Chapter03:桜の季節と嵐の予感④

「ちょっと米良めら! 何このデッカイお守り袋! あんた何か去年もこんなの持ってきていて……ぎゃああああっ! 何なに気持ち悪い! 捨ててっ、誰かコレ捨ててぇ!」


「あ、アンジュちゃん、こ、これなら、大丈夫だって、言ったのに」


「ふむ、やはり天下の六波羅ろくはらへ同じ手は二度通じないという訳か。すまないメラリー、吾輩わがはいたちオカルト研究会の人柱になってくれ。南無南無なむなむ


「そ、そんなぁ……」


「……あんたはノーパソ持ってきてるって噂あるのに、どうして出てこないのかしら」


「心の綺麗な人にしか見えないノートパソコンだからだよ。吾輩は心が綺麗だから見られる」


「ぶっ飛ばすわよ。あとタイが七ミリも左!」


 副委員長に抱えられたり時々台の上に乗ったりと忙しなく動き回りながら、六波羅先輩が仕事をしている様子を見つめる。


 米良やメラリーと呼ばれている血色の悪い三年生は、確かオカルト研究会の会長だろう。カレンが話しているのを聞いた記録がある。


 アンジュというのは同じくオカルト研究会にいる三年生で、カレンや大倉さんとよく話している。何でも有益な情報をくれるらしいが、本当のところは定かではない。


 いかにもデータキャラといった出で立ちなのにオカルト研究会にいるというのはどうなのだろう。


 宇宙人の来襲というアクシデントはあったものの、基本的に桜週間はそれほど大変なものであるとも思えなかった。


 やる事は決まっているし、マニュアルもきちんと用意されている。決まった事を決まった通りに行うという行為は気分が良いものだった。


 それは毎日私がやっている事なのだから、多少内容が変わったところで大きな支障が出る筈もない。模倣という本質は同じだ。


 淡々と、無感動に、滑車や歯車の様に、一つ一つの作業を機械的にこなしていく。

 そんな私の行動は、後ろから掛けられた低い声によって止まった。


「おい」


「はい、只今――」


 私が振り返ると、そこには一振りの木刀が見えた。


「…………」


 少し眉をひそめながら、身体を完全に木刀の主の方へと向ける。


 そこにいたのは、ひどく型破りな風貌の女子だった。


 まだ肌寒いというのにシャツの袖をまくり、脱いだブレザーを腰に巻いている。緩く締められたタイの色は赤。シャツの袖やスカートから伸びる手足にはしっかりと筋肉がついていて、少し焼けた肌は血色が非常に良かった。


 開いているのか開いていないのか良く変わらない目が、鋭い眼光を放ちながら私を睨んでいた。


「何だか騒がしいねぇ。何やってるんだい?」


 自分の瞼を親指でぐりぐり押しながら、木刀の三年生が私に問う。今にも消え入りそうな小さい声なのにしっかりと鼓膜に響く、不思議な声だった。元気であればその声量は会長や六波羅先輩に引けを取るまい。


