異世界召喚と世界の事情

 目を覚ませば、まず飛び込んできたのは薄闇だった。

 広々とした空間。その只中に自分は仰向けに横たわっているのだと、すぐに理解した。


 であれば、自分がいま見ているのは天井だろうか。十メートル以上の高さの先に広がるを見れば、天井と言うよりも絵画と評した方が適切だろうと七夜は思った。


 恐ろしい程巨大な平面に、色々なものが描かれていたのだ。

 人や動物、山や海。巨大な要塞を思わす西洋風の巨城に、御伽噺の中でしか見た事のない竜。全てを焼き尽くす炎海と、全てを凍て付かせる凍土。それら一つ一つが、まるで争い合っているかのような対比で以て描かれている。


 人が動物を殺し。海が山を呑み込み。城に竜が攻め込み。炎海と凍土が鬩ぎ合っている。それを七夜は、これまで教科書などで見てきたどんな絵画作品よりも素晴らしく、美しいと感じた。


 しばし、目を奪われていた。

 だが相応の時間が経つと、薄闇に目が慣れ、呆けていた意識が現状把握を始める。咄嗟に上体を起こしたタイミングで、すぐ傍らから少女の呻き声が聞こえた。


「うぅ……」


「蘇芳さん!」


 七夜がそちらに目を向ければ、首にヘッドフォンを提げた少女、蘇芳奏が頭を手で押さえて険しい表情を浮かべていた。

 たった今目覚めたのか、力が入らない様子で何とか身体を起こそうとしている。七夜が駆け寄ってくると長い前髪に隠れた瞳を揺らめかせながら見上げてきた。


「斯波くん……? 何かさっき急に教室が光って……と言うか、ここ、どこ……?」


 訊ねられても、七夜の方こそ知りたいくらいである。

 気付かなかっただけで二人の周囲には何十人もの人影があった。その誰もが見知った顔で、全員が同じクラスの人間だと言う事はすぐに気付いた。皆一様に、突然の出来事に困惑して周囲を見渡したり、錯乱して声を張り上げたりしている。


 七夜も同様に辺りへ視線を巡らせれば、かなり離れた場所に複数の人間が立っているのが見えた。まるで七夜たちを取り囲むように、一定の距離を空けて並び立っている。全員が白色のローブを目深に被っており、組んだ両手を天に掲げるような姿勢で固まっていた。


 教会等にいる神父やシスターのようにも見えるが、そういった者たちとは明らかに異なる雰囲気を纏っている。

 耳を澄ませばざわめきのような声も聞こえてくる。

 しかし誰一人としてこちらに近寄って来るような者はいなかった。


 暫くして、そんなローブ姿の人混みを掻き分ける形で一人の男性が歩み出てきた。

 クラスメイト全員の視線が、一気にそちらを向く。三十人以上からの視線を一挙に浴びても、その男は口許に浮かべる笑みを全くとして絶やさなかった。


「やぁやぁ、皆さん。酷く混乱しておいでかとは思いますが、どうかひとまず落ち着いて下さい。リラックスするには、深呼吸をするのが最も効果的ですよ」


 涼やかな声だった。思わず聞き惚れてしまう類の稀有な声色。

 その証拠に、たったあれだけの台詞……気さくな印象を織り交ぜて告げられた言葉に女子生徒数名が頬を赤らめている。

 男の容姿もその理由だろう。


 一見しただけでは男性とも女性とも言い切れない。

 彼以上に中性的という言葉が似合う者はいないと思ってしまう。

 それほどに整った素顔は、もはや職人が手掛けた最高傑作の彫像の如く。

 イケメンという人種には、光聖を見て嫌という程に慣れていたとの自負があった七夜であるが、光聖とはまた別種の秀麗さを備えた男に、思わず呆気に取られてしまった。


 その美貌と洗練された声によって、クラスメイトのざわめきは一瞬にして消え去った。

 静寂が場を支配する中、美しい貌に微笑みを湛えたその男は、優しい声音で七夜達に語り掛けてきた。


「失礼――わたくしは王国宮廷魔導師団の師団長を務めております、フィルヴィス・レアン・オルベラードと申します。異世界より召喚されし『レガリア』の皆々さま、ご来訪を心より歓迎致します。つきましては事情説明と現況把握の場を設けさせて頂きたく存じますので、ご移動を願えますか?」


 中性的な顔に、どこか胡散臭い笑みを張り付けて、フィルヴィスと名乗った男はそう言った。



     *



 フィルヴィスを先頭に、白ローブの集団に引き連れられて向かったのは、一〇〇人以上はゆうに収容出来る大規模な広間だった。

 天井には先程のものとは違う壁画が描かれており、フロア中央には部屋の広さに見合った長大なテーブルが二つ並べて置かれていて、七夜達はそこに座らされた。

 四十人以上の人間がテーブルに着いて一分も経たぬ内に、何処からか現れた侍女のような者達によって全員の許に紅茶が出された。


 今まで嗅いだ事のない香りが立っている。

 それが理由か、もしくは未だ誰も現況に理解が及んでいないのが理由か、一人としてカップに手を伸ばす者はいなかった。

 そんな様子を見渡して、フィルヴィスは困ったような笑みを浮かべた。


「皆さまの前に出させて頂いたのは、王国でも最高級と言われる茶葉を使用した紅茶です。リラックス効果があるので是非にと思っていたのですが、確かに、誰とも知らぬ者たちから出されたものには口を付けたくはないですよね」


 そう言っておもむろに歩き出すと、最も近い位置に座っていた女子生徒の許へ歩み寄り、「失礼します」と一言告げて、その女子の前に出されていたマグカップを手に取って紅茶を飲み始めた。

 淑やかな容貌に反して、カップの中身を一気飲みしたフィルヴィスは、変わらず涼し気な笑みを湛えて首を傾けた。


「心配しなくとも、毒のようなものは入っていませんよ。そんな事をすれば不敬罪で私は国王に処刑を言い渡されてしまうでしょう。何せ皆さまは、このブラッドルフ王国に救済をもたらす神の御遣みつかいなのですから」


 カップをソーサーの上に戻し、呆気に取られている女子生徒に柔らかく微笑みかける。それだけでその少女は爆発したかのように頬を赤らめてしまった。

 傍に控えていた侍女に即刻カップを取り替えさせて、ゆっくりと元の位置まで戻って来たフィルヴィスは、改めてテーブルに着く全員を見渡した後、柔和な目を細めて言葉を続けた。


「では、誠に恐縮ではございますが……これよりわたくしから、皆さまが知りたいであろう事、そして皆さまに果たして頂く〝使命〟についてご説明させて頂きます。目の前の美味しい紅茶でも飲みながら、お耳を傾けて頂ければ幸いです」


 やがてゆっくりと、彼の口から現在七夜たちが置かれた状況、そして事態の説明がなされた。

 三〇分近い時間をかけて聞かされた話をまとめれば――、




 七夜たちは、フィルヴィスを始めとする王国宮廷魔導師団、所謂『魔法使い』のような者たちによって、異世界に召喚されてしまった。

 今いるのは国の中心に建つ王宮、その更に地下に建造された神殿棟。


 国の名前はブラッドルフ王国。大陸の中で最も大きな土地を持ち、故に他を寄せ付けない強国と言われているのだそうだ。


 しかし現在、王国を含めた周辺諸国は魔族と呼ばれる人外種によって侵攻を受けており、人族と魔族の戦争は既に年単位に及ぶほど長期化してしまっているのだと。


 そこで今から一年前、王国は隣接する幾つかの国と同盟を結び、十万規模の軍を編制して魔族との全面戦争を仕掛けた。

 目指したのは大陸の最西端、『命の最果てエデ・ラフィーネ』と呼ばれる地に存在する魔王城。そこに君臨する魔王を討てば人類の勝利とされた。


 入念に入念を重ねた事前調査では、魔王軍の軍勢は多く見積もっても五〇〇〇。

 対する人間側は十万。

 投入戦力の差は歴然。その侵攻の為に王国を含めて、過剰戦力とも言える数の騎士が同盟国全土から集められ、一人一人が精鋭と評しても過言ではない程であった。


 十万もの軍を率いたのは、当時王国最強と謳われていたアルヴァ・ディ・ロンギネメアス。

 王国騎士団の団長を務めていた彼の指揮下で、凄まじい士気の高さと、そして国中を挙げての活気に包まれる中、軍は魔王城への侵攻を開始したのだそうだ。


 その結果。

 十万もの軍勢は敗走。


 軍団長であったアルヴァは殉死し、全体の六割以上もの騎士が同様に命を落とした。

 王国が創建されておおよそ五〇〇年。その長きに渡る歴史の中でも類を見ないレベルの大敗北を喫したのだ。


 当然、国は混乱と恐慌に見舞われた。

 王国最強と言われていた男と、悲劇と呼ぶに相応しい数の騎士が死んだ。

 加えて人々を絶望に落としたのが、十万の軍を敗走に追いやったのが魔王では無かったという事実。


 魔王軍には魔王の守護と配下の統治、その二つを命じられた五人の将が存在していた。

 彼等の名前は『魔統五将軍バラディーギア』。


 どう足掻いても人間は魔族には勝てない。

 そう誰しもが思い込んでいた時、国王がとある伝承を思い出したのだそうだ。

 それこそが、異世界から〝勇者〟と呼ばれる大英雄を召喚する古代魔法だった。


 勇者とは、魔王を殺す為の絶大なる力を持った人間。

 と引き換えに破格の能力を持つ者をこの世界に呼び寄せる魔法の使用を、国王は躊躇う事無く魔導師団の師団長であるフィルヴィスに許可した――。




「……全ては、魔族の侵攻から我ら人族の領土を守る為に。だからこそ皆さまをこの世界に召喚させて頂きました。何卒、そのお力を王国の為に振るって頂ければ幸いでございます」


 粗方の説明を終えた後、フィルヴィスはポカンと固まる生徒たちに対して頭を下げた。周りに控えていた白ローブの者や侍女までもが、同様に腰を折る。

 束の間の静寂。

 だが十秒も経たない内に、一人の叫びを皮切りに各所から非難の声が次々と上がった。


「ふっ、ふざけんな! 勝手に俺たちを呼び出しといて都合の良い事言ってんじゃねぇ! お前らの国の事なんてどうでもいいんだよ!」


「そうだそうだ! 魔族とか魔王軍とかふざけてんのかよ! こっちは普通の中学生なんだぞ!? 戦争とかそんな事出来る訳ねぇだろうが!」


「お前らの国が危ないとかそんなの知るか! 自分の国の事は自分で解決しろや! 勝手に俺たちに助け求めてんじゃねぇよ!」


 基本的に怒号を上げるのは男子生徒で、女子生徒は困惑したり身を震わせて寄り添ったりしていた。

 それらに対して、フィルヴィスたちは何も言い返さない。ただ粛々と、こちらに対して頭を下げ続けている。

 暫く無為な時間が流れ続けて。

 その中で不意に、声を上げる者がいた。


「すみません、フィルヴィスさん。俺から幾つか質問させて貰ってもいいですか?」


 光聖だった。

 フィルヴィスと比肩する程に整った容貌に、いつもと変わらぬ涼しさを湛えて、彼は何と言う事もなしに手を挙げていた。

 それを切っ掛けに周囲の喧騒が止む。


「はい、『レガリア』の御方。わたくしにお答えできる事であれば、何なりと」


「……まず、そのレガリアって呼び名は何なんですか? それと、貴方たちは僕たちを勇者として召喚したと言っていましたけど、ここに居る全員がその〝勇者〟だという認識で問題ありませんか?」


 流石は天才で完璧超人との呼び声も高い光聖である。

 周りが騒然とする中でも落ち着きを見せ、その姿で以て周りを鎮静化させた。カリスマ性がずば抜けている。

 質問を投げられたフィルヴィスは光聖に真っ直ぐ視線を注ぎ、静かに応じた。


「古来より、召喚という古代魔法には神の力が関わっていると言われています。この世界を創造した神は、幾つも存在する異世界に対して選定を行い、最も相応しい者を己が世界に喚び寄せます。故にわたくし達は、召喚によって顕れた御方を『神の遣いレガリア』と呼称させて頂いているのです」


 次いで彼は、光聖から視線を外してゆっくりと全員の顔を見渡し始める。


「そして、召喚された皆さま全員が勇者なのかという質問についてですが……答えは〝否〟です。世界を繋げる魔法陣は、勇者としての適性を持っている方の存在を起点に発動された筈です。その〝起点〟となった方が一人なのか二人なのかはわたくしにも判断が付きませんが、とどのつまり、それ以外の方々は勇者の召喚に巻き込まれた結果、こうしてここにいらっしゃるという事ですね」


 その言葉に。

 七夜は思わず顔を顰めた。

 再び非難の声を生むような物言いを、フィルヴィスは七夜たちの前で隠す事無くしてみせた。

 当然、先程も怒号を上げていた男子生徒数名が彼に対して言葉を吐き散らそうと動きかける。


 しかし寸前で、全ての動きを止める声がフィルヴィスから発せられた。


「ですが」


 決して大きくない、しかし確かに全員の耳に響く声だった。


「この想定外とも言うべき事態は、わたくしたちにとって願ってもないものなのです。その理由は……これだけの人数がいれば、魔王軍に対抗する軍勢である『勇者軍』を王国は編制する事が出来るからです」


 フィルヴィスの言い分に、誰しもが怪訝そうな表情を浮かべる。

 怜悧な容貌にどこか真に迫る色を宿して、彼は続けた。


「一年前の第一次侵攻にて軍団を率いていたアルヴァは、魔統五将軍バラディーギアの一人と交戦し、殉死しました。しかし同時に敵軍の将も斃し、結果として相打ちという形になりました。つまり今の魔王軍には、魔王の下で柱を支える役目を担っていた者が一人欠けているのです。たった一人と思われるかも知れませんが、そのたった一人の将がいないだけで魔王軍はかなり弱体化している筈です。そして魔王が新たな人材を将軍の座に据えるには、相応の時間を必要とするでしょう。私の計算では、その期間はおよそ二年。つまりあと一年の間に皆さまが魔王軍に侵攻をすれば、魔族を掃討出来る可能性があるという事です」


「……ちょっと待って下さい」


 フィルヴィスの言葉が終わるのを待ち、やがて光聖が再び手を挙げた。

 未だ多くのクラスメイトがフィルヴィスの話を呑み込めていない中で、彼は粛然とした貌を浮かべたままに言った。


「十万人で構成された軍と、その全員を率いた王国最強の人間……それほどの編制だったのに魔王には届かなくて、魔統五将軍バラディーギアの一人と相打ちになるしかなかったんですよね? なのに、たった一人欠けた魔王軍を弱くなったと判断して、その隙に侵攻を仕掛けるのは、流石の俺でも無謀だと思います。どれだけ戦力を搔き集めても魔王の軍には敵わないって、皆さんは理解させられたんじゃないんですか?」


 あくまで静かに光聖は疑問を呈した。

 フィルヴィスも、周りのクラスメイトも、彼の言葉にじっと耳を傾けていた。

 それだけ、光聖の語りには引力と言うような誘因性があった。

 対するフィルヴィスも、光聖の問いを受けて暫し沈黙した後、真摯な面持ちで応じた。


「……確かに、我ら人族がありったけの戦力を投入しても、魔王軍には敵わないのかもしれません」


「だったら」


「しかし、勇者さまを筆頭とする『勇者軍』を編制する事が出来るのならば、その限りではないのです」


 宮廷魔導師団の団長を務めるという男の言葉に、今度は多くの者が耳を傾けた。


「異世界から召喚された皆さまは、世界を渡る過程でこの世界に暮らす人族とは比べ物にならない程の魔力を得られています。こうしてわたくしが軽く見回しただけでも、桁外れの魔力値を備えた方が数名……それ以外の方々も、おおよそこの世界の人間を遥かに上回る魔力を持っています。皆さまはまさしく一騎当千……つまり、わたくしたちと皆さまとでは戦力差に大きな開きがあるのです。故に皆さまが魔王軍に侵攻すれば相手を殲滅する事も不可能ではないと、わたくしは判断しました」


