移植されし黒


「……ノード?」


「そう。この世界には『原初の色ブラッド』っていう、とーっても強力な魔法があってね。それは何とビックリこの王国にしかない――」


「それは知ってる」


 七夜はリィリスの言葉を遮った。

 全身を走る怖気や不快感に耐えながら、続ける。


「『原初の色ブラッド』……このブラッドルフ王国にしか発現者がいない、王国固有の魔法体系だろ……それを、俺に移植しただと?」


 七夜はまた、脳内から一つの記憶を掘り起こした。

 王宮の図書館にて、初めて『原初の色ブラッド』について記された書物を読んだ時の記憶だ。


 赤、青、黄、緑、黒、白。

 その六色で構成されているその技能の中でも、特に黒と白は群を抜いて強力と言われていると、七夜は覚えていた。


 その片方を、自分は移植されたと――


 少なくとも、無遠慮に喜びはしなかった。

 自らの身体から漏出する黒い粒子を見つめながら、七夜はただ、疑念を抱いた。


「何でだ」


「ん?」


「何でそんな貴重なもの、俺なんかに与えた? お前曰く〝覚悟を決めて〟まで、俺みたいな奴に与える理由なんて何もないだろ。理由がさっぱり分からない……それだけじゃない。あんたが俺に接触してきた事についてもそうだ……俺の知りたい事、全部ちゃんと説明してくれるんだろうな、リィリス?」


 畳みかけるような問い掛けに、しかし、彼女は暫く何も答えなかった。

 数十秒もの沈黙を挟み、ようやく口を開いたかと思えば、七夜の耳に聞こえてきたのは軽い笑い笑い声であった。


「くすくす。もしかして……っていうより、ナナヤくんってやっぱり、かなり真面目な男の子なのね?」


「あ?」


「自分が疑問に思った事を、自分勝手に考えたり放置したりせずにちゃんと相手に聞くのは、真面目ちゃんにしか出来ない事なのよ?」


「……馬鹿にしてるのか」


「まさか」


 七夜の身から立ち昇る黒の粒子が、何かに導かれるように揺蕩った。


「私はすごく真面目に考えて、その結果としてナナヤくんに私の技能をあげるって決めたんだから。つまりね? 私は貴方の事をすごく信頼してて、貴方になら私の全部を託してもいいって思った……そういう事なのよ」


 優しく語るリィリスに、しかし七夜は疑念と猜疑を隠しもしない様子で沈黙を返した。

 彼女のさっぱりとした笑い声が聞こえてくる。


「ふふっ。私の言ってる事、何も信じられないって顔してるのね」


「当たり前だろ……寧ろ自分がどれだけ薄っぺらな事を言ってるのか、自覚してないのか」


 敵意を隠しもしない物腰で、七夜が言う。


「突然現れて、訳も分からず地獄みたいな苦しみを与えてきて、それで『貴方の事を信頼してる』だと? ふざけてるのか。今まであんたの周りには、その程度の言葉で信頼を返す奴がいたのかも知れないが、あいにくと俺はそんな気安い人間じゃない。相手がガキだからって、あまり舐めるな」


 七夜の中で、リィリスは未だ〝味方〟には分類されていなかった。彼女の言葉を大人しく聞いてはいても、一切として信用してはいない。

 そんな彼の態度を、言われずとも分かっていたかのような様子で、リィリスは浅い溜息を吐いてから言った。


「別にそういうつもりじゃないわ。それに実際、私は貴方に私の持つ技能をあげた。これは紛れもない事実よ。いま貴方の身体から立ち昇っている魔力粒子がその証拠」


 言われ、七夜は自らの掌を見下ろした。

 歪で禍々しい邪気とも言うべきオーラを孕んだ何かが漏出している。消そうと念じてみても何ら変化はない。


「『原初の色ブラッド』は他の魔法と体系も構造も全く違うから、魔力光に特徴があるのよ。その粒子に見覚えはない? 私の記憶が正しければ、昔、貴方の傍にも〝それ〟と色違いのものを使う子がいたと思うのだけれど」


 自然と、記憶が巡る。


 確かにいた。

 自分たちの中で唯一、『原初の色ブラッド』に目覚めたリーダーの少年が。


 途端、心の中をズキリと小さな痛みが走る――何だ、これは。

 罪悪感? 引け目?


