Chapter01:Hello/エンプレス(下)

「織原スズカさん、でしたわね」


 宇宙人の襲撃から、少し経った後のこと。


 人気ひとけの無くなった教室に、凛とした声が響き渡った。


 教室に入ってきたのは二人。一人は長い金髪を夕日に燦燦さんさんと煌めかせ、もう一人は垂れ気味な目でじっとめつける様にしてこちらを見ている。


「…………」


 どこかで会ったような気がして、ノートに目を落として探してみる。該当する人物はすぐに見つかった。


 今朝と同じく二人とも腕章が巻いてあったので、金髪の方が西宮生徒会長で、垂れ目の方がサヤカと呼ばれていた副会長だということはすぐに分かった。


 ――……ああ、例の女王様か。


「これはこれは、今朝ぶりの西宮リンダ先輩ではありませんか。本日はお日柄もよく……」


「そういう空々そらぞらしい挨拶が聞きたいわけではなくってよ。今朝と同じ調子で構わないわ」


「さいですか……」


 同じ調子で構わない、と言われると却って困るのが普通ではないだろうか。


 今朝の私はどうしていたのか、とノートの中から探していると、会長が私のノートに視線を落として、少し驚いた様に息を呑んでみせた。


「へぇ、速記文字が書けますのね。書ける方を見たのは初めてよ」


「速記文字?」


「議事録を作る際に、昔使われていた文字ですわ。テープレコーダーの無い時代は手書きで記録する必要がありましたから、簡単に早く書ける文字を使う必要がありましたの」


「そうなんですか。私には汚いノートにしか見えませんけど……というかこれ、後で読めるんですか?」


「大抵の人は速記文字のままだと読めませんから、後で翻訳しますの。ほら、これがEでこれがSで……」


「あの、人のノートをじろじろ見ないで欲しいんですけど」


 少し不快に感じて、私はノートを閉じる。


 速記文字を練習し始めた理由は、勿論早く書けるからである。しかしそれ以上に、人が見ても分からないという理由が大きかった。


 ――初めてだな、速記文字これを読める人に出会ったのは……。


 態度だけ大きい、という訳ではなさそうだった。


「あら、それは失礼を致しましたわ。ごめんなさいね」


 そう言いながらも会長は別段申し訳なさそうな顔もせず、私のノートから半歩ほど下がった。副会長はといえば相変わらずの仏頂面で、私と会長の方を見ている。


「一体どういったご用事なんですか。私もう帰りたいんですけど」


「ふぅん、この時間に帰るという事は、特に部活はやっていらっしゃらないのですね。道理で三年に知ってる方がいない筈ですわ」


「…………」


 にやり、と会長が微笑むのが見えた。女王というより詐欺師の目だった。


 他に例えるなら、肉食獣か猛禽類。獲物を見定めて舌なめずりをする様な、鋭い目が私を見つめている。


 ――こういう目は、あまり好きじゃないな……。


 ミオならきっと、こういう手合いの人にも上手く対処できるのだろう。けれど私は、自分を強く見つめる瞳はあまり好きではない。


 何かを見透かされるような気がして、自分が取るに足らない誰かであることを暴かれてしまいそうな気がして、たまらなく身が竦んでしまうのだ。


「まあ、そう身構えないでくださいまし。責めている訳ではありませんのよ」


 ふ、と会長の眉が開いて穏やかな表情になる。


 副会長へと目配せすると、私の近くの席に二人が座った。


「今日は、貴女とお話しする為に伺いましたの。別に取って食べたりは致しませんから、安心して下さいな」


「そうは言っても……」


 ちらりと副会長の方へと目を遣ると、彼女は私に向かって思いっきりしかめっ面をしてみせた。


 ――この人ずっと不機嫌だな。具合でも悪いんだろうか。


 まるで親の仇を見るかの様な目である。もしかしたら前世でそうだったのかもしれない。私に前世の記憶は無いからただただ困るのだが。


「約一名、今にも私を取って食おうとしている先輩がいるので信用できません」


「ふふふ、ごめんなさいね。サヤカは気難しいところがありますから」


 ――あれは気難しいとかそういう性質たちなんだろうか。


 何だか違う気もするが、話の腰を折っても仕方がないので黙って聞くことにする。


 会長は鼻の頭を触りながら少し考える様な素振りを見せた後、再びぐいっと私の方へと顔を近づけてきた。


 少し冷たい手が私の手に触れて、思わず跳ね上がりそうになった。


「織原さんはあまり自分のことを話したがらないようですし、まずは共通のお友達の話から始めましょうか」


「……共通の、話?」


「ええ、白羽の王子様のお話から始めましょう」


「ああ、ミオの知り合いなんですか」


 ミオの知り合いという事なら、どうやら悪い人という訳でもないのだろう。


 そう私が思うのと同時に、会長の手が私の手をきゅっと握った。少し警戒を解いたからだろうか、触れた時ほど驚きはしなかった。


「失礼を承知で言うならば、貴女は葛木さんの様な手合いとは仲が良い印象はありませんでしたけどね。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものですわ」


