Chapter03:星の王子様③
「ミオ! 今から魔界へ行くわよ!」
「葛木ぃ! 魔界へ行くぞぉ!」
放課後の少しだらけた空気を破る様にして、チトセと倉持先輩が二年A組へと突入してくる。
何だかどこかで見覚えのある光景だが、多分チトセのせいだろう。というかこの二人の登場はいつもそうだ。
ボクの隣でメモやノートを見返していたスズカが、心なしか不思議そうな目でボクの方を見つめる。
「……魔界?」
「オカ研の通称だよスズカ」
白羽女学園で「魔界」と言われる存在は、多分一つしか無い。
この学園で最も異彩を放つ部活。特別棟の一室を異界化しているとかしていないとか言われている存在。それが魔界ことオカルト研究会の通称である。
風紀委員や生徒会の代わりにオカルト研究会を調査してくること。
それが西宮会長からボクら……正確には倉持先輩に課せられたミッションだった。
足取り軽く、きらきらとした目で、チトセがボクの元へとやってくる。スズカと同じくボクの近くにいたカレンが、ちょいちょいとチトセの方を指す。
「ねぇミオ様、あれが例の宇宙人?」
「ああ、そうだよ。よく分かったねカレン」
「いやぁそれほどでも」
カレンは照れ気味にそう言うと、しげしげと宇宙人……チトセの方を矯めつ眇めつ見つめていた。
何か火花の様なものが散っていた様な気もするが、敢えて考えないようにする。
「ほらミオ、立って!」
チトセがボクの手を取って、椅子から立たせる。ボクが立ち上がると、チトセは満足そうにうんと一度頷いた。
「うーん、愉しみね! オカルトよオカルト! もしかしたら私の同志がいるかもしれないわ!」
「流石にいないんじゃないかな。というかいないと信じたい」
「私の同志も何度か地球に召喚されてるらしいから、いるとしたらきっとあそこよ!」
「ネクロノミコンがオカルト研究会に……」
「ネクロノミコンって何だいスズカ」
「地球にヤバい宇宙人呼ぶために使うやつ。人の皮で表紙ができてる」
「……それはまた、オカルトここに極まれりだね」
流石に宇宙人が二人も三人もいては困るが、いないと言い切れないのがオカルト研究会の怖いところである。
特別棟が爆発したとか、怪しい匂いが噴き出したとか、グラウンドで悪魔を召喚したとか、黒い噂は絶えない。
ぱたぱたとこちらへやってくる足音が聞こえて入り口の方を見ると、隣のクラスのカスミがひょこっと顔を出すのが見えた。その腕には生徒会の腕章が巻いてある。
「スズカー、一緒に生徒会行こうよ」
入り口からやってきたカスミにスズカが小さく手を上げて合図し、カスミの方へと歩き始める。
「それじゃあ、私は行って来るね」
「ああ、また後で生徒会に行くよ」
スズカが入り口の方へと歩いていき、カスミと何か話しながら出ていく様を暫し見送る。
何かを忘れている様な気がして振り返ると、うきうきした顔のチトセといらいらした様子の倉持先輩が後ろにいた。光と闇のオーラが合わさり最強に見える。
「ミオッ、ミオッ! 早く早く!」
「……かーつーらーぎぃー……」
「分かりました分かりました! 行きますとも!」
歩き始めようとすると、ぐんと身体が引っ張られて、そのまま入り口の方へと急激に運ばれ始めた。手を繋いだチトセが走り出したのだという事を理解するのに、少し時間が掛かった。
「さぁ行くわよ! 魔界はどこかしら!」
廊下へと飛び出し、玄関へと続く廊下の方へとぐんぐんチトセは進んでいく。
前から思っていたが、妙にチトセは身体能力が高い。今朝も二階から飛び降りて着地を決めていたし、今だってかなり足が速い。
……もしかしたら、本当に宇宙人なのかも。一瞬そんな事を考えてしまう。
けれど今ボクが懸念すべき問題はそこではない。懸念すべきところはもっと別の、具体的には真反対の方角にある。
「チトセ! チトセ!」
「何かしら! 不安なら今度は私が傍にいてあげるわよ!」
「違う! そうじゃなくて――」
