立場と意地を秤にかけて
男は言葉を失っていた。
視界に映る光景を信じたくなくて、だがどう拒否したところで眼前に広がる景色は紛れもない真実のものとして飛び込んでくる。
自分の〝家族〟が一人の少女に次々と襲われ、悲鳴を上げながら地に崩れ落ちてゆく。
その者が言っていた通り命だけは取られていないようだが、腕を、脚を、腹を斬られた男たちは、まるで糸を断たれたマリオネットのようで。
悲鳴が連鎖する光景に、その場にいる者の心から戦意が喪失するのにそう時間はかからなかった。左右に控えている、徒党のメンバーのなかでも最も信頼を置く二人の男たちでさえ、弓を構えることを放棄している。影を纏い薄闇に紛れて疾駆する暗殺者の姿に、唖然として固まってしまっている。
「……なんなんだよ」
震えを伴った声が洩れる。
困惑、狼狽、苛立ち、否定、あらゆる感情が
「なんなんだよ、あの女は……こちとら武装してる奴が何十人もいたんだぞ? それもズブの素人なんかじゃねぇ、全員武器の扱いに長けてる人間を揃えてた。それがたかがナイフ一本だけ持った女に何で成す術なくやられてんだよ。いくら技能持ちだからって理不尽すぎんだろ、不条理すぎんだろ!」
男は、ウルドは喚くように叫んだ。
自分の
ウルドにとって技能保有者とは〝他者にない才覚を有する者〟で、尚かつ〝その才覚があるゆえに多くの評価を得ている者〟であった。
先天的後天的を問わずして、その身に技能を発現させた者は、このブラッドルフ王国において例外なく重宝される。エルビーアファミリーの構成員を含め、裏町に一人として技能持ちがいないのが、その何よりの証拠だ。
そう。
ウルドもまた技能不保持者、いわゆる〝持たざる者〟であった。だからこそ彼は〝持っている者〟を酷く厭悪する。だがその感情は、例えば『自らにない特別な力を持つ者に対する嫉妬』などと呼べるような、そんな分かりやすく生易しい類いのものでは決してない。
彼が心に抱える〝怨嗟〟は、もっと昏く、泥のように簡単には拭えない代物だった。
「ふざけるな……」
怒りを孕んでウルドは言う。
「やっぱりそうなのかよ……いいや、昔から知ってたさ。〝持ってる奴〟ってのは、やっぱとことんまで俺たちに絶望を与える連中なんだってことをなぁ!」
そう叫び、彼は右手に大量の魔力を集中させた。
掌中に拳大ほどの炎の球体が形成される。
生活魔法の一種『
その火球を、今また別の者にナイフを振り下ろそうとしていたシェリアめがけて投げ放つ。
迫り来る炎の球を視認した瞬間、シェリアはきっちりナイフを振り抜き、標的としていた男の脚を素早く切り裂いてから、その場より飛び退いた。
直前まで彼女が立っていた地点に火球が着弾する。だが攻撃魔法の類ではないそれは、ほんの小規模な爆発だけを起こし、あとは薄く地面を焼いただけで魔力と炎を霧散させた。
今のウルドが使える魔法は、その程度が関の山である。彼だけではない。ろくに攻撃魔法を使える者はエルビーアファミリーの中にはいない。
だからこそ徒党の者は全員が武装している。武器と、他でもない構成員の数。エルビーアファミリーはそれらを何よりの力としていた。
〝同族〟しかいない裏町を支配するのに、それだけあれば充分だった。
けれど。
だからこそ、その城は弱所の多い脆弱なハリボテでしかなかった。
たった一人の少女が簡単に突き崩せてしまうほどに、呆気ない代物だった。
「ッ……おおおおああああぁぁぁぁッ!!」
叫び声を上げながら、ウルドは駆けた。
その手には一振りの長剣が握られている。取り巻きの一人が腰に提げていたものを強引に引き抜いたのだ。
幾人もの男が呻きつつ転がっている惨状の只中で、シェリアは無感情に佇んでいた。
返り血の一滴すら付着していない綺麗な貌が、闇を湛える怜悧な瞳が、剣を振り上げ走り込んでくるウルドへと向けられる。
明らかな闇雲紛いの攻撃。今のシェリアであれば、彼の背後へと回り込み、その首を掻き切るまでに二秒とかかるまい。
「……どこか離れたところへ逃げていてと忠告したのですが。そう自分から来られては、望んで殺されようとしているのだと勘違いしてしまいます」
