Chapter03:星の王子様②
生徒会のある特別棟は、教室棟から渡り廊下を渡っていかなければならない。
三階から二階へと階段を降りて、長い渡り廊下をだらだら渡って、そこから更に四階まで上らなければ生徒会へは辿り着くことができない。
かくしてボク達……倉持先輩の言を借りれば勇者一行は、魔王城こと生徒会室への道を進んでいた。
昼休みは既に半ばを過ぎようとしていて、特別棟には殆ど人がいない。
渡り廊下から下を見ると、スズカとカスミが一緒にいるところが見えた。
――良かった。スズカもボクやカレン以外に友達ができたみたいで。
カスミがスズカと仲良くするなんてビジョンは今まで見えた事が無かったが、まあ良くできているならそれで良いのだろう。
「あー、しかしあれだなぁ。特別棟に行くのはいつも億劫極まりないや」
頭をばりばりと掻きながら、倉持先輩が毒づく。
三年生は選択科目がかなり多いので、特別棟へ行く用事も多い。
一日の多くを
――まあ、本来全く行く必要なんて無い用事だけど……。
木刀を返せと言いに行って、果たして返して貰えるものなのだろうか。甚だ疑問である。
「しかも生徒会は四階の一番端っこにあるしさぁ。一番端だぜ一番端。これはもう何かしらの意図があるとしか思えないね」
「ねぇミオ、倉持は何を言ってるの?」
「生徒会室が遠い、って言ってるんだ。実際、特別棟の中でも生徒会室は一番行くのが大変で有名なんだよ。色んな部活の間でもよく言われてる」
「そう!」
ボクらの言葉を拾って、倉持先輩がぱちんと指を鳴らす。
「つまり! 生徒会室はこの特別棟というダンジョンの最奥にある、ラストステージという訳さ!」
「おお……なるほど! それは燃えるわね!」
「そうだろうそうだろう! いやぁ、この子中々話せるぞ葛木!」
「……お手柔らかにお願いしますよ」
一時はどうなるかと思ったが、どうやら話しているうちに気は合ったらしい。
ボクと繋いだ手をぶんぶん振りながら、今にもスキップしそうな勢いでチトセは進んでいく。
――綺麗な手だ。全然荒れてない。
少し冷たい、白磁の様な小さい手。傷ひとつ、汚れ一つない手がボクの手を握っている。
チトセの手は、汚くない。先週初めて掴まれたあの日から、ボクはこの手が気になっている。
唯一、という訳ではない。チトセの他にもスズカの手も触れられるし、家族も大丈夫だ。他にも触れられる人は、片手で数えられる程度には存在しなくもない。
――チトセは、スズカに似ているのかもしれないな。
暫くそのつむじを見つめていると、チトセが振り返ってこちらを覗き込んできた。
「どうしたの?」
「いいや、特に何も無いよ。チトセの眼や手は綺麗だなって思っただけだ」
「…………」
ぽっと顔が赤くなって、チトセはまたふいと顔を前に戻してしまった。
チトセの目は、星の様に輝いている様に見える。
宇宙人、と言われればなるほど確かに宇宙人かもしれない、と思う瞬間は確かにあった。
――あの目はいつも何を映しているんだろう。
ボクの視線の先で、小さい身体が跳ねる様にして階段を上っていく。
四階へと続く階段を上り切ると、奥の方に木製の扉が見える。
あれが生徒会室であることは、例えここへ来たことが無い人でも何となく分かりそうだ。実際、チトセも分かったような素振りを見せている。
生徒会室の前へと辿り着くと、倉持先輩はこちらを振り返って大きく腕を振り上げた。
「さあ、いよいよラストステージだ! 全員気合を入れて!」
「おぉーー!」
「お、おぉー?」
「生徒会に一泡吹かせたいかぁー!」
「おぉーー!」
「罰則は怖くないかぁー!」
「おー!」
倉持先輩の声に合わせて、チトセが声を上げる。打合せでもしてきているのだろうか。
「……っし、じゃあ行くぜ!」
倉持先輩がドアノブに手をかけて、軽く回す。木製の扉はきぃと重い音を立てて、軽く隙間を開けた。
紅茶の匂いが、微かにこちらへと漂ってくる。
「どなたですか? 御用ならノックをお願いします」
副会長……
一方倉持先輩はというと、軽く準備体操をしながらうきうきとした表情で身構えていた。
「……お願いなんで穏便に頼みますよ。朝だって大騒ぎになって――」
「頼もうーーー!」
ばぁん、と大きな音を立てて、倉持先輩が扉に蹴りを入れた。音の大きさにチトセが耳を塞ぎ、ボクは思わずあんぐりと口を開けてしまった。
そんなボクらの様子などてんで相手にしていないといった様子で、倉持先輩はずかずかと生徒会室へと入っていく。
「オラオラぁ、カチコミだカチコミ!」
「ああもう言ったそばから!」
「さあリンダ、アタシの用事は分かっているね! 愛刀を返して貰おうか!」
