第2章 The grain of stars

Grain(スズカ√)

Chapter03:桜の季節と嵐の予感①

「織原さん。桜週間、というものをご存じかしら?」


 きゅっと滑らかな音を立てながら、会長がホワイトボードに達筆な文字で「桜週間」と大きく書く。


 耳を済ませばざわざわとした喧噪がうっすら聞こえなくもない、昼下がりの一室。生徒の大半がいる教室棟から遠く離れた生徒会室で、私はそのホワイトボードを見つめていた。


 いきなり集まれと言われて馳せ参じたのはほんの数分前のこと。私の他にも副会長とアマネ先輩とカスミが生徒会室に集められている。


 桜週間、という言葉には、確かに覚えがあった。


「……風紀委員が春にやってるやつですか?」


「そう、桜の花言葉は「高貴」や「清純」、そして「精神の美しさ」がありますわ。美しい精神は美しい身だしなみからやってくるもの。大切な風習ですわ」


 ――いまいち会長っぽくない発言だなぁ。


 正体が大魔王であることを知っているからか、はたまたここが魔王城だからか、突然綺麗事きれいごとを言われるとどうにも調子が狂ってしまう。


 ホワイトボードに桜週間の詳細やタイムスケジュールを書いていく会長の背中は、どうにも私の知っている会長の像と重ならなかった。


「桜週間、か」


 桜週間というのは、有り体に言えば年に一回行われる身だしなみと持ち物の検査である。


 風紀委員がある日突然校門に現れ、タイがどうだの靴下の色がどうだのと細かくねちねちと詰問してくる不人気なイベントだ。


 私も去年一度受けているが、その件に関して去年の私は「職務質問みたい」と書いてあった。


「スズカ、お昼は食べなくていいの?」


「金曜に残したから今日は抜きって事になってる」


「そっか……これあげるよ」


 カスミが鞄から取り出したチョコレートバーを受け取ると、カスミがまた白い歯を見せてにかっと笑った。相変わらずの爽やかスマイルである。


「よければ食べてよ。どうせ余り物だし」


「うん。ありがとうカスミ」


「…………」


 少し顔を赤らめて、カスミはふいと顔を逸らしてしまった。


 ――変なカスミ。


 びり、と音を立ててチョコレートバーの包みを破り、一口頬張る。しかし直後に発せられた会長の言葉に、私は思わず噴き出しそうになってしまった。


「――それで、この桜週間には例年、生徒会も参加する事になっているわ」


「……はい?」


 生徒会も、参加する?


「生徒会は生徒の上に立つ組織だから、当然生徒を取り締まる際には立ち会わなければならない……という伝統があるらしいわ」


 淡々と副会長が答えながら、すいすいと書類に目を通しては時折何かを書き込んでいく。


 程なくして彼女は全ての書類に目を通し終わり、机で紙の端を整えてアマネ先輩の方へと手渡した。


「アマネ、これ確認して」


「分かったわサッちゃん」


 一瞬副会長の指がもつれた様な気がしたが、すぐにアマネ先輩が受け止めたのでよく分からなかった。


 まあ、ただ書類を渡すだけなのだから副会長がそんなヘマをする筈もあるまい。


「織原さんも知っていると思いますが、桜週間では身だしなみと持ち物の検査が行われますわ。そしてその日程は――」


「未定、という事になっているの。まあ要するに抜き打ちね」


「抜き打ち……」


 道理で、去年に引っかかっている人が多い訳だ。去年のノートにも、引っかかる人が多くて通学路が長蛇の列になったと書いてあった。


「言われるから直す身だしなみには意味がありませんから。だから開始も終了もまちまちですわね。週間というのも方便で、二週間やる時もあれば三日くらいしかやらない時もありますわ」


