Chapter02:女王陛下の懸念/As the my empress says(中)

 弁当箱を開けると、今朝お姉ちゃんが言っていた通り唐揚げが入っていた。


 唐揚げ。弁当の中に、ダイレクトに、大ぶりの唐揚げが五個。卵焼きも野菜も入っていない、唐揚げオンリーのおかず。


 育ち盛りの男子の弁当でも、もう少し手心は加わっているのではないだろうか。


「…………」


 お姉ちゃんは大学へ同じ弁当を持って行ったのだろうか。


 多分持って行っているのだろう。あの人はそういうところは気にしない人である。


 ただ、女子高校生は普通唐揚げオンリー弁当を嫌がるものではないだろうかというところにまで、せめて気を配ってほしいものだ。


「……悪いけど、今日は少し席を外すよ。残りはボクの席にでも置いてくれればいいから」


「ん、ご自由にどうぞ」


 ミオが教室から出ていくのを、軽く手を振って見送る。


 ミオが私と昼食を共にしないのは、少なくともここ数か月の間には見られない事だった。珍しい事もあるものだ、と思う。


「あの宇宙人のところにでも行ったのかな」


 茶色い弁当を突きながら、少し例の宇宙人のことを考えてみる。


 確かルーシー・チトセ・リーリエと言っただろうか。昨日の分のページに、彼女の名前が書いてあった。


 てっきりミオが言った冗談か何かだと昨日の私は思っていたみたいだが、よもや実在したとは露ほども思っていまい。


 今朝起きた一部始終の出来事は、なるほど私も少し驚いた。


 ――朝の、出来事……。


「あ」


 会長から生徒会室へ来るように言われていたことを、ふと思い出した。


 時計を見ると、昼休みから十分と少しが経過している。


 昼休みが終わるまで、あと三十分といったところだろうか。


「……行かないと、まずいよなぁ」


 会長はともかく、あの副会長の前で会長の約束を破ったとなれば色々面倒くさそうだ。いや、却って喜ぶのだろうか。


 ――まあ、行くだけ行ってみよう。流石に命までは取らないだろうし。


 大事な話があると言ってた様だし、行くだけ無駄だったというオチには多分ならないだろう。


 まだ半分ほど残った弁当を片付けて、教室の出口へと向かう。間もなく教室を出ようというところで、廊下の方から現れたカレンと鉢合わせた。


 わっ、とカレンが一瞬驚いて立ち止まり、手に持ったパンが落ちそうになる。カレンの手から零れかけたパンの包みを、隣から現れた女子がさっと受け止めた。


 黒い髪を肩甲骨の辺りまで伸ばした、気の弱そうな印象の女子だ。


 タイの色は緑だから、例の宇宙人と同じく多分一年生だろう。どうやらミオの知り合いらしかった。


 ぐるっと教室を見渡してから、カレンが不思議そうな顔で私の方を見る。


「あれー? スズっちミオ様はー?」


「ミオ様はお出かけ中。どこ行ったかは知らない」


「そっかー。どうするウタちゃん、待つ?」


「あっえっ、いえ! まっ、また出直しますっ! それでは先輩方、失礼します!」


 頭が地面に着くのではないかという位の深さで勢いよく一礼して、ウタちゃん某は脱兎の如く走り去っていってしまった。


 彼女が何をしに来たのかは、正直全く分からない。ただ、ミオという名前が聞こえた時に彼女が一瞬だけ泣きそうな顔をした事だけが、少しだけ引っかかった。


「知り合い?」


「うん、黒坂ウタコちゃん。ウタちゃんはバスケ部の一年生でねー。ウチと同じでマネージャーなんだぁ」


「ふぅん……」


 バスケ部、と言えば、確かミオもカレンもバスケ部だ。


 何かあったのだろうか、と少し思わなくもないが、そんな気持ちは泡の様に、いつの間にか弾けて消えてしまった。


「スズっちもお出かけ? 珍しいね」


くだんの生徒会長様からランチのお誘いがあるもので」


「おぉー……暫く見ない間に立派になったねぇスズっち。お母さんは嬉しいよぉ」


「誰がお母さんか」


 大げさに感動した風の芝居をしてウソ泣きをするカレンに、軽くチョップを入れる。


 彼女が別の友達の方へと向かっていくのを見送ってから、私は改めて廊下の方へと足を進めた。


 生徒会室は、この校舎の別棟となる特別棟にある。


 特別棟へ行くためには、私のいる教室棟の二階から渡り廊下を渡って行かなければならない。


 特別棟で授業がある時には前後の休み時間を殆ど使えないので、カレンはこの特別棟のことをかなり嫌っている様だった。


 私も正直、場所が変わってくれれば良いのにとは思っている。


 渡り廊下へと近付くと、体操着姿の女子達の姿がまばらに増えてきた。


 どうやら他の学年では四限に体育があったらしい。人の中に一瞬木刀が見えた様な気がしたが、多分気のせいだろう。


「デオドラント臭い……」


 辺りはデオドラントの匂いがそこら中に立ち込めていて、思わず顔をしかめてしまった。どうにも私はあの匂いを好きになれない。


 生徒会室は特別棟の四階にある、と生徒手帳の地図には書いてあった。


 遠い。あまりにも遠すぎる。


 生徒の会の部屋なのに、生徒から一番遠いところにあるのはどういう了見なのだろう。設定した人を小一時間問い詰めたい。


 毒ガス地帯の様な渡り廊下を抜けて特別棟に入ると、階段に一瞬だけミオの姿が見えた様な気がした。


「……あれ、ミオ?」


 もう一度上を見上げて見ると、ミオの姿はどこにもなかった。


 元々ミオはあまり足音を立てないで歩く方なので、姿が見えなければいるかどうかもよく分からない。


 ――…………白昼夢?


