無能兇徒〈クリミナル〉


 ウルドや徒党の男たちに囲まれながら辿り着いたのは、裏町のなかでも特に奥まった場所にある建物だった。

 目の前に現れたそれを見上げ、七夜は純粋に感嘆の声を漏らした。


「へぇ、随分と立派なアジトだな。ここだけ王都の主街区みたいだ」


「そうだろう? これだけのものを作るのにかなり苦労した。俺の自慢の城だ、気に入ってくれたか?」


 既に空には夜の帳が降りつつある。

 薄闇によって支配され始めている裏町のなかにあって、ウルド率いるエルビーアファミリーのアジトは、もはや貴族の邸宅と言っても過言ではないほどに豪奢で、幾つもの窓から漏れ出ている明かりが、裏町から闇を遠ざけているように思えた。


「言うなりゃ俺たちは、この裏町の統治者だからな。これくらいのもんを拵えとくのは当然ってわけだ」


「……統治者? 独裁者の間違いだろ」


 七夜の言葉に、男たちの視線が一斉に彼へと向けられる。


「さぞ色んな財を占有し、色んな贅沢を愉しんでるんだろうな。……それをおこぼれ程度でも裏町の奴らに分け与えてやれば、どれだけの人間が救われるのかも分からずに」


「おいおい。まったくもって心外だなぁ、その言い分は。おこぼれどころか結構なもんを与えてやってるつもりだぜ、こっちは。少なくとも俺たちがいなけりゃ、ここの連中は大多数がとっくに死んじまってる……それは紛れもない事実だ。この裏町は、俺たちエルビーアファミリーがいることで今日まで生き永らえることができてるんだよ」


「とっくに死んでるようなもんだろ、ここで生きてる奴らは、全員。――。中途半端な救済が一番の地獄だって分かってない時点で、お前らの程度が知れるってもんだ」


 挑発というより、明確な苛立ちを込めて七夜がそう言えば、ウルドはニヤリと厭らしい笑みを零す。


「あんまり自分の考えを押し付けるもんじゃないぜ? どれだけ苦しくても、どれだけ辛くても、どれだけ惨めでも、俺は命があるだけ儲けもんだと思うがな。普通そうだろ。お前はそう思わないのか?」


 ウルドの問いに、しかし七夜は何も返さない。

 白髪の奥から、ただ無情の視線を男へと注ぐばかり。


「俺たちはちゃんと〝ほどこし〟を与えてやっている。それでも死ぬってんなら、それはもうそいつら自身の責任だ。常に生きる努力を続けなかった連中の尻拭いまでしてやれるほど、俺たちも余裕ある人生を送っちゃいないんでね」


「あいつらを死なせてるのは、他でもないあんたたちだろうが」


 七夜の声が威となり、そしてその威が風圧となり、周囲に伝播する。

 ふわりと浮いた前髪から二つの眸が覗き、刃を思わす鋭利な眼光が男たちを僅かに慄かせた。


 その中でもやはり、唯一ウルドだけが微動だにしておらず、相も変らぬ涼し気な顔で平然と――否。


 何故か恍惚とした表情を浮かべ、歪み切った笑みを七夜へと向けていた。


「くっふふふぅ……やっぱりいいなぁ、お前。しなやかなくせに強かで、儚げなくせに触れたら斬れちまいそうで……色んな味が愉しめる。最高だよ――=


 その呼び声に、七夜は視線だけをウルドへと差し向ける。ようやく自分を見てくれたことに対してか、はたまた別の理由か。

 男は口を歪ませて高らかな笑い声を吐き出した。


「くっはははッ! そうだ、その顔が見たかったんだよ! 流石に名前を呼ばれちゃあ無視する訳にもいかないよなぁ。まさか裏町に生きてる俺たちみたいな連中には、自分の顔が割れてないとでも思ってたか?」


 そこで初めて、ウルドは七夜の傍から離れた。

 愉快そうに笑いながら数歩前に出て、七夜に真正面から向かい合う。


「ナナヤ=シバ……異世界から召喚された『神の遣いレガリア』の一人。魔族から国を救う英雄だったってのに、何を血迷ってか国が抱える最高峰のお宝を破壊したばかりか、あの王女殿下をレイプした王国屈指の大罪人だ! そんな屑野郎の顔を知らない奴なんて、この国にいるわけないだろう!」


