EXTRA
Extra:白羽スイーツウォーズ
走る。少女たちは暮れなずむ校舎の階段を、一点を目指し走る。
「ちょっと立ち止まらないでよ!」
「早く前進んで! 買えなかったらどうすんのよ!」
その目は飢えた
彼女らが目指すのは、教室棟を出てすぐのところにある、食堂に隣接された小さな売店である。
私立白羽女学園の食堂は値段が高いので、売店を利用する生徒はそこそこ多い。
中でも利用者が多いのが今の時間。金曜日の放課後である。
そして校舎の外へと殺到する少女たちの先頭を切るのは、他ならぬ
「うぉおおおおおおおおっっっ!!! 先頭の景色は譲らないッ!」
売店へと向かっている生徒の中には、運動部に所属している生徒もちらほらいる。
にも関わらず、カレンと後続との距離は優にストライド三つ分は開いていた。目にはらんらんと炎が煌めき、しかし呼吸は規則正しく乱れていない。
本当に欲しいものへと向かう、「本物」の走りが、そこにはあった。
「うわっ、天花寺さん目がマジすぎる……怖……」
「普段はおっとりしてるのに……」
若干引き気味な後続を更に突き放しながら、校舎を抜けて売店へとカレンは突っ込む。
半ばスライディング気味に売店の中へと滑り込むと、売り場の店員にびしっと人差し指を一本立てる。
「――ガトーショコラひとつ!」
「はい、ガトーショコラひとつね」
初老の店員がガトーショコラの入った紙箱をカレンに渡し、カレンが五百円玉を渡す。
ほくほくした顔でカレンが裏口から出ていくのと同時に、少女たちの群れが表から殺到してきた。
金曜日の放課後。白羽女学園はこの時間になると、必ず戦場と化す。
「裏メニュー、ですか?」
廊下を歩きながら目をばちくりさせて、黒髪の少女……黒坂ウタコが問う。
「そう! うちの売店、金曜の放課後だけ出るメニューがあってねぇ……こーれが美味しいんだよ!」
歌う様にしてそう答えながら、カレンが身振り手振りで四角や三角を宙に描く。
「……それで、裏メニューって具体的に何が出るんですか?」
「えー、今の動きで分かんないかなぁ。ケーキだよケーキ! モンブランやショートケーキが週替わりで出るんだよ!」
「えっ、学校の売店でケーキ売るんですか!?」
「そうー! 凄いでしょ!」
「何で先輩が誇らしげなんですか……」
私立白羽女学園の売店と言えば、安くて美味しいものを揃えることで生徒から人気を博している施設の一つである。
普段から学園の王子こと葛木ミオの机――正確には大倉ヤヨイの机だが――の机を彩る菓子パンの殆どは、その売店によって賄われているものであった。
売店に行く生徒はウタコを始め一年生でも多いが、裏メニューは全く告知されない為、先輩から聞かなければその存在を知る事は卒業まで多分ない。
「そのケーキがクオリティ高くてねぇ。その辺の喫茶店やケーキ屋さんよりも美味しいんだよ。どう? ウタちゃんも今日一緒に行かない?」
「……あ、えっと、実は……」
ウタコがカレンから目を逸らして、もごもごと口の中で言葉を転がす。
「今日は、その、ちょっと調子が悪くて……部活も休むって部長にも伝えましたので、遠慮しておきます」
「……そっかぁ。じゃあまた別の機会にね」
「誘ってくださってありがとうございます。ではこれで、失礼します」
頭を膝にぶつけるのではないかという位にまで勢いよく一礼して、ウタコは一階へと走って行ってしまった。
「……あちゃあ。流石に露骨過ぎたかな」
はぁ、とカレンがため息を一つつく。
ウタコがミオに振られた、という事は何となく察しがついていた。
少し思い込みのつよいところがウタコにはある。この辺りで一度気持ちを発散させておくべきとカレンは考えたが、そう上手くはいかない様だった。
――逆効果だったかもなぁ。
「あーあ、難しいなぁ先輩って」
「へえ、カレンも結構ちゃんと先輩やってんだねぇ」
後ろから声が聞こえるや否や、ばっと誰かの両手がカレンの目を塞いだ。
「わわっ! 何なに!?」
「だーーれだっ」
聞き覚えのある声が、カレンの耳に届く。
「…………ヤヨイ?」
「ふふっ、正解っ」
