エルビーアファミリー
翌日、七夜はイレィナと共に街の市場へと来ていた。
陽は既に空の中天へと差し掛かっている頃合い。
アーディアの中心部にある唯一の大市場という事もあってか、多くの人々が往来を行き交っており、相応の活気が窺える。
「……あの、シバさん。買い物のお手伝いだなんて本当に良かったんですか? お部屋で休んでいた方が……」
「いいんだ。タダで泊まらせてもらってるのと、美味い飯を作ってもらってる礼を少しでもしたいだけだからな」
申し訳なさそうな顔をするイレィナに、七夜は外套のフードを被り直しながら応じる。
すると彼女は曖昧な表情で笑い返してきた。
――昨日の一件から、イレィナはずっと表情がぎこちない。おおよそ七夜との間に気まずさでも感じているのだろう。
七夜当人は、その空気感になるべく気付いていないフリをして普通に接しているものの、それすらイレィナにはお見通しなのだろう。
彼女の表情には、引け目のようなものが多分に感じられた。
ちなみに。
シェリアは宿に置いてきている。最初は七夜に対して強く同行を求めた彼女であるが、
きっと今頃、部屋でノゥナの遊び相手になっているはずだ。
命令ではないからと言って、ノゥナの言う事を全て無視していなければいいなと思いつつ、人混みを器用に縫って通りを歩くイレィナの背を追う。
彼女は宿の備品や食材を買う店を全て決めているのか、人でごった返す往来をすいすい進んでゆく。そして立ち寄るのは決まって、比較的安価なものばかりが販売されている閑散とした構えの店ばかり。
幾つもの店で淡々と必要なものを買い揃えてゆくイレィナを、七夜は後ろから眺めるばかりで。
「……悪いな」
「え?」
「いや、俺がスキルプレートを見せれば、金を払わなくても好きなだけ買えるのにと思って」
店主の人間から受け取ったお釣りを麻の小袋に仕舞い込みながら、イレィナはきょとんとした表情で振り向いた。
だがすぐ後に、七夜の言葉に納得したようで。
「気にしないで下さい。それをすると街の皆さんにシバさんの事がバレて騒ぎになってしまいますから。名前を不用意に明かす真似はできるだけ控えるべきですよ」
本心から七夜の身を案ずるように、彼女は言う。
七夜としては、自分がいくら厄介な目に遭おうとも、無数の人間から罵声を浴びせられようとも、イレィナがお金を使わずに済むのであればスキルプレートの提示は厭わなかった。
だが、今はともかくとして、後に彼女が悪影響を被ってしまう事を懸念し、止めておいた。
要は、イレィナが王国屈指の大罪人と共にいる事を街の人間に周知され、彼女に悪い評判が流れてしまう恐れがあるという事だ。
ただでさえ生き辛い中で生活をしているというのに、イレィナやノゥナの暮らしを更に追い詰めるような真似は間違ってもしたくない。
「……ままならないもんだな」
「ん、何か言いましたか?」
首を傾げてこちらを見上げてくるイレィナに、「何でもない」と返してから、七夜は彼女に一歩歩み寄った。
「そっちの袋も貸してくれ。まとめて持つよ」
「あ、いえ、そんな」
「いいから。せっかく付いてきてるんだ。荷物持ちくらいさせてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
至近に迫った七夜の顔に若干頬を赤らめつつも、イレィナは頭を下げて大人しく荷物を差し出した。
そうしてまた、二人並んで通りを歩く。
「それにしても、随分いろんなものを買い込んでるが、いつもこんな量なのか?」
七夜は自身の抱える袋を見下ろして、何とは無しに訊ねた。
するとイレィナは困ったような笑みをその口許に零して。
「そうですね……あまり頻繁に市場には来られないので、買えるときにまとめて買い込む癖はついていると思います」
「……頻繁には来られないって、それは何でだ?」
「私が裏町の住人だからですよ」
彼女はそのままの声色で、俯く事もなく言う。
「主街区に住む人たちは、私たち貧民の事を嫌っていますから。裏町の住民は貧乏で汚くて惨めに生きている可哀想な人……そう思われてるので、今みたいに表の通りを歩いていたら嫌に注目されちゃうんですよ」
言われ、七夜は左右を通り過ぎる人々に視線だけを向けた。
イレィナや七夜とすれ違う度、殆どの者が嫌悪の視線や嘲笑を注いできている。装いや身なりなどでこちらが裏町の人間だと一目見て判別しているのだろう。
