Chapter03:桜の季節と嵐の予感②

「――遅いっ! 貴女たるんでるんじゃないの西宮!」


 正門へと踏み入るや否や、少し舌足らずな高い声が飛んできた。


 整列した女子達の最奥。少し高めの台の上に乗った小さい女の子が、腕を組んでふんぞり返っていた。


 タイの色は赤。襟に付けられたピンが、朝陽にきらりと輝いている。


「ごきげんよう六波羅ろくはらさん。風紀委員の皆さんもお元気そうで何よりですわ」


 ――六波羅。あれが六波羅って人か。


 にこやかに挨拶しながら、会長が六波羅と呼ばれた先輩の下へと向かう。


 身長が高めな会長が向き合うと、六波羅先輩は台を足してもなお少し見上げる体勢となっていた。


「朝から元気ねぇ、お腹いっぱいミルク呑んでたくさん寝んねできまちたか?」


「はん! いつも通りで安心したわよ! 他の生徒の前でもアタシと同じ態度が取れるかしら」


「おっと足が滑りましたわ」


 しゅっ、と会長の長い脚が伸びて、台の足をしたたかに蹴った。


 ぐらりと台が大きく傾いて揺れ、六波羅先輩が手足をばたばたさせながら必死にバランスを取ろうと踠く。


 その時会長が一瞬だけ「へっ」と鼻で笑ったのに気付いたのは、多分副会長と私だけだろう。大魔王の悪行は止まる事を知らない。


「わわわっ、スミカっ、助けてスミカぁっ!」


「はいはい」


「はいは一回!」


 涙目になりながら六波羅先輩が隣の女子に呼びかけると、控えていた女子の一人がさっと歩み寄って、六波羅先輩の身体を抱え上げた。


 六波羅先輩とは対照的に、背の高さが印象的な女子だった。一七〇前後はあるだろうか。タイの色は青だが、私のノートにその位の上背うわぜいがある女子はミオくらいしか出てこない。多分隣のクラスの生徒だろう。


 ふわりと浮き上がった身体がゆっくりと地面に降ろされると、六波羅先輩はへなへなと力なくその場にへたり込んでしまった。


「はぁー、はぁーっ……死ぬかと思ったぁ……」


「まだ寒いですもの、たまたま地面が凍ってて足が滑ることもありますわね。ほほほ」


「ほほほじゃないでしょうが! カスミ、やってしまいなさい!」


「嫌に決まってるじゃないですか。ほら立って下さいよ委員長」


 カスミと呼ばれた女子が再び六波羅先輩を抱え上げる……が、どう考えてもただ起こすだけなら上げすぎな高さである。


 自分の胸の辺りまで六波羅先輩を持ち上げると、カスミ某は先輩の頭に顔を近付けてすんすんと鼻を動かした。


「……委員長、シャンプーの匂いがいつもと違いますね」


「うん、自分のが切れてたからママのを借りて……って何嗅いでるのよ!」


「なるほど、お義母かあさまのシャンプーでしたか。ならば許します」


「何で上から目線なの!? というか、今「おかあさま」の言い方変だった気がするけど!」


「気のせいですよ。私と委員長の間におかしな事なんて何もありませんから……すんすん」


「だから吸うなぁーー!」


 顔を赤らめながら、六波羅先輩がじたばたと暴れる。まるで蜘蛛の巣に掛かった蝶の様である。合掌。


「……あの漫才コンビが六波羅ですか?」


「正確にはあのちんちくりんが六波羅さんね。六波羅アイカさんは委員長、隣の大きい人は荒巻あらまきスミカさん、副委員長よ」


「六波羅アイカと、荒巻スミカ……」


 副会長の指す指に合わせて、彼女らの名前を反芻する。


 六波羅と荒巻。二人とも厳めしい名前だ。字面と音韻だけでなら、古風な老人を想像するだろう。


 だが目の前にいるのは、ちんちくりんと変態である。傍から見れば犯罪の現場にしか見えないだろう。


「委員長は襟にピンがついているからすぐに分かるわ。ここから先関わることも多いから、メモしておくといいんじゃないかしら」


「……ありがとうございます」


 ――そっか。この人にはバレてるんだったな……。


 昨日の記録にもその様な内容があった。どこで気付いたのだろう、匂いだろうか。


 そう考えるのは多分あの変態に引っ張られているせいだろうと思っていると、六波羅先輩がずかずかと大股でこちらに近付いてきた。ついでに副委員長も後ろにぴったりついて来ている。


 私の前で立ち止まると、先輩は胸を張って副委員長の方をちらりと見遣った。


「――スミカ!」


「はいはい」


「はいは一回!」


 ぱちんと先輩が指を鳴らすと、副委員長が再び先輩の身体を持ち上げた。私より少し高いところで先輩の上昇が止まる。


 思いっきり顔を上げて私を見下ろしながら、先輩はふんと満足げに鼻を鳴らした。


 ――なるほど、この体勢にしやすいから変態でも連れているのか。


 じろじろと頭の先から爪先つまさきまで……いや正確にはお腹の辺りまでだが、先輩の視線が私を検めていく。


「見ない顔ねぇ」


「……二年の織原です。先週から生徒会に入ってます」


「生徒会……生徒会ねえ」


 矯めつ眇めつ。まるで空港の金属探知機の様に念入りに、先輩が私を見ている。さながら某チェーン店の間違い探しの如しである。


「じーー…………」


「何ですかそんなじろじろ見つめて」


「…………」


「あの」


「すぅーーー……」


 舐める様な視線に耐えかねてそう問いかけると、風船から空気が抜ける様な細い音を立てて先輩が大きく吸い込み始めた。それと同時に会長や副会長、風紀委員の面々が耳を塞ぐのが見えた。


