Chapter03:桜の季節と嵐の予感③

 週間とは名ばかりの、風紀委員と生徒会による一日限りのお祭り騒ぎは、いよいよ本番を迎えようとしていた。


「さあ、全員位置にはついたわね! それではこれより、桜週間のための説明を始めるわ!」


 台の上でふんぞり返っている六波羅先輩が、得意げに声を張って演説している。


「桜の花言葉は精神の美! 美しい精神は美しい身なりから作られるわ!」


 ――ん? この言葉、どこかで聞いた様な……。


 はっと気付いて会長の方を見る。


素知らぬ顔で前を向いているが、私はこの言葉と会長に、確かな心当たりがあった。


「会長、さては六波羅先輩の台詞パクりましたね」


「あら人聞きの悪い。敬意を払ってのオマージュよ」


「敬意は払ってないでしょうが……」


「はいそこぉ! 私語は謹んで!」


 びし、と六波羅先輩が私の方を指さす。


さっと全員の視線がこちらへと向いて、私は少しうつむいた。


 ――そう言えば、カスミ達はどこにいるんだろう。


 もう一度顔を上げて、目だけで辺りをさっと見渡してみる。


 どこを見てもカスミやアマネ先輩の姿は無かった。来ていない、という事はない筈なのだが……。


「この学校の入り口は正門ここと裏門の二つ! 私達は正門、他のメンバーは裏門を担当しているわ!」


「ああ、なるほど……」


 それなら確かにいない筈だ。裏門は普段使わないので、意識の中には全く無かった。


 再び視線を前に戻すと、六波羅先輩が人差し指を立てているのが見えた。


「やる事は三つ! 一つは身だしなみのチェック! 二つ目は持ち物の検査! もし違反している生徒がいれば――」


 三つ目の指が、六波羅先輩の小さな手に立てられる。


「その生徒の取り締まりよ! 訂正の要求、不審物の没収をやって頂戴。チェックリストはツミキ達が配るわ、以上!」


 やり遂げた、という顔で、六波羅先輩がふんすと鼻息を立てる。


ぱちぱちと小気味よい音を立てて送られる副委員長の拍手が、朝の空気に響いた。つられて何人かの風紀委員が拍手をする。


 拍手が終わると、ツミキと呼ばれた先輩がどこからか小さいプリントの束を持ってきて配り始めた。


てきぱきとした動作で、殆ど時間を掛けずにプリントの束は減っていく。


あっという間に一番端にいた私のところまで先輩はやって来た。


「はい、しっかりcheckしておいてね」


「……どうも」


 先輩から受け取ったプリントへと目を通してみる。


 プリントにはこれから確認すべき事項について、図入りでびっちりと記されていた。タイや襟の位置が、ミリ単位で正確に定められている。


 ――思ったよりもマトモな内容だなぁ……数値はやたら細かいけど。


 多分、六波羅先輩が書いたものなのだろう。あの人以外にここまで杓子定規なものを書く人はこの学校にいないだろうから。


「…………」


 会長の方を、ちらりと見てみる。


会長は相変わらず、何を考えているのかよく分からない顔で六波羅先輩の方を見ていた。


 六波羅先輩がどういう人なのかは、少しやり取りを見ればすぐに分かる。あの人は嘘を吐かないし、第一分かりやすい。


 けれど会長がどの様な人なのか、どうして私は彼女の近くにいたいと思ったのかは……今日になっても分からないままだ。


 ――会長は、今何を考えているのだろう。


 女王の時もあれば、魔王の時の様な事もある。


それはきっと彼女が、人に合わせて仮面を使い分けているからだ。


私に対する態度が本当の西宮リンダだとも思わないし、生徒会以外への態度が本当のものだとは勿論思わない。


 ――けれど、あの時の笑顔は。


 あの時。生徒会に入ると私が言った時に見せた笑顔は……本当のものだった様な気がする。


「……織原さん」


 会長に話しかけられて、私ははっと息を呑んだ。


 彼女が顎で示す通りに正門の方を見てみると、誰かがこちらへやって来るのが見える。


 同じくその姿を認めた六波羅先輩が、ばっと腕を振り被った。


「おいでなさったわよ、始めて!」


 六波羅先輩の声とほぼ同時に、風紀委員の面々がざっと正門の前に並んだ。相変わらず無駄のない動きである。一見すれば警察か軍隊の様だ。


 前から一人の女子が歩いてくるのが見えた。


背が高くて、黒い髪を短く切っている。


まばらだが近くには彼女を見ている女子たちの姿が見えた。彼女がそれなりに人気のある人物であることは、誰の目から見ても明らかだろう。


 ――あれはミオかな……ということは……。


 そこにいる筈のを探してみるが、どうにも姿が見られない。


 会長の方へと視線を移してみると、彼女は鼻の頭に指を当てて何やら考え込んでいた。


 よく見る癖である。何かを考える時に、よくやっている様な気がする。


「あれは葛木さんですわね」


「はい、葛木ミオですね」


「という事は、例の彼女も一緒の筈よね」


「ええ、その筈です」


「? どうしたの西宮と織原。例の彼女って?」


 話し込んでいる私達へ、不思議そうな声色で六波羅先輩が問う。


「宇宙人ですよ」


「うちゅうじん?」


「はい、葛木ミオには宇宙人がついているんです」


「それはどういう――」


 六波羅先輩がその言葉を、最後まで言い切ることができなかった。


 上空……正確には民家の屋根からだが、突如として人が落ちてきたからである。


「きゃああっ!」


 六波羅先輩が飛び上がって驚き、その弾みで台から落ちそうになって体勢を崩した。


かなり危ない角度をつけながら、六波羅先輩の身体が右に左に前に後ろにとふらふら揺れている。


「助けっ、助けてぇ! スミカぁっ」


「はいはい」


 例によって副委員長が六波羅先輩の身体を支え、先輩はふぅと大きく息を吐き出した。何かある度によく落ちそうになる人である。


 ――流石に私もびっくりした……。


 少しだけ心臓の鼓動が早くなっている。普段はあまり驚くこともないが、不意打ちに人が落ちてくるのは流石に怖い。


 落ちてきた人影は二階から落ちたにも関わらず道路へ見事に五点接地回法を決めて着地し、こちらへと走ってきた。こちらへやってくる人間が、一人から二人へと増える。


「ほら、来ましたよ宇宙人が」


「おはようスズカ! 今日は朝から地球の人間が沢山いるわね」


 す、と宇宙人が両手の人差し指を伸ばし、右手を天に、左手を地平へと向けて奇妙なポーズを取る。


 足を大股に開き、ぐんと胸を張り、彼女は大きく息を吸い込む。


「さあさあ、遠からん者は音に聞き、近くば寄って目にも見なさい!

 私はビッグブラザー星からやってきた、金枝玉葉きんしぎょくようのプリンセス! ルーシー・チトセ・リーリエよ!」


「なっ……」


 呆気に取られた様な表情で、六波羅先輩がたじろぐ。風紀委員の面々も、あんぐりと大口を開けて例の宇宙人を見ていた。


 多分、自称宇宙人に出会ったのは初めてなのだろう。私も最近まで会った事は無かったし、街を探しているものでもあるまい。


 ――開幕一発目が宇宙人か……。


 他の人たちの苦労が偲ばれる。ジャブだと思って右ストレートが飛んできた様な状況だ。


 そんな私達の様子などてんで意に介さずに、自称宇宙人はずかずかと正門へ進んでいく。


「出迎えご苦労ね、地球の諸君! ほらミオ、行くわよ!」


「ちょっと待ってチトセ! チトセは知らないだろうけど、六波羅先輩がいるって事は多分――」


「なっ、なっ、な……」


 まるで白いハンカチを朱に浸した様に、或いは薬缶やかんで沸かした水が急速に沸騰していく様に、六波羅先輩の顔が赤くなっていく。


 周りを見ると、会長たちが耳を塞ぐのが見えた。倣って私も耳を塞ぐ。


 私が耳を塞ぐのと、例の爆発音みたいな怒声が聞こえたのは、殆ど同時の出来事だった。


「何なの何なの何なのよそのふざけた登場はァーーーーーッッッッ!!!! ルーシーだかスムージーだか知らないけどねぇっ! 自分が何してんのか本当に分かってんの!!?」