 そうぼんやりと考え込んでいると、後ろからこちらへと足音が近付いてきた。


「どうかされましたか?」


 振り返ると、二人の女子が私の後ろに立っていた。二人とも腕章を腕に巻いている。生徒会の人間だろう。


 左の方は背が高くて眼鏡を掛けていて、右の方は私と同じくらいの背で紺色の髪が特徴的だった。タイの色は左が赤、右が青。左が三年で右が同級生だろう。


 少し不思議そうな顔をして、左の眼鏡をかけた先輩が私の方を見ている。


「もしかして、生徒会に何か御用ですか?」


「西宮生徒会長に呼ばれて、生徒会室に向かう途中ですけど」


 私がそう答えると、得心いったという顔で右の二年生がぱちんと指を鳴らした。


「あっ、さては君が噂の不思議ちゃんだね? 隣のクラスだけどそこそこ有名人だよ君」


「……どちら様でしょうか」


「ああ、自己紹介が遅れたわね。ごめんなさい……。

古雪ふるゆきアマネ、三年よ。生徒会で書記を担当しているわ」


「あたしは玄田げんだカスミ。生徒会では庶務やってるの。よろしく!」


「……織原スズカです。よろしく玄田さん」


「あはは、カスミでいいよ」


 差し出された手を握ると、カスミと名乗った二年生は白い歯を見せてにかっと笑った。ミオほどではないが中々爽やかな笑顔である。


「私もアマネで構わないわ。……でも珍しいわね、リンダ会長が部外者を生徒会室へ呼ぶなんて滅多にない事なのよ?」


「怪しい電波で会長を誑かそうとする怪人だって専らの噂だからねぇ。ノコノコ入って来たところを……」


 すぅ、とカスミが息を吸って、こっそりアマネ先輩の後ろへと回り込む。


「ズバーーッ!」


「きゃあああああああああっっっ!」


 手刀で鋭く斬りつけられたアマネ先輩が、涙目になって絶叫した。


 子供っぽくけらけらと笑うカスミに、言葉にならない声を上げながらアマネがぽかぽかと拳をぶつける。どうやら驚かされるのに弱いらしかった。


 しばらくふざけ合った後で、ご機嫌な表情でカスミがこちらを向いた。


「……ってな感じでやっつけられちゃうかもね。副会長に」


「ああ……サッちゃんは、まあ……」


 カスミの言葉を受けて、アマネ先輩が気まずそうに頬を軽く掻いた。


 ――サッちゃんとか呼ばれてるのか、あの人。


 誰にでも噛みつく狂犬かと思っていたが、もしかすると案外普通の人なのかもしれない。


 触るものみな傷つけるギザギザハートの女を、多分サッちゃんと呼ばないだろう。


「行き先は同じだし、良かったら一緒に行こうよ。副会長からは守ってあげるからさ」


「……それは、願ったり叶ったりです」


「うん、素直なのは美徳だね」


 ぱちんともう一度指を鳴らして、カスミは生徒会へと向かう階段を上り始めた。




「さあ、着いたわよ。入って」


 他の教室よりも少し大きな扉の前で、アマネは立ち止まった。


 生徒会室の扉は厳めしい木製のもので、入ろうとする者全員に「帰れ」と言っている様に見えなくもない。魔王の城も多分こういうオーラがあるのだろう。


 入る前からやたら緊張するこの気配はここ最近毎朝感じているそれに似ている。


 女王あらため大魔王こと西宮リンダが中にいるという事を、その気配が雄弁に語っていた。


「大丈夫、アタシ達も一緒に行くから」


 カスミにそう促され、私は扉に向かって拳の甲で三度ノックをする。「どうぞ」という声が聞こえてきて、私はその重々しい雰囲気の扉をゆっくりと開いた。


 開け放たれた部屋の中へ、一歩足を踏み入れる。


