Chapter02:女王陛下の懸念/As the my empress says(上)
「西宮リンダ、か……」
自分の部屋でノートを読みながら、その名前を反芻してみる。
昨日の私は、西宮リンダという女について、随分詳しく書いてあった。
容姿、声、その日彼女に言われた事……その内容は多岐に渡るが、いずれにしても私が彼女に対して懸念しなくてはならない事は一つだけだった。
「今日も多分、こっちに来るよなぁ……」
はぁ、と思わずため息が出てしまう。
彼女は昨日、必ず私を無視できないようにする、と私に宣言した。
多分、その言葉に嘘は無いのだろう。やると言ったら必ずやり遂げる、という意志のある瞳だった……様な気がする。
「取って食われなきゃ、いいんだけど」
ぱたん、とノートを閉じると、ぱたぱたと階下からお姉ちゃんのやってくる足音が聞こえてきた。
「スズカ、朝ごはんできたわよ」
「はいはい」
お姉ちゃんに聞こえるか聞こえないか位の声で返事をして、私は部屋を出て階段を降りていく。
しかし、階段を一段また一段と降りていくに従い濃くなっていく謎の匂いに、私は思わず立ち止まってしまった。
――えぇ、何この匂いは……。
落ち着いてもう一度匂いを嗅いでみる。多分、肉と醤油とニンニクの匂いだろうか。絶対に朝の食卓から
何となく嫌な予感がして早足に階段を降りてみると、丁度大皿を持ったお姉ちゃんと鉢合わせた。
「おはよう、スズカ!」
「……おはよ。何してんの」
「今日は凄いわよ! 毎日チクチク小言をぶつけてくる
どん、とお姉ちゃんが両手に持った大皿を私の方へと突き付けてくる。その皿には漫画の中でしか見た事がない様な盛り方をした、大量の唐揚げが鎮座ましましていた。
「……だからって、朝から唐揚げはヘビーでしょうが……」
ほかほかと湯気を立てる揚げたての唐揚げの山は、夕方や昼に見ればそれなりにテンションも上がった事だろう。
だがしかし、今は早朝七時である。油の匂いもニンニクの匂いも、朝に嗅げばげんなりとしかしない。
「え、いくら揚げたのこれ」
「三キロよ!」
「トチ狂ってるでしょ……」
――道理で、朝から家が臭い……。
どう考えても姉妹二人暮らしの食べる量ではない。今後暫くはずっと唐揚げ三昧だろう。
お姉ちゃんは料理に関してブレーキが致命的に壊れているので、こういう事はもはや日常茶飯事である。
私が席に着くと、お姉ちゃんも殆ど同じタイミングで席に着いた。
大量にものを揚げたのが気持ちよかったのか、或いはお姉ちゃんの大好物が唐揚げだからか、今日のお姉ちゃんはやたらとテンションが高い。多分どっちも要因としてあるのだろう。
「いただきます」
「はい、いただきます」
お姉ちゃんが唐揚げに箸を伸ばすのを見ながら、私は味噌汁を啜る。
私が味噌汁を飲んでキャベツを食べている間、お姉ちゃんは三個ほど唐揚げを食べていた。朝からよく入るものだと素直に関心してしまう。
唐揚げをひとつ口に運ぶと、噛んだ端からじゅわっと熱い肉汁が溢れ出してきた。
「どう? おいしいでしょ?」
「美味しいけど、重い」
「お弁当にもたくさん入れておいたから!」
「う、うん……」
自分のキャベツにソースを掛けながら、お姉ちゃんはご機嫌に鼻唄を歌っている。
二個目の唐揚げを食べながら、この食事が終わったら私はまた西宮リンダ率いる西宮軍団のところへ一人出向かなければならないのか、とふと考えた。
最後の晩餐とはこういう気持ちなのだろうか。今は朝食で、口にしているのもパンと
「昨日ね、変な先輩に絡まれちゃった」
「変な先輩?」
「分かんないけど、私のこと絶対に振り向かせるんだって」
「ふぅーん……」
かちゃり、と音を立てて箸を茶碗の上に置いて、お姉ちゃんが私の頬を人差し指でつんつんと
「……何」
「いやぁ、我が妹ながら隅に置けませんなぁ」
「そういうのはミオだけでいいよ。私はそういうキャラじゃないし」
「ミオちゃんねぇ……人気はあるみたいだけど、そういう子じゃないって私は思うんだけどなぁ」
「そうかな……よく分かんない」
「分かんなくていいのよ。キャラなんて枠で括れるほど、人間単純じゃないんだから」
「…………」
――単純ではない、か。
会長もきっと、「女王」なんて言葉の一つでは括れないのだろう。私が「電波」なんて言葉の一つで括れないように。
――それにしても、朝から食べるものじゃないよね。唐揚げって。
唐揚げは三つも食べればもう十分だった。少し重たいお腹を押えながら、私は足取り重く学校へと向かうことにした。
「あら、ごきげんよう織原さん。今日もお寒いですわね」
凛とした声が通りに響くと、取り巻き達がさっと嫌そうな顔をするのが見えた。
中には少し泣きそうな顔をしている女子もいる。泣きたいのはこちらの方だった。
西宮軍団……もとい、会長と取り巻き達が私の行く手に立ち塞がっていた。
「……おはようございます、西宮生徒会長。今日もご健勝の様で何よりです、それでは」
「まあまあ、少し待ちなさいな」
先に行こうとする私の手を、会長はさっと捕まえる。どうやら今朝も逃がしてそうにはなかった。
「今日は一緒に行きましょう。なに、安心して下さいな。庭を散策するようなものです、きっと愉しくなりますわ」
「……甘い言葉を
「あらあら、私には角も尻尾もありませんことよ?」
両方の人差し指で頭に角を作って、会長がおどけてみせる。それを見た垂れ目の女子がくすっと笑った。腕章が巻いてあるので、多分副会長だろう。
――そういう態度が悪魔的だって言いたいんだけどな……。
多分、私でなければすぐに付け入られてしまうのだろう。この見た目でこんなギャップのある態度を取られるのは、きっとグッと来てしまう。
「にしても、織原さんからキリスト教的なお話が聞けるとは思いませんでしたわ。クリスチャンですの?」
「いいえ全然、これっぽっちも。ただ昔読んだ小説に、言葉で主人公を惑わす上司が出てきたものですから」
「『要約、概要、短縮、抄録、省略』かしら?」
「……読んだことがあるんですか」
少し驚いて、思わず会長の方へと顔を向ける。
「ええ、ブラッドベリに限らずSFは時々読みますの。読書は趣味の一つです」
ぺたりと自分の鼻の頭を触りながら、会長が微笑んでみせる。
ノートの中にも出てきた動作だった。ひょっとして癖なのだろうか。
「それにしても、よく『華氏451度』だと分かりましたね。色んな本に書いてありそうな描写なんですけど」
「昨日は言ってませんでしたけど、実は超能力者ですの。心を読む事なんて朝飯前ですわ」
「超能力……」
――宇宙人とか超能力者とか、いよいよファンタジーじみてきたなぁ……。
空を見上げてみたが、特に未確認な飛行物体は飛んでいそうになかった。
――……まあ、そんな訳はないよね。
この世界は映画の様なものだけど、映画そのものではない。
だから宇宙人や超能力者なんて分かりやすい非日常はやってこないし、そんな単純なものでも無いのだろう。
「あら、ぼんやり空なんて見上げてどうされましたの? まるで宇宙人にアブダクションされそうですわね」
「多分、アブダクションされるのは私ではなくミオの方ですよ」
「ふふっ、好きなんですのね。その冗談」
「冗談を言ってるつもりはないんですけど……」
そう言えば、今日もミオは例の自称宇宙人と一緒にいるのだろうか。
昨日の放課後の様に、また連れて行かれてしまっているのかもしれない。あれはアブダクションと言って差し支えないだろう。
――アブダクション……アブダクションね……。
「――――――――っ」
そこまで思ったところで、私ははっと息を呑んだ。
昨日の会長との会話を、ゆっくりと思い出してみる。
あの時確かに、私はミオが連れて行かれたことを「アブダクションされた」と言った。
今時の高校生で、さっと「アブダクション」という言葉が出てくる人はそういないだろう。
少なくとも私の周りにはいない。宇宙人の事……要するにSFについて何かしらの造詣があると踏んだのだろう。
取り巻きの中をよく見てみれば、時々ノートの中に出てくる同じクラスの女子達が何人か見える。
きっと彼女たちからも、昨日の昼休みの会話等を聞いているのだろう。
ホットリーディング。
予め対象の情報を頭に入れておいて、まるで知らない事を見通している様にして騙す技術を、会長は何気なく使っている事に私は気付いた。
「……
「あら、何のことかしら」
とぼけた顔をしてみせる会長に、私はつま先立ちでぐっと顔を寄せて声を潜める。
「もしも私が引いてきたのが『華氏451度』じゃなかったらどうしたんですか?」
「普通にブラッドベリが好きという話をして、小説が好きという糸口から答えを聞き出してるんじゃないかしら。
私、自分の知らないことはどうしても知っておきたい
ぺたり、と会長が自分の鼻の頭を再び触る。
「……その、鼻の頭触るのは癖なんです?」
「あら珍しい。貴女が私に質問だなんて、金輪際無いものだと思っておりましたわ」
「気になるんですよ、昨日からぺたぺた触っていて……」
――気に、なる……?