「ただの腐れ縁ですよ。学校以外では特に会っていませんし」


「葛木さんは一年の頃から生徒会に、とお誘いしているのですが、中々良いお返事を貰えませんの。心当たりはあります?」


「さぁ、そこまでは興味ないので……。私よりも倉持先輩に聞けばいいと思いますよ。あの人の方がよく知ってしますので」


「あら、案外冷たいですのね」


 倉持先輩はミオの所属している剣道部の部長である。


 剣道のスポーツ推薦で高等部へと飛び入りしてきた有名人で、竹刀一本で男子校へ乗り込んで大暴れしたとか、臨海学校の時に木刀で海を割ったとか変な噂が絶えない。


 ミオがよく話しているので、ノートの中にもその名前はよく出てきていた。


「ところで、くだんの葛木さんはどらちへ?」


「少し前に宇宙人がやってきて、アブダクションされていきました。もう学校にはいないんじゃないですかね」


「うふふふふっ! 織原さんも中々面白い冗談を言うのね!」


 ――冗談を言ったつもりは無かったんだけど。


 まあ、いきなり「宇宙人に連れて行かれた」なんて言えば普通はそういう反応をするものなのだろう。


 何故か副会長だけは訳知り顔で少し納得している様子だった。知り合いなのだろう。もしかしたらこの人も例のビッグブラザー星の住人なのかもしれない。


「その宇宙人さんは、どうして葛木さんと一緒に?」


「さあ、家来にするとか何とか言ってましたけど」


「家来に? 葛木さんを?」


「ええ、異星のプリンセスらしいので」


「へぇ……中々面白い人がこの学校にもいるんですのね」


 そこまで話したところで、会長は一旦話を打ち切り、瞼を閉じて一度深呼吸をした。一瞬だけ、世界から音が消えた様な静寂が辺りに満ちる。


「さて、ここへ来たのは織原さんとお話する為ですが――本題はまだお話ししていませんでしたね」


「……本題?」


「ええ、今朝もお伝えしましたけど……」


 澄んだ宝石の様な、それでいて自信に満ち溢れた強い目が、私を見つめている。


 ――やっぱり、この人は女王なのだろう。


 何となく、この人が女王と感じた所以が分かった気がした。


 その目に捉えられると、人は彼女から逃れることができないのだ。否応なく彼女がトップであると認めさせてしまう様な、不思議な魔力がその瞳にはある。


「貴女の事、絶対諦めないから」


「――――」


 先程までとは違う、刃物で刺す様な鋭い口調。


 少しだけ、ほんの少しだけ、私の心臓はどきんと強く鼓動した。


 それが驚きによるものなのか、恐れによるものなのか、或いは全く別の感情に由来するものなのかは、私には分からない。


 けれど、誰かの言葉に私の身体がこれだけ強く反応したのは初めての出来事だった。


「私にあんなナメた態度取った落とし前は必ず付けさせて貰うわよ。何日かけても何か月かけても、必ず今みたいなスカした顔ができないようにしてあげるから覚悟しなさい」


「いや、私は」


 私は、そういう意図でやった訳ではない。


 そう言葉を継ぐことを、どうやら彼女は許してくれそうにない。例えはぐらかしても逃がしてくれそうにない、という事は、幾ら私でも容易に想像することができた。


「言っておくけど、拒否権は無いのよ。貴女が嫌でも、私は貴女から離れないから」


「……お手柔らかにお願いしますね」


 小さく嘆息しながらそう答えると、会長は小さく頷いて立ち上がった。それに倣って副会長も立ち上がり、二人が私を見下ろす。


「私達も仕事がありますし、今日のところはこれで失礼しますわ。また明日会いましょう」


 気づけば彼女の言葉は、ここへ入ってきた時と同じ穏やかな口調に戻っていた。睨むような鋭い瞳もいつの間にか柔和なものへと変わっており、先程までの出来事は白昼夢だったのではないかとさえ一瞬思えた。


 私の心臓は依然として、音高く鼓動を刻んでいる。


「それではごきげんよう。明日は折り入って、貴女にお話もありますわ」


 小さく手を振って、会長はきびきびと足を動かして教室を出ていく。副会長もそれに続く……と思いきや、まだその場にとどまって私の方を見つめていた。


 すんすんと鼻を動かして、副会長が私を睨みつける。


「本当、貴女って嫌なやつ」


「……それはどうも」


「リンダにこれ以上近寄らないでほしいの。リンダに貴女は必要ないし、第一貴女は――」


「…………」


「……いえ、何でもないわ。とにかく、これ以上周りをチョロチョロしないで。邪魔だから」


「それは私じゃなくて会長に言ってください」


「……貴女、本当に癪に障るわね。名前と顔、覚えたわ」


 ち、と小さく舌打ちをして、足音荒く副会長が教室の出口を目指して早足に歩く。


 出口に辿り着くと、そこで待っていた会長の腕を掴んでそのまま引っ張っていってしまった。


 何か言い合う様な声が廊下の方から時々聞こえたが、何を言っているかまでは聞き取れない。


 再び教室の中へ静寂が戻ってくると、何だかどっと疲れた様に身体が重くなった。柄にもなく気を張っていたらしい。


「はぁ……何が何だか」


 生徒会に対しては全然、これほど変な人たちが集まっているとは思いもしなかった。


 何故私やビッグブラザー星人は電波と言われていて、あの会長は人気者なのだろう。悲しいかな、それが人望の差である。


 しかし私からしてみれば、彼女たちも十分スペースなピープルに思えた。今日はやたらと宇宙からの来訪者が多い日である。


 ――何が何だか分からないけど、学園の女王様に付きまとわれる様になってしまった。


 明日からのことを考えると気が重くなってくるが、起こってしまった事は最早どうしようもない。


 どうