穿つ凶弾、理不尽による蹂躙

 ――ほんの少し、時を遡る。


 商品となる奴隷孤児たちの〝視察〟を終えたギレア侯爵は、側近である執事と護衛二人を引き連れ、廊下を歩んでいた。


 自身の特徴である鷲鼻を撫でながら、何やらブツブツと呟いている。

 先ほど目にした数十名の子供が、それぞれ幾らの値で売れるかを事細かに予想しているのだ。


 そんな折。

 不意に何か思い当たったらしい彼は、はたとその場に立ち止まった。すぐ背後を歩んでいた執事も、さすがに慌てて足を止める。


「? ギレアさま、如何なさいました?」


「おい」


 鷲鼻で糸目の男は、何かを考えるように中空へ視線を彷徨わせながら、口を開いた。


「先ほどのメイドだが……あんな女、ウチの使用人にいたか? どうにも見覚えが無いのだが、余所から寄越した臨時の者かぁ?」


 怪訝を含めて訊ねた侯爵に、問われた執事の男は間を置く事なく、小さく首を横に振った。


「いいえ、旦那さま。あの者は以前から侯爵家の御屋敷で働いておりますよ。これまでで最も優秀で器量も良いと、メイド長が賞賛していたではありませんか。斯く言うわたくしも、あの者の働く姿を何度もお屋敷で見かけています」


「……ふむ、そうか。お前が言うならばそうなのであろう。だがあのように美しい女、わたしならばメイドなどにせず、商売の品として保管しておくのだが」


 どうにも釈然としない様子の男は、しきりに首を傾げる。――

 しかし、誰もその本質には辿り着けない。


 拭えない引っ掛かりにもどかしさを感じながらも、さほど気に留める事でもないと判じたギレアは、そうして歩みを再開させる。


「だが、そうだな……先ほどの少女が想定以上の額で落とせなかったのならば、その時はあのメイドを競売にかければよいではないか。ちらりと見ただけでもかなりの美しさだった……その美貌に加えてシークレットだのサプライズだのと焚き付けてやれば、客も期待して安易に提示額を引き上げるであろうからなぁ」


 気分を切り替えたギレア侯爵の頭の中には、自らへ際限なく注がれ続ける大金の姿が鮮明に浮かんでいた。

 裏商売による稼ぎで、いち侯爵家が得るにはあまりに膨大な額の金を得ているギレアは、とうに金の亡者と成り果てている。


 湯水の如く生じ続ける金の夢想が、彼の口許に酷く歪んだ笑みを湛えさせた。


「それにしても……ぐふ、王の目も随分と節穴よなぁ。己が国の民が連綿と凄惨な目に遭っているというのに、一向に気付かぬとは。かつては勇猛な戦いぶりで名を馳せた稀代の英雄も、今となってはただの耄碌した老害……少なくとも、あの王が退位するまでは、あるだけの甘い汁を吸わせて貰おうではないか。ぐふ、ぐふふ、ふははは」


 噛み殺し切れない笑いが、ついに口から漏れ出た。


「おい、この間仕入れたワインを持ってこさせろ。最上のやつだ。景気づけに一杯やろうではないか」


「……〝商売〟の前ですが、宜しいので?」


「構わぬ。寧ろいっそう仕事に身が入るというものだ」


「かしこまりました。すぐにお持ち致します」


 そう言って軽く会釈をした執事が、くるりと踵を返して早足で去ってゆく。

 ギレアの許に残ったのは、護衛である騎士が二名。


 ――まるで。

 その瞬間を狙っていたかの如く。


 唐突に、どこからか一条の閃光が彼らの許へ飛来した。


 閉め切られている筈の窓を、外より侵入したか細い光条は、侯爵の――その後方左側に控えていた騎士のこめかみを、刹那の中に射抜く。


 ドシュッ、という音が響く。騎士の顔から鮮血が噴き出る音だった。


「……は?」


 音に反応して振り向いたギレアが目にしたのは、ゆるやかに床へ倒れ込む騎士の姿だった。一人の人間が血を吹き出しながら崩れ落ちるその光景を、ぽかんと口を開けたままじっと眺める。


 もう一人の護衛騎士もまた、何が起きたのか判断がつかず、呆然と立ち尽くしている。

 ――それが、命取りへと繋がった。


 再び飛来した光線が、上質な金属で造られたヘルメットをものともせず、正確に眉間を穿つ。

 今度は侯爵の眼前で、その殺害が行われた。


 先ほどの焼き直しであるかのように、再び騎士が床へ崩れ落ちる。

 噴き出す鮮血に交じるかたちで何やら黒の粒子が中空を揺蕩っているのを見て、ギレアは怪訝よりもまず、恐慌に駆られた。


「ぎ、ぎゃああああああッッ――――!!?」


 叫び声を上げ、本能的にその場から駆け去ろうとするも、腰が抜けた事によってみっともなく床に尻もちをつく。


 前触れなく殺された騎士の顔が、ふたつとも侯爵へと向けられていた。

 半開きになった口に、生気を失った目、そしてゆっくりと広がりつつある血だまりが、ギレアの頭に更なる怖気をもたらす。


「ひぎっ……なに、なんっ!? い、いったい……なにっ、が、起きたというのだ……!?」


 立ち上がれないまでも、じたばたと足を振り乱して何とか騎士の死体から距離を取りながら、ギレアは声を張り上げる。


「お、おい!! 守衛はいないのかぁ!? いっ、いや、この際誰でもいい! 誰か来い! わたしまで、こ、ころっ、殺されるだろうがぁッ……!!」 


 しかし、何故か彼の呼び声に応える者は誰もいない。

 シンと静まり返る廊下の中で、今度は自分にあの謎の光条が襲来するのではないかという恐怖が、ギレアの喉を干上がらせる。


 いつまで経っても誰一人として駆け付けてこない状況に、何とか苛立ちで恐れを抑え込み、癇癪を起したように再び叫ぶ。


「おい! おいぃッ! 何やってるこの無能共がぁ!! わたしが命の危険に晒されているのだぞ!! なのにどうして誰も――」


 しかし。

 言葉は続かなかった。


 ギレアが自らの背後に、何者かの気配を感じ取ったからだ。


「ッ、だれ――おごぉッ!!?」


 反射的に振り向いた侯爵の口に、何かが突っ込まれる。

 黒光りする、鋼鉄製の何かだった。


 顎が外れんばかりに無理やり口を開かれながらも、侯爵は何とか前を見据える。

 黒鉄のそれを構える者の姿を、彼はそこでようやく、視認した。


「――ごちゃごちゃ喚くなよ。あんた、この街の領主なんだろ? あんまり情けない姿を見せてくれるな」


 声が聞こえた。

 目の前の、黒い外套に身を包む侵入者の発したものだった。


「ご、お……」


「なんだ、何か言いたい事でもあるのか? あぁちなみに、弁明言い訳その他自己弁護の言葉なら一切お断りだ。あんたがこれまでに積み重ねてきた罪に、酌量の余地なんてないんだからな」


 言いながら、その侵入者はギレアの口に突っ込んでいた黒い鉄製のそれを引き抜く。


「ごっ……ごほ! げほっ! ぐ……きっ、貴様いったい何者だぁ! わたしが誰か知らないのか! わたしにこんな事をして……いや、そもそもわたしの館に侵入した時点で、どうなるか分かってるのかぁ!?」


 唾を散らしながら喚く侯爵。

 その大声を掻き消すように、直後。


 ドパァンッ!! という破裂音が、侵入者の持つ黒鉄のそれ――より放たれた。


 射出された弾丸が侯爵の右脚を穿つ。鮮血が舞った。


「ひぎっ、ぎ、ああああああああああああああッ!!?」


 魔力の込められていない弾丸。ただそれだけでは結界魔法すら貫けない平凡な武器。

 けれど生身の人間相手であれば、何ら問題はない。


 銃弾で打ち抜かれた足を抑え、泣き叫びながら床を転がるギレアに向けて、その者は目深に被ったフードの奥から鋭い視線を注ぐ。


「好きなだけ喚け。ここら一帯には防音の結界を張ってある。どれだけ叫んだって誰も助けには来ないさ」


 底冷えする威を孕んだ、冷たい声。

 構えられた銃口が冷徹に自らへ向けられているのを見て、ギレアは何とか真面まともな声を発する。


「なっ、何でだ! 何でお前っ、わたしにこんな事をする!? お、お前は誰だ! いや、誰の差し金だ!? 誰に頼まれてこんな事――」


 ゴキィッ!! と。

 侯爵の顔面が派手に蹴り付けられる。


 廊下を吹っ飛んだ後、壁に激突してようやく止まったギレアに、足を振り抜いた姿勢で静止していた黒外套の男が、無機質に応える。


「誰の差し金かなんてどうだっていいだろ……この後、すぐにあんたは死ぬ。知りたい事を知らないままに死ねば、枕元に立つって言うなら俺も喜んで教えるんだけどな」


 言いながら、再び銃口の照準がギレアの眉間に定められる。

 一切の躊躇いも、慈悲もないその動きに、侯爵は今までに感じた事のない怖気に震える。


「……こっ、こんなのはあんまりだ!!」


 そうして、半ば発狂するかのように叫ぶ。


「理不尽だ! 不条理だ! わっ、わたしがお前に、いったい何をした!? お前には何もしていないであろう! なのにどうして、お前はわたしにこんな酷い仕打ちをするのだ!? 何故なんだぁ!!」


 顔を歪ませ、まるで子供のように喚き散らす侯爵。

 彼を良き領主として敬う領民や、彼の裏の顔を知る貴族たちが見れば、失望さえしてしまうだろうその醜態。


 ぎゃあぎゃあと散々叫ばせて、ようやく息が絶え絶えになったところで、その者はゆっくりと言葉を紡いだ。


「確かに、俺はあんたに何もされちゃいないな。あんたが今まで売り捌いてきた奴隷孤児の中に、俺の身内がいるわけでもない」


「そっ……そうであろう!? ならば!」


「だからこれは、まぁ、理不尽な暴力だとでも思ってくれればいいさ」


 軽い口調で告げられたその言葉に、ギレアは思わず、呆けたように固まった。

 フードの奥から聞こえてくる声が、さながら呪詛のように自身へ絡みついてくる感覚に囚われる。


 ゆえにこれも錯覚なのだろうか――ギレア侯爵は自身に問い掛ける。

 目の前に立つ男から漏れ出てくる黒い光の粒のようなものが、徐々にこちらへ這い寄り、足許から身体を覆ってゆく。


 蜷局とぐろを巻くように渦を描いて絡みつくその粒子は、言うなれば蛇の如く。

 精神を端から削ってゆくような恐慌を覚えながらも、穏やかに聞こえる声に思わず耳を傾ける。


「なぁ……あんたはこれまで、何人の弱者を地獄に突き落としてきた? 何の力も持っていない、ただされるがままでいるしかなかった奴らを、ひたすら私欲にだけ任せて、どれだけ好き放題にしてきたんだ?」


 淡々と紡がれる声。

 その裏に、水面下で沸々と沸き立つような情念が込められている事に、ギレア侯爵は気付く。


「っ……そ、そんなのっ、搾取される奴らが悪いに決まっているであろう……抗う力を持たないのは、其奴そやつ自身の責任だ……! 搾取されたくなければ、抗えばよいだけの話ではないか!」


「そうだな」


 首肯を返し、その者は一歩、歩を進める。


「そういう勝手気儘な理不尽が許容されるのは、あんたが〝力〟を持つ人間だからだ。力を持つ者は、持たざる者を支配できる……それが、の条理なんだろう? だったら俺も、それに従うさ」


 この場に限り、まず間違いなく侯爵家当主のギレアよりも〝力〟を持っているであろう黒外套の男は、変わらぬ冷淡な声音で続ける。


「あんたは多くの人間に理不尽を与え、死んだ方がマシとさえ思えるような目に遭わせてきたんだ。……なら、多少理不尽な暴力に蹂躙されるくらい、あんただって我慢できるだろ」


「な、何の権利があって、お前がそんな……」


「権利なんてないさ。ただ俺は、弱者をその立場に付け込んで、いいように弄ぶような奴を許せないってだけだ」


 そう言って、彼は目深に被っていたフードを取り払う。

 思っていたよりも若い顔立ちが露わになる。だが揺れる黒髪の奥に潜む双眸は、ギレアをして委縮させる昏い光を内包していた。


 黒外套の男――否、少年の貌を見上げたギレアは、僅かに目を眇める。


「ッ……その、顔……どこかで見覚え、が……」


 怪訝の声を洩らす男の眼前で、少年が魔力を操作する。

 念の為かけていた認識阻害の魔法と、髪の色を変化させる魔法――その二つを、解除した。


 侯爵の目に、より明確に少年の顔が映ると同時、純粋な黒だった髪が、徐々に白く変わってゆく。

 途端、ギレアが大きく瞠目する。


「おっ、お前……それ、その顔……〝無能兇徒クリミナル〟の……! どうしてお前のような奴が……!!」


 何やら物々しい名で呼ばれた少年は、けれど静かな物腰を変える事無く、淡々と応じた。


「あんたみたいな、〝搾取する者プランドラ〟を殺すためだよ」


 直後。


 ドパアァンッ!! と。

 一つの激しい破裂音が館の廊下に響き渡った。


 心の臓を穿たれた侯爵が、短い悲鳴を上げて床に没する。

 放った最後の一発にだけ込めた魔法の作用により、例えどんな蘇生魔法であろうと侯爵が助かる事はない。


 銃口から硝煙のように漏れ出る漆黒の粒子が、謂わば呪いとも呼べるその力の証だ。


 あっという間に広がる血だまりの中、絶命して天井を見上げるギレアの姿を、少年は冷えた瞳でもって見つめた。


 だが当然、何の感慨も抱く事無く、外套を翻して死体に背を向ける。

 そうして念話の魔法を行使し、予め館内に潜入していた仲間と連絡を取る。


「シェリア、俺だ。こっちは無事に片付いた。そっちはどうだ」


 同時に遠視の魔法を用いる。

 異なる階層に設けられた牢屋の中で、多くの子供に囲まれているメイド姿の仲間をその眼に捉える。


 すぐに、応じる言葉があった。


『はい、こちらは何も問題ありません。囚われた孤児たちの誘導なのですが、ナナヤさまの合流を合った方がよろしいでしょうか?』


「いいや、その必要はない。そいつらを外へ逃がすのはシェリア一人に任せる。俺はこのまま、地下のオークション会場に集まってる貴族連中のところへ向かうつもりだ」


『分かりました。では、ナナヤさまは地下の広間へ向かい貴族たちの征圧。私は早急に、この子たちを外へ逃がします』


「頼んだ。合流地点は追って連絡する」


 そこで少年は念話と遠視の魔法を切り、ふぅ、と一つ息を吐いた。


「よし……これでもう殆ど仕事は片付いたようなもんだろ。とっとと残りの雑魚を締め上げて、早く宿に帰って寝よう。うん、そうしよう」


 言いながら、少年は再びフードを被り、認識阻害の魔法を自らにかける。

 最後に目立つ白髪を魔法によって黒く染めながら廊下を歩いていると、、視線を中空へと彷徨わせた。


 まるで、他の人間には見えない誰かが、そこにいるかのように。


「……ふざけんな。あんな正義のヒーローみたいな方便、嘘に決まってるだろう。本当ならこんな面倒な事なんてせずに、自由気儘に生きていたいさ。でも、これもあんたとのなんだろ? なら無視するわけにはいかないだろ」


 はぁ、と深い溜息が吐かれる。

 見えない誰かと会話を交わしながらも、歩む足が向かっているのは、館地下のオークション会場に繋がる階段だ。


「あの渾名だって、別に気にしちゃいない……この国の連中にとって、俺はで、かつ王国史上稀に見るなんだからな。だからわざわざ髪の色を変えて、その上で認識阻害の魔法までかけてるんだろ」


 ぼやくように言う少年の耳に、やがて、地下へと繋がる通路の奥から複数の足音が届く。


 ――侯爵に止めの一弾を撃ち込む直前。

 少年は敢えて、周囲一帯に張り巡らせていた防音結界を解除していた。


 当然、発砲音と侯爵の断末魔は、館内に広く響き渡った事だろう。それを聞きつけた館の人間が、こちらへ向かってきているのだ。


 囚われた孤児たちを仲間が外へ逃がす間、全ての人間の注意を出来るだけこちらへ引き付けておく為の措置だった。


 悠然と廊下を歩きながら、手にした黒銃を構えて臨戦の体勢をとる少年。

 その脳裏に、先ほど遠視の魔法で見た孤児たちの姿を思い起こす。


 痩せ細り、一切の希望を無くした目を浮かべ、ボロボロの様相を呈した姿。

 それが、昔の自分と重なる。


 かつて地獄の底で、地獄のような目に遭っていた時の、自分の姿と。


「……くそ。嫌な事を思い出させるなよ」


 苛立ったように呟く。

 今まさに廊下の角より現れた者達へ、少年は八つ当たりをするかのように、銃の引き金を引いた。


 幾つもの破裂音と断末魔が、響き渡る。

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