何気なく漏れ出た自分の言葉に、心臓がどきんと跳ね上がるのが分かった。
――何で。何で。こんな事、一度も無かった筈なのに。
「どうかされましたの?」
「……いえ、別に、何も」
顔を覗き込んできた会長から視線を逸らして、自分の髪を指でいじる。
何か大きく心が揺れそうな時は、髪を触ると少しだけ落ち着く。
「貴女の癖はそれなんですね。中々チャーミングですわ」
「……今朝は一体どうしたんですか。やけにニコニコしていて気持ち悪いんですけど」
「気持ち悪いとは心外極まりないですわね。私はいつもこうですのに」
ぐいっと指で口角を上げて、会長が大げさな笑顔を作ってみせる。
「笑顔は本来、威嚇の行為です。ずっと笑っている人、ずっと怒っている人……表情の変化がよく分からない人は信用するなとミオが言っていました」
「へぇ、葛木さんはそんな事を仰ってますのね。まるで保護者みたいですわ。それに……」
ちょんちょんと会長が私のタイを指さす。何があるのだろう、と思ってタイへと目を移すと、不意にタイを掴まれてぐいっと引き寄せられた。
互いの吐息が掛かるほどの距離で、私達は見つめ合う。
「本当のところ、自分に微笑んでくれる人に悪い気はしなかったでしょう?」
「………………」
「今日の昼休み、生徒会室に来なさい。貴女に大事な話があるわ」
囁く様にそう言って、会長は私からゆっくり離れた。突き刺す様な視線を感じてそちらを見ると、副会長が睨み殺す様な眼力で私を睨んでいた。けれど今の一部始終に関しては、私は悪くない筈である。
「……本当に、ムカつく」
副会長はそう吐き捨てると、ぷいと私から顔を背けた。相も変わらず随分な嫌われようである。
――大事な話、か。
大事な話とは一体何だろう、と考えようとした時、後ろから何やら話し声と足音が聞こえてきた。
私が自称宇宙人の少女と出会うのは、今から十秒後のことである。
「見たよスズっち。いやいやぁ、朝からやりますなぁ」
「…………」
教室に着くや否や、一人の女の子がにやにやしながら私のところへとやって来た。
僅かに赤みの混じった茶髪をお下げにして、顔にはうっすらとメイクを施している。
短く折ったスカートが動く度にひらひらとめくれて、少しだけ目のやり場に困る。近寄って来るにつれて、香水の匂いが僅かに強くなった。
彼女の名前は
ミオだけではなく色々な人に話しかけていける性格なので、私のところにもよくやって来る。ノートにも何度か彼女の事が書かれていた。
「西宮生徒会長と一緒にいたっしょスズっち。隣で仲良さげに歩いててさぁ、いいよねー何かアツアツで」
「そんな訳ないでしょ」
「あはは、スズっちは相変わらずドライでクールですなぁ」
――さて、彼女にはどう接すればいいかな……。
私が自分の席についてノートを取り出し、開いて中を確認する様子を、カレンはずっと少し離れて見ていた。
意外と空気が読める、と以前の私はカレンのことを評している。
今だって私については来ているが、私のノートを決して覗き込んだりはしない。
ずかずかとテリトリーに踏み込んでくる人がされたら嫌そうなことを、案外彼女はやらないものである。その辺りが、過去に私が一度も彼女を邪険にしていない理由なのだろう。
……あの生徒会長とは、全然違う人だ。
「東大寺もっとクライシスだっけ? いやぁ、まさかスズっちみたいなのが生徒会長をたらしこめるだなんて」
「灯台下暗し、でしょ。私は平家か何かなの?
