとつついていない綺麗な装いの七夜は、疲労の欠片もない顔で淡々と言う。


「あんたのファミリーには、あんた含めて回復魔法を使える奴がいないんだろ? 両手足を折ってやらなかっただけ有り難く思え」


「ハッ……立ち上がれねぇんじゃ、結局同じ事だろうが……」


 徹底的に手加減をされ、それでも刃の切っ先すら届かせる事は叶わず、反して自分は弄ばれるかのように打ちのめされた。


 全身に走る激痛を堪え、辛うじて仰向けに体勢を変えて七夜を見上げる。

 夜の闇を背に立つ少年。長い白髪に半ば隠れる形で覗くその瞳は、無感情にこちらを見下ろしていた。


 彼の貌を、そして何よりその瞳を、ウルドはこんな時でありながらも純粋に美しいと思った。


「……見下してんじゃねぇよ、クソが。魔力が尽きて剣しか使えない人間を痛ぶって満足か? 優越感に浸ってんならもうちょっと愉しそうに嗤えよ。じゃなきゃこっちが虚しくなる」


 掠れた声で言う男に、しかし七夜は何も返さない。


 ウルドもまた、それを分かっていたように、ほとんど間を置かずに続けた。


「でもまぁ、やっぱこうなるわなぁ……どんなに無様な姿晒して頑張ったところで、持ってる奴に持ってねぇ奴が勝てるわけもねぇんだ。この世界はそういう風にできてる……ハハッ、ほんとクソみたいに理不尽な世の中だよなぁ」


 そう言ってウルドは、力の入らない四肢を何とか動かし、上体を起こして座り込んだ。


「魔法や技能が、そいつにとっての試練をクリアする事で発現するってんなら、今の俺にちっぽけな魔法一つでも生まれてなきゃおかしいだろうが……そうは思わねぇか、ナナヤ=シバ」


「……あんた、何でそこまで持つだの持たざるだの、そんな話にばかりこだわってるんだ。魔法はともかく、技能を持ってない奴なんてこの国の中だけでもごまんといるだろ。何があんたをそんなに駆り立て追い詰めさせてるんだ」


 少年の問いに、男は乾いた笑いを零して。


「笑わせるな、異世界人。てめぇはこの国の不文律ってもんを理解してねぇから簡単にそんな質問ができるんだ」


 言いながら、ウルドはその顔に何かを憎むような剣呑な色を滲ませた。


「確かに、王国を丸ごと見渡せば技能不保持者なんてそう珍しくねぇ。だがな、こと貴族の世界に関しちゃ話が変わってくる。……いいか。国を統治する貴族っつー人種の中に、技能を持たない人間はいない。王都のど真ん中に居座ってやがる王族連中は当然、どんな田舎の弱小貴族であってもだ。そこには一つの例外だってない」


 ただ黙って話を聞く七夜の隣に、音のない歩みでシェリアが並び立つ。

 自分を見下ろしてくる二人にウルドは一瞥を向けてから、滔々と語りを続ける。


「つまりはそれが、この国の貴族の資格ってやつなんだよ。逆に言えば、技能を持ってない奴はどうしたって貴族にはなれない。身体ん中に貴い家の血が流れていようが、そいつ自身に才がなかったらその家に生まれたっつー事実さえも剥奪されるんだ」


 まるで苦汁を呑み下しているかのような険しい面持ちになるウルドに対し、七夜は暫し沈黙した後、怪訝そうに片眉をひそめた。


「なぁ……何であんたが貴族云々の話ばかりする? こんな廃れた街で徒党のトップなんてやってるあんたにはなんの関係も……」


「―――あぁ」


 と。

 七夜が話す横で不意にシェリアが言葉を洩らした。


 まるで何かに思い当たったかのような声に、七夜はすぐ隣の少女に視線を移す。


「どうした、シェリア」


「すみません。彼の顔を最初に見たときから頭の片隅にずっと引っかかっていたのですが……」


 そう言って彼女は小さく一歩だけ、前へと進み出た。

 シェリアの目とウルドの目が合わさる。


「何だよ」


「私はかつて、貴方と会った事があります」


「は?」


 告げられた言葉にウルドは驚き、瞠目した。


 七夜もまた僅かに目を眇め、少し後ろからシェリアの横顔を見やる。


「直接に言葉を交わしたわけではありませんが、私がまだ幼かった頃、両親の付き添いで行った貴族同士の会合で、貴方の顔を見たように思います。無論、今とは身なりが全く違いましたから、思い出すのに時間がかかりましたが」


「会合だと……? 俺がお前と? いったい何を言って……」


 不信感のある眼差しを向けていたウルドは、しかしハッとして自らの言葉を遮った。


「いや、そうだ……俺もお前の顔には見覚えがあった。わざわざ思い出す必要もねぇと気にしちゃいなかったが……」


 男の目が、改めてシェリアの顔を真っ直ぐに見る。


「お前も、貴族の出なのか。だが、だとしたらどこの家だ? 俺の家はそんな大層な家柄じゃなかった……付き合いのあった貴族なんてある程度限られて―――」


 そこで。

 再びウルドの言葉は絶たれた。

 シェリアの注ぐ鋭い眼光が、強制的に彼の口を噤ませたからだ。


 いっそ戦闘時よりも剣呑に思える威に、ウルドは身の毛もよだつ感覚に襲われながらも引き攣った笑みを浮かべた。


「どうしたよ、何かが逆鱗に触れでもしたか?」


 その言葉に返されたものは、未だゆるりと握られたままのナイフの微動だった。

 それを見てウルドは呆れたように肩を竦める。そして目の前に立っている少女は、いつでもこちらの首を刎ね飛ばせるのだという事実を思い返し……


 言うなれば彼女の抑止力となっている七夜へと、視線を移した。


「相変わらず中身の掴めねぇ爆弾みてぇな女だが、お前はこういうのが好みなのか、ナナヤ=シバ?」


 揶揄うような物言いに、しかし少年は無言を貫く。冷淡なその面持ちにウルドは肩を竦めて「つれねぇなぁ」とだけ零した。


 会話には応じず、七夜は暫しの後にゆっくりと口を開いた。


「この裏街には不釣り合いなその瀟洒な格好も、平然と弱者を弱者と断じて見下そうとするその性根も、あんたが言うところの〝貴い血〟の名残か」


「ッ、」


 投げられた言葉に、今度はウルドの方が黙り込んだ。


 一方で七夜は、怜悧な双眸と冷然とした声をウルドへと注ぎ続ける。


「才を持たない貴族は貴族としての権利を奪われる、それがこの国の常識だとあんたは言ったな……なるほど、何となく話が見えてきた。あんたが〝持つ者〟〝持たざる者〟云々に散々こだわってる理由もな。―――あんた、自分の家から追放でもされたのか」


 言葉を聞くなか、少しずつ俯けられてゆく顔の翳が、七夜の推測を正しいものであると証明していた。


「……そうだよ」


 ウルドが、静かに声を発する。


「俺はかつて、技能を持って生まれず、かつ生きていく中でも欠片すら見出せなかったせいで、家から―――国から切り捨てられた、元貴族の人間だ」

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