 汚れ一つない白のコートをはためかせ、男は言う。


「こんな奇跡があるもんなんだなぁ。初めてお前をで見たときから、なんてそそる顔をしてるんだって思ってたが、まさか俺のファミリーに自分から喧嘩を売りに来てくれるとは思わなかったよ。これはあれだな、神の御導きってやつなんだろうなぁ」


 ウルドの言葉に、七夜は一瞬だけ目を眇めた。


「手配書ってのは、いったい何のことだ」


「んん? 何だ、見たことないのか? お前の美しい顔が存分に表現されてるこの素晴らしい作品をよぉ?」


 そう言って彼は、懐から一枚の紙を取り出した。筒状に丸められたそれが広げられれば、長い白髪が特徴の若い青年と思しき男の顔が現れる。

 皮膚の至るところに生々しい傷跡が刻まれており、その目は死人のように暗い闇を湛えている。地球とは違って写真などないこの世界において、けれど写真と見紛うほどに、その顔は精巧に描かれていた。


 かつての惨めな自分を見せつけられて、七夜は思わず嫌悪を覚えて眉を顰めた。

 その一方でウルドは手配書の絵に陶然とした笑みを注ぎながら。


「お前が釈放されるってんで、ディアメルクに近い幾つかの街や都市に揃って配られてるモンだ。要は〝注意喚起〟ってやつなんだろうよ、これはさ」


 麻紙で作られたそれを再び懐へ収め、七夜に正面から歩み寄り。


「『あの王女殿下をレイプした強姦魔が世に解き放たれます。女性の皆様はくれぐれもお気を付けください』……そんなところか。刑期を終えて出所してきた奴の手配書が出回るなんざ、よっぽど警戒されてるんだなぁ。可哀想すぎて泣けてくるよ」


 男の指が、七夜の頬をそっと撫でる。

 唇同士が触れ合いそうなほどの至近に顔を寄せて、ウルドは囁くように言う。


「なぁ、教えてくれよ。王女さまを犯したときはどんな気分だった? どんな具合で、どんな声を聞いて、どんな気持ちよさを味わったんだ? お前がかつて欲した快楽の全てを、今度は俺からお前に与えてやる……だから教えてくれよ、犯罪者」


 そうして男は、七夜の首筋に指を這わせたかと思えば、衣服の襟元をぐいと力強く引っ張って見せた。

 古惚けた布地は簡単に破け、少年の白い肌が胸元まで露わになる。傷一つないその膚を目にしたウルドは、僅かに目を眇めた後、鼻を鳴らして口を歪めた。


「何だよ、獄中じゃあさぞ酷い目に遭わされてたんだろうと思っちゃいたが、綺麗なもんじゃねぇか。細く白いしなやかな肌も唆るっちゃ唆るが、俺としては痛々しくも生々しい傷で埋め尽くされた躰を期待してたんだがなぁ」


「生憎と腕のいい医者が知り合いにいたもんでな。ご期待に沿えなかったみたいで申し訳ない。……それにしても」


 わざと服を破かれたことについては何も言わず、七夜は穏やかな口調のまま続ける。


「俺が神の遣いレガリアの一人だって知ってて、あんたは俺に接触してきたんだな。異世界から召喚された人間が、この世界の連中とは比べ物にならない力を持ってるって事も理解した上で、か」


「ふぅん? もしそうならどうだって言うんだ?」


「いいや? もしそうなら、あんたが持つ猿みたいな欲の盲目さに呆れて溜息を吐きたくなるってだけだよ」


 そう言って浅く笑い、大仰に肩を竦めて見せる七夜に、ウルドもまた白々しさを孕んだ薄い笑みを返す。


神の遣いレガリアって呼ばれてる連中が、どいつもこいつも規格外の能力を持ってるってこと、どうやらあんたは知らないみたいだ。もし知ってたなら、連中の一員である俺にこんな、しないはずだもんな」


「ははっ、確かに神から遣わされた奴らに無作法を働けば、俺たちにはさぞご立派な天罰が下されるんだろうなぁ。あぁ、そうに違いだろうさ。……でも、お前は違うだろう?」


 長い前髪に隠れた顔を覗き込むように、言葉の裏に潜めた真意を見据えるように、ウルドは目を眇めるようにして問うてきた。


「お前は召喚された連中の中で唯一、何の力も見出されなかった無能だったって話は有名だぜ? 国の英雄集団として呼ばれておきながら、一人だけ役立たずの落ちこぼれ扱い……だから周りの奴らからは馬鹿にされ続けて、その腹いせに国の大事な大事なお宝をぶっ壊したんだろ? そのくらいで満足してれば良かったのに、王女さままでレイプしちまったのは流石にやりすぎだわなぁ」


 男の語りに、七夜は現在この国に浸透している自分への認識について理解を固める。


「そんなお前が、王都やその周辺都市の人間から何て呼ばれてるか知ってるか? ――〝クリミナル〟だとよ」


「……クリミナル?」


 ウルドの発した単語に思わず反応してしまい、反射的に眉を顰める。


「異世界から召喚された神の遣いでありながら、何の力も持っていない無能で、王国最大級の罪人――だから〝無能兇徒クリミナル〟なんだろうさ。何ともまぁ上手い名前を考え付くもんだと感心させられたよ」


「……そんな大層な名前を俺に付けて呼び始めたのは、一体どこのどいつだ?」


「さてなぁ。誰が最初に呼び出したのかなんて判る筈もねぇだろ。通り名なんてのはそんなモンだ。勝手に付けられて、勝手に浸透して、勝手にそれがそいつ本来の名前よりも強い呼び名になる。……お気の毒サマってやつだわな。いや、お前の場合は自業自得か」


 心底愉快そうに笑い大手を広げながら、そうしてウルドは七夜に背を向けホームの敷地を一人悠然と歩み進めてゆく。それに伴って周りを囲う徒党の集団も移動を始め、七夜もつられて動かざるを得なくなる。


  やがて男が立ち止まった場所には、鈍色に染まる二メートルほどの巨大な鉄の柱が地中から聳え立っていて。


 徒党の一人から麻縄を受け取った彼は、その鉄柱をコンと叩いてから、とうに見慣れた歪な笑みを口許に覗かせた。


「さぁ、お前のお仲間が来るまでのんびり待ってようぜ。安心しろ、縛るのはお前が逃げねぇよう念のためってやつだ。身動きの取れない奴を無理やり犯す趣味はねぇ。俺は和姦派だからな」


「……、」


 聞いてもいない嗜好を聞かされるこっちの身にもなってほしい、と。

 縄を見せびらかしながら歩み寄ってくるウルドに対して深い溜め息を向けつつも、七夜は一切として抵抗する素振そぶりを見せない。


 そっと瞼を閉じる。

 ――まるで影のように、静かに、誰の意識にも引っかかることなく。


 周囲にいる者たちは誰一人として気付いていないが、並外れた速度でこの場所へ近付いてくる魔力の存在を、七夜は確かに知覚した。


 同時に少しだけ、七夜は驚く。


 が自発的に行動を起こしてくれたことに。

 自分を助けろと、そんな命令を下したわけでもない。


 確かに彼女は、「私はあなたの奴隷だ」と宣言した。だからこその、鍵刺激とも言うべき反射的本能に従った行動ゆえなのかもしれない。

 それでも。

 恐るべき速さで接近してくる魔力に、七夜はそっとほくそ笑む。ウルドやその取り巻きである徒党の男たちに、麻縄で柱へ縛り付けられながらも。


(……さて、俺は俺でそろそろ、に集中しなきゃな)


 目を伏せたまま、静かに意識を集中させる。

 現況は今のところ、全て七夜の思惑通り。それでもここからは、ある種のが必要になる。


 仮にリィリスに助力を求めればさほど難しくはない工程。

 けれど七夜はこの件に関して、一から十に至るまでを全て己の力で成し遂げると決めていた。


 シェリアを仲間とするために。

 彼女を奴隷でも傀儡でもない存在として、傍に置くために。


 そっと、静かに、七夜は魔力を練り上げる。

 少年の足許からは、誰にも気付かれないほどに薄い濃度の黒霧が、音もなく周囲一帯へと浸透し続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る