それに
――むしろ私が、これから誑し込まれそうなんだけど……。
今朝の事を思い出してみる。
今朝も昨日と同じように、西宮軍団は同じ場所で待ち構えていた。会長は会長で私にしつこく構ってくるし、副会長には親の仇の様な目で睨まれるし、宇宙人はやって来るしで散々だった。
――けれど、じゃあどうして、私はこんなにも。
こんなにも、あの人の事を考えてしまうのだろう。
「何か分かんないけど、私に興味あるんだって。何かやらかしたのかも」
「へぇー、スズっちがねぇ……」
うんうんと相槌を打ちながら、カレンが自分の席から椅子を持ってきて私の隣に座る。
「だよねぇ。スズっち、モブキャラAみたいな感じだもんね。彼氏とか彼女とかもいなさそうだし」
「いやいや、彼女って……。普通そういう時って、彼氏だけ出すんじゃないの?」
「んー? ウチは女の子同士で付き合ってるのも全然いいと思うよぉ。だって、好きーってなったらもうしょうがないもん。ウチもミオ様のこと大好きだしー?」
「それは恋愛とはまた別でしょ……」
カレンがポケットからチョコレートの箱を取り出して、包装を剥いてひと粒口に入れる。
よく食べる子だ、とノートには書いてある。ミオに言わせれば「食べてる姿が素敵な子」だろうか。
ノートの中に登場するカレンは、大抵いつもお菓子を食べている。
直近だけでもチョコレート、たまごボーロ、飴、ガムなどを食べているが、スナック菓子は持ってこないらしい。彼女曰く「かさばるから」だそうだ。
「一個食べるー?」
「ううん、いい。ありがと」
「このチョコねぇ、カロリー三十パーセントオフなんだって。一個食べれば三十パーだけど、二個食べれば六十パーになって、十個食べれば三百パーオフになるんだよ」
「……そんな恐ろしいチョコなら、ちょっと食べたいかも」
「えへへー、スズっちは怖いと気になっちゃうんだぁ」
はい、とカレンが私の手にチョコレートをひと粒乗せて渡す。
口に含んで転がすと、とろりと溶けた脂が舌の上で広がった。甘さの中にある仄かなカカオの苦さが、じわりと伝わって来る。
確かに美味しいチョコレートだが、これでカロリーがどんどん減っていくのかはよく分からなかった。
――怖いと気になる、か。
生徒会長の事を怖いと感じたことは無い。けれど何か引っかかるものを、昨日の夕方の一件以降、私は彼女に感じていた。
「そいやね、ミオ様に変なのがチョロチョロ付き纏ってるの知ってるー?」
「知ってる。宇宙人のお姫様だよね」
「ん。一年生のルーシーって人らしいんだけど、ウチの友達や後輩ちゃんに訊いてもだーれも知らないんだぁ。
何でも授業とか全然来ないらしくてぇ、運動場にUFO呼んでるとか怪しい宗教にハマってるとか一年では言われてるの」
「UFOねぇ……」
確かにUFOを呼んではいそうだが、信者というよりは教祖ではないだろうか。今朝の宇宙人を見る限りではそういう印象だった。
「ミオ様連れてかれちゃったらどうしよう! あぁーーウチの生き甲斐がぁー! キラキラな王子様が正体不明のエイリアンにィーーッ!」
「朝から大声出さないでよ……」
私の机に突っ伏してぐりぐり顔を押し付けているカレンを見下ろして、私はこめかみを押えながらため息をひとつ零した。
大声がするとお腹の中に居座る怪物にガンガン響いて戻って来そうになる。
――会長の周りにいる人達も、こんな気持ちなんだろうか。
何となく、副会長のことも思い出してみる。
今朝も目から何かビームでも出すのかと思うくらい私のことを睨んでいたが、その時の副会長もこんな気持ちでいたのだろうか。
……いや、多分それほど単純ではないのだろう。何となく、そんな感じがする。
「……まあ、知らないけど」
「んー? 何がー?」
「いや、何でもない。ほらもうすぐホームルームだから、行った行った」
「へいへーい、退散しますよっと」
小さく手を振りながら、カレンが自分の席へと戻っていくのを見送る。
彼女の去った後には、香水とチョコレートの甘い香りだけが残っていた。
始業直前のがやがやとした空気が、教室の中には広がっている。
程なくして担任が教室へと入ってきて、始業のチャイムが鳴り響いた。
【参考文献】
著:レイ・ブラッドベリ 訳:伊藤典夫『華氏451度 新訳版』(早川文庫・2014)
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