「会長、何なんですか急に――」


「なっっってない!!! 全ッッ然なってないわ!!!!」


 一瞬、どこかで爆発が起こったのかと思った。


 きぃぃいいん、と耳鳴りがして、辺りから少しの間音が消える。


 怒鳴られた、と気付くのに、私は優に五秒ほどの時間を要した。


「ちょっ、うるっさ……」


「何なの何なの何なのよそのだらっっしない服装はぁ! 十歳になるアタシの妹だってもっときちんとした身だしなみをしているわ! ほらじっとしなさい!」


 六波羅先輩がブレザーのポケットから巻き尺を取り出して、慣れた手つきで私の身体の色んなところへとぺたぺた当て始めた。


 ……当てられたのは全部上半身だったが、それはまあ良いだろう。


「タイが五・二ミリも右にズレてんじゃないのよ! 五ミリよ五ミリ! 何でこんなの放置できるのか全然分かんない! 直して!」


「はぁ? 何なんですか急に」


 ぐい、とタイが引っ張られ、一瞬息が止まる。見かけの割に意外と力が強かった。


 力づくで、私の衣類の色んなところは修正されていく。


「ほら、襟だって三ミリ浮いているし、腕章だって四ミリ下になってる! スカートは……まあ良し!」


 ――手が届かないんだ……。


 降りれば手も届くだろうが、それは彼女のプライドが許さないのだろう。私も背は小さいほうだが、それでも先輩とはそれなりの開きがある。


「いい、織原? 人を取り締まる立場っていうのはねぇ、取り締まって然るべき正しさが求められるのよ! 殺人の現行犯が「人殺しはいけません」なんて言って、織原は耳を傾ける!?」


「いえ、多分傾けませんけど」


「でしょう! 織原はたった今、ナイフを振り回しながら「ヘーイ! 暴力はイケマセーン!」って叫んでる様な状態なのよ! ドゥーユーアンダスタン!?」


「い、いえすあいどぅー?」


「アイちゃんアイちゃん」


「何よっ!」


 六波羅先輩が振り返ると、白くて柔らかい頬に人差し指が刺さった。


「ぐえっ」


「アイちゃんちょっといいかしら」


 長い睫毛をたたえた目が、六波羅先輩を見ていた。


 腰のあたりまで黒髪を伸ばした女子が、副委員長越しに六波羅先輩の頬をぐにぐにつついていた。少し厚ぼったい唇を伸ばして、嫣然と微笑んでいる。タイの色は赤だから、六波羅先輩と同学年だろう。


 綺麗な人だな、と素直に思った。共学なら男子が放っておくまい。


「ドゥーユーアンダスタンじゃないわ。Do you understand? よ」


「ウッッッッッザ! 帰国子女アピールウッッッッッザ!!! いきなり何なのよツミキ! 自慢がしたいだけなら引っ込みなさい!」


「いいえアイちゃん、世の中には決して見逃せない『悪』が存在するのよ」


「そんなもんはアンタの頭の中にしかないわよ!」


「ほら委員長、話が逸れてますよ」


「ひゃうっ、変なとこ触んないでっ」


 頬をつつかれたり胸を揉まれたりしてじたばたもがいている先輩は、面白いを通り越して哀れですらあるのだろう。


 大変だ、と会長は言っていたが、なるほど確かにここは大変だ。問題なのは六波羅先輩だけでなく、風紀委員が満遍なく奇人であることだが。


「……二人が大変だって言ってた理由が分かりました」


「ええ。ちなみに私が彼女を何て呼んでるか分かる?」


「…………火災報知器?」


「驚いたわ。貴女エスパーなの?」


「超能力は会長の担当でしょうが」


「じゃあ、未来人?」


「私は至って普通なただの人間です」


 どうやら私は既に、西宮リンダとゆかいな仲間たちの一員へと加えられつつあるらしい。一か月ほどすれば空でも飛んでいるのだろうか。


「……普通の人間なら、こうはなっていないのですけど……」


 ぼそっ、と会長が何かを呟いた気がした。何を言っているのかまでは聞き取れなかったが。


「? 何か言いましたか?」


「いいえ何も。さて、そろそろ朝練の生徒達が来ますわよ」


「そう! ほら生徒会書記の織原! さっさと位置につきなさい!」


 がし、と六波羅先輩が私の襟首を掴み、私はずるずると引きずられていった。


 六波羅先輩は副委員長に持ち上げられているのだから、今私の身体が運ばれているのは副委員長の力によるものなのだろう。


 ――というか、六波羅先輩を抱えたまま私を引きずっていくなんてこの人何者なんだろう。


 副委員長の方を見ると、汗の一つもかかずに涼し気な顔で前に進んでいた。


 どうにも、私一人の力では左右できない状況にいる。そう考えると、私はため息をつかずにはいられなかった。

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