 六波羅先輩が台から飛び降りて、自称宇宙人の方へと走って行くのが見える。というかこの人、自分で台から降りられたのか。


 歩いていく宇宙人の前に立ち塞がって、六波羅先輩が宇宙人の胸元を指さす。


「民家の敷地への不法侵入! 高いところからの飛び降り! この学校じゃなくてもルール違反よルール違反! ていに言えば犯罪! 誰がどう見てもギルティよ!」


「待ってアイちゃん、少し気になることがあるわ」


「何よっ!」


「ギルティじゃないわ。Guilty」


「あぁーーーっ! もうイチイチうっさいのよツミキ! 話のコシを折らないで!」


 顔を真っ赤にしたまま、六波羅先輩がばりばりと頭を掻く。


綺麗に纏めたツインテールが少し乱れて、ひとしきり頭を掻きむしり終わった先輩ははぁはぁと肩で息をし始めた。


いつ血管が切れてもおかしくだろう。大変そうな先輩だ。


「いい!? ルーシーだか何だか知らないけど、あんたモラルとかルールとかおつむの中に無いわけ!? ママのお腹の中に忘れてきたの!?」


 先輩の問いに、宇宙人はきょとんとした不思議そうな表情をする。


「……? ねえミオ、このちっちゃい地球人は何て喋ってるの?」


「身長はあんたと変わんないでしょうが!」


「六波羅先輩は、チトセにルールを守ってほしいって言ってるんだよ。家から飛び降りないでって」


「あら、私は飛び降りてなんかいないわ。ここの上空にあるUFOから降りてきたのよ」


「ゆ、ゆーふぉー……?」


 あんぐりと口を開けて、六波羅先輩が絶句する。


 ミオの方を見ると、「今更そんな事では驚かない」という風な目で宇宙人を見ていた。いつの間にか随分仲良くなったものだ。


「それに、そんな台詞を私に言うなんて三百年は早いわよ六波羅。何てったって――」


 再び宇宙人が、先程と同じポーズを取る。


「私がルールブックなんだから! ばぁあああん!」


 ――自分で効果音言った……。


 通じていない。地球の理屈が、全く通じていない。


言葉は通じているのに話は通じない、これは奇妙な出来事であった。


 六波羅先輩の顔が、赤くなったり青くなったりめまぐるしく変化している。やがて先輩の目元からはじわじわと涙が溢れ、ぼろぼろと零れ始めた。


「んなっ、なっ、なっ……〇✕△※◎~~~~~っっ!!!」


 わっと泣き出した六波羅先輩が、副委員長の方へとまっすぐ走って行く。


 副委員長の前方一メートルへと近付いたところで、先輩はばっと地面を蹴って副委員長へと飛びついた。


「わーーん! スミカぁ何とかしてぇ!」


「はいはい、委員長が頑張ってるのは知ってますからね」


 ぎゅっと六波羅先輩を抱きしめながら、副委員長が先輩の首筋へ顔を埋めている。


 息継ぎの為に上げられた副委員長の口元には一瞬よだれが見えた気がしたが、深くは追及すまい。


 暫くどう見ても事案でしかないその様子を見ていると、ミオがつかつかと歩いてくるのが見えた。


「ねぇ、風紀委員の皆でボク達を歓迎してくれるのは嬉しいんだけど、そろそろ済ませてくれないかな」


「んっ? ええ、そうですね。……会長、織原さん、二人を見てあげて下さい」


「私ですか?」


 急に振られた話に驚き、思わず自分の方を指さす。


「うん、織原さんは初めてでしょ? 知ってる人で慣れておいた方が良いと思って」


 副委員長が私の方へとウインクして、微かに微笑んだ。


首から上だけ見ればマトモな事この上ないが、首から下では思いっきり六波羅先輩を撫でまわしている。イマイチ雰囲気が壊れていることも、今は目を瞑ろう。


「期待してるわ、女王様のお気に入りさん」


「……どうも」


 会長の方を見ると、すぐにはっきりと目が合った。


 どきっ、と一瞬心臓が跳ね上がる。


「では、私はあの宇宙人の方へ行きます。会長あの人苦手そうですし」


 そう言って例の宇宙人の方へと向かおうとしたところ、急に肩を掴まれて私の足は止まった。


振り返ると、会長が私の肩を掴んでいた。その視線は少しだけ泳いでいる。


「だ、大丈夫ですわよ。私は先輩で生徒会長なのよ! ちょっと危ない宇宙人の一人くらい、何てことないわ。代わりなさい」


「ですが……」


「いいから!」


「…………分かりました。それではお願いします」


 そう答えると、会長はぷいと私から顔を逸らして、そのまま早足で宇宙人の方へと向かっていってしまった。


 ――会長、一体何をムキになっているんだろう……。


 彼女が、西宮リンダが何を考えているのか、今の私にはまるで分からない。


 胸の奥にもやもやした何かを抱えながら、私はミオのところへと向かった。

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