 自分でも理解出来ない不可解な感情が、束の間、七夜の胸中を吹き抜けた。

 そのタイミングで生じた沈黙をどう受け取ったのか、リィリスが唐突に唸り始める。


「んー、どうにかしてナナヤくんには私の事を信用してほしいのだけれど。……じゃあ逆に聞くけれど、どうすればナナヤくんは私に気を許してくれるの?」


「……は?」


「例えば、私に対してナナヤくんが何か命令をして、それをちゃんと私が達成出来たら私の事を信用できる奴だと認めるとか。そうすればナナヤくんも私の事を信用できるんじゃないかしら? ……ナナヤくんのためならお姉さん、張り切ってひと肌脱ぐわよっ!」


 そう言ってリィリスがまた悪戯っぽい笑みを浮かべた、次の瞬間。

 彼女の身に纏っている漆黒のドレスが消えたかと思えば、その奥に隠されていた肢体が惜し気もなく晒された。


 一糸纏わぬ姿となったリィリス。

 その裸体は芸術的と呼べるほどの魅力を備えており、非常に肉感的でありながら引き締まるべきところは引き締まった、まさに蠱惑という言葉が相応しい代物だった。


 艶めかしくも美しい肢体を見せつけるように揺らすリィリスに――けれど七夜は、一切動じる事なく、その魅惑で満ち溢れた裸身を見上げていた。


「……そうか。その身体は魔法で作ったものだって言ってたな。ならそれくらいの芸当、出来て当たり前か」


「……うん。そうなのだけれどね? 確かにそうなのだけれど、お姉さんの裸を見て何か思う事はないの? これでも自分の身体にはかなり自身があったのだけれど。ちっとも反応してくれないのは、さすがのお姉さんもショックだわ」


 一切として照れる事なくじっと七夜が視線を注いでくるものだから、リィリスは何とも言えない複雑な表情を浮かべた。


 確かに彼女の身体は魅力的だ。

 豊満な胸にうつくしいくびれを描く腹部、そして綺麗な丸みを帯びたお尻は、もはや人離れした造形美を備えており、おおよそ男女問わず見惚れてしまうほどであろう。


 しかし、今の七夜にリィリスが期待するような反応をしろと言うのは無理な話。


「悪いな。ここに来てから今まで、散々男の相手をさせられてきたんだ。は俺には効かないって思っててくれ」


「……あー」


 七夜の言葉で全てを察したらしいリィリスが、曖昧な表情を浮かべる。


「気にしないでくれ。別に何とも思ってない。……もちろん、俺にそんな仕打ちをした奴は全員ぶん殴りたいと思ってるけどな」


 吐き捨てるように言った七夜に、何故かリィリスはぐいと距離を詰めて、彼の顔を覗き込むんだ。

 魔法で発生させたらしい小さなつむじ風が、長い前髪をふわりと浮かせ、その奥に隠れていた七夜の貌を露わにする。


「……なるほどね、うん。これは、ねぇ……」


「何だよ」


 不可解な反応を見せる女に、七夜が訝りの視線を注ぐ。

 前かがみになった姿勢のまま、リィリスは応えた。


「ナナヤくんってねぇ……この世界の男性にすごくモテる顔してるのよ」


「は?」


「今はこんな風体だから分かりづらいけど、もしちゃんとした身形みなりをしていたら、多分ほっとかれないって思うわ。だからここから出られたら、しっかり気を付けるのよ?」


 突拍子もない事を言われたものだから、七夜は「バカバカしい」と言ってリィリスの言葉を切り捨て、ふいと顔を背ける。

 しかしすぐに、視線だけが戻される。


 先ほどから終始全裸のリィリスへと。


「……っていうか、早く服を着てくれないか。目のやり場に困るんだが」


「んー? あら、お姉さんの躰には興味ないんじゃなかったのかしら?」


「興味なくても気まずいんだよ。全裸の女と何食わぬ顔で話してたら、俺まで変な奴みたいになるだろ」


 そんな七夜の物言いに、リィリスが再びその身に漆黒のドレスを纏わせながら、形の良い眉を潜ませる。


「いつか絶対、ナナヤくんをお姉さんの裸でドキドキさせてあげるんだから」


「何でだよ。色気で俺の気を引こうってか? そんな事には一生ならないから安心してくれ」


「なら、どうすればナナヤくんは私の事を信用してくれるの? 私の命でも差し出せばいい? それで良かったらすぐにでもあげるのだけれど」


 そこだけ。

 リィリスが妙に真剣な眼差しで言ってくるものだから、さすがの七夜も少しだけたじろいだ。


 得体の知れない女から、思惑の見えない質問を投げかけられている。

 その事実だけを踏まえれば、今の七夜がリィリスに馬鹿正直に付き合う必要はない。


 けれど。


「……、」


 七夜は束の間、己の手を見下ろした。

 生傷の多い痩せ細った手からは、未だに黒い粒子が漏れ出ている。


 リィリスは自分に、『原初の色ブラッド』の一つ、『ノード』の固有技能を移植したと言った。


 そもそもその言葉すら信用するには値しないのだが――七夜は何故か、彼女の言葉を漠然と信じていた。


 自らの身体から漏出する魔力粒子を見ていると、不思議と心がざわつく。

 だがそれは不快ではない情動だった。

 二年半もの地獄を経験し、その末に根底から心の在り様が変容してしまった今の七夜には寧ろ、心地良いとさえ思えるざわめき。


 ――チラリ、と。

 七夜は自らの正面に立つ女を見やった。

 移植をしたという事は、そもそもこの『ノード』の技能は、リィリスが保有していた事になる。


 だが、それはおかしい。

 七夜の記憶では、現在このブラッドルフ王国に、『原初の色ブラッド』の〝黒〟を持つ者は一人としていなかった筈だ。

 なのに何故――


 七夜はもう一度、リィリスを見やった。

 彼女の顔付きは真剣そのものだ。そこだけ急に真面目になられても困る……と七夜は浅い溜息を一つ吐き、思考を重ねるために暫しの沈黙に及んだ。


 十数秒の間を置き、口を開く。


「……あんたは俺の事を、何でも知ってるって言ったな? その言葉に嘘偽りはないか」


 答えは即座だった。


「もちろんないわよ。私は貴方の事なら、何でも知ってるわ」


「なら、それを証明してくれ。これから俺があんたに質問をする。それに答える事が出来たら、少なくともあんたが全くのホラ吹きじゃないって信じるさ」


 その言葉にリィリスは僅かに目を見開く。

 だがすぐ後に、細めた目付きで七夜を見下ろしたかと思えば、柔らかな笑みを口許に見せた。


「やっぱりナナヤくんって優しいのね。性格は変わっても、心の中身だけは前のままなんだから。……そういうところ、お姉さんは好きよ?」


 なんて事を真正面から言われたものだから、照れる事はないにしろ、何となく居心地の悪さを感じて七夜は彼女から視線を外した。

 一転して今度は自信ありげな表情を浮かべたリィリスが、自信ありげに豊満な胸を反らして言う。


「どんな質問でもドンと来なさい。とびっきり難しくてもちゃんと答えてみせるから、遠慮はいらないわ」


「……そうか。なら」


 ――は。

 言うなれば、八つ当たりのようなものだったのかも知れない。


 リィリスに対する問いを考えようとしたタイミングで、不意に、七夜の脳裏にあまり思い出したくない記憶がフラッシュバックした。


 自分の中ではとうに消化し、頭の中から消し去ったと思っていた記憶。

 一切の魔法が使えないばかりに無能と蔑まれ、周囲から蔑みの視線を浴びせられていた、かつての記憶だ。


 少しだけ、肌が粟立つ感覚があった。

 未だ脳裏に焼き付いている、多くの者から注がれる批難と侮蔑と嫌悪の視線。

 それが七夜の心を縛る事は、もうない。けれど身体に染み付いてしまっている条件反射のようなものが、彼の膚に怖気を伴った震えを走らせた。


「っ」


 一つ舌打ちを鳴らし、腕に力を込める。

 情けないという気持ちが強かった。未だに自分は過去の出来事に身を縛られているのかと思うと、心の裡に巣食う黒い感情が再び沸き立つようであった。


 悲しみと悔しさは、とうに七夜の中から消えてしまっている。そんな弱い精神は、地獄の苦痛に耐え忍ぶ過程で捨て去った。

 故に、今の彼が抱くのは、揺らめくような怒り。


 尚も漏れ出ている漆黒の粒子のように、ゆらりゆらりと、激しさのない静かな怒りだけだ。


「……何で」


 その情念につられるように、七夜は口を開く。

 リィリスに対して問う。


「何で俺が、こんな理不尽な目に遭わなきゃいけなかった……何で俺には、一切の技能も魔法も発現しなかったんだよ……」


 それはやはり、八つ当たりのような言葉で。


「何で俺は……周りの連中から無能と嘲笑われて、謂れの無い罪を問答無用で着せられて、罪人としてこんな地獄みたいな場所にぶち込まれなきゃいけなかったんだ……? 俺が何をした? そんなクソったれな理不尽に蹂躙される必要がどこにあった? ……なぁ、教えてくれよ、リィリス。あんたは俺の事なら何だって知ってるんだろ。なら答えられる筈だろう?」


 決して声の色は変わらない。

 淡々と、いっそ無感情とさえ思える静かな声音で、七夜は言葉を放った。


 白髪の奥に潜む少年の双眸が、まっすぐにリィリスを射抜く。

 尋常ではない様子の彼に見据えられて、しかし黒ドレスの女は顔付きを変えない。


 彫像の如き整った貌に、胸中の色が見えない表情を乗せて、黙ったまま七夜を見下ろしている。


 七夜はもう一度だけ舌打ちを鳴らした。

 自分のしている事が、醜い八つ当たりだと自覚しているがゆえの行為だった。


 この二年半という歳月を、この地獄に等しい場所で過ごす中で、過去の出来事は過ぎ去ったものの一つでしかないと少しずつ割り切っていった。

 怒りや悲しみ、悔しさややるせなさといった色々な感情は、常に彼の中にあった。

 それでも無理やりに忘れるしかなかったのだ。


 どうにかして過去と決別しなければ、いつしか自分の心は、取り返しのつかないものに染まってしまうと分かっていたから。


 自身の気持ちを納得させるのには、もちろん時間がかかった。

 それでも少しずつ、己と向き合って理性による決断を心の裡に落とし込んだからこそ、地獄の苦痛に満ちた一ヶ月の中でさえ、悪面に堕ちる事はなかった。


 復讐心は、当然のようにある。

 自分をこんな目に遭わせた全ての者に、自分が受けたものと同等の苦痛を与えてやりたいと思う。


 それでも何処かで、そんな事は無意味だと切り捨てる自分も、確かにいた。

 その、強靭な理性とも言うべきものが彼の中にあったからこそ、七夜はリィリスを真っ向から排斥しようとせず、彼女の言葉に耳を傾けたのかも知れなかった。


 七夜自身に、その自覚がないにせよ。


 リィリスからまた視線を逸らした七夜は、深く俯いて表情が見られないようにした。


 自分自身でさえ分からない事を、赤の他人であるリィリスが答えられる筈もないだろう。

 それでも我慢出来ずに問いを放ってしまったのは、やはり、八つ当たり以外の何物でもない。


 ――こんな事じゃ、また〝彼女〟に諭されてしまうな、と。

 その時。

 七夜は過去に一度、仲の良かった女子生徒から救いの言葉を貰ったのを思い出した。


 周囲の自分を見る目から逃れたくて、がむしゃらに頑張り続けていた七夜に、〝彼女〟は言った。

 追い詰められ続けた末に得た結果など、当人にとってはあまり意味がないと。


 その言葉に救われたのを、未だに覚えている。

 だからこそ七夜は、自分のペースで、自分に出来る範囲の努力をしようと決めた。


 もう一人の恩人とも言える〝彼女〟は――いったい何という名前だったか。


 ぽっかりと抜けた記憶。

 ほんの数分前にも覚えた違和感に七夜が僅かに瞠目する傍で、リィリスが軽い口調で言葉を発した。


「あら。そんな単純な質問でいいの? 答えは簡単よ」


 気負いのない調子で告げられたその言葉に、七夜が少しの驚きを乗せて女を見上げる。


 次の瞬間、眼前に立つ黒ドレスの女はパチンと指を鳴らした。

 軽い音と共に、七夜の身体から漏出し続けていた黒の粒子が途端に霧散する。


 驚きと共に自身の身体を見下ろす七夜に、リィリスが先ほどから変わらない余裕のある表情を向けていた。



「――ナナヤくんがだから。それが全ての問いに対する答えね」



 少年に関する全てを知っているという彼女は、そうして淡く微笑んだ。

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