突然の闖入者に、西宮会長と阿武隈先輩は少しの間ぽかんとしていた。
しかし会長はすぐにいつもの冷静さを取り戻し、余裕たっぷりの笑みを浮かべて倉持先輩の方を見つめた。
凛とした声が、形の整った唇から紡がれ始める。
「あら、ごきげんようユカリ。すっかりお目覚めの様で何よりですわ」
「そういうかったるい挨拶はいいから、早く返してくれよ。アレが無いとアタシ生きていけないんだよ!」
凛とした声をハスキーボイスが遮り、倉持先輩の手が会長の方へと突き出される。
会長はそんな倉持先輩の様子を完全に無視して、おっかなびっくり生徒会室へと入ったボクへと手を振った。
「ごきげんよう、葛木さん。そちらは……」
会長の視線がボクの隣にいるチトセの方へと移され……わずかに引き攣る。
――ああ、そう言えばチトセのこと苦手そうだったな……。
多分、必死に思い出そうとしているのだろう。あの長い名前や口上を。
「ビッグブラザー星のルーシーさん……でしたわね。ごきげんよう」
「へぇー! ねぇミオ、こないだ会った地球の女王様、ここのセートカイチョーなんだって! セートカイチョーって何かしら!?」
「生徒のリーダーとして取りまとめる人、かな」
「なるほど! 地球の女王はここでも女王なのね! 納得!」
けらけらと笑っているチトセの姿を、阿武隈先輩がじっと見つめている。
ほんの少し据わった感じの、危ない視線がチトセを上から下までじっくりと見つめていた。
「……宇宙人は珍しいですか?」
「えっ、ああいえ! 随分と可愛く笑う人だなって思って……」
急に話しかけられて驚いたのか、阿武隈先輩がわたわたと手を振り回す。
「……阿武隈先輩、二年の荒巻さんみたいな顔でしたよ」
「風紀副委員長と同じ……それは気を付けないとね」
阿武隈先輩が机に置いてあった錠剤をしまい、代わりに棚から飴の袋を取り出す。
袋の中から飴玉を無作為に何度か取り出して、阿武隈先輩は自分の手に乗せた。
「食べる?」
阿武隈先輩が飴の乗った手を差し出すと、チトセの顔がぱっと明るくなった。
きょろきょろと辺りを見渡して、最後にチトセがボクの方を見る。好きにしていいよという意味を込めてボクが頷くと、チトセは嬉しそうに軽く何度か飛び跳ねた。
「じゃあ、じゃあこれ貰ってもいいかしら!?」
おずおずと、チトセが赤い包みを指す。鮮やかにイチゴのイラストが描かれたそれを、白い指先がつんつんと突く。
「イチゴ味ね。私もこれ好きよ」
阿武隈先輩がイチゴ味の飴を渡すと、チトセはゆっくりとその包みを破って、中の赤い飴玉を口に放り込んだ。
からからと小気味よい音を立てながら、チトセが幸せそうな顔で飴を口の中に転がす。
「美味しい……!」
「他にも欲しいのあったら言ってね。割と何でもあると思うから」
「天丼味は?」
「飴にそんな味は無いよチトセ……」
「じゃあチキンブロス味は?」
「そろそろ『お菓子』というカテゴリーで考えてほしいなぁ……」
チキンブロスって何だろう。全然聞かない名前だが。
天丼……というのも、ここでわざわざ出てくる分には何だか引っかかる。何だか映画で聞いた様な言葉だが、果たして何だったろう。
かつかつと音を立てながら、阿武隈先輩が残った飴玉をひとつひとつ机の上に並べていく。どうやら先輩はスルーする事を選んだらしい。
もう片方の隣では、倉持先輩が会長に向かって何やらぎゃいぎゃいと騒いでいた。阿武隈先輩に倣い、これはスルーすることにする。
「じゃあ、欲しいものがあったら好きに取っていって。ミオも持ってっていいわ」
「アタシは
「押し込み強盗にくれてやる施しなんて無いわ」
「うわぁ冷たい」
倉持先輩はまたばりばりと頭を掻きながら、机の上に置いてあったレモン味の飴を掴んでポケットに入れた。話は全然聞いていない。
「葛木は食べないの?」
「ああ、はい。じゃあ頂きます」
散らばった飴玉に手を伸ばして、少し考える。
――さて、何が良いのだろうか。
昔から、何かを選ぶのは苦手だ。意図的に避けていると言ってもいい。
自分の意志で何かを、或いは誰かを選ぶことは、どうしても気が引けてしまう。
「……ねえチトセ。チトセは何がいいと思う?」
「そうね……ミオはこれとかいいんじゃないかしら」
チトセの指がグレープの飴を指す。ボクの指がグレープの飴を摘み取ると、倉持先輩は納得した様にうんと頷いた。
阿武隈先輩がライチとハマグリの飴を取り、ライチの方を自分のポケットに入れて残りを会長に渡す。
――ん? 待ってハマグリ? 何でそのラインナップで、突然ハマグリ? しかも今会長にハマグリ渡さなかった?