 彼の言い分を聞いて、クラスメイトの大半が自分の手や身体を見下ろした。

 自分たちには特別な力がある。その言葉は、未だ中学生の彼らにとって魅力的なものに聞こえたのだろう。

 七夜の隣に座っている奏も同様に、自身の両手をまじまじと見つめていた。


 ほんの少しだけ、空気が浮ついたものに変わる。

 何て単純な連中だと七夜は呆れの息を吐き、光聖を見る。


 そう間を置かずして、緊張が霧散しかけた空間に彼の声が響いた。


「では、最後に一つ。……俺たちは元の世界に帰れますか?」


「不可能です」


 と。

 即座に返された答えに、さしもの光聖も瞠目した。

 ざわめきかけていた広間が再びの静寂に満たされる。

 時間にすればたった数秒。しかし彼等にとっては永遠とも思える時間の沈黙の後、これまでで一番のざわめきが伝播した。


「はぁ!? 冗談じゃねぇ! 帰れねぇってどういう事だよ! マジふざけんな! 意味分かんねぇ!!」


「嘘でしょ!? 私達もう帰れないの!? やだやだやだやだぁ!!」


「勝手に呼び出しといてふざけないでよぉ! 責任持って家に帰して!」


「そっちの都合に巻き込んでんじゃねぇよ! 今すぐ元の世界に帰せよ! マジでぶっ殺すぞオイ!!」


 サラリと告げられた理不尽な事実に、彼らの心に残る子供の部分が一斉に癇癪を起こした。

 椅子を倒しながら立ち上がり、半泣きになりながら懇願する者もいれば、フィルヴィスや壁際に控えている侍女達を次々と罵詈する者もいる。


 しかしフィルヴィスはこうなる事を予め予感していたかのように、顔色一つ変えず、そっと瞼を閉じていた。


 その中でも、パニックにならず静かに現実を受け止めている者も少なからずいた。

 七夜や奏、そして光聖がそうだった。

 隣に座る奏へと、七夜は身を寄せて訊ねる。


「……向こうの世界に帰れないって、本当なのかな」


「分かんない。でもあの人ってかなりのお偉いさんっぽいし、そんな人が言うんだからそうなんじゃない?」


「あんまり動揺してないんだね、蘇芳さん」


「斯波くんもでしょ。これでも私、一応は動揺してるよ。こっちに来る瞬間、ゲームを手放しちゃったせいでいま手元にないから、これからどうすればいいのかって思ってるし」


「こんな時でもゲーム優先なんだ……」


 相も変わらず表情の変化に乏しいクラスメイトに苦笑いを返してから、七夜は改めて周囲を見回した。

 生徒達に詰め寄られ、どれだけ汚い言葉を吐かれようとも、フィルヴィスたち異世界側の人間が狼狽える事はない。

 だがこれではいつまで経っても事態は収拾しない。


 とは言え、別に七夜はどうしようかと悩むつもりも無かった。クラスが騒然とした時、いつも仲裁に動いてくれる者がいるからだ。

 言わずもがな、完璧超人の天才イケメン中学生である。


「みんな、一旦落ち着こう!」


 良く通る爽やかな声が、広間に響き渡った。

 持っているカリスマ性が遺憾なく発揮され、感情は兎も角、全員が反射的に口を閉ざした。

 この場にいる全ての人間の視線を集めて、彼はゆっくりと皆に語り掛けた。


「フィルヴィスさんや周りの侍女さんたちに当たるのは止めよう。彼らにも彼らなりの事情があって、どうにかしたくて俺たちを召喚しただけなんだから。言わば俺たちは助けを求められた結果、こうしてここにいるんだ。助けを求めてる人たちに罵詈雑言を浴びせるのは、流石にどうかと思うよ」


 ――九条光聖は、誰にでも優しい心根を持っている。

 そしてその優しさが、彼の吐く言葉を全て綺麗事のようなものへと変えている。

 これはほんの一、二ヶ月、クラスメイトとして光聖を傍で見てきた、七夜の彼に対する見解だった。

 だからこそ、綺麗事を口にした光聖に、主に男子生徒からの非難が向けられる。


「で、でもよ光聖! 勝手に俺たちを呼び付けて、そのくせ元の世界に帰せないとかふざけてんだろ!? これもういっそ誘拐だろ誘拐!」


「ここがほんとに異世界なら、そこの人間だけで解決しろって話じゃねぇか!? わざわざ余所の世界にまで迷惑かけてんじゃねぇよ!」


「向こうの都合で呼び出されて、それで戦争してくれって言われてるようなもんなんだぞ!? こんな理不尽な事ってあるかよ! 光聖! お前は何とも思わねぇのかよ!!」


 クラスの中でも活発な部類にいた男子数名に詰め寄られた光聖は、しかしそれでも尚、表情を変えなかった。

 投げられる言葉を受け止め、その全てを呑み込んだ上で、穏やかな声音で応じる。


「皆の言いたい事は分かってる。俺だって、別に全部を理解した訳じゃないさ。でも……こうなったからには、もう受け入れるしかないと俺は思う」


 綺麗事を突き詰めて、いっそ破綻した答えを、光聖は口にした。


。この場にはいない友達や、何よりも家族に会えなくなって辛い思いをするかもしれない……でもそれはほんの少しだけ我慢すれば耐えられる辛さだ。辛い時、泣きたい時は皆で励まし合おう。そうすればどんな状況だって乗り越えられるさ!」


