全ての裏で少年は笑む


「なぁいいだろ? お前みたいな上玉に当たるのは久々なんだ。お願いだから抱かせてくれよ。騙されたと思って俺に身を委ねてみな。最高の夜をプレゼントしてやるぜ」


 緩くウェーブのかかった金髪に悪趣味な宝石の数々を揺らしながら、何とも気色の悪い言葉を吐きかけてくるウルドに。


 七夜は平然とした顔で、胸中に吹き荒れるこれ以上ないほどの嫌悪を何とか隠しつつ、冷淡な声を返す。


「断る。俺にそっちの趣味はない。というか俺みたいに平凡な顔ならそこら辺に腐るほどいるだろ。そっちを当たってくれ」


「いやいや馬鹿言われちゃ困るぜ。お前はもう俺にとっての運命の男だ。今日この日、お前に会えたこの奇跡と幸福を神に感謝したいほどだ。この簡単に折れちまいそうな細くて華奢な躰、男臭さのねぇまっさらで綺麗なつら、そりゃあ今まで似たようなタイプの男娼は何人も抱いてきたが、お前は別格だ。ほら見てみろよ、お前の事を見てるだけで俺のがこんなに――」


「キモイ。気持ち悪い。ふざけんな。マジでやめろ。吐き気がする」


「何だよつれないな。だがまぁ、素っ気ないその横顔もそそられるってモンだ。ますます気に入った」


 何を言ったところで無駄にしかならないと即座に悟った七夜は、一つ息を吐いて気持ちを切り替える。


「だったら、まずは俺の首に突き付けられてるこの物騒なものを収めてほしいんだが? 惚れた腫れたと言ってる割に一向にナイフが離れてくれないんだが?」


「あぁ、それは無理な相談だなぁ」


 その瞬間。

 ウルドの声が、一段低いものに変じた。


「さっきのはあくまで〝お願い〟だったが、今度のは〝命令〟だ。大人しく俺たちについてこい。下手な真似はするな。この人数が相手じゃ、?」


「……?」


 些細な違和感が七夜の脳裏に触れる。

 言葉の綾かもしれないが、どうにも妙な確信を得ているように聞こえるウルドの言葉と同時、路地の前後を埋め尽くす数十の男たちによって形成された壁が、僅かに狭まった。

 分かりやすい警告の姿勢に、七夜はともかくとして、イレィナがビクリと身体を震わせる。


 彼女に対して意識は注いだままに、七夜はウルドの言葉に応えた。


「あんたたちについて行って、俺に何の得があるんだ。とびっきりのご馳走と極上の酒でも振る舞ってくれるっていうなら喜んでついて行くがな」


「いいね、損得勘定の提示は交渉事を円滑に進める上で不可欠なものだ。よく分かってるじゃないか」


 命令と言って明らかに穏やかではない雰囲気を漂わせておきながら、彼は軽薄な口調で言う。


「んー、そうだなぁ。お前にとっての得って言えるかは微妙なトコだが……」


 そこでふと、男の視線がイレィナへと向けられた。

 怯えたように身を震わせている彼女に、ウルドはにっこりと微笑むと。


宿


 その問いにイレィナは絶句し、七夜はピクリと眉を動かした。


 ほんの僅かとはいえ七夜の表情を変えられた事に愉悦の笑みを浮かべて、ウルドは続ける。


「俺はこの裏町をまとめるエルビーアファミリーのボスだ。裏町にいる人間、ましてやウチの〝商売〟に関わってる奴なら全員顔も名前も知ってる」


 エルビーアファミリーの商売――食材を供給する代わりに裏町の女性に身体を差し出すよう交換条件を出し、自分たちの欲の掃き溜めにする、あの悪辣な取引の事を指しているのだろう。


「そしてそいつらの暮らしを徹底的に破滅させる事だって簡単だ。裏町から追い出すだけなんていう生温い事はしない。それが女ならぶっ壊れるまで犯し尽くされて、最後はそこら辺のゴミ溜めで精液まみれの裸晒して捨てられるんだ。……ま、俺は女に興味がないからヤるのは俺のファミリーたちなんだけどな」