「……美味しくないわねぇこの飴」
「でもリンダ、ハマグリ好きでしょ? 特別に取っておいたの」
「いやハマグリは好きだけどお菓子のカテゴリーじゃないでしよ」
「おかわりも沢山あるから」
「いらない愛情が重い……」
――あ、やっぱりマズいんだ。
会長が好きなのはスズキとハマグリだ、という話は阿武隈先輩から聞いた事がある。
それにしても、ハマグリ味の飴なんて存在した事が一番の驚きである。余りにもゲテモノ過ぎる。
「ねえミオ。実は私、ハマグリって食べた事無いわ! 美味しいの?」
「ボクも余り食べた事はないけど、美味しいとは思うよ」
「地球のどこで食べられるのかしら?」
「お寿司屋さんとかレストランとか……かな」
「はいはい、皆さん静粛に!」
ぱん、と会長が手を叩き、全員の視線がそちらへと集まる。
微妙に渋い顔をした会長の、ひくひくと動く眉根を、全員の視線が捉えていた。
「……倉持さん。学校に木刀を持ち込んではいけないことは分かりますわよね?」
「あれは木刀じゃなくてアタシの半身だ!」
「そんな『ペットは家族』みたいな理屈が通る訳ないでしょう」
「あーあ、じゃあ西宮ん
「失礼な。ドックとグランピーとハッピーとスリーピーとバッシュフルとスニージーとドーピーは私の
「おやおやぁ~~~? 話がおかしいなぁ~~?? どうして犬は特別扱いされて木刀はただのモノ扱いなんですかぁ~~? 生類憐みの令ですか今日から西宮綱吉ですかぁ~~?」
「これ以上いらない茶々入れるなら本当に木刀は渡さないわよ」
「この度はまことに申し訳ございませんでした」
深々と倉持先輩が会長へと頭を下げる。立ちながら礼をしているのに、今にも頭が地面につきそうだった。
勇者は、魔王に敗れた。客観的に見れば立場はそれぞれ逆になりそうな気もするが。
「私達生徒会も、立場があります。返せと言われてはいそうですかと返せないという事は、流石に分かりますわよね?」
「はい……」
「要するに、タダで返す訳にはいかないという訳ですわ。何かをして貰う為には、相応の見返りが必要ですの」
「はい……少ないですが……」
倉持先輩が財布を取り出して逆さに振り、出てきたお金を会長の方へと出す。
「現金が欲しい訳では……というか、何で五十円しか入ってないのよ!? しかも五円玉オンリーで!」
「武士は食わねど高楊枝的な」
「本当に食べない訳ではありませんのよあの言葉は……」
はあ、と会長がこの世の終わりの様なため息を吐いて天を仰ぐ。
会長は暫くの間鼻の頭を触りながら何かを呟いていたが、やがて調子を取り戻したのか、かっと目を見開いてこちらを向いた。
鋭くボクらの方を指さして、会長が微笑む。
「生徒の会の求める見返りは、奉仕です。学校でのやらかしは、学校への貢献で
「……奉仕?」
「今朝の一件、実はもう一つ騒ぎがありましてね……」
会長の指が、倉持先輩、ボク、チトセをそれぞれ指していく。
「倉持ユカリ、葛木ミオ…………ルーシーさん!」
――あ、チトセの名前はスルーするんだ。
「三人には今日、白羽の魔界へ行ってもらいますわ!」
高らかに会長が宣言し、阿武隈先輩がそれに拍手する。
果てしなく長い放課後がやってくる予感は、すぐそこまで来ていた。
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