第3話

 可愛いと言う褒め言葉が日に十回は飛び出すようになり、そこに「綺麗だ」まで加わり始めた矢先、国には聖女が現れたという噂が聞こえ始めた。


 ついにと思う反面、私の呪い疑惑は解けていない。

 そしてサイクスの過保護さも、日々とどまるところを知らない。


「これは、まずいわね」


 もうすぐゲームが始まるタイミングなのに、このままだときっとサイクスは私から離れないだろう。父も、この状況で彼をヒロインの護衛に任命するはずもない。


 そうなるのは大変まずい。なんたってサイクスにとって、ヒロインは運命の相手なのだ。

 そして彼がいないと、ヒロインの恋も危ない。

 サイクスは攻略キャラのまとめ役であり、特に序盤はヒロインを取り合って争うイケメンたちをなだめる重要な立場なのだ。


 それがいなくなったら、きっともめる。

 あのゲームはキャラが個性的だし若者も多いから、大人キャラが欠けたら絶対にもめる。

『愛の力が謎の奇跡を起こして世界の脅威を救う!』という超ご都合ストーリーが展開されるゲームだったことを思うと、その愛の力が痴話げんかで進展しなくなるのは問題だという気がした。


 そう思うと何としてでも、サイクスを私から引き剥がし魔法学校に送り込まねばなるまい。

 それには、かかってもいない呪いをとく必要があった。


「こうなったら、『引いて駄目なら押せ押せ作戦』しかないわよね……」


 大人な対応で『婚約破棄しましょう』といっても聞き届けられないなら、もういっそ昔に戻ったフリをすれば良いのだ。

 そうすれば呪いは解けたとみんな思い、サイクスもまた昔の塩対応に戻るだろう。

 私が健康だとわかれば、きっと彼は聖女の護衛に任命されるはずである。


 ただ正直、もう一度昔の私に戻るのは少し辛い。

 恥ずかしいというのもあるけれど、『好き』と口にするのが私は怖いのだ。


 その言葉はきっと、偽りの呪いだけでなく幸せな日々をも終わらせる。

 言ったら最後、優しいサイクスは目の前から消えてしまう。


 だから薄々この作戦しか無いと思いつつ、私は決行に踏み切れていなかった。


 でも聖女が――ヒロインが現れたのだとしたら、そうも言っていられない。

 好きでもない女の世話を、彼にこれ以上させるなんて絶対に駄目だ。


 そう決めると、私はその夜ついに作戦を決行させることにした。


 サイクスはこのところ、同じベッドで寝てくれる。

 昔私が「一緒に寝たい! 添い寝! 腕枕!」と散々ねだったのを覚えてくれていたのだ。

 願いを叶えれば昔の自分を取り戻すかも知れないと、離宮に来てからはずっと、こうして抱きしめながら眠ってくれていた。


 彼に抱えられて眠るのは幸せだった。

 そしてその瞬間こそ、昔に戻るのに最も適したタイミングだろう。


 いつものようにベッドに入り、私はサイクスの腕の中で眠ったフリをする。

 そしてその夜遅く、私は意を決して彼に抱きつき強引に起こした。


「誕生日に欲しいものが決まりました! あなたを……むしろ今すぐサイクスを下さい!」


 そう言って熱烈なキスをすれば、唖然とした顔で彼は固まっている。


「お前、まさか……」

「まさかなんですか? 何でも下さると言ったのはサイクスでしょう?」

「いや、言ったが……こんな突然……」

「今は駄目ですか? なら誕生日の夜、エッチな下着を着けてお待ちしておりますね! はい決定です! 『誕生日プレゼントは俺だよ』って色気たっぷりに迫って下さいね!」


 怒濤の勢いでまくし立てれば、サイクスは困った顔で目を泳がせている。

 どうやら作戦は大成功のようだった。


 それにほくほくしながら「たのしみだなー!」と笑って、私はもう一度横になる。

 やりきった!

 これは勝った!

 ドン引き間違い無しだとほくほくしながら毛布を頭り、とどめとばかりに「深夜にごめんなさい! でも朝起きたらちゅーしましょうね」とまで言ってやる。


 そのままじわじわと赤くなり始めた頬を枕に押しつけていると、不意に毛布を引っぺがされた。


「キスなら、今すれば良いだろ」


 言うなり身体を反転させられ、柔らかなものが唇に重なった。

 あまりのことに訳もわからず固まっていると、ぬるりとしたものが口内へと侵入してくる。


「……ん!?」


 いわゆるディープキスをされていると気づき、私は完全にパニックだった。

 当たり前だが、大人であるサイクスは手慣れていた。手慣れすぎていた。


 一方私はこれが初キスである。

 散々翻弄され、呼吸さえ出来ず、唇が離れてようやく「ぎゃああああ」と叫びだす有様である。


「お前、あれだけキスしたいと喚いておいて、その反応はどうなんだ」

「だって、あの、なんで……」

「キスしたかったんだろ。それに俺が欲しいんだろ?」


 言うなり、サイクスが着ていたシャツを脱ぎ始める。

 今日に限ってカーテンを開けていたため、月明かりのせいで鍛え上げられた肉体がバッチリ見える。


 スチルで見た五倍は立派な筋肉に、私は真っ赤になって固まった。

 抱きつくたびに「いい胸筋だなぁ」とか思っていたけれど、直に見るとそんなことを思ってもいられない。


「脱がないのか?」

「へ?」

「ああ、それとも脱がせて欲しいのか」


 言うなり寝間着のリボンに手をかけられたところで、私は慌ててベッドから転がり出た。

 だがすぐに逞しい腕に捕まり、そのままズルズルと引き戻されてしまう。


「欲しいんだろ、俺が」

「そ、そんな色気たっぷりに言わないでください!」

「こういうときに色気出さなくていつ出すんだよ」

「そ、それは大事な相手に取っておくべきものでしょう!」

「だから出してんだろ」

「私に出してどうするんですか!」

「むしろお前以外に誰に出す。婚約者だし、結婚もするんだろ」


 言うなり、私の首筋に唇を押し当てられた。

 ちりっと僅かな痛みが走り、私は更にパニックになった。

 これは世に言う、赤い痕をつけるというやつに違いない。

 今すぐ鏡で確認したいが、喜んでいる場合ではなかった。


「ほら、自分の言葉には責任を持て。俺をくれてやるから、準備しろ」

「む、無理です……」

「なんだ、怖いのか? だったらひとまずキスだけにしとくか?」

「き、キスも駄目ですぅ……」


 もはや半泣きになり、駄目だと繰り返すとサイクスがぎょっとする。


「……わるい、そんなに嫌がるとは思わなかった」

「いやじゃなくて……駄目……なんです……。私とじゃ、駄目なんです……」


 半泣きが号泣になり、気がつけば涙だけでなく鼻水まで出ていた。

 酷い顔になっている自覚はあったが、もはや止めることは出来ない。

 そのまま涙を止められずにいると、落ち着けと言いながらサイクスがタオルと飲み物を持ってきてくれる。


 涙を拭かれ、僅かにアルコールの香りがする紅茶を飲まされると、少しだけ気分が穏やかになった。

 泣きすぎて頭はぼんやりしているが、とりあえず涙と鼻水は止まる。


「とりあえず、落ち着いたか?」

「……おちつきたいので、その胸筋を隠して下さい」

「散々見たがってたくせに」

「見たかったけど、触りたくなるから駄目です!」

「触れば良い。俺はお前のだ」

「違います! 私のじゃなくて、それはヒロインのものです!」


 言うつもりはなかったのに、うっかり口を滑らせる。

 するとそこで、サイクスの目が妖しげに細められた。


「ヒロインって誰だ?」

「聖女様です」


 答えるつもりはなかったのに、なぜだか口が勝手に動く。

 あれっと思って手で口を押さえると、サイクスがその手をそっとつかむ。


「薬が効いてきたな」

「……え、薬?」

「お前が中々口を割らないから、魔法薬に頼ることにしたんだよ。……でも安心しろ。人体に影響はない」

「え? あの……え……?」


 戸惑いながらサイクスを見ると、彼らしくない悪い顔がそこにある。


「この顔……過去編で、暗殺者やってた時の顔だ……」

「ほう、俺の過去まで知ってるのか」


 またしても考えがまるっと口から飛び出し、私は慌てて口をつぐむ。


「俺の過去を知っているなら、こういう尋問が得意なのも知ってるだろ?」


 とってもよく知っていた。

 サイクスは今でこそ優しくて頼りがいがある騎士だが、若い頃はとある帝国で暗殺者をしていたという設定なのである。

 親に捨てられた彼は幼い頃から特別な教育を受け、世界最強の暗殺者の名を欲しいままにしていた。中二病的な二つ名を持ち、この国に来たのも元々は国王を殺すためだったのだ。

 だが彼はそこで国王と王妃の優しさに触れ、与えられた仕事を放棄するのだ。

 そして心を入れ替えた彼は逆に王の護衛となり、その後聖女の騎士となるのである。


 などという詳細設定まで知っていることもペラペラと喋ってしまえば、なぜ知っているのかと問われるは必然だった。


 その頃にはもう意識はぼんやりしていて、隠そうという意思もない。


「だってあなたは私の推しキャラだから……」


 私がはっきりと覚えているのはそこまでで、気がつけば睡魔までやってきた。

 そして私は推しキャラの腕の中で前世のことを洗いざらい吐き出したあげく、いつのまにかぐーすか眠りこけていた。

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