Chapter04:マチネの終わりに①
「いやあ、中々面白い映画だったねえスズカ。特に終盤のあれ! 伏線回収の素晴らしさだけは最高だったよ!」
「…………」
レストランの一席にて、カスミが嬉しそうに話している。
つい最近出来たばかりの大型ショッピングモールの一角に位置するそのレストランは、内装も真新しく小奇麗な雰囲気だ。
その壁際の席に腰掛けた私は、向かいの座席に座って先程まで見ていた映画の感想をカスミから聞いていた。
中々面白い映画だった。私だって言いたいことは色々とある。
しかし私の注意は、もはや映画の内容などには毛ほども向けられていなかった。
私の目は、カスミの顔を飛び越えて……その後ろにいる人間へと注がれている。
私の視界の端で、金の髪がちらりと揺れた。
――何で会長がここにいるんだろう……。
「多分ヒロインの言葉とか、主人公が家でやってたアレとかが伏線になってたんだよね。特にヒロインの言葉は綺麗で良かった!」
「……あれは昔の映画のパロディ。オチはその映画の元ネタになった詩に
「へぇ……スズカは映画詳しいね。好きなのかい?」
「映画以外に趣味がないくらいには好き、かな」
会長から一度視線を逸らして、少し温くなったお冷へと口を付ける。
一通り喉を潤してからもう一度顔を上げると、今度は会長と思いっきり目が合った。
私と視線がぶつかり、会長が苦虫を嚙み潰した様な顔をする。
会長の隣にはアマネ先輩や副会長がいる。アマネ先輩が手を振る野が見えて、私は小さく会釈をした。
――……それにしても、全然落ち着かないなぁ……。
何故、会長がここにいるのだろう。
それを考えてみるにあたり、私の記憶は一日前にまで遡る。
「――では、これにて本日の活動はお終いですわ。皆さんお疲れさまでした」
桜週間にまつわる騒動も片付き、束の間穏やかになった金曜の夕方。
その日やるべき一通りの業務を終えた事を確認し、会長は鼻の頭に触れてからそう宣言した。
少し弛緩した空気が、生徒会室に漂い始める。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ、会長」
「お疲れ様です」
カスミやアマネ先輩は既に帰る準備を始めていた。副会長は会長の近くで、今後の予定を確認している。
私はというと、目を通して纏め終わった書類のファイルを、棚の中へと一つ一つ戻していた。
生徒会の仕事には、どうやら少し慣れてきたらしい。
会長に言わせればまだ忙しい時期には全く至っていないらしいが、基本的な業務は恐らくこうした単純な作業の積み重ねなのだろう。
「……リンダ。土日は?」
「ううん、そうですわね……。体育祭も来月ですし、準備も早めに開始しておいても良いかもしれませんわね。どなたか土日も出てこれる方はいらして?」
くるりと後ろを振り返り、会長が私たちの方を向く。
カスミ、アマネ先輩、そして私の視線が、一同に会長の方へと集まる。
どなたか、というのは
「私は特に用事無いし、大丈夫よ」
「そう、アマネは大丈夫なのね。サヤカは?」
「私は勿論、リンダが来るなら一緒に行くわ」
「……分かったわ。それで、カスミと織原さんは?」
「あ、すいません。日曜はパスでお願いします」
気の抜けた明るい声が、突拍子なく生徒会室へと響いた。
はし、とカスミの手が私の方に触れる。
「アタシとスズカ、日曜日に二人でデート行くんで。ちょっと学校には出られないです」
「な……っ」
うっかりファイルを握り損ね、私の手からファイルが滑り落ちる。
あわや床に落ち、中身をぶちまける寸前であったファイルは、横から伸ばされたカスミの手に受け取られた。
私の方へとファイルを差し出しながら、カスミが例の爽やかスマイルを作った。
「危ないじゃないかスズカ。デートが愉しみなのは分かるけど、今から浮ついてちゃ心配だな。それにあんまり嬉しそうにしてると、会長や副会長が妬いちゃうからさ」
「……は?」
獣が低く唸る様にして、会長が声を発する。
刃物を差し込まれた様な言葉を、その時私は初めて聞いた。
低く、重く、そして冷たい。刃の様な言葉。
会長は怒っている。私の目から見ても、それは火を見るよりも明らかだった。こめかみに浮いた血管が、ひくひくと小さく脈打っていた。
「カスミ」
「はい、何でしょうか」
「いま、なんて、言ったの」
「いや、だから日曜はスズカとデート行くんで出られないと」
だん、と大きな音を立てて、会長が拳にて机を殴りつける。
「却下よ却下! 誰の許しを得て生徒会を休む前提でいるの!?」
まるで部屋全体が揺れる様な声量で、会長がカスミを一喝する。
その気迫に圧倒されて、カスミと私は思わず一歩後ろへと下がった。
手だけを動かしてファイルを元の棚へと戻し、私はそろそろと棚の扉を閉めた。
「いい? ここは私の生徒会で、カスミやスズカは私の部下なのよ!? 私の許し無しに生徒会は休めないし、まして遊ぶ為だなんて! ナメた真似はスズカでお腹いっぱいなのよ!」
「舐めてはないですよ。アタシ達二人の間では極めて大事なイベントです」
カスミが再び私の身体へ手を伸ばし、ぐっと抱き寄せる。
私の身体がカスミの腕の中へと収まると、会長はますますその白い顔を真っ赤に染め上げた。
カスミが、私の方へと顔を寄せる。
耳たぶに彼女の吐息が掛かり、私は少し身体を捩らせた。
「ねえスズカ。いいでしょ?」
「いいけど、近いよ……」
「ふふっ、スズカは照れ屋さんだね」
カスミの方を見ると、きらりと光る白い歯が見えた。
見る人を気持ちよくさせる、けれど少し嘘臭いところのある、歯の白さが目立つ笑みが見える。
――何となく、ミオみたいなことをいう時があるよね。カスミって。
その笑みは、私が普段よく目にしているものとよく似ていた。
学園の王子様と呼ばれる、私の友達。彼女の笑みに対しても、私は同じ様な印象を抱いているとノートに記していた。
ミオと同じ笑みという事は、カスミの笑みもまた人に見せる為だけの作り物という事なのだろう。
……それがどうして、カスミの笑顔に混じっているのかまでは、今の私には分からなかったが。
「とにかく、日曜日アタシらは映画館でデートしてイチャイチャしてくるんで。そこんところよろしくお願いしまーす!」
「ちょっ――」
言うが早いか、カスミは私の手を強く掴んで脱兎の如く駆けだした。
私と繋いでいないもう一つの手には、ちゃっかり二つの鞄が握られている。
あっという間にカスミは私を連れて、生徒会の古めかしい扉を開いて廊下へと躍り出た。
「逃がさないで! 誰か!」
「待ってカスミ! 織原さん!」
振り返ると、副会長が追い掛けようと一歩踏み出すのが見えた。
しかし彼女の足はそれ以上前へと進ことなく……まるでそこに油でも撒いてあった様につるりと滑った。殆ど一回転する様に後ろへと転び、副会長は会長たちの方へと倒れ込んだ。
――あ、今スカートの中身全部見えた。
パンツが白かったことと、右足の付け根のあたりに
「きゃあああっ!」
「ちょっとサヤカ! 何やってんのよ!」
「メガネメガネ……メガネがどこか行ったわ……誰か探して、何も見えないの」
「ちょっ、アマネ! 変なところ触らないで頂戴!」
「…………」
ほんの少し、会長たちを気の毒に思う。
考えてみれば向こうは別に、おかしな事は何も言っていないのだ。むしろこちらがおかしな事をやっているのを、精一杯止めようとしているだけなのだ。
……けれどまあ、約束してしまったものは仕方がない。
今週の火曜日、私は確かにカスミと出かける約束をした。
デートとは聞いていなかったが、まあ辞書的な意味を取るならデートと言えなくもないのだろう。
いずれにせよ、私がカスミとの間に日曜日の予定を入れたことに変わりはない。
会長が、私のことを好きになることはない。
会長の方から、私を求めることはない。
……ああ、けれど。
――あれだけ怒ることもあるんだな、会長って。
まだまだ、会長のことを私は何も知らない。
会長について知りたいと思う私の心は、どうも暫く変わりそうにも無かった。
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