だが、彼女はその場から動かなかった。
純白のコートをはためかせ、ウルドが両手で握り込んだ長剣を勢いよく振り下ろす。その斬撃には、紛れもなく相手を殺さんとする意志が込められていた。
ゆえにシェリアはナイフを逆手に握り替え、刃を受け止める。火花が散り、両者の顔を一瞬だけ鮮明に映し出した。
一方は男、一方は女。
一方は立派な長剣、一方は華奢なナイフ。
にも拘わらず、力は拮抗した。――否。顔を顰め、膂力の全てで以て剣の柄を握っているウルドに対し、右手でのみ短剣を握っているシェリアの表情は、どこまでも涼しげで。
両者の力量差は誰の目にも明らかだった。
「……俺たちを舐めるなよ」
シェリアの透徹した貌を至近から睨み付けながら、ウルドは声を洩らす。
「搾取する側とされる側……前者が俺たちで後者がお前だ! 最初の時点でその立場は決まってた、お前が両腕と左脚から流してる血が何よりの証拠なんだよ! 何をどうしたってそこにある事実は変わらねぇ。お前も、お前のお仲間も、〝される側〟だからここにこうしているんだ。違うかぁ!!」
「……何をするだの何をされるだのと、下らないことばかり言うのですね、貴方は」
「あぁッ!?」
「そのようなものは、いわゆる表裏一体。不変のものなどではなく、容易く移り変わるものだと私は思います」
抑揚のない口調で、シェリアは続ける。
「変わるとすれば、それは本人の意識の問題です。自覚と事実は乖離して当たり前、例えその者が如何に自身を〝する側〟だと思い込んでいても、事実の方までそうとは限りません。……まぁ確かに、私が搾取される側なのは合っていますが、私の場合、自覚と事実は同一なので何も問題ないでしょう」
「……その口振りだと、まるで俺たちは違うとでも言いたげに聞こえるんだがなぁ」
「どうでもよいことです。今この場で認識の齟齬を正す必要などありませんから」
最初から会話に応じる気などなかったかのように、彼女はどこか投げやりにそう言って、以降は口を閉ざした。そうして剣と触れ合った状態にあったナイフを僅かに傾かせ、受け流した後に滑らかな動作でナイフを振り抜く。
一連の行為に全くとして継ぎ目がない、常人であれば気付かない内に斬られているであろう、あまりにもスムーズで静かな一振りだった。
拮抗状態から唐突に体勢を崩され、前のめりにたたらを踏みかけたウルドは、けれど姿勢も整わないまま強引に剣を振り上げ、自らへ迫る刃を間一髪のところで弾いた。
両者の間に距離が生じる。
シェリアは変わらぬ無情の貌を貫き、ウルドは僅かに肩で息をしながら険しい表情を浮かべている。
未だ無傷の、たまたまシェリアの握る刃の標的にならなかっただけの十数名が、広場の中央で対峙する二人を黙って見守る。とうに数の有利など意味を成していない。シェリアが尋常でない強さを持っているのは、この場にいる全員が知っている。なのに一人として逃げようともしないのは、自分たちのボスが勇猛果敢に闘っているからか、はたまた、単に茫然と自分を見失っているだけだからか。
「――もう一度だけ言います」
静謐な声が、シンと響く。
「私は貴方を殺さない。貴方も、この場にいる者も、誰一人として。それを温情と取ろうが同情と取ろうが構いません。ただ……私が貴方に望むことは一つだけ。ナナヤさんの身柄を返してください。そうすれば、私はこれ以上の危害を加えず、即刻この場から立ち去ります」
「ふざけんな! どうあろうがお前らは逃がさねぇ、俺たちエルビーアファミリーが舐められっぱなしで終わるわけねぇだろ! お前が徹底的に凌辱されてる姿を拝むまで、この剣は収めねぇ! 俺も、こいつらだって、絶対になぁ!」
「……貴方はともかく、周りの方々にも、本当にその意思があるのですか?」
淡々とした問い。けれど刃の切っ先を突き付けるかのような真っ直ぐな音に、ウルドは少しだけ冷静さを取り戻す。
周囲を見渡す。
多くの視線が自らへ注がれているのが分かった。
全体の内、おおよそ半数は傷を負って地面に倒れ伏している。残りの半数はだらりと武器を下げた状態でただこちらを見ていた。
〝既に終わった意志〟が、そこら中に蔓延していた。
「戦意のない方は、早く倒れている方々の手当てをするべきです。彼らは貴方の家族なのでしょう? 急所は全て外していますが、当然、放っておけば命に関わります。――私に、人殺しをさせないで下さい」
「ッ……お前らはいつだってそうだ……そうやっていつも、俺たちみたいな底辺の連中を見下して嘲笑ってきやがる……」
絞り出すような声があった。
ギリ、という擦過音が不意にシェリアの耳に届く。ウルドが、その手に持つ剣の柄を強く握りしめているがゆえの音だということは、すぐに分かった。
その身を純白のコートで覆い、各所を豪奢な宝石類で着飾っている男は――やがてシェリアの見ている前で、どうしてか、右手の長剣を堂々と手放した。
丸腰となったウルドはそれから暫し沈黙した後、おもむろに肩を揺らして笑い声を洩らす。
「すまねぇなぁ、お前ら。こういうとき、俺はどうしたって立場と意地を天秤にかけて、いっつも
その言葉の意味を図りかねて、シェリアは薄く眉を潜めた。
「ファミリーのボス……お前ら全員の〝親〟だっていう立場なんて放り捨てて、〝俺〟っていう個人の意地を優先しちまう。だから――
その嘆願は、シェリアの耳にはどこか真摯なものとして聞こえた。
向けられる敵意を正面から受け止めて、彼女は自然と、警戒を一段低いところへ落とす。
ウルドが懐に手を入れる。そうして取り出したのは新たな武器などではなく、拳大ほどの大きさの水晶だった。
一見して魔道具の類いだと分かるその代物を見た瞬間、シェリアは思わず目を瞠った。
それは――淀んだ黒に染まる禍々しい水晶体だった。そしてシェリアは、その魔道具に見覚えがあった。
「……その水晶は」
それを見たのは、ディアメルク王立刑務所でのこと。
釈放されるにあたり七夜やシェリアを巡って起きたひと騒動にて、看守長であるドロエが己の配下を無理やり動かすために使用していた魔道具があった。
事態の中心にいたのはあくまでも七夜で、シェリアは端から傍観していただけだったが、それでもあの時使われた魔道具がどんな効力を持つ代物であったのかは理解していた。
他者の心に干渉し、使用者の傀儡とする精神汚染系統の魔道具。
いまウルドが持っている水晶は、あれと全く同じものだった。
見る者に嫌悪をすら抱かせる禍々しい黒水晶に魔力が注がれているのを知覚した瞬間、シェリアは反射的に地を蹴り、その行為を妨害しようとした。
だが、数瞬遅かった。
「許せ、お前ら。――命令だ。あの女を殺せ」
やがて、場に変化があった。
戦意を喪失し、ただの傍観者として立ち尽くしていた者も。腕や脚を斬られ、呻き声を洩らして地面に倒れ伏していた者も――脚の腱を断たれ、本来であれば立ち上がることなどできないはずの者さえも。
その場にいた全ての者が武器を構える。困惑の声と、激痛を堪える苦悶を口々に発しながら。
ウルドが黒水晶を掲げ、滲むように洩れ出た光が周囲一帯を照らし出す。そうして広がった光景は、あの時、ディアメルクで見たものと一緒だった。
自由意志を奪われ、ただ命令に従うだけの傀儡となった男たちが、シェリアの前に立ちはだかる。
総体の半数ほどを無力化したはずだが、それもあの魔道具の効果の前には無意味だろう。
戦意のない者、傷を負って本来ならば立てない者。そういった者たちが得物の切っ先を向けてくるその光景に、シェリアは僅かに顔を歪めた。
それは決して彼らを慮っての表情ではない。そんなものを向けるほど、今の彼女は敵と認識した者に対して優しくはなれない。
ただ。
無感情に、シェリアは言った。
「……家族、ではないのですか」
「
返る言葉は端的だった。
多くの者に囲まれ、自らもまた剣を拾って構え直して。
ウルドはまるで何かに取り憑かれたかの如く、瞳に淀んだ光を宿してシェリアを見据えた。
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