 ――前に見かけた三年生か。


 木刀を持っている三年生が、二人も三人もいる筈はあるまい。


 倉持ユカリ。剣道部の部長で、白羽の問題児としても知られる変人だ。


「ねぇ、何やってるんだい?」


「はい、今日は桜週間の為、身だしなみと持ち物の検査をやっています」


「ふぅん、そうかい。まあ頑張りなよ」


 ばりばりとこめかみの辺りを搔きながら、倉持先輩が私の脇を通って行こうとする。


 気が付くと私は咄嗟に、倉持先輩の左袖を掴んでいた。倉持先輩の足が、ぴたりと止まる。


「待ってください」


「……何だよ二年生。朝は機嫌悪いんだ、絡むなよ」


「木刀の持ち込みは認められていません。ここへ置いて行ってください」


「…………」


 ちっ、と舌打ちをするのが聞こえた。次いで、低い唸り声が一秒ほど聞こえる。


 ゆっくりと振り返った倉持先輩の双眸は据わっていて、私だけをぼんやりと見つめていた。


「シャツのボタンは第一ボタンまで締めて、タイも襟首まで上げてください。腰に巻いたブレザーもちゃんと着てください。でないとここを通せません」


「……うぜぇなぁ」


 ちっ、ともう一度倉持先輩が舌打ちをした。短いため息を何度かつきながら、倉持先輩が私の方へとゆっくり向き直る。


「お前あれか? もしかしてアタシに喧嘩売ってる感じか?」


 右の手に持った木刀で、倉持先輩が私の頬をぐりぐりと突く。冷たい剣先が私の肌を押し、時々頬の肉越しに歯に当たる。


「規則ですから。まずは服装から直して下さい」


「へぇ……」


 ふ、と一瞬だけ、倉持先輩が笑うのが見えた。


 頬に押し付けられた木刀が下げられ、倉持先輩が八相に構えなおす。どこまでも話を聞いてくれそうにない人だ。


「いいぜ、かかってこいよ。愛刀の錆にしてやっから」


「そういうのはいいんで、早く木刀をこっちに渡してください。時間が勿体ないんで」


「…………」


 かっ、と倉持先輩の目が見開かれ、木刀が素早く振りかぶられた。息を吸ってから振り上げるまで、全く目で追えなかった。


 ――来る!


 反射的に目を瞑る。しかし私の脳天へと叩きつけられる筈だった木刀は、いつまで経ってもやって来ない。


 おっかなびっくり瞼を開いて見ると、まばゆい金髪が視界に映った。会長が私を庇う形で、倉持先輩の前に立ち塞がっていた。


「――やめなさいっ!」


「……っ」


 鋭く凛とした声で、会長が一喝する。


 不承不承、と言った顔で、倉持先輩がゆっくりと木刀を下ろした。


「西宮、リンダ……!」


 歯を剥いて唸る倉持先輩を、会長が少しの間眺める。


「ユカリ、貴女眠いでしょう。機嫌が死ぬほど悪いから分かりますわ」


「そう言ってんのに聞かないんだよこの石頭がさぁ。ドタマ一回かち割ってヒビ入れた方が柔らかくなるんじゃないかと思ってさぁ……」


 ぶんぶんと倉持先輩が木刀を振り回す様子を見て、会長が大きくため息をついた。


「……やむを得ませんわね。私が起こして差し上げますわ」


 会長が倉持先輩の脇腹へ、さっと素早く手を突き入れる。


 ほぼ同時に倉持先輩の身体がびくんと大きく痙攣し、ばたばたと身もだえ始めた。


「んふふっ、ちょっ、待ってやめてやめてっ、ひひっ」


「木刀を渡しなさいユカリ。そうすれば命だけは助けてあげるわ」


「こ、断るっ! ぶひゃひゃひゃひゃっ! 卑怯だっ、おのれ人の急所ばかりをそんなっ、ひひひひひひひひっ!」


「そう、残念だわ」


 会長が更に激しく手を動かし、倉持先輩が涙目になって笑いながら暴れ続ける。


 誰でもすぐに昇天させられるゴールドフィンガーでも持っているのだろうか。


「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっっ!」


「ほら、ほらここが弱いんでしょう? ほらほらほらほら」


「ひひひひひひひっっっ! やめっ、やめてリンダっ、お願いお願いっ、死んじゃうからぁっ!」


 がくがくと震えながら、倉持先輩が地面に膝をつく。涙やよだれを垂らしながらひくひくと痙攣している様は、誰がどう見ても完敗であると見るに違いあるまい。KOを告げるゴングが鳴っている……様な気がした。