ぱっと手が離れて、カレンがそちらを見ると、糸の様にぐっと目を細めた笑顔がそこにあった。
大倉ヤヨイ。カレンとは中等部からずっと同じクラスの、いわゆる親友の間柄である。
「もう、いきなりびっくりさせないでよヤヨイ! 思わず叫びそうになったじゃん!」
「ふふん、背後を取られるとはおぬしもまだまだ甘いのぅ。ここが戦場であれば五回は天に召されておったぞ」
ヤヨイの手が虚空を掴む様な形で固定され、ばっと抱え込む様にしてカレンの胸を捉え――
「一二ぃ三四ぃ五ォッッッ!」
「きゃあああああああっっっっ!」
突如激しく胸を揉みしだかれ、カレンが顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。
「ほれ、この通り五回も
「ウチの
「合意が取れていると思っていた、嫌がっているのではなく嬉しいから照れているだけだったと容疑者は供述しており――」
「出たよ認知の歪み」
「……まあそれはそうとして。カレン、今日の裏メニュー何か知ってる?」
「うーん、そう言えばまだ聞いてなかったかも……」
「じゃあアンジュ先輩のところへ一緒に聞きに行こうよ。今聞きに行くとこだったし」
ヤヨイはそう答えると、スキップしながら三階へと向かって移動し始めた。
飛ぶようにして進んでいくヤヨイをカレンが小走りに追いかけて、二人の影はあっという間に小さくなっていってしまった。
「おや、天花寺くんと大倉くんじゃないか。いつもに比べると三分二十八秒ほど遅いご登場だ」
かち、とストップウォッチを止めて、灰色の髪をサイドテールに結んだ少女が二人の方を見る。
フレームの狭い眼鏡の奥で、死んだ魚の様な目がぼんやりと二人を映していた。
水原アンジュ。二人が訪れた教室……三年A組の副委員長を務める少女は、窓際の席でその灰色の髪を風に
「こんにちわ、アンジュ先輩。大倉です」
「天花寺でーす」
「ん。まあこちらへ来たまえ諸君」
くいくいと手招きされ、二人が三年の教室へと入る。
出入口側の席に立てかけられた木刀をなるべく見ない様にしながら、二人は恐る恐る歩いてアンジュの下へと辿り着いた。
「やあやあ諸君。今日も天気が良くて憎たらしい日和だね。肌が
「先輩は吸血鬼ですか……」
「じゃあ雨の方が好きなんですかー? ウチは雨あんまし好きじゃないですけど……」
「何を言ってるんだい天花寺くん。雨が降ったら気圧の変化で身体がバラバラになってしまうだろう! この水原アンジュの自律神経を何だと思ってるんだい?」
「おじさんみたいな自律神経ですね……」
「あー! あーあー、そんな事言っちゃうんだ天花寺くんは。あーあ、深く傷ついちゃったなぁ、そんなことする天花寺くんには今日のケーキが何なのか教えてあげられないなぁーー!」
「えぇー! そんなぁ……」
がっくりとカレンが肩を落とす。
二人が水原アンジュの下へとやって来たのは他でもない。今日のケーキが何であるかを教えて貰う為である。
売店で販売されるケーキは週ごとに変わっており、実際に販売されるまでその週のケーキが何であるかは分からない。
何となく走って買いに行き、500円払ってあまり好きではないケーキを買って肩を落とす生徒もそこそこいる。
しかし水原アンジュは売店で売られるケーキのデータを他の生徒から集めて解析することで、独自のパターンがあることを突き止めることに成功していた。
その予測は必ず当たるので、カレンやヤヨイの様な彼女を知る者は、毎週三年A組を訪れては情報を仕入れていく。
ちなみにアンジュ自身は、甘いものが好きではない。ケーキも買ったことは一度も無い。
「まあ、それは冗談なんだけど」
「冗談なんですかっ!?」
「
アンジュが机の中からノートパソコンを取り出して、かたかたと操作する。当然ながら校則違反なのだが、予測と回避が上手いので彼女が咎められたことはない。
「――ん。今週は多分ガトーショコラだね。ガトーショコラはいつもより在庫が少なめだから、急いで買いに行くといいよ」
「ガトーショコラ! ウチちょうど今日チョコ食べていて、お腹がチョコの気分だったんです!」
「おーい、カロリー三十パーセントはどうしたー?」
「行くとき走るからセーフ!」
「…………」
ヤヨイは苦笑して、それきり何も言わなかった。
時計を見ると、間もなく昼休みが終わろうとしている。
「それじゃあ、ありがとうございましたアンジュ先輩! 当たってたらウチ連絡しますね!」
「外れていても連絡はしたまえよ。……ああ、それと天花寺くん!」
「はい?」
アンジュに呼び止められて、カレンがきょとんとした顔を見せる。
「今日は陸上部の二年生達にも情報を提供しているから、きっと始めから激戦になると思うよ。精々頑張りたまえ」
「……はいっ!」
先程のウタコにも負けない様な一礼をして、カレンは小走りに自分の教室へと戻って行ってしまった。
金曜日の放課後。白羽女学園はこの時間になると、必ず戦場と化す。
やたらそわそわした雰囲気のホームルームが終わると同時に、生徒たちは廊下へと濁流の様に流れ出していく。
しかし当のカレンやヤヨイはというと、少し立ち止まってその流れを見ていた。
急に溢れ出した人の波は、すぐに堰止められる。
あっという間に狭い廊下は将棋倒し寸前になり、押しても引いても動かない人の群れと化した。
――さて、そろそろ行こうかな。
目と目で合図して、二人が構える。
「それじゃ、私行って来るから!」
スズカにそう告げて、カレンは矢の様に教室を飛び出した。殆ど同時に走り出したヤヨイがその後ろに続く。
絡み合っているとは言え、人の動きには僅かながら隙間が見られる。その僅かな隙間を縫うようにして、二人は脱兎の如く駆けていく。
走る。少女たちは暮れなずむ校舎の階段を、一点を目指し走る。
「ちょっと立ち止まらないでよ!」
「早く前進んで! 買えなかったらどうすんのよ!」
その目は飢えた
彼女らが目指すのは、教室棟を出てすぐのところにある、食堂に隣接された小さな売店である。
現在先頭を走っているのは、二年の陸上部の女子三名。元々の足の速さを生かして、カレン達からはそれなりの距離を保ちながら走っていた。
「残念だったね天花寺さん! ガトーショコラは我々陸上部が買い占めさせてもらうわ!」
「…………」
余裕たっぷりな、彼女らの走り。
だが、カレンは知っている。スイーツがかかると脳が百パーセント稼働するので、今だけ
陸上部は確かに早い。廊下などで競えば全く勝負にならないだろう。しかしそれは、走る場所がトラックやグラウンドならの話である。階段を走るのと平地を走るのとでは、タイムを縮める方法は全く違う。
ばたばたと廊下を駆け降りるのではなく、力を抜いてふわりと段飛ばしに降りる。
そして最も差が着くのは――
「ここっ!」
「なっ――」
教室棟一階に続く階段の、僅かなコーナー。
ブレーキをかけ損ねて大きく開けたその隙間に、カレンとヤヨイが滑り込むのを、彼女たちは確かに見た。
「うぉおおおおおおおおっっっ!!! 先頭の景色は譲らないッ!」
そのままぐんぐんと速度を上げ、階段を一息に降り、天花寺カレンの疾駆は続く。
その時、彼女は一陣の風だった。誰よりも自由で、誰よりも迅い、一陣の風だった。
……実態としては、誰よりもケーキに囚われている一番不自由な人間だったが。
「うわっ、天花寺さん目がマジすぎる……怖……」
「普段はおっとりしてるのに……」
若干引き気味な後続を更に突き放しながら、校舎を抜けて売店へと突っ込む。
半ばスライディング気味に売店の中へと滑り込むと、カレンは売り場の店員にびしっと人差し指を立てた。
「――ガトーショコラひとつ!」
その言葉が、金曜日の戦の勝鬨であったことは言うまでもない。
こうして、第何次かもよく分からない白羽スイーツウォーズは、スイーツガチ勢こと天花寺カレンの圧勝によって終わった。
実はガトーショコラは他と比べて数個程度少ない時があるだけでそんなに急がずとも買えた事や、そもそも一人一つまでで買い占めなど不可能であることを、彼女たちはまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます