リーダーとしての苦悩

 生徒全員の能力検査が終わってみれば、案の定、一つも固有技能を会得出来ていなかったのは七夜だけであった。

 だが、彼を上回る数値の魔力を叩き出した者はおらず、平均よりも多少上振れた者がいたとしても、魔力値に関して二番手である光聖にすら到底及ばぬほどであった。


 最後者の測定が終わった時点で、建物の外に見える景色には夜の帳が降りていた。


 窓の外から見えたのは、城下の街並みと満天の星空が織りなす夜景。

 日本のそれとは全くとして比べ物にならず、あまりの綺麗さに生徒の大半が見惚れてしまっていた。

 だがその最中、複数の人間が空腹を訴えた事によって夜景鑑賞は中断となった。

 それを切っ掛けに殆どの者達が食事を求め、それによってフィルヴィスは生徒達を王宮内にある大食堂へ案内すると言ってくれた。


 七夜達の通っていた中学校の全校生徒を収容しても余りあるほどに広大な食堂だった。

 聞けば、王宮及びその周辺にある研究所や魔法協会といった組織に属する者達も利用する為、これほどに大きな規模を有しているのだそうだ。


 異世界から召喚され、この国を救済に導く『神の遣いレガリア』が訪れたという事もあり、急事であるにも関わらずかなり立派な食事が用意された。その余りの手際の良さに、七夜は思わず感嘆の息を吐いてしまったほどである。


 こういう場合、異世界の料理は口に合わないというのが定石だと七夜はクラスのオタクから聞いた事があったが、そんな事は無かった。

 どの料理も非常に美味しく、召喚の所為で昼食を食べ損なった七夜にとって、その全てが極上のそれであった。


 食事を終えた後は、事前に用意が成されていた個々の部屋へと案内された。

 王宮に隣接する、王城と負けず劣らずの豪奢な印象を持つ建物だった。フィルヴィスが言うには、七夜達の召喚に合わせて急ピッチで建造させた宿舎のようなものだと。


「……すごいな、これ。日本の高級ホテルよりも豪華な部屋が、一人ずつに割り当てられてるとか……」


 家の自室で使っていたものとは比較にならない程の大きさと柔らかさを誇るベッドに寝転びながら、七夜は天井を見上げてそう言った。


 フィルヴィスの指示で、今日はもう解散となった。

 この建物内から出なければ他は自由にしてもいいと言われたので、今頃、クラスメイトは修学旅行の夜よろしく、各自仲の良いグループでそれぞれ集まり、色々と話をしているのだろう。


 修学旅行と違うのは、消灯時間など無く、加えて夜更かしを咎めるような教師の存在も無い事だろう。


 だが生憎と七夜には、こんな夜に密かに集まって好きな人を言い合うような友人などいない。

 ならばとっとと風呂にでも入って、明日の向けて英気を養っておくのが賢明である。

 そう考えて、これまた個別に用意されていたお風呂アイテム一式を持って浴室へ向かおうとしたタイミングで、ふと。

 コンコン、と扉がノックされた。


 思わず固まる。

 こんな時に自分の部屋を訪れて来るような者など、心当たりがない。

 いつもの癖で、咄嗟に光聖の取り巻きが脳裏に浮かんだが、彼女達であればもっと激しく扉を叩いてくるだろう。

 であれば、奏か?

 一番可能性があるとすれば彼女だ。男子と女子は一応階層が分けられていたが、奏であれば構わずここまで来ていても不思議ではない。


 そう判じて、ゆっくりと玄関まで歩み寄る。

 そして鍵を開け、慎重に扉を開ければ――困ったような顔を浮かべる超絶イケメン中学生が、そこには立っていた。


「えっ……九条くん?」


「ごめんね、斯波くん。少し部屋に入れて貰ってもいいかな?」


 そう訊ね、慌てた様子を見せながらも光聖は一歩としてそこから動かなかった。

 答えを待つように、七夜の目を正面から見据えている。真摯な色を込めた真っ直ぐな瞳に七夜は気圧され、そう間を置く事もなく、気付けば彼は応えていた。


「ど、どうぞ……碌なおもてなしも出来ないけど……」


 借り物の部屋で何を言ってるんだと、即座に七夜は自分の発言に後悔した。

 しかし光聖は淡い微笑みを浮かべただけで、「ありがとう」と一言告げて部屋の中へと入ってきた。

 七夜が扉を閉め、きちんと鍵を掛けたところで、深い溜息を吐く。


「いやぁ、ほんと助かったよ、斯波くん。大勢の女の子が俺の部屋に押しかけてきて、それを撒くのに時間が掛かってね……。斯波くんが出てくれるまであと三秒遅かったら、俺は彼女達に見つかってたかも知れないな」


 その言葉を裏付けるように、外の廊下で幾人もの足音が聞こえてきた。

 七夜の部屋前で立ち止まるような事は無く、そのまま過ぎ去ってゆく。


「逃げるような真似はあまりしたくなかったんだけど、今回ばかりは、彼女達抜きで話がしたかったんだ」


 光聖の瞳が揺れる。

 それほどに大事な何かがあるのだろうと判じた七夜は、ひとまず部屋の隅に設けられたテーブルへと彼を促した。

 室内には簡易的なキッチンすら存在し、例えば紅茶などを淹れる事も出来るのだが、生憎と唐突な客人にそこまで気遣いが出来る程、七夜は気の利いた人間ではなかった。


 だが光聖としても早く本題に入りたかったのだろう。

 両者が向かい合うような位置に座った七夜へと、彼は唐突に言ったのだ。


「ごめん、斯波くん!」 


 テーブルに額をぶつける勢いで頭が下げられる。

 突然の出来事に七夜はポカンと固まり、そして光聖は光聖で、七夜の言葉を待っているのか、顔を俯かせたまま何も言わなかった。


 五秒くらいの間を置いてから、ようやく七夜が我に返った。


「えっ、ちょ、急にどうしたの、九条くん! 何で急に謝るの!? 僕、何も覚えがないんだけど……」


 あわあわと困惑する七夜に、光聖はゆっくりと頭を持ち上げて、僅かに顰めた瞳を真正面から向けてきた。

 そうして沈痛な面持ちを浮かべて、謝罪の理由を口にする。


「フィルヴィスさんから、俺達の意思を聞かれた時の事だよ。俺は皆の気持ちを代弁したつもりで、フィルヴィスさんに協力する事を宣言した。でもそれは、きちんとクラスメイト全員の意思を尊重しての言葉ではなかったと、後になって気付いたんだ」


 光聖の視線が僅かに下へ落ちる。


「少なくとも、斯波くん……君に一切意見を聞かずに、俺はこの世界で、ここに生きてる人達の為に力を尽くすっていう選択を決めてしまったんだ。その事について、俺は君にきちんと謝りたかったんだよ……本当にごめん!」


 そこまで言ってから、彼は再び頭を下げた。

 だが七夜は、今度はすぐにその動きを制止させる。


「そっ、そんな事で謝んなくていいよ! もう決まっちゃった事なんだし、最初は嫌がってた人達も、何だかんだ受け入れつつあるんだから。というか寧ろ、あそこで九条くんがきちんと意思表明をしてくれなかったら、皆は今もずっと混乱しっぱなしだったと思うし……!」


 絶大なるカリスマ性を持つ光聖が、半ば強引だったとは言え、クラスの総意として宣言をした事で、生徒達に広がっていた混乱が収束したのは確かだった。

 九条光聖が言うのならば、仕方がない。

 冗談と思うかもしれないが、光聖はそれほどの求心力を持った人間だ。

 それを七夜も知っているからこそ。


「……それに、僕なんかの意見なんて気にしなくていいよ……もし僕一人が反対し続けてたとしても、それで何がどうなるって訳でもないんだからさ」


 自嘲を込めた苦笑いを見せれば、光聖は七夜に何かを慮るような視線を向けてきた。


「僕と九条くんとじゃ、色んなものが違うでしょ? クラス内での立ち位置は天地ほどの差があって……僕は殆ど空気みたいなものだけど、九条くんは皆の中心にいる人気者。魔法の資質に関してだって、一人だけ凄い特別な能力を持ってて……そんな凄い人が、僕みたいな〝期待外れ〟の事なんて気にする必要ないんじゃないかな……?」


 生徒達の中で只一人、何の技能も発現しなかった。

 それを気にしないよう努めて前向きに頑張るとは言ったものの、全く気にならないという訳ではない。

 どうしても、クラスメイトの大半から向けられた同情や侮蔑の声が脳裏をよぎる。


 その所為で思わず顔を顰めてしまった七夜を、光聖は暫し、静かな瞳で以て見つめていた。

 だが直後、柔和な笑みを浮かべると、何故か首を横に振った。

 訝りの視線を注ぐ七夜に、眉目秀麗な少年は穏やかな声でゆっくりと言う。


「君は期待外れなんかじゃないよ、斯波くん。君は誰よりも高い魔力値を持ってる。それを聞いた時に、俺さ、


「……え?」


「さすが斯波くんだなって思ったよ。同じ中学で、一緒に学力を競ってた頃から、俺はずっと君を目標にし続けていた。だから今回も、斯波くんが俺の上に立ってくれて……それが凄く嬉しかったんだよ」


 一切として嘘が感じられない、真っ直ぐな声だった。

 優しい笑みが浮かぶ貌もまた、純粋な色を宿して七夜の瞳に映り込む。


 唐突に告げられた言葉にどう返事をすればいいか迷った七夜は、挙動不審な様子でとりあえず光聖から視線を逸らした。

 彼のような完璧人に称賛されて、それで手放しに嬉しがるほど能天気な人間ではない七夜は、何か言葉を返そうとして、結局卑屈な事を口にしてしまう。


「で、でも、沢山魔力を持ってても何の魔法も使えないんじゃ、やっぱり只の期待外れだよ……少なくとも今の僕は、九条くんとは違って何の役にも立たないお荷物でしかないって」


「……まぁ、うん。確かにそうかも知れないね」


 七夜の言葉に、光聖は憂慮するかのような声でそう応じた。だがすぐに、元の明るさを取り戻す。


「でも、斯波くんは勉強するのが得意じゃないか。そんな君ならすぐに俺達の中で一番の存在になるよ。フィルヴィスさんも言ってただろう? この世界は、どんなに非才な騎士でも単純な戦闘魔法程度ならすぐに覚えられるって。只でさえ俺達は異世界から召喚された特別な存在なんだ、だから何も心配する必要はないよ」


 サラサラの茶髪を揺らしてそう言った光聖は、おもむろに椅子から立ち上がった。


「ごめんね、時間を取らせて。せめて一言だけでも、こうして面と向かってちゃんと斯波くんと話しておきたかったんだ。少し、胸のつっかえが取れたような気がするよ」


 困ったような苦笑を浮かべるその姿は、何の変哲もない一人の少年でしかなかった。

 皆が憧れ、どこまでも付いて行こうと思わせる力を持つ完璧超人の九条光聖は、この時だけ、年頃の少年のように笑った。


 それもそうだろうと、七夜は思った。

 いくらカリスマ性に溢れ、多くの者達が指針として頼るほどの求心力を持っていたとしても、彼は自分達と同じ中学三年生の子供だ。

 にも関わらず、常に冷静に、異世界という突飛な環境の中で、光聖は数十人ものクラスメイトを完璧に統制していた。それが自分の役割だと理解しているからだろう。


 しかしその負担は決して少なくない。

 自分が間違った選択をすれば、後ろを付いて来てくれる者達を危ない目に遭わせてしまう。

 ゆえに下す判断はいつだって最善でなければならない。最善を選ぶ為には、その過程で多くを考えなければならない。


 光聖は今、そんな〝リーダーとしての苦悩〟を覚え始めているのだろう。

 元の世界にいた頃は、まだ必要の無かった能力だ。しかしこの異世界に召喚された事で、光聖は無理矢理にもその能力を養わざるをえなくなった。


 それでも皆に心配を掛けまいと被っていた仮面を、束の間、七夜の前で外したのだ。

 それだけ、彼は七夜に気を許しているという事になる。それを理解し、そして彼自身がいま感じている大変さを知った七夜は、ここで初めて、自分から光聖と目を合わせた。


 彼が再び仮面を被るよりも早く、言葉を告げる。


「九条くん!」


 ガタリと立ち上がり、唐突に大きな声を上げた七夜へ、光聖が驚きの目を向けた。

 構わず続ける。


「その、えっと……色々しんどくなったら、また話聞くから……! 言ってくれたら相談に乗るし、いつでも僕の部屋に来てくれて大丈夫だから! ……いや、まぁ、僕なんかに九条くんの悩みが解決できる訳ないとは、思ってるんだけ、ど……」


 言葉が自然と尻すぼみになってしまい、またも光聖から視線を外してしまった。

 少しの沈黙が生じて、七夜は居た堪れなくなる。自分の発言を後悔し始めたところで、対面に立つ光聖が軽く笑った。


「ははっ。ありがとう、斯波くん。じゃあお言葉に甘えて、ヘロヘロになっちゃったらその時はここでまた話を聞いてもらうようにするよ」


 爽やかにそう告げた彼の顔は、既にいつもの様子を取り戻していた。

 きちんと椅子を元の位置に戻してから、七夜の前から去ってゆく。


「その代わり、斯波くんが困ってる時は俺が助けるよ。斯波くんなら大抵の事は一人で乗り切れるかも知れないけど――」


「いや、僕、そんなに逞しい人間じゃないし……」


「それでも、一人じゃどうしようもない事態に遭遇したら、俺が斯波くんの味方になるからね。そんな時が来たら、遠慮なく俺を呼んでね?」


 女子生徒が聞けばイチコロ間違いなしの台詞をサラリと言いながら、そうして光聖は七夜の部屋から出て行った。

 とんだ主人公野郎である。クラスの皆が問答無用で付いて行きたがる気持ちも分かるというものだ。


 少し経ってから、未だに光聖の姿を探していたらしい女子生徒達が、王子様を見つけてはしゃぐ声が廊下から聞こえてくる。

 相変わらずのモテっぷりに苦笑を零しながら、七夜は明日からの訓練に向けて、早めに睡眠をとる事にした。

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