第3話 長いソックスはチートアイテム?

「では――その、ブルマである必要は何なのでござるか?」


 思い切ってユイが最初に訊いたのは、そこだった。アミもそこを突っ込まれるだろうなと思っていたからこそ、用意していた答えをすぐに返す。


「ああ、ハーフパンツとかだと、裾から風が入り込んで、空気の抵抗が大きくなるんだよ。例えばハードルを飛び越える時、脚を前に蹴り出すだろ。あの時に風を受けると、そりゃ減速もするんだ」


「うーむ? 自転車とかなら空力抵抗は大きいでござろうが、陸上でもそんなに記録が変わるものでござるか?」


「ああ。何しろ風速2メートル以上の自然風が吹いていると、正式記録として採用されないからな。アタシも軽い追い風に助けられながら参考記録を図ったことがあるけど、いつもよりずっと良い記録でビックリしたぜ」


 風の抵抗が無い状態というのは、時として下り坂よりも有利に感じる。まるで見えない何かに引っ張られているような、非常に強いアシスト感があるのだ。


「では、ぴっちりとしたスパッツはどうでござる?」


「ああ、あれは物理的に動きを妨げるんだよ。脚を大きく上げるから、だんだん股関節の方にずり上がってきて、布が溜まってくるんだ。それが動きを妨げたりしてな」


「意外と難しい問題なのでござるな」


「ああ。シンプルだから余計に物理法則がものを言うぜ。逆に言うと、シンプルだから心理戦があんまり使えない。文系より理系が有利だよな。陸上」


「アミ殿に理系のイメージはないでござるけどな」


「うーん。まあ、そこはまあ、うん……」


 恥ずかしそうにうつむいたアミは、軽く頬を指で掻いた。

 運動は出来るから、身体は恥ずかしくない。勉強はできないから、成績は恥ずかしい。とても分かりやすい思考回路である。


「そう言えば、自転車の人もピッチリしたスパッツを履くよな。あれはどうなんだ?」


「スパッツではなく、レーシングパンツでござるよ。お尻にパッドが入っているゆえ、サドルと擦れる時に痛みが少ないのでござる」


「柔らかいサドルを使えばいいじゃん」


「いや、それをしてしまうと、腰の位置をしっかり支えられないでござろう。例えば右ペダルを踏んだ時、反動で腰が左にずれるようでは、パワーをしっかりペダルに伝えきれないのでござるよ」


「じゃあ、サドルは硬いのか?」


「うむ。少なくともロードバイクやピストバイクみたいな、オンロード競技用はそうでござるな。オフロードだとまた理屈が違うでござるけど」


 ユイはママチャリを漕ぎながら、ハンドルから手を離す。何をしているのかと思ったら、靴下が下がっていたのが気になったらしい。それを直す。


「そう言えば、靴下にまつわる面白いルールがあったでござる」


「へぇ。自転車の?」


「うむ。競技連合(UCI)の決定でな。靴下の長さはスネの半分まで。それ以上に長いハイソックスなどは使ってはいけないのでござる」


「短い靴下じゃないと出場できないのか。……なんで?」


「膝下あたりに強いゴムを仕込んで、持久力を上げる方法があるのでござるよ。意図的にうっ血させて、血流の量をコントロールするのでござるな。それをすれば、記録が劇的に良くなる」


「記録が良くなる? ならいい事じゃん」


「よくないのでござるよ。そのせいで選手の本来の実力が測れないし、アンフェアになるでござるからな。ドーピングみたいなものでござる」


「ああ、それで『自分は膝下にうっ血させるためのゴムを仕込んでません』って分かるように、靴下で隠せないルールになってるのか」


「うむ。なので膝は丸出しが基本でござるな。もっとも、競技をしない人にとってはどうでもいい話なので、拙者みたいに通学に自転車を使うだけなら合法でござる」


「ま、まさか……」


「ふっふっふ」


 ユイが履いている靴下。……一見すると学校指定の普通のハイソックスに見えるが、そのゴムは――


「普通のゴムでござる。別に強力なものに入れ替えたりはしていないでござるよ」


「なーんだよ。もしかしてユイの速さの秘訣はそれなのかと思っちゃったじゃないか」


 なんなら、長年使いこんで少し緩くなっているくらいだった。

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