くすくすと笑う者、あからさまに不快そうな顔をする者、無遠慮に指を差して何か陰口を言う者、様々いる。
だが、それらに晒されていても、イレィナが俯く事は決してない。毅然と前を向いて歩き続けている。
「そんなものにはもう慣れましたが、好き好んで嗤われたいわけではないですからね。そういう理由もあって、市場に来るのは最低限度にしているんです」
「……なるほどな」
そうやって笑えるようになるまで、一体どれだけ辛く苦しい思いをしてきたのか。
彼女がこれまで浴びてきた憐憫と嘲笑の視線を想像し、そうして湧き上がってきた感情を全て唾棄して。
七夜は自らの溜飲を下げるため、ちょうど近くでこちらに嘲弄の笑みを向けていた男に全力の威圧をぶつける。
当然、その者は途端に白目を剥いて気絶し、泡を吹いて地面に崩れ落ちた。
周りにいた通行人が何事かと驚いて騒然となる。
ざわめきが伝播してきてイレィナがはたと立ち止まったが、七夜が強引に肩を抱いて歩みを促せば、彼女は何故か頬を赤らめつつも大人しくついてきてくれた。
それ以降も、七夜はイレィナの買い物に荷物持ちとして同行しながら――その一方で、密かに。
少しずつ、周囲一帯に魔力の感知網を伸ばし続けていた。
その網に〝標的〟の存在が触れたと同時、彼は念話の魔法を発動させた。
『リィリス』
『はいはい』
途端、どこからともなく出現した黒い霧が瞬時に収束し、やがて妖艶な女の姿を象る。
長い髪と瀟洒なドレスを揺らし、中空の位置にふわりと浮かぶリィリスは、七夜のすぐ傍らにとん、と降り立つと。
『ナナヤくんよりもよっぽど早く気付いていたわよ。……左斜め後方に三人、正面右手の物陰に二人、通りを挟んだ反対側にも二人。その他に、ナナヤくんたちを囲う形で四人の気配がついてきているわ』
『ん? 何か俺の感知できてる人数よりも多いんだが。俺の数え間違いか?』
『単に魔力を隠しているんでしょう。そういう魔法を使える人が、連中の中に少なくとも一人いるのだと思うわ』
動揺はない。寧ろこの状況は七夜の思惑通りだった。
こうして街中を歩いていれば、一人か二人は釣れるだろうと想定していたものの、思った以上に多くの人数が出張ってきたらしい。
だがそれすらも僥倖である。イレィナに付き添ってあちこちを歩き回った甲斐があったというものだ。
『それにしても』
人混みの中を、文字通りすり抜けながら歩くリィリスが、呆れたように息を吐いて言う。
『行き当たりばったりの作戦を考えるのねぇ。もしもここで彼らが釣れなかったらどうするつもりだったのかしら』
『どうするも何も、その時は釣れるまで外をぶらつくだけだが』
『ものすっごく非効率的だわ……もっとスマートなやり方をお姉さんがレクチャーしてあげたい……』
黒ドレスの女は辟易した様子で肩を竦めた。
『それと、このままじゃ隣の彼女を巻き込む事になると思うのだけれど。そこのところはどうお考えかしら?』
『……利用するような真似をして、悪いとは思ってるさ』
七夜は、すぐ傍らを歩くイレィナを横目で見ながら。
『絶対に危害が及ばないようにはする。だがもしも何かあったら、その時は頼む』
『何かあった時は、ナナヤくんの男が廃る時だと思っていなさいね』
リィリスの忠言を聞きながら、少年は自分たちを遠巻きに
これからの
*
相手の動きに変化があったのは、七夜たちが全ての買い物を終え、裏町のエリアに戻ってきたのと同じタイミングだった。
空の彼方にはうっすらと橙の色が滲んでいた。そんな時間ともなれば、裏町の世界には早くも薄闇が揺蕩い始める。
陽の届かない細い路地をイレィナと並んで歩いていると、正面から三名程度の男たちがやってきた。
彼らとすれ違う瞬間、イレィナは礼儀正しくお辞儀をして、七夜は……何の前触れもなく、彼女の背中をトンと前に押し出した。
「わっ!?」
突然の事に驚き、たたらを踏んだイレィナが後ろを振り返れば――首筋にナイフを充てがわれている七夜の姿が目に映り、思わず息を呑んだ。
「おっと、無意味に喚くなよ。騒ぎ立てなきゃ最低限の安全だけは保障してやるからな」
鋭利な凶器を握り、七夜の背後にぴたりとくっついている長身の男が、穏やかな声でそう言った。
そこはかとない洒落っ気のある男だった。
緩いクセがついた金髪を背中の辺りまで伸ばし、その身には革製の上質そうな白のコートを着込んでいる。
首元や指には、成金趣味全開の大きな宝石をあしらった指輪やネックレスがこれでもかというほど存在を主張しており、豪奢と下品をどこまでも履き違えているかのような印象を纏っていた。
その男と七夜を挟むように、明らかにならず者と思しき者たちが左右には立っていて――否。
それだけではない。いつの間に現れたのか、十人を優に超える数の男たちが路地の前後を塞ぐようにして群がっていた。
「……悪いが、金なら持ってないぞ。狙うならもっとマシな奴が他にごまんといる筈なんだが」
「いいや、生憎と目的は金じゃない。金に困って貧民を襲うほど俺は狭量な人間じゃないからな」
ナイフを突きつけられているにも関わらず、何ら態度を変えない七夜に、けれど男は驚く様子もなくニヤリと口端を吊り上げた。
そして、七夜の顔を至近から舐めるように見つめる。
「……なるほどな。白髪で華奢で珍しい顔をしたガキだってのを知ってはいたが、まったくその通りだ。俺好みの
「そりゃどうも。ちっとも嬉しくないが」
舌なめずりをして何やら気持ちの悪い事を言ってくる男に、七夜はぞんざいな言葉を返した後。
顔を青褪めさせ、震える目をこちらに向けてくるイレィナに念話を飛ばした。
『落ち着け、イレィナ。下手に動かなかったら、きっとコイツらは何もしてこない』
「えっ? なに、え……?」
突然頭の中に声が響いて驚いたイレィナが、ビクリと肩を跳ねさせてよろめいてしまった。
それを発端として、遠巻きに立っていた男たちが数名、彼女の許へと歩み寄ってくる。七夜は内心で己の失態を恨んだ。
「……何者なんだ、あんたたちは。いきなりこの振る舞いは失礼じゃないか? まずは名乗れよ。最低限の礼儀すらその頭には刻み込まれてないのか」
明らかな挑発を口にすれば、イレィナに近付こうとしていた者たちを含め、全方位から恫喝や罵声が飛んでくる。
しかし七夜にナイフを突き付けている男は何ら感情を荒立てる事なく、寧ろサッと手を振ってあっさりと男たちを鎮めて見せた。
「これだけの人数を前にしても凄んでいられるとは、なかなかの胆力だなぁ。だが、こうして裏町に居ついてるんなら、俺たちの事を知っておくのは何よりの常識だぜ?」
ナイフの背が七夜の顎をゆっくりと撫でる。
少年の貌を間近から見下ろして、愉しむかのように歪んだ笑みを浮かべながら。
「俺たちはここら一帯を縄張りにしている徒党『エルビーアファミリー』だ。ロクでもない暮らししか送れねぇ裏町の連中を支えるために、色々とやらせてもらってる。そして俺の名はウルド。これでもエルビーアファミリーのボスで、言うなればそいつら全員の親みたいなモンだな」
「……その裏町を支えてる徒党の頭が、何でナイフなんか突き付けてるんだ? 俺も今は一応、あんたたちが支え助けるべき裏町の人間なんだけどな」
「んん? 何だよ、わざわざ言ってやらなきゃ分からないのか?」
七夜の耳元に口を寄せ、囁くようにしてウルドは言う。
「昨日の晩、俺のファミリーがお前の世話になったみたいでな。まぁ負けた喧嘩は当人の責任ってのがウチのモットーだが、それはそれとしてだ。家族が
家族の不幸を嘆くように、わざとらしく眉根を下げるウルド。
「酷いモンだぜぇ? ロアやミディたちは何とか正気に戻れたが、ヒューゴの奴なんか未だに部屋ん中に引きこもって塞ぎ込んだままだ。そんでごめんなさいだの蛇が怖いだの、わけの分からねぇ事を昨日からずーっと言ってやがる。どんな手品を使ってあいつらをあんな風にしたのかは知らないが、俺はもう可哀想で可哀想で仕方なくってなぁ? だから……ちょいとばかり、落とし前って奴をつけに来たわけだ」
「……俺はただ、俺のいた宿で猿みたいに騒ぎ立てる奴がいたから、ちょっと黙らせただけだ。非はそっちにある。だから落とし前とか言われても困るんだが」
「んー、じゃあこういうのはどうだ? ファミリーをやられた報復なんてモンは建前で、本当はお前に興味があって会いに来た」
ウルドは七夜をウットリとした顔で見つめて。
「実際、これ以上ないくらいに俺の好みだぜ、お前の
「……、」
あの地獄から解放されて一週間。
なぜか変態に遭う確率が多いなぁ、と、七夜はウルドに腕や胸をまさぐられながら、心の中で他人事のように呟いた。
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