 ウルドがそう言うと、周囲に群がる男たちが揃って下卑た笑い声を上げた。


「なぁ、だから自覚してくれよ」


 七夜の肩に手を置き、反対の手でナイフを弄びながら。男は語気を強めて囁く。


「お前が手を出したのは、そこいらの適当な酔っ払いじゃない。俺が率いるエルビーアファミリーの一員だったって事をな」


 ウルドが七夜の白髪に触れる。

 うっとりと目を細める男に、七夜は無表情を貫いたまま。


「……あんたたちがどれだけ大層な連中なのかは知らないし、興味もない。それでもただ一つ言わせてもらうなら」


 直後。

 その身から膨大で苛烈な威を解き放った。


「イレィナには絶対に手を出すな。もし少しでも傷付けたりすれば、この場にいる奴らを全員潰す」


 醸し出された濃密な威に、徒党の男たちがたじろいで一歩後退する。

 その一方でウルドは微かに瞠目しただけで、余裕ある態度は変える事なく。


「ふん、言葉だけは一丁前だが、たった一人でこの人数を相手にできる訳ないだろうが。とは言え安心しろ。お前が大人しく俺に従えば、彼女には何もしない。俺も一応は裏町の人間だからな。同じ場所に暮らす人間を余計に傷付けたくはない」


 わざとらしく切実な表情を浮かべるウルドは、「ただ」と人差し指を突き立てて付け加える。


「彼女には一つ、〝おつかい〟を頼みたい」


「……おつ、かい?」


 イレィナが震える声を洩らす。

 対してウルドは、表面上だけは柔らかな笑みを向けながら。


「そうだ、おつかいだ。このガキの仲間に長身の女がいる筈だ。そいつに、俺のホームに来るよう伝えろ。ガキの身柄は俺たちエルビーアファミリーが預かってるって事もな。どうせお前の宿にいるんだろ? そのおつかいを頼まれてくれるなら、俺も俺の家族も、お前には絶対に何もしない。どうだ?」


「ッ、」


「おい」


 ウルドの意識が自分に戻るよう、七夜は声を差し込んだ。


「どうしてわざわざ俺の仲間を呼ぶんだ? あんたの手下に手を出したのは俺だけの筈なんだが?」


 すると男は、深い息を一つ吐いて悩ましそうに首を振った。

 幾つも付けられているネックレスがジャラジャラと揺れて音を鳴らし、嫌に目についた。


「聞いたところによれば、その女は大層美人だそうじゃないか。昨日そいつを見たファミリーの奴らが、どうしても忘れられないそうでな。お前が邪魔をしなけりゃ存分に抱けたのにどうしてくれるんだと、そりゃあもう駄々をこねまくってるんだよ。ファミリーの願いを叶えてやるのは親の役目だろう? お前に落とし前をつけてもらうついでに、ちょいとばかりあいつらのために思ってなぁ」


「断る。そう言ったら?」


「そこの女に代わりをしてもらう。簡単な話だ」


 ウルドの目がイレィナを捉える。

 イレィナは恐慌に駆られて思わず自らの身体を抱きしめる。


 七夜は迷わず言った。


「イレィナ、今こいつが言った事をシェリアに伝えてくれ」


「えっ、で、でも……」


「俺の事は何も気にしなくていい。だから、頼む」


 そこでウルドが、おもむろに指を鳴らした。

 すると路地を塞いでいた男たちが統制の取れた動きを見せ、一本の抜け道を作る。


 そちらを七夜を交互に見て、最後まで苦しむように悩み続けた末、イレィナは意を決したように七夜へ背を向けて駆けだした。


 ウルドの言葉に忠実に従い、彼女の姿が路地の角へ消えるまで、誰一人として追いかけるような事はしなかった。


「さて、なら俺たちも行こうか。ファミリーのホームに案内してやる。お前の仲間が来るまでは何もしないでおいてやるから、安心しな」


 そう言ってウルドは七夜の首に腕を回して歩き始める。それに伴い、徒党の男たちもぞろぞろと移動を開始する。


 ――彼ら全員に見られぬよう。


 七夜はひっそりとほくそ笑んでいた。

 この状況は全て、何から何に至るまで、彼の思惑通りでしかなかった。

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