ぐっと力を込めて、足を止める。いきなりの急ブレーキにチトセは危うく転びそうになったが、掴んだ手を引っ張ると少しふらついた後で止まった。
不思議そうな顔で、チトセがこちらを振り返る。
「……オカルト研究会は反対側だよ、チトセ」
オカルト研究会があるのは特別棟の二階である。玄関とは反対にあるので、いくら進んでも魔界へ行くことはできない。
こちらを見つめるチトセの顔が赤くなったのは、夕陽の所為ではなかっただろう。何となく、そんな気がした。
オカルト研究会は特別棟の二階、その最奥にある。
特別棟は一階が運動部の部室、二階が文化部の部室として使われており、三階は同好会が使っている。
本来ならば同好会のオカルト研究会は三階が割り当てられる筈だが、何故か二階の部室に陣取っている。
噂では理事会と黒い取引をしたとか、三階に変えた途端に怪奇現象が多発したとか、噂だけは色々ある。
「……んで、オカ研までやってきたはいいけど――」
しげしげと倉持先輩がオカルト研究会の部室の辺りを見つめる。
部室の扉には怪しげな紋様がびっしりと書き込まれており、お札やら何なのか分からないマテリアルやらが所々にぶら下がっている。
部室の中からは聞いた事もない言語の音楽がうっすらと聞こえてくる。どうやら中で誰かが合唱しているらしかった。
甘いような、苦いような、不審な匂いも漂っている。
その空間は、とにかく全てが異常だった。重く、暗く、そして不気味過ぎた。そこはまさに魔界だった。
ごくり、と倉持先輩が生唾を呑み込む音が聞こえる。
「幾ら何でも、気味が悪すぎんだろ……」
「ねぇミオ、ここ怖い……」
「あはは……知り合いはいそうかい?」
「いたらいたで何かやだ……」
それはそうである。こんなところに知り合いがいてたまるものか。……ボクはいるけど。
チトセはボクの背中に隠れて、こわごわと向こうの様子を伺っている。倉持先輩は動こうとしないし、今のままでは事態は悪くなるばかりだ。
――まあ、ここで立ち往生していてもしょうがないか。手早く済ませよう。
そう思って一歩前へと踏み出すと、「ぴっ」という無機質な電子音が鳴った。
「ぴ?」
ゆっくりと、音が鳴った足元の方を見てみる。
足元の壁には何か小さな機械がテープでくっつけられていた。この機械を横切ると何かが作動するらしい。
――何だっけこれ、確か赤外線センサー……。
そう思うのと殆ど同時に、けたたましい音で警報が鳴り始めた。
「きゃああああっ!」
チトセがぎゅっと腰のあたりにしがみつき、ぎりぎりと締め付けてくる。
【侵入者を確認。会員は速やかに、防衛プロトコルの準備を開始して下さい。繰り返します――】
「うおっ、何だ何だ葛木! 何とかしろ!」
「できる訳ないでしょ! というか先輩が何とかしてください!」
「私は剣士だぞ! 剣が無い剣士なんてタン塩とハラミとカルビの無い焼肉みたいなもんだぞ! 頼りにするな!」
「諦めないで下さい、きっと戦えます! ホルモンとかありますし!」
「内臓出てるじゃん!アタシに死ねってか!?」
【侵入者を確認。対象が生徒会及び風委委員であった場合、最終処分プロトコルとして特別棟一帯の焼却を――】
ぷつっと音を立てて、警報はそこで途切れた。いきなり降って湧いた静寂に、思わず戸惑ってしまう。
「……あれ? 切れた?」
「やれやれ騒がしいねぇ。入部希望かい?」
からからと音を立てて、メガネを掛けた女子がこちらへと姿を現した。
生白い肌に、
オカルト研究会の副部長、水原アンジュ先輩がそこに立っていた。
それにしても、学園の中でノートパソコンを持った出で立ちは中々気になるものである。
「……水原先輩。今日持ち物検査でしたよね?」
「? そうだが?」
「どうやってノーパソ持ち込んだんですか?」
私がそう尋ねると、水原先輩は得意げにふんと鼻を鳴らして、少しずり落ちた眼鏡を指先で上げた。