 どこまでも純粋に。

 澄み切った瞳でそう唱える光聖に、詰め寄った男子たちは勢いを削がれるようにたじろいでいた。


 クラス内における光聖の求心力は絶大だ。

 だがそれにしたって、彼一人でこの場にいる全員の意思を統一出来る程、彼等に降り掛かった〝現況〟は生易しいものではない。

 このまま行けば、召喚された生徒達はこの国の争いに巻き込まれずに済んだかも知れなかった。


 しかし。

 その未来を潰す者たちがいた。


「そっ、そうよ! 光聖くんが言うんだから間違いないでしょ! 流石光聖くん! 言う事とか考え方がやっぱ違うわ!」 


「てか何で皆そんなに暗い顔してる訳!? 光聖くんが前向きになって励まそうとしてんのに、ふざけてんの? 何でも良いから光聖くんの言う事聞いてればいいんだってば!」


「そうだそうだ! いつまでも駄々捏ねてるとかダサいよー! 少しは光聖くんを見習ってほしいわー!」


 光聖の取り巻きである。

 いつも纏まっている数名の女子生徒が、いつものように光聖の傍へと寄って行った。

 そして決然とした面持ちを見せる彼に擦り寄って、周囲のクラスメイトに侮蔑や嘲笑の視線を遠慮なく向ける。


 何とも軽々しい手のひら返しだと、七夜は思った。

 彼女達も先程まで、フィルヴィスの言葉を信じられなくて喚いていたくせに。


「私たちは光聖くんについてくよ? 何か危ない事とかあっても光聖くんが守ってくれるんだよね?」


「……あぁ。皆の前でこれだけ言ったんだ。もしも皆が俺の意見に賛成してくれるなら、出来る限り、俺は皆の事を守るって誓うよ」


 何とも歯の浮くような台詞を、光聖は真摯な面持ちで言い切った。

 それだけで取り巻き達や、他の女子生徒が見惚れたように彼を見つめる。


 逆に七夜は呆れていた。

 確かに光聖は優しい。優しいが、その性格が祟って、半ば強引に周囲を巻き込んでしまうケースがしばしば見受けられる。


(まぁ、あんな女子受け一〇〇パーセントの顔を向けられて、断れるような女子はいないんだろうけど)


 例外はあるけど、と付け加えて、七夜は隣に視線を向ける。

 九条光聖全肯定派ではない奏は、いつものようにいつの間にか物事の中軸に立っている光聖に、うんざりしたような視線を注いでいた。


「――では、『神の遣いレガリア』の皆さま、最終的なご意見を伺ってもよろしいですか?」


 場がある程度鎮静化した所で、フィルヴィスが穏やかな声で訊ねた。

 その双眸は光聖へと向けられている。全ての意思を固めた瞳を浮かべる、光聖へと。


 彼が何か言うより早く、周囲の男子生徒数名が食い下がろうと詰め寄ってくる。

 しかし取り巻きや他の女子生徒が彼らの発言を許さなかった。

 光聖を守るように、威圧的な視線を男子達に向ける。


 ……フィルヴィスに返答をする直前、一瞬、光聖の視線が七夜へと向けられた。

 何かを憂慮しているかのような、そんな揺らめきを持った瞳だった。

 それに対して七夜はただ訝りの視線を返す。

 すぐに光聖はこちらから顔を逸らし、フィルヴィスへと向き直った。


「はい。――俺たちは、フィルヴィスさんたちに協力します。魔王とか魔族とか、そんな人たちを倒せるかは分かりませんが、精一杯、力を尽くさせて貰います!」


 意思の込められた宣言が広間に反響した。

 女子生徒の大半は光聖の口上に黄色い歓声を上げ、男子生徒の大半は諦めや落胆の様子を見せた。

 そんな彼らを見て、密かに、フィルヴィスはこれまでとは違う薄い笑みを浮かべた。


 明らかに何かを企んでいる、分かりやすい笑み。

 それを見ていたのは、七夜を含めて、ほんの数人だけであった。


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