「ふぅ……弱点が分かっていれば他愛ないわね」


 会長が倉持先輩の近くに落ちていた木刀を拾い、前方へと目を遣る。その視線を追いかけてみると、ミオがこちらへ走ってくるのが見えた。


「ちょっと倉持先輩! 何やってるんですか!」


 倉持先輩の元へとやってきたミオが、倉持先輩を起こす。未だヘブン状態で千鳥足の倉持先輩を支えながら、ミオがこちらへと視線を向けた。


「ごめんスズカ、部長が迷惑かけたね。ほら、この人低血圧で朝はめちゃくちゃ機嫌悪いからさ……」


「ん、大丈夫だよ。服だけは直させてね」


「……後でまた迷惑掛かると思うから、今のうちに追加で謝っておくよ」


「? どういう事?」


「……まあ、そのうち分かると思うよ。仕事頑張ってね」


 どうにも歯切れの悪い言葉を残して、ミオは倉持先輩と一緒に玄関へと入って行ってしまった。


 気付けば登校してくる生徒の数は大分まばらになっている。腕時計を見るともうすぐ始業時間になろうとしていた。


「そのうちね……」


 ふと誰かの気配を感じてそちらへ視線を向けてみると、会長が私を睨んでいた。その目にはらんらんと、赤い炎が燃えている様に見える。


 怒っている。西宮リンダは、明らかに怒っている。いくら私であってもそれは分かった。


 会長が目を閉じて鼻の頭を触り、何かを考え込む。やがて会長は小さく息を吸い込んで、かっと目を見開いた。


「――織原さん!」


「はい」


「……あまり冷や冷やさせないで頂戴。見ていて危なっかしいですわ」


「同じことを昨日、カスミにも言われました」


「…………」


 はあ、と会長がため息をつく。その頬には少しだけ冷や汗が浮かんでいた。


 会長の目が、少しだけ泳いでいる。暫し答えを求める様に彼女の目は右へ左へ彷徨い、やがて私の方を真っすぐ見た。視線と視線がぶつかって、私の胸は少しだけ鼓動が早くなる。


「……心配させないでよ」


「えっ?」


 思わず聞き返すと、会長の顔が途端に赤くなった。


「な、何でもないわよ! 今は守ってあげるけど、勘違いはしない事ね。好きになるのは貴女の方で、私じゃないんだから!」


「貴女であって、私じゃない……」


 私がそう繰り返すと、会長ははっと軽く息を呑んだ。


 ずきん、と胸の辺りに、鈍い痛みが走る。


 暫し沈黙が流れて、やがてその沈黙に耐えかねたかの様に、会長が再び言葉を紡ぎ始める。


「そう、だから……変な勘違いはしないことね」


「私は――」


 私の言葉が最後まで言い切られる前に、会長はぷいと私から顔を背けて、早足で副会長のところまで戻って行ってしまった。


 嵐の過ぎ去った様な静寂の中に、私が一人だけ取り残される。


「私は――貴女を知りたい」


 胸の中にある願いを、もう一度言葉に出してみる。


 生徒会長を、西宮リンダという一人の人間を、私は知りたい。多分、近くにいたいのかもしれない。


 けれど会長は、勘違いをするなと言った。私好きになることはない、と。


 ――会長が私を、好きになることはない……。


 ぎゅっと胸を押えて、私はその場に立ちすくむ。


 口から出た言葉は、会長へと届くこともなく、煙の様に春の朝の空気へと消えて行ってしまった。



「会長がスズカを? へぇ、会長が人を庇うなんて珍しいじゃん」


 カスミはそう答えると、白い歯を見せて例の爽やかスマイルを見せた。


 嵐の様な朝は過ぎて、現在の時刻は十二時半手前。


 昼休みの何となくだらけた空気の漂う校庭で、私とカスミは二人でベンチに座っていた。


 私の右手には、カスミが先程奢ってくれた缶ジュースが握られている。カスミはジュースのパックへストローを挿しながら、立て板に水と話し続けていた。


「会長は基本的に人の事あんまし好きになんないからさぁ。自覚ないかもだけど、スズカって結構レアキャラなんだよ? アタシが襲われそうになってても、絶対会長は助けてくれないねぇ絶対来るわけないよ。アタシなんてミオの代わりで入った様な人間だからさぁ、正直毎日が驚きしかないよ」