「遅い! 私が「昼休みに来なさい」と行ったら一秒を惜しんでやってくるべきよ!」


 開幕一番、飛んできたのは大魔王による罵声だった。謂れは正直あるパワーハラスメントが私を襲う。


 大魔王は上座、つまり生徒会室の最奥にて、横柄に足と腕を汲んで私を睨んでいた。


 朝の取り巻き達が見たら卒倒しそうな豹変ぶりである。


 中学の時、人前では物凄くおしゃれを頑張っているのにオフの日はスウェットしか着ていなかった同級生を思い出した。


 副会長はと言えば、リンダよりも一つ下座でかりかり音を立てながら何やら書類を書きながら、時折私の方をちらちら伺っている。


「いや、約束通り昼休みに来たのにそう言われましても」


「気を利かせろって言ってるのよ。黒いカラスも私が白いと言えば、嘘でも白いと言わなきゃいけないの」


「……というか、今朝と随分言動が違うみたいですけど……風邪ですか?」


「誰が熱でおかしくなってると?」


「いえいえ、季節の変わり目ですから。風邪は引いてもおかしくないですよ。頭寒足熱、どうぞゆっくり休んで風邪を治してください。それでは失礼致します、お大事になさってください」


「…………」


 ぱち、とリンダが指を鳴らすと、アマネが私の肩を羽交い絞めにした。間に入ろうとしたカスミをリンダが睨むと、彼女の動きはぱったり止まる。


「ちょっ――」


「諦めてくれ。会長は元々こういう人なんだ……」


「……助けてくれるって言ったのに」


「あれは副会長ならの話だよ、会長はまた別問題さ」


 騙された気持ちだが、多分騙す意図は無かったのだろう。こんな大魔王だかハートの女王だかに逆らえば「首をおね!」となってしまうに違いない。今の態度を見るとそう思えてしまう。


「……分かった。分かりましたよ付き合います」


 そこにあった一番下座の席に着くと、大魔王は満足そうにふふんと鼻を鳴らして微笑んだ。それにしても、動作がいちいち絵になる人である。


「よろしい。まあ楽になさいな、別に貴女を責める訳じゃあないの」


「……用件だけお願いします。昼休みもそう長くはありませんから」


「あら、それは貴女のせいではなくて? 四角四面しかくしめんに時間を厳守したくないと、遅刻することを選んだのは貴女自身だった気がするのだけど」


 ――忘れていただけとは言えまい……。


 今ここで「実は忘れて弁当食べてました」なんて言い出したらどうなるのだろう。口から火を吐くのではなかろうか。


 かたん、と音がしてそちらを見ると、湯気を立てる紅茶の入ったティーカップがソーサーの上に置かれていた。


 副会長が微妙に渋い顔で、会長の方にも紅茶を注いでいる。


「……ありがとうございます」


「いいわよ別に。貴女のは粉末スティックのやつだし」


「…………」


 ここまで露骨に私を嫌う人に出会ったのは初めてだが、理由が分からないのは少し困る。


 ――この人本当に、何でこんなに私の事嫌っているんだろう……。


 特に会長周りのことになると以上に目くじらを立てている気がする。


 しかし私は会長に何かした覚えも無いので、今後どう対応すれば良いのかが分からないのは少しもやもやしなくも無い。


 会長が紅茶をひと口飲み、ほうと息を吐き出す。


 妙に弛緩した空気が流れ、一瞬だけここが大魔王の居城であった事を忘れそうになる。


 そんな私を現実に引き戻したのは、かっと開かれた彼女の目と、びしっと私を指した指先だった。


「単刀直入に言うわ。織原スズカさん、私は貴女を生徒会に迎えたいと思っているの」


「……はい?」


 生徒会に、私を、迎えたい?