「やっぱり詐欺師だ……」


 週間、と言った以上は一週間でやるのが筋というものではないだろうか。


 二週間や三日を果たしてウィークリーと呼べるのかは甚だ疑問ではある。


「それで、いつから始まるんですか」


「あら、貴女に話した時点で察しがついているものだと思っていましたけど」


 会長はホワイトボードから離れると、壁に掛けられたカレンダーへと歩いていき……明日にあたる日付を指さした。


「桜週間は明日! この一日だけで勝負を掛けますわ!」


 もはや週間ですらなくなってしまった今年の桜週間は、西宮リンダの高らかな宣言によって幕を切って落とした。




 次の日、家のドアを開けると二人の人影があった。


 一人は金髪の釣り目。もう一人は茶髪の垂れ目。二人とも腕章を袖に巻いている。


 二人が誰であるかは、この特徴を見ればもう火を見るよりも明らかであった。


「あら、おはよう織原さん」


「……何で私の住所知ってるんですか」


 ドアを閉め、小さく手招きしている会長の方へと向かう。


 生徒会長の西宮にしみやリンダ。副会長の阿武隈あぶくまサヤカ。


 私の家を知るはずのない二人が、その日は確かにそこにいた。


「おはようございます」


「うん、おはよう」


 副会長からの挨拶は至って淡泊なものだった。


 相変わらず、彼女と私の間には遠い距離を感じる。幾分マシになったとは言え、私を見る目の温度は冷たいままだった。


「春だというのに寒いですね」


「そうね」


「家はこの辺りなんですか?」


「そうでもないわ」


「……」


 会話が続かない。というよりも、会話することを拒絶されている。


 昨日の記述に比べると、心なしか副会長は不機嫌そうに見えた。


 ――それにしても、朝は冷えるな……。


 朝の空気は冷たくて、少し冷えた手は少し感覚が鈍くなっている。


 はあ、と息を吐きかけると、少しだけ手が温まって感覚はじわりと戻ってきた。


 朝の冷え切ったコンクリートの上を、ローファーのかつかつと硬い音が渡っていく。


 いきなり肩に手を置かれて、私の足音は止まった。振り返ると、副会長がじっと私の方を見つめている。何やら意味深な視線が、私を捉えていた。


「……大変よ、今日は」


「会長が張り切ってるからって事ですか?」


「リンダの張り切りなんて全然大変じゃないわよ。一人で全部やっちゃうんだから。

むしろ大変なのは風紀委員の――」


 そこまで話したところで、ずる、と副会長が足を滑らせた。


 肩を掴まれた私の体勢も、ぐらりと傾く。


「きゃああっ!」


「ちょっ――」


 副会長の高い悲鳴と共に、私は地面へと引き倒された。


 派手にぶつけた背中と、副会長の落ちてきた鳩尾みぞおちの辺りに鈍い痛みが走る。


「……どうして何もないところで転ぶんですか」


「いたた……私の足元の摩擦が急に……」


「突然地球の物理法則を乱さないで下さいよ……」


「諦めなさい、サヤカは極度の運動音痴だから。何もないところで転ぶなんて序の口の序の口の序の口くらいよ」


「そうなんですか……」


 ――今まで分からなかったのは奇跡だな……。


 考えてみればプリントをばら撒きかけるなど、微妙にどんくさいところはあった気がする。あの時はアマネがサポートしていたから分かりにくかったが。


 立ち上がっては躓き、躓いては塀に肩をぶつけている副会長を、しばしぼうっと見つめる。


「普段は他の方がサポートして下さるから、辛うじて普通の振りができているのですけど……」


「ああ、なるほど」


 ――確かに、一人で何かしているのはあまり見ないかもしれない。


 周りがカバーし切れないレベルだから相当深刻なのだろう。ここに来るまでに転んだりぶつかったりしていたら、それは確かに機嫌も悪くなる。


 ……それはそれとして、人を巻き込まないで欲しいとは思うが。


「……で、何が大変なんですか副会長」


「ええ、そうね。私とリンダは三年間生徒会にいるから、桜週間も当然ずっと参加しているのだけど――」


六波羅ろくはら、よ」


「六波羅……」


 ぽつりと会長が呟いた言葉を、口の中で転がしてみる。


 ――聞くからにいかめしい名前だけど……。


 鬼や閻魔様の様な出で立ちをしているのだろうか。もしかしたら身長が二メートルくらいあるのかもしれない。


「どんな人なんですかその人」


 私がそう問いかけると、会長は険しい顔でため息をついた。地底の底から響いてくる様な、心底暗い音色ののため息が一つ聞こえる。


「まあ行けば分かるわよ。でもまあ、そうね……」


 す、と会長が私のタイを指さして、私は思わず身構えてしまった。


 ノートの中で出てきた、タイを掴んで引き寄せる動作がフラッシュバックし、身体が僅かに強張る。


 しかし会長の手がそれ以上私の方へと伸びてくる事は無かった。


 ちょいちょいと指しているタイへと、こわごわ視線を移してみる。


「その曲がったタイくらいは、直した方がいいんじゃないかしら」


 襟に巻いた私のタイは、ほんの少しだけ右にズレていた。


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