Stars(ミオ√)

Chapter03:星の王子様①

 その放送が、どこか間の抜けた様な長閑のどかさを壊す様にして聞こえてきたのは、火曜日の昼休みの事だった。


【葛木ミオ! 二年A組、出席番号七番の葛木ミオ! どこにいるのか知らんが今すぐ三年の教室まで!】


 屋上にいても聞こえてくる音量の、聞きなれたハスキーボイス。


 名指しで呼ばれた瞬間に、ボクは口につけた牛乳を思いっきり噴き出してしまった。


「げほっ、ごほごほごほ……っ!」


 激しく咳き込んでいる最中にも、放送室で先輩が何やら様子が伝わって来る。


【わっ、ちょっ、ちょっと倉持先輩! 急に入って何やってるんですか!】


【緊急事態なんだ! ちょっと目を瞑ってくれればそれでいいから!】


【そうは言っていられないですよ! 誰かー! 誰か来てくださいー! 放送室はテロリストに占拠されましたぁー!】


【繰り返すぞ! 二年A組の葛木! 聞こえているならとっととA組でもB組でもダッシュで来い! 早く急いでハリアップ!】


 その声を最後にして、やたらと騒がしいテロリストの声明は唐突に終わった。


 ……それにしても、テロリストに占拠されたとは中々面白い言い方だ。今放送室にいた子はセンスがあるな、と思う。


 口の周りについた牛乳をハンカチで拭いていると、隣の少女……チトセがこちらを不思議そうな顔で覗き込んできた。


「……呼ばれてるのって、ミオ?」


「二年B組で出席番号七番の葛木ミオと言えば、多分ボクしかいないだろうね……」


 ――多分、朝のアレだろうなぁ……。


 今朝の出来事を思い出してみる。


 白羽女子学園では、一般に『桜週間』と呼ばれている風紀委員のイベントがある。


 呼び名はただの言葉遊びなのだが、要は抜き打ちの持ち物と身だしなみの検査だ。


 委員長の六波羅先輩が滅法めっぽう身だしなみに厳しいこともあり、朝に風紀委員が立ち並んでいる様子を見て憂鬱になる人は多い。


 話を進めると、倉持先輩はそこに立ち会った生徒会とひと悶着もんちゃく起こして、いつも持っている木刀を奪われてしまったのだ。


 たった今私を呼んだのも、それが原因だろう。


「倉持って人、ミオの知り合いなの?」


「うん、ボクは剣道部だからね。倉持先輩は剣道部の部長なんだ」


「そう……ミオは知り合いが多いのね」


「そうでもないよ。西宮会長なんかはボクよりずっと凄いし」


「……私が言いたいのは、そういう事じゃないのだけど……」


 もごもごと口の中で言葉を転がしながら、チトセがカレーパンの包みを破る。スパイシーな香りが一瞬立ち込めて、チトセが鼻をひくひく動かしてその匂いを嗅ぐ。


 みるみるうちにパンが減っていくのを眺めながら、ボクは残った牛乳をストローで吸っていた。


 すわ鎌倉、と倉持先輩の元へ馳せ参じてもいいかもしれないが、せめて残ったものを飲み干すくらいは待ってもらいたいものである。


 ――そう言えば、チトセが他の誰かといるところは見た事がないな……。


 ボクが傍にいる時は、会長やスズカに話しかけているところを見たこともある。


 けれどボクのいない場所で、チトセが誰かと関わっている様子を見る事は、一週間ほどの付き合いの中でただの一度もない出来事だった。


 しかし、チトセがボク以外と会っていないという事実は、ボクにとっては何分都合が良いのかもしれない。


 チトセはその気になればどこでも行けそうだが、ボクはチトセでなければならないのだ。チトセが誰にも穢されないでいてほしい、と願う自分は確かにいる。


 チトセがカレーパンの最後の一欠けを呑み込むのを見てから、ボクは音を立てて牛乳の残りを飲み干した。


 食べたり呑んだりした後のものをレジ袋に片付けながら、ボクは立ち上がって入り口の方を向く。


「ちょっと待ってて。すぐに終わらせてくるから」


「――待って!」


 一歩踏み出そうとして、ボクの足は止まる。


 小さな手が、ボクの袖をしっかりと掴んでいることに、ボクは少し経ってから気付いた。


 振り返ると、チトセがボクの袖を掴んで引き留めていた。星空の様な二つの目が、真っすぐボクを見つめている。


 ――……相変わらず、綺麗な目だ。


 星が瞬く様にきらきらと輝く、宝石の様な二つの目。


 ぎらぎらとした肉欲ではなく、宇宙の様な静かさと底の知れなさを湛えた瞳。


 チトセの瞳に自分の全てが沈んでしまう様な気がして、ボクの心臓は強く鼓動した。


 その鼓動を捉える様にして、桜色の薄い唇が、ゆっくりと動く。


「待って。置いて行かないで」


「チトセ……?」


 あっ、と自分の言葉に驚いた様に、チトセが息を呑み込む。耳たぶが赤くなって、目があちこちへと泳ぎ始めた。


 動揺と、緊張。チトセの感情がここまで揺れるのを見るのは初めてだった。


 こんなチトセに、ボクはどんな言葉を掛ければ良いのだろう。


「……大丈夫だよ、チトセ」


 慎重に、言葉を探す。


「チトセが嫌だって言うなら、ボクはチトセを置いて行かないよ。一緒にいたいなら、ボクは一緒にいる」


「一緒に……一緒に……」


 口の中で転がす様にして、チトセが何度もその言葉を繰り返す。


 やがて何かに納得したといった素振りで一度頷くと、大きく一度空気を吸い込んで胸を張った。


「……全く! ミオは私の家臣なのだから、私の前から勝手にいなくなるなんて許さないわ! 地球の人間にも興味があるし、私も同行するわ!」


「……同行、ね」


 ――できればチトセには、あまり会わせたくない人間なんだけどなぁ……。


 どんな化学反応が起こるのか知れたものではない。もしかしたら本当に、コスモでギャラクシーな事態となるかもしれない。どちらも意味は殆ど同じか。


 これはなるべく手短てみじかに済ませる必要がある気がする。


 ――昼休みに終われば良いんだけど……。


 少し躊躇いながらチトセの手を握ると、ぱっと花が咲いた様にチトセは顔を綻ばせた。




「よく来てくれた葛木! あと知らないちっちゃい子!」


 屋上から階段をひとつ降りての三階。三年A組の教室へ入ると、例のハスキーボイスと共に倉持先輩がこっちへ走ってきた。


 がし、と倉持先輩がボクの肩を掴んで、ぶんぶんと激しく揺さぶる。その顔は笑顔だったが、どことなく切羽詰まったものがあった。


「いやあ、こういう時にアタシが頼れるのはミオしかいないよ! さあもう時間が無い、今から生徒会に乗り込もう!」


「ちょっ、待ってください倉持先輩! いきなり、話がいきなり過ぎます! 落ち着いて!」


「落ち着きも餅つきもないよ! アタシは今、身体の半分を失ってるようなものなんだぞ!」


「だからって、一日に二度も三度ものはマズいですって!」


 倉持先輩の胸の辺りに手を当てて押し返そうとすると、先輩はなおもじたばた暴れていた。


 どうやら本当に焦っているらしい。先輩の机の方を見ると、中身が乱雑に突っ込まれて今にも雪崩が起きようとしていた。


 倉持先輩の精神状態は、机の状態にそのまま出やすい。中でも今の状態はとびきり悪い。


「暴れる暴れないという問題じゃないんだよ、緊急事態なんだから!」


「……暴れる?」


「実力行使は辞さない! 私はあの大魔王の圧政に抗う為に、我々勇者は立ち上がらなければならないんだ!」


「大魔王……!」


「会長にはボクやスズカから頼んでみますから! そんな勇者にボクらがなる必要なんて無いですよ!」


「勇者……!」


「…………チトセ?」


 何だかさっきから、チトセの様子がおかしい。


 振り返ると、チトセがやたらキラキラした目でボクや倉持先輩の方を見つめていた。期待と興奮が破裂しそうなほど膨張しているのが、肌の下から透けて見える様だ。


 ――……あ、ヤバいかも。


 嫌な予感が一瞬、背筋を通り抜ける。


 興奮したチトセの声が飛んできたのは、それと殆ど同時の出来事だった。


「大魔王! 勇者! いいじゃないミオ、これって地球にある『ファンタジー』ってやつでしょう!?」


「いや、魔王とか勇者とかはあくまで比喩で……」


「行きましょうミオ! 私も、生徒会に行ってみたいわ!」


「せ、生徒会へ……」


 ほんの少しだけ、気が遠くなるのを感じる。


「ねぇ葛木、このちっちゃい一年は誰だい?」


「ああ、はい。彼女は……何というか、説明しづらいんだけど……」


「いいわミオ、私の名前は私が名乗るものだもの!」


 ずい、とボクの身体を押しのけて、チトセが倉持先輩の前へと立つ。


 チトセはぐんと胸を張ると、両手の人差し指と薬指を立て、天と水平線を指す例のポーズを取った。


 いつもの事ながら、妙に決まっている。何度もやっているうちに板についてくるものなのだろうか。


「さあさあ、地球の諸君! 遠からん者は音に聞き、近くば寄って目にも見なさい!

 私はビックブラザー星のプリンセス! 一転万乗いってんばんじょうの宇宙の支配者! ルーシー・チトセ・リーリエよ!」


「…………」


「…………」


 三年生の教室に、気まずい沈黙が流れる。


「……葛木ぃ」


「言いたいことは分かります先輩。でもふざけてる訳ではなく――」


「葛木ぃ! すっっっごい面白いなぁこいつ!」


「……え?」


 うきうきとした顔で倉持先輩がチトセの方へと近付き、肩を掴む。


 一瞬、チトセの身体がびくっと強く震えるのが見えた。


「アタシ、宇宙人に一回会ってみたかったんだよ! いいなぁ宇宙人、面白い!

 ヒトの姿をしてるのは認識が変わっているからかい!? 宇宙のどの辺りから来たの!? UFOはどんな形! ビッグラブラザーって何!?」


「えっ、えっ」


 おろおろとした様子で、チトセの目が泳ぎ始める。


 身体は微かに震えていて、膝は今にも崩れてしまいそうになっていた。


 ――……あれ?


 いつものチトセではない。自称宇宙のプリンセスとして誰にでも居丈高に振る舞う彼女の姿はどこにもない。


 そこにあったのは、チトセが時折見せる……弱々しいチトセの姿だった。


 そんなチトセの様子などお構い無しに、倉持先輩はマシンガンの様な質問をチトセへぶつけていく。


 ざり、と先輩の手が、チトセの頬を撫でた。


「随分手が冷たいんだね! 髪の色は中々見ない色だけど、何か参考にしたのかい!? 何で横文字の中に日本人の名前が混ざっているのかなぁ」


「あの、えっと、私は」


「――先輩!」


 気づけば私は、チトセ越しに倉持先輩の肩を掴んでいた。かっと先輩の目が開かれて、ばっと手がチトセから離れる。


 離したい。できれば一刻も早く、手を離したい。倉持先輩は良い人だけど、私に対するぎらぎらとした感情が全く無いと言えば嘘になる。


 けれど今手を離してしまえば、きっとまた先輩は元に戻ってしまうだろう。


 今はボク自身のことよりも、チトセの事を優先したかった。


「……少し落ち着いてください。チトセも困ってます」


「……ああ、そうだね。少し気が急いた、ごめんねルーシー」


 ふぅ、と倉持先輩が息を吐き出して、チトセの方を見つめる。


 まだ少し震えているチトセに、先輩は深々と頭を下げた。先輩が頭を上げると、チトセがおっかなびっくり頷く。


 頷くと同時に、チトセの様子はいつもと同じに戻った。……ようにボクには思えた。


「私は倉持ユカリ。良かったら仲良くしてくれないかな」


「……そう。そうね。全くもう、気安くプリンセスの玉体ぎょくたいに触れるなんて不敬よ不敬! 暫くの間は仕方なく、本当に仕方なくだけど、私と仲良くする事を許してあげるわ倉持!」


 チトセが口元に手を当てて、「あーっはっはっはっはっ!」と高笑いをする。


 どうやら、いつも通りでいてくれるらしかった。倉持先輩も、変に逸る事もなくチトセの方を見ている。


 二人の間に起きた問題は、どうもひと段落したらしかった。


 びし、と指を一本天井に立て、倉持先輩が一喝する。


「さあ、もう時間がない! 向かおう諸君! いざ、大魔王を倒す旅へと! そしてアタシの愛刀を取り戻すために!」


「おぉーーっ!」


 チトセと倉持先輩が肩を組んで、腕を振り上げときの声を上げた。


 先頭を切ってずかずか大股で進んでいく倉持先輩の後ろを、チトセが早足についていく。


「……やれやれ、まあ、仲良くできたならいいんだけど」


 二人の後を追い掛けて、ボクは歩き始める。何歩か進んだところで、チトセは急に振り返って立ち止まった。


「――ミオ!」


「ん?」


「……ありがとう。私、嬉しかった」


 愉しげに、儚げに、そして少し悲しげに。宇宙のお姫様は笑う。


 はにかんだチトセの笑顔は、暫く頭から離れそうにも無かった。

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