「エレメンタリー・マイ・ディア。初歩的な事だよミオくん。傾向と対策ってやつさ」
くるっと水原先輩がノートパソコンを回して、ボクの方へと見せる。そこには色とりどりの何かのグラフや計算式がびっしりと入力されていた。
「抜き打ちといっても、全くのランダムという訳ではない。過去のデータを集めて分析すれば、今週の水曜日までに来る事は分かっていたという訳さ。その日パソコンを予め校内へと持ち込んでおけば、あの七面倒くさい検査も楽々スルーだ」
「……ボクが言うのも何ですけど、何でその性格でオカ研いるんですか?」
「オカルティズムにはデータや科学に無い奥深さがあるからね。データは明らかにするもの、オカルトは隠すものさ。科学とオカルトは対局と見られがちだが、神秘の探求という意味では根本を同じゅうするものなんだ。お化けや幽霊をオカルトと呼ぶのは厳密には間違いで……」
「先輩、そろそろ本題に移りたいんですけど」
「何を言うんだいミオ君。我らオカルト研究会と志を同じくしようという以上、オカルトの何たるかについてレクチャーを受けるのは当然というものだろう。まずは魔術と自然、そして宇宙について……」
「いや、別にボクら入部したい訳じゃないんで」
「…………じゃあ何?」
水原先輩が露骨に面倒くさそうな顔になり、不審そうにボクを見つめて来る。
――めちゃくちゃ顔に出るなぁ。
一見すれば無表情そうだが、水原先輩は思っていることがかなり顔に出る。表情を読み取るのはスズカの方がずっと難しい。
「ボクらは生徒会に頼まれて、オカルト研究会の調査に来たんですよ。聞いた話では米良先輩もお縄に掛かったらしいですし、他に変なものがないかだけ確認させて欲しいんですけど」
ちらりと、水原先輩のノートパソコンを見遣る。
早速変なものその一を発見してしまった訳だが、さてどうしたものか。
「……それはつまりあれかい? ミオ君は生徒会の使いとして、ボクらの根城をガサ入れしようという訳だ」
「言い方はアレですけど、まあそうです」
「…………」
「…………」
「ぽちっ」
「ぽち?」
たん、と軽快な音を立てて、水原先輩がキーボードを叩く。
それと同時に、先程までの警報が再びけたたましく鳴り始めた。
「曲者だ! 全員ひっ捕らえろ!」
「御意」
「御意」
「御意」
部室の中から黒ずくめの集団がぞろぞろと現れ、あっというまにボクら三人は取り囲まれてしまった。
じりじりと黒い輪が、その間隔を詰めて来る。
「わわっ、何なに怖いよミオ!」
「ちょっ、離せコラお前ら……っ! あっ、お前その目元見た事あるぞ! 顔覚えたからな!」
「ねえ逃げようよミオ! ……ミオ?」
「――――――」
足が竦み、背中を冷たい汗が伝う。膝が震え、息ができなくなるのが分かった。
女の人の手が、こちらへ伸びて来る。
白い、細い、誰かの手が、ボクの、からだへ。
暑い夏の日の事が、頭を
〈ミオちゃんは、『おんなのひと』の為に生きているのよ〉
――違う……違う……!
伸ばされた手から逃れようとして、ボクはその場に尻餅をついた。
息が、上手くできない。あの日の記憶がどんどん湧き上がって、思考が纏まらない。
「はっ……! はぁっ……! ひゅーっ……ひゅーっ……!」
「……? ミオ君?」
「どうしたのミオ? ねえ、ミオってば!」
遠くで、誰かの声が聞こえる。
「あ、あぁ……」
「ストップ! ちょっと全員ストップ! ミオ君の様子がおかしい!」
――何を言ってるの? 全然、聞こえない……。
頭の中で、誰かの声が響いていてよく聞こえない。
記憶の中で、あの人が……お姉ちゃんの顔が見える。
〈だってミオちゃんは、『おんなのひとのオウジサマ』になる為に生まれてきたんだから〉
お姉ちゃんの手が、ボクの方へと近付く。
その手がボクの首元へと近付いていく記憶を最後に、ボクの記憶は途切れた。
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