「ちょっと、会長……!」


 それまで棒立ちになっていたカスミが、会長の方へと一歩詰め寄る。


「葛木さんは入ってくれなかったし、まだ書記と庶務の枠が一つずつ空いているわ。この先アマネ達だけで業務を賄いきれるかは分からないし、人は一人でもいれば――」


「納得できませんッッ!!!」


 ばん、と大きな音を立てて、副会長が椅子を倒しながら立ち上がった。例のビームを出しそうな目で、私の方を睨みつけている。


 よく見ると、その目は絶えずふらふらと揺れていて、目元は僅かに赤くなっていた。今にも泣き出しそうな目で、彼女は私を睨んでいた。


「納得できない、というのはどういう事かしら」


「生徒会の仕事は私達だけで十分やっていけますし、これ以上人員を増やすメリットもありません! 大体、いつまでこんな唐変木に構っているつもりなんですか! リンダが、会長が……いつまでもかかずらっていて良い人ではありません!」


「随分と、私や西宮会長に絡むんですね。まるで保護者みたい」


「――――っ!」


 そういたのは、本当にただそう思ったからというだけだった。


 ぼろ、と副会長の目から涙が込み上げる。


 ひょうと空気を切って振り上げられた副会長の手を、駆け寄ったカスミとアマネが止めた。


「ちょっと、落ち着いてサッちゃん!」


「マズいですよ副会長! 悪気は無いんですから!」


「離しなさいカスミさん! こいつは、こいつだけは……っ!」


 涙声でもがく副会長をアマネとカスミが二人がかりで押える様子を、私は暫く呆気に取られて見ていた。


 もはやどうにもならない状況が、そこにはあった。恐らく火に油を注いだのは私だが、何をやったところで早晩こうなっていたのではないか、とも思う。


 副会長は私が嫌いなのだ。それはきっと、会長に関する何かを彼女は抱えていて、それが私を見て障ったのだろう。


 多分、今はどうする事もできない。私にとっても、副会長にとっても、恐らく会長にとっても。


「…………どうも、ゆっくりお話しできる状況ではないみたいですね」


「あら、私はこのまま続けてもいいわよ」


「いや、それは流石に……」


 ――殺されても敵わないし……。


 カスミがアマネに斬りつけていた様子がフラッシュバックする。今の副会長なら本当に刃物を振り回してきそうだ。正直、一秒でも早く生徒会室ここから出ていきたい。


「今回の話は一旦持ち帰ります。また放課後、そちらに伺いますので」


「そう。それでは、色よいお返事を期待していますわ」


 微笑んでいる会長に立ち上がって軽く一礼し、私は生徒会室を後にした。


 ぴしゃりと戸を閉めると、先程までの喧噪は嘘の様に、辺りは静寂に満ちた。


 静寂の中で、窓ガラスに映った自分の顔をぼんやりと見つめてみる。


 いつもと何も変わらない、無表情な私の顔がそこに映っていた。


「……生徒会、か」


 もう一度、魔王の居城……生徒会室の扉の方を見つめてみる。


 手荒い歓迎だったな、と思い返すと、ふと最後に見た会長の顔が蘇った。


 余裕に満ちた、不安など欠片も見せない微笑み。私が断るとは露ほども思っていない、自信を絵に描いて額縁に飾った様な表情。


 あれは紛れもなく、女王と呼べる者の顔だった様に思う。


「何で私の為に、そこまでするんだろう」


 問うたところで、答えは返ってきそうにもない。


 二度と無視できないようにする、と彼女は宣言した。


 なるほど確かに、自分の手元に置いておけば無視はできないだろう。けれどその為だけに、能力が特にある訳でもない私の様な良く知らない人間を生徒会へ誘う意味はよく分からなかった。


