懲罰という名の拷問
辿り着いた懲罰部屋には、アイゼバッハの他に二名の甲冑騎士が立っていた。
グラスドとは異なり、頭部までも兜によって覆っている彼らは、すぐさま少年の身柄を引き取ると、部屋の中央に鎮座する鋼鉄製の椅子へと連れてゆく。
少年を椅子に座らせた後、手慣れた様子で彼の四肢を拘束し始める。
仰々しい鉄鎖や幾つもの南京錠を用いて、一切身動きがとれないほどに雁字搦めにされた少年は、しかしどこまでもされるがままで微動だにしない。
抵抗する事が無駄でしかないと、彼は痛みと共に思い知らされているからだ。
少年の拘束を終えた甲冑騎士たちは、洗練された足運びで部屋の隅へと戻ってゆく。その過程で、一人がグラスドに二枚の襤褸布を手渡してきた。
「……、」
それを無言で受け取ったグラスドは、思わず眉根を潜める。
しかし刹那の逡巡を見せただけで、彼は甲冑騎士達と入れ替わる形で少年の許へと歩み出た。
長い前髪に隠れて当人の顔は見えない。
だがこの作業をする時だけは、それが僅かながらの幸いであると、グラスドは感じていた。
渡された二枚の襤褸布の内、一枚を無造作に丸める。
黒ずんでカビの生えたそれは、大人の拳程度の大きさにまとめられる。そうしてそれを、グラスドは強引に少年の口内へと押し込んだのだ。
顎関節を外しでもしなければ、到底入りきらない大きさの襤褸布。
当然、少年の顎部からはゴギリと骨の軋む嫌な音が鳴り、加えて喉の奥から嗚咽の声が漏れ出た。
――これは言うなれば、自殺を防止する為の措置だった。
懲罰の最中、少年が舌を噛み切って自害する事を防ぐ為に、アイゼバッハが提案したものだ。
用いる布は、牢獄を隅々まで掃除して汚れ切ったものだけと定めたのも、彼であるが。
次いでグラスドはもう一枚の襤褸布を広げ、少年の顔全体を覆うように巻き付けた。後頭部で結んでやれば、彼の表情を見る事は完全に出来なくなる。
これもまたアイゼバッハが取り決めた指示であり、懲罰による苦痛で歪んだ少年の顔を見たくないと言った公爵により、斯様な措置が取られる事となった。
与えられた役目を終えたグラスドが、部屋の端に戻って来る。
そんな彼の様子をずっと眺めていたアイゼバッハは、相変わらず嘲りを含んだ笑みをグラスドに差し向けた。
「ふんっ。これまで何度も同じような事をしているくせに、いつまで経ってもノロマだなお前は。無能で且つノロマとくればいよいよ救いようがない。そのあまりに立派で似合わぬ鎧を脱ぎ捨て、我が領都で
ニヤニヤと、
しかし対するグラスドは何も言わない。
僅かに顔を俯け、前方数メートル先の床を無言で見下ろしている。
「……ふんっ! 言い返す勇気もない底辺無能ノロマ騎士が! おい、魔道具の準備は出来ているのか!?」
恰幅の良すぎる身体を揺らして叫んだアイゼバッハに、グラスドはやはり無言のまま、淡い黄金色に輝く球体を差し出した。
それをアイゼバッハは乱暴な仕草で掴み取る。
そしてその体重ゆえに緩慢な足取りで数歩歩み出した公爵は、高々とその水晶の如き球体を掲げた。
「囚人番号『449』番に対する懲罰を、これより開始する! 国王さまの命により贖いを受ける者よ、自らの犯した罪の重さを顧みながら、誠の心でこの懲罰を受けるがよい!」
決められた文句を告げた後、アイゼバッハは再び顔を笑みで歪ませ、右手に握る水晶型の魔道具を起動させた。
直後。
バリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリバリッ!! と。
激しい閃光とけたたましい轟音を伴った苛烈な電撃が、少年が座る鋼鉄の椅子を起点に放出された。
当然、そこに拘束された少年の肉体にも、容赦なく電流が襲いかかる。
相応の距離を空けて控えていたグラスド達でさえ、あまりの閃光に目を空けていられない程の質量を内包した電撃。
四肢を拘束され、全くとして身動きが取れない少年は、無防備な姿で電流に晒された。
口内を襤褸布が圧迫している為、叫び声は聞こえない。
しかし全身を蝕んでいる激痛ゆえか、今にも鉄鎖の拘束を破らんばかりに力が込められているのが分かる。
布で覆われた頭部が激しく振り回されている。
それを見て、グラスドは己が痛みを堪えるかのように表情を歪ませた。
「ッ……すまん、すまん……!」
吐かれた言葉はしかし、放出され続ける電撃の轟音によってアイゼバッハには聞こえない。公爵は愉悦の表情を浮かべて、電撃による激痛に苦しみ続ける少年を嗤いながら眺めている。
拳を強く握り締める。
籠手に覆われた手の中で、指先の爪が手の平の皮膚を突き破るのが自分でも分かった。
どうしようもなく凄惨な時間が過ぎるのを、彼はその場に立ち尽くしたまま、只ひたすらに待ち続けた。
*
懲罰という名の拷問が終わったのは、それから三〇分以上が経過した後の事だった。
苛烈な電流に長時間晒され続けた少年の身体からは白煙が上がり、ところどころ、火傷を負ったかのように皮膚が爛れてしまっている。
布に覆われた口部からは泡が漏れ出ており、とうに気絶しているにも関わらず、電撃によるショックからか小刻みに痙攣し続けていた。
部屋にはまるで肉が焦げたかの如き異臭が立ち込めており、それを感じ取ったアイゼバッハは、隠す事のない嫌悪感を露わにしながら吐き散らした。
「おい! ぼさっとしてないでとっとと回復魔法をかけろ! 気持ち悪くて敵わん! 生臭い匂いを嗅がされる私の身にもなれ!!」
いつの間にか動いていた甲冑騎士二名が、またも手慣れた動作で少年を鋼鉄椅子から解放していた。
ジャラリと大量の鉄鎖を抱えて、全ての拘束を解いた彼等は、しかしアイゼバッハの言葉を聞き入れる事無くそのまま部屋を立ち去って行った。
分かっている。
これは自分の仕事だと、グラスドは自身を納得させた。
尚も白煙を上げ続ける少年に歩み寄る。
そして静かに右手を
「――――、」
途端。
少年の全身を、幾つもの色からなる光の膜が包み込んだ。
みるみるうちに爛れた皮膚が元の姿を取り戻してゆく。しかし、治すのは火傷の跡だけだ。グラスドにかかれば彼に刻まれたあらゆる傷を全て無かった事に出来るが、それをすれば多方面に悪影響が出る。
ゆえに、グラスドは最低限の治療だけを済ませて、魔力を霧散させる。
少なくとも、傷だけでなく痛みまでをも取り除けたはずだ。その事に彼は一先ずの安堵を吐き出す。
緑色の飛沫が空間に拡散する中、背後でアイゼバッハが釈然としない様子で鼻を鳴らした。
「ふん。お前は碌に槍も使えぬくせに、相変わらず魔法の腕だけはそれなりなのだな。騎士など今すぐにやめて、魔導師団へ転職する事を検討してみてはどうだ?」
「……ありがたきご忠言、痛み入ります。しかし私は王国に槍を捧げた身。一度立てた誓いを破る程、王国に仕える人間として
「っ……ふん! お前の
そう吐き捨てて、アイゼバッハは巨腹の身を翻して懲罰部屋を出て行こうとする。
そんな彼に、グラスドは咄嗟に名を呼んで引き留めた。
「アイゼバッハさま」
「……何だ、無能騎士。私の足を止めるなど、お前はどれだけ偉いつもりなのだ?」
呼び止められた公爵は、嫌悪を露わにした様子でグラスドを睨み付けた。
彼に
しかしグラスドは表情一つ変えず、視線は未だ気絶したままの少年に向けたまま、静かに応じた。
「申し訳ございません。しかし、私としても余りにも目に余る行為でしたので」
「目に余るだと? いったい何がだ?」
「貴方の、この少年に対する懲罰行為についてです」
グラスドは半身だけを振り向かせ、鋭い双眸をアイゼバッハに向けた。
しかし相手は余裕の姿勢を崩さまいまま、見下すような視線をグラスドに向け返してきた。
構わず続ける。
「ここ最近、貴方は懲罰権の範疇を超えた行為を何度も繰り返しています。その『
しかし、アイゼバッハは嘲笑と共にグラスドへ言葉を返した。
「おいおい、あまりふざけた事を抜かすなよ、グラスド。わざわざ私の足を止めて何を言うかと思えばそのような些末な事……。明らかなる規定違反?
「ッ」
一切悪びれる事無く言い放った公爵に、グラスドは思わず瞠目する。
「いいか? そいつは三年前、王級秘宝『
「……ですが、その件については判断の余地があるとされていた筈です! 少年は強く犯行を否定し、数名の者達からも、彼は濡れ衣であるとの主張がなされていました。ですが結局、その訴えが考慮される事はなく、彼は牢獄へと放り込まれた……もしもあの一件の犯人が彼でなかったとすれば、貴方はどうするおつもりですか!?」
「おいおい、いつまでも昔の話を掘り返してくれるなよ、グラスド」
鋭い剣幕を浮かべるグラスドに、あくまでもアイゼバッハはニヤニヤと歪な笑みを隠さない。
「王国内の権益者で、当時の事件をわざわざ今になって掘り返すような馬鹿がどこにいると思う? そいつの禁錮期間はあと半年もあれば終わる。そうすれば、あの事件に関するあらゆる事項が幕を閉じるのだ。まぁ、そいつの背負う大罪人という烙印と、国の民から向けられる非難の視線だけは、未来永劫残り続けるだろうがな」
それに、と巨腹の男は続ける。
グラスドに向けて、右手に握る水晶を脅すように掲げながら。
「もし仮にそいつが冤罪であったとしても、だ。私の手にかかれば、そんな事実は幾らでも曲げられる。何故なら私は国王さまにさえ信頼されている公爵だからだ。下民の発した言葉なぞ簡単に消す事が出来る。……あまり調子に乗るなよ、グラスド。私を誰だと思っている?」
掲げられた電流砡が僅かに光を放つ。
その水晶から放たれる電撃の威力を何度も間近で見てきたグラスドは、それを見て数歩下がった。
そんな彼の様子に気を良くしたアイゼバッハが侮蔑と嘲笑を込めた視線を男に注ぎ、再び身を翻す。
「ふんっ、何の力も持たぬ無能が、あまり出しゃばるな。お前の犯した不遜はその咎人に贖わせるとしよう。そいつに与える水を三日おき、食料は六日おきに変更しておけ。お前が私に楯突けば楯突くほど、そいつが苦しむ事になる……本当にそいつの事を想っているのなら、二度とふざけた真似はするなよ?」
それだけを告げて、公爵は懲罰部屋を出て行った。
後に残ったのは静寂。そしてグラスドが強く歯を食い縛るその音だけだった。
心裡に
長い白髪の隙間から、少年の顔が覗く。
痩せこけてはいるが整ったその貌を見て、グラスドはまた拳を握り込んだ。
「……お前を陥れた奴が目の前に現れたら、俺が全力でぶん殴ってやるのにな」
優しい声音で、そう呟く。
グラスドは、この少年が明らかな濡れ衣によって監獄送りにされた事実を知る、数少ない人間の一人だった。
だからこそ、この地獄のような場所で、彼は少年の為に獄卒を担っている。
少年を牢屋に戻す為に、その痩躯を担ぎ上げる。
十八にしてはあまりに軽く、それもまた、彼が受け続けてきた凄惨な三年間を追憶するかのようで、思わず心が痛んだ。
そうしてなるべく負担を与えないよう、ゆっくりとした足取りで、男は胸糞の悪さを引き連れながら懲罰部屋を後にする。
――そう。
少年は嵌められたのだ。
何者かの悪意によって、身に覚えのない罪を着せられて。
以来三年。
この地獄の底で、少年はいつ終わるともしれない拷問の日々を送っていた。
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