「うん。でも会長は……私の事好きじゃないって」


「会長が?」


 カスミが少し驚いた様な表情で、ストローに口を付けて中身を吸う。


「そう。好きになるのは私であって、会長じゃないって……」


「へぇ……」


 カスミはあっという間に中身を吸い上げて、ベンチの近くにあるごみ箱へとパックを投げた。


 パックは緩い放物線を描いてゴミ箱へと収まり、私は軽く拍手をして彼女から校庭へと目を移した。


 校庭にはまばらに人がいて、その中には三年生も少なからずいる。しかし校庭のどこを探しても、会長や副会長の姿はどこにも見当たらなかった。


「……カスミは、今朝は何してたの」


「スズカと同じだよ。アタシはアマネ先輩と一緒に裏門でやってた」


「そう……」


 そこで私は、カスミが私の方をじっと見ていることに気が付いた。


 珍しそうな、楽しそうな、子供の様な瞳が私を見つめている。


「何?」


「いや、スズカもそういう表情するんだなって思うと何か新鮮でさ」


 カスミはそう言うと、例によってまた白い歯を見せて笑った。


 ――距離感が近いな……。


 考えてみれば昨日初めて会った筈なのに、昨日の時点からやたらフレンドリーである。そういうフランクな人なのかもしれないが、カスミが生徒会以外の人間といるところは全然見た事は無いので何とも言えない。


「ねえスズカ。会長は多分、君の事が嫌いな訳じゃないと思うよ」


「……どういう事?」


 ずい、とカスミが私の方へと顔を寄せて来る。


「好きの反対は嫌いじゃないの? 私のことが好きにならないのなら、それは嫌いって事じゃないの?」


「……随分極端な二択だね。デッドオアアライブの中でしか呼吸できないの?」


「曖昧なことが嫌いなだけです。白黒ははっきりさせておくに越した事はありません」


「人の気持ちっていうのは、そんなはっきりと線引きできるものじゃないと思うけどなぁ」


 カスミがぽりぽりと頬を掻き、少しだけ天を仰ぐ。


 暫くカスミは黙ったまま何かを考え込んでいたが、やがて何か合点がてんがいった様に「あっ」と呟いて、急にこちらへと顔を近づけてきた。


 いつの間にかぎゅっと私の手は握られていて、逃げられないようになっていた。


 ごくり、と生唾を呑む音が聞こえる。


「ねぇ、スズカ」


「……何」


「スズカはさ、会長のこと好きなの?」


「……好き、ではない……と思う。多分、今は」


「じゃあ、アタシの事は嫌い?」


「嫌いではない、と思う」


「なるほど。つまりスズカは会長の事が嫌いで、アタシの事が好きなんだ」


「…………」


 ――そういう言い方は、ズルいんじゃないんだろうか。


 会長のことは、嫌いではない。それだけは絶対にそうだ。私は会長のことを、今のところ少しも嫌ってはいない。


 ……けれど、ならば今私は会長の事を好きなのだろうか。……分からない。


 好きでもないし、嫌いでもない、灰色の場所に私はいるのだ。その時私は初めて、この事実に気が付いた。


「アタシもさ、結構スズカの事は気に入ってるんだ。普通に好きかも」


「……言いたいことが見えないんだけど」


 カスミが手を握る力が、僅かに強くなる。


「今度の日曜日、暇ならアタシと映画見に行こうよ。スズカの見たい映画、何でも見ていいよ」


「そういう事なら――」


 いい、と言おうとして、私の言葉はぷつりと途切れた。


 ――いい、筈なのに。


 いい筈なのに、自分の口からそう言う事を、何故か私ははばかってしまっている。


 しかしそれを憚る理由が何であるかは、どうしても私の中に見当たらなかった。


 カスミは心なしか少し不安そうな顔で、じっとこちらを見ている。……断る理由が無いならば、行くしかない様な気がする。


「スズカ?」


「……いいよ、遊びに行くくらいなら」


「本当? なら良かった!」


 ぱっと花が咲いた様に、カスミの顔が綻ぶ。


「それじゃあ、約束だからね! 日曜の朝十時に、駅前で集合ね!」


「うん、日曜に駅前ね」


 カスミはそう言うと、走って教室棟の方へと戻っていってしまった。


 一人取り残されたベンチで、私はカスミに買ってもらったジュースに口をつける。


 暫く持ったままだったジュースは、ほんの少しだけぬるくなっていた。


「……ああいう風に笑うこともあるんだな。カスミって」


 今日はノートに書いておくべき事が多いな、と考えながら、私は少し温くなった缶ジュースを飲み干した。

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