 ――まあ、今そんなこと考えても仕方ないか。


 特別棟から教室へ戻るには結構時間がかかる。今から戻って弁当の残りを片付けてしまわなければ、またお姉ちゃんがうるさい。


 廊下を渡って階段を降りようとしたその時、ぴしゃりと音を立てて扉が開け放たれる音が聞こえて私は立ち止まった。


「――織原さん!」


 そう呼びかけられて振り返ると、副会長がこちらに早足で近付くのが見えた。


 生存本能がフル稼働して、身体が自動的に一歩後ずさる。


 しかし彼女の目には、先程まであった様な怒りは無かった。あくまで普通に、私の方へと近付いてきている。


 私のところまで来ると、彼女ははぁはぁと肩で息をしてから、私の方を真っすぐ見つめた。


「……何ですか」


「大丈夫、今は大丈夫よ。さっきはカッとなってしまってごめんなさい。どうしても今、貴女と話がしたいの。いいかしら?」


「…………構いませんよ」


 そう答えると、彼女はほっとした様に肩の力を抜いた。


 そう言えば、副会長とまともに話をするのは初めてである。少なくとも私のノートには、そういう記述は無かった。


「織原さん、生徒会に入るつもりなの?」


「いえ……今はそういう事は考えていませんけど」


「そう、そうなのね……」


 副会長は少し逡巡した後、再び私の方を見た。


「こういう事を真っすぐ相手に伝えるのは初めてなのだけど……」


 ほんの少しだけ、彼女の瞳が揺れる。


「私は、貴女にリンダの近くにいて欲しくない。貴女だけは、どうしても近付ける訳にはいかないの」


「それは、どうしてですか」


「……貴女が一番、それを分かっているんじゃないかしら」


 かつ、とローファーの底を鳴らして、副会長が一歩私の方へと近付いてきた。


 間に誰も入れない、二人だけの空間で、副会長の唇がゆっくりと動く。


「――誰にも興味が持てないんでしょう、貴女。リンダだけじゃなく、葛木さんや私や玄田さんにも」


「…………」


「今までリンダの近くで、色んな人を見てきたの。けれど貴女の様に、リンダへ何の関心も示さなかった人を見たのは初めてだったわ」


「……どうして」


 どうして、それを。貴女が気付くのか。


「大方昨日のノートに人の特徴ややり取りを書いて、分かっている風に装っているんでしょう。貴女みたいな人は初めてだから分かるわ」


「……会長は、その事を知っているんですか」


「いいえ、リンダは知らないわ。だから今、貴女を追いかけてここまで来たのよ」


 はし、と副会長が私の両肩を掴んだ。


「お願い、リンダを傷つけないで。貴女みたいな人がいると、彼女は自分を許せなくなるの」


「どういう、事ですか?」


「…………」


 泣き出しそうな、けれど涙をどこにも遣れないといった複雑な表情を、その時彼女はしていた。


 多分、彼女は西宮リンダという人間のことを誰よりも知っているのだろう。


 知っているからこそ、彼女は私が憎いのだ。恐ろしい、と言ってしまってもいいのかもしれない。


「……副会長?」


「……とにかく、貴女が会長に興味が持てない以上、私は貴女が会長へ近付くことを許せないの」


 肩を掴む力が緩んで、私は彼女の拘束から少しだけ解放された。しかし私は動くことができずに、彼女を見つめていた。


 世界の誰よりも弱弱しいのではないかと思えるほどに、今は彼女の姿が小さく感じられた。


「よく考えて欲しいの。軽い気持ちで、リンダを傷つけないで欲しいの。私が言いたいことはそれだけよ」


「……分かりました。もう一度、考えてみます」


「ええ、くれぐれも熟慮してちょうだいね」


 副会長は消え入りそうな声でそう言うと、くるりと踵を返して生徒会室の方へと戻って行ってしまった。


 ゆっくりと遠ざかっていく彼女の背中を、暫く見送る。


「傷つけないでほしい、か」


 彼女の言っていることは、正しい。私のことをこれだけ見抜けた人は、後にも先にも多分この人しかいないだろう。


 私はまだ、会長に対して特別強い興味を持っている訳ではない……筈だ。そんな気持ちで会長に近付くことは、確かに傷つける行為に繋がるのだろう。


 ――放課後になったら一番に行こう。そしてこの話は断ろう。


 それできっと、全て解決する筈だ。また元通り、一昨日までの生活に戻るだけだ。


 けれど、そう考える度にやってくる胸の痛みが何であるのかを、その時私は理解できなかった。

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