操りし者の微笑み
元の調子を取り戻し、光の灯った真っ直ぐな眼差しを浮かべる光聖に、奏は呆れたような息を吐いた。
そうして彼から少し距離を取りながら、彼女は別の話題に切り替える。
「だったら次の問題……〝犯人捜し〟の事だけど、王子さまはどうしたい?」
「……犯人捜し?」
「斯波くんに罪を着せた、本当の犯人の事」
そのまま奏は先程まで座っていた椅子まで戻り、全く同じ姿勢で腰を下ろす。
両の膝を抱え、背中を丸めるような姿勢で座り込んだ奏は、何の気なしに言葉を続けた。
「正直、私は犯人捜しをしない方がいいと思う」
「ッ!?」
その言葉に。
光聖は数瞬、瞠目した。
だが見据える奏の瞳に、確かな意思が宿っているのを感じて、反射的に叫びかけた自らを懸命に律した。
一度目を伏せ、改めて目の前の少女を向いてから訊ねる。
「それは……どうしてそう思うの?」
「正直、手間でしかないから」
溜息を伴い、奏はそう答えた。
「ただまぁ、その問題だけに集中する必要はないって言いたいだけだから。少しずつ、色んな情報は集めていけばいいと思う。でも本当の犯人捜しは、これからの私たちにとって、あんまり大切な事じゃない」
奏が語る先で、光聖は先ほど自分が倒した椅子を戻し、座り直した。
「誰が犯人なのか分からない今の状況じゃ、誰も信用できないし。正直なところ、私たちの周りにいる人全員を疑っておく必要があるかもね」
「……つまり、騎士団の皆やフィルヴィスさんもって事か……あの人たちまでも、これから疑った目で見なきゃいけないのは、さすがにしんどいな……」
戦闘訓練の過程で、多くの者と関わっている光聖は、顔に翳を落としてそう呟いた。
嘘偽りの無い善良な心根を持っているのが、九条光聖という男だ。そんな彼にとって、自分に親しく接してくれている者達を猜疑の視線で見る事は、罪悪感を覚える行為なのだろう。
またも俯きかけた彼に、奏が浅い溜息を吐いてから言った。
「ならあなたは、余計な事を考えなくていい。あなたはいつも通りでいて」
「えっ、でも……」
「他者を疑うのは私がする。あなたはあなたらしく、今までと同じように、みんなの中心でキラキラ光ってればいいから。というか寧ろ、それしか期待してない」
「……き、キラキラ」
ジト目でそんな風に言われたものであるから、光聖はいつもの苦笑を浮かべた。
しかしすぐに考え込む。
奏の意見に反対するつもりなど毛頭ない。
それでも、やりたい事……やっておかなければならない事が、一つだけ脳裏に浮かんだ。
「……誰も信用できない……うん、確かにそうだと思う。でも一つ、我が儘を言わせてくれないかな」
光聖が真っ直ぐな瞳でそう言えば、奏は彼の真意を探るような視線を注いだ後、続きを促すように瞬きを一つ落とした。
光聖の頭に浮かんだのは、自分に秘密を打ち明けてくれた王女の事だった。
「――エルネリアさまに、話を聞きに行きたいんだ。殿下が本当に犯人は斯波くんだって言ったのなら、それについてもっと詳しい事を知りたい。その言葉が嘘でも本当でも、エルネリアさま自身から聞く必要があると思うんだ」
「……あの王女さまは、信じられるの?」
「もちろん根拠はある。でもそれだけじゃなくて……何でか知らないけど……俺は、あの人を信じてあげたいんだ」
突拍子もない言葉。
しかし揺らぎの無い面持ちでそう言う光聖を、奏は表情を変えぬままに見据え続けた。
「あの人は絶対に嘘を吐かない。それは俺が絶対に保証する。その上で、あの人自身の言葉を聞きに行きたいんだ」
「……話を聞きに行って、それで王女さまが私たちの敵だって分かったら」
その問いに、暫しの沈黙があった。
奏は光聖の持つ優しさを、〝甘さ〟という欠点として捉えている。
元の世界であればともかく、この世界……それも今の自分たちが立っている状況において、裏表のない真っ直ぐな優しさは致命の要素になり得る。
それでも彼女が九条光聖と協力関係を結ぼうとしているのは、その懸念以上に、彼の持つ〝力〟が必要だと思ったからだ。
自分たちの間にあるのはただの〝利害関係〟だということを、光聖も理解している筈だ。
所詮は薄っぺらな関係性。
だからこそ――遠慮なく彼を利用しようとする奏を、光聖もまた、遠慮なく利用する事にしたのだろう。
「あー、まぁ……俺は人の言葉を、何でもかんでも信じちゃう性格だからさ」
屈託のない微笑みを浮かべて、彼は言った。
「エルネリアさまの言葉が本当か嘘か、それは蘇芳さんが判断してよ。その上であの人が嘘を言ってたのなら……その時もさ、どう対処するかは蘇芳さんが決めればいいんじゃないかな? そういうの、得意そうだし」
それは。
九条光聖がそれまで口にした事のない、他者を利用する意思だけを込めた言葉だった。
「でも俺はあくまで、エルネリアさまは嘘をつくような性格じゃないって思ってる。それでもあの人の言葉が嘘だったら、それは俺の見る目が無かったって事で……その時は、蘇芳さんに何とかしてほしいな。頼りにしてるからさ」
そう言って、光聖は右手を差し出した。
その仕草に、そして彼の発した言葉に、奏は眉根を寄せる。
自分を遠慮なく利用しようとしてきた光聖に、苛立ちを覚えたからではない。
寧ろ、逆。
優しさという甘さしか持ってないと思っていた彼の中に、それまでの印象とは異なる、どこか昏い色を思わす空気を感じ――。
その昏さを、好ましいと思ったがゆえだ。
だからこそ、奏は差し出された光聖の手を取った。
無言で。
その口許に、よくよく見なければ分からないほどの淡い笑みを浮かべて。
「……これで俺と蘇芳さんは、一蓮托生の仲だね」
すっかり元の調子を取り戻した光聖が、爽やかな笑みと共にそう言う。
しかし彼のそんな笑顔が好きではない奏は、それまでの微笑みを消し、無表情の中に確実な嫌気を差し込んでから適当に応じた。
「一蓮托生なら、ちゃんと私の言う事を聞いてね。あなたに任せてたらいつか突拍子の無い事されて、全部失敗しちゃうかもだから」
「……前から思ってたけど、蘇芳さんの中で俺ってどういう人間なの……?」
「絶対だから。もし破ったら、あなたがクラスメイトのみんなを〝クソったれ〟とか〝バカ〟とか言ってたの、全部バラしちゃうから」
「えぇ!? いやっ、あれは言葉の綾というか、そう言っても仕方なかったっていうか……!」
そう言って慌てた様子を見せる光聖には構わず、奏は大きな欠伸を一つ洩らすと、来た時と同じように、無言でその場を後にしたのだった。
*
――同時刻。
『
「……王宮内の印象操作は、どのような感じですか?」
部屋の最奥、窓際に置かれた椅子に座る少女が、おもむろに言った。
彼女の周囲に控えていた生徒達の内、黒い髪を後頭部で束ねた長身の女生徒――玲香が、一歩歩み出て答えた。
「わざわざ魔法使って色々やんなくても、斯波が犯人だって思ってる連中が殆どだし、心配する必要ねぇんじゃね? ビビりすぎだと思うぜー」
「まー、光聖くんがみんなの前で暴れてようとしてくれたお陰でぇ、彼を危険視する声の方がちょっとずつ増えてきてるのもあるからさー。今はそっちに注目しとくべきかもねぇー?」
別の女子生徒が割り込むようにそう言う。
ベッドに上でしきりに爪の手入れをしながら、彼女――杏奈は最初に問いを投げてきた少女に視線だけを向けた。
「ていうか光聖くんが引き籠もっちゃってもう三日なんだけどぉー? 斯波くんをけーむしょに送れたのはいいけど、それで光聖くんが
「……そこんとこ、ちゃんと考えてんのかよ、
名を呼ばれた少女は、窓の外に浮かぶ紫銀の月を見上げていた。
彼女の整った顔立ちに淡い笑みが覗く。
その微笑みは年相応に可憐なものでありながら、どこか一抹の妖しさを孕んだ不気味なものにも見えた。
「ふふ、光聖さんはそれほど弱い人ではありませんよ。……いいえ、確かに弱いところは沢山ありますけど、ちゃんとそれを乗り越えられるだけの力を持っていますから。なので、余計な心配はせずに、私たちは彼が戻って来るのをじっと待っていればいいんです」
「……でもよぉ」
玲香がその顔に僅かな懸念の色を乗せて言う。
「そもそも、斯波をムショに送る必要なんてあったのか? こっちの世界じゃアイツは無能も無能……ほっといたって別に良かったんじゃねぇの?」
「あら」
ふと。
美織という少女の声が、質を変えた。
「まさか、自分のした事を後悔でもしているのですか? それとも私の言動が間違っているとでも?」
「あ、いやっ」
彼女の纏う雰囲気が変質した事を感じ取り、玲香は瞬時に不覚を悟った。
余計な事を言ってしまった、と。
美織が椅子から立ち上がる。
豊かな艶を蓄えた黒髪が、彼女の動きに合わせて靡く。
少女はそのまま玲香の間近まで歩み寄り、彼女の顔をずいと覗き込んだ。
「玲香さん。それに杏奈さんも。――お二人とも、光聖さんのお心を自分のものにしたいのでしょう? だから貴女たちは、ずっと取り巻きとして彼の傍にいたのでしょう?」
「……いや、その……アタシは別に、光聖くんに好きになってほしいとかそういうのは……ただ傍で光聖くんの事見れてたらそれで充分っていうか? なんつーの、色恋っていうより憧れなんだよ、アタシのはさ」
「そーそー。私もぉ、別に光聖くんと付き合いたい訳じゃないのよぉ? ほんと、あのはちゃめちゃに綺麗な顔を一番近くで観賞出来たらそれで満足って言うかぁー? そりゃ身の程を知らずに光聖くんと付き合いたいとか言ってくる奴がいたら、そいつはマジブッコロだけどー」
「――
少女が言葉を放つ。
刹那。
玲香と杏奈のそれぞれの瞳から、一瞬だけ、光が消えた。
「お二人は、光聖さんがお好きなんです。お付き合いしたい、結婚したい、身体を重ね合いたいとさえ思っています。ですから、もしも彼に不埒で邪な想いを抱いて迫るような者がいれば、その者は即刻排除しなければならないのです。……だからこそ貴女たちは、斯波さんとエルネリア殿下を、彼の許から引き離したかった。そうですよね?」
束の間の沈黙。
やがて、玲香と杏奈の瞳に、いつもと変わらぬ光が戻った。
「――あぁそうだよ! 斯波の奴、陰キャぼっちの上に無能のクセして、アタシらの王子さまと気安く喋り過ぎなんだよ! ちょっとは身分ってもんを弁えろやクソ野郎が! 前々から一回ひでぇ目に遭わせたいって思ってたしさぁ、ムショに放り込まれて万々歳だわ!」
「ほんとよねぇー。せっかくなら死刑にでもなれば良かったのに、きゃははは! てかそれ言うならあの王女も王女よ。訓練の見学で来ましたとか言ってるくせに、見てるのはほとんど光聖くんばっか! 狙ってんのがバレバレなのよ! ぽっと出のブスがしゃしゃり出てくんなっつーのぉ!」
二人とも、もう真夜中である事を忘れて大声で喚き散らす。
宿舎の個室全てには防音の結界が張られている為、外に声が洩れる事はない。
先ほどまでとは一転した言動を見せる彼女達に、美織はそっと背を向ける。
そのまま窓際まで戻りながら、ぶつぶつと何かを呟いていた。
「……やっぱり、まだ魔法の制御と持続性が……干渉の強度をあげるには、もう少し……限界数が五人なのもちょっと……」
その言葉は、誰にも聞き取れない。
何かを探るように指を動かすその仕草も、意図を理解出来る者は一人もいない。
何かを探るように――何かを操るかのように。
まるで指先から伸びる糸を駆使し、その先に括り付けられた人形を操る人形師のように。
少女は、しきりに指を動かす。
少しずつ、綺麗な桜色の唇が、端から吊り上がってゆく。
淡い笑みが零れる。
その可憐な微笑みは、やはり仄かな妖しさを孕んでいて――。
たった一人の少年だけに向けられた歪な感情が、微かに、その姿を覗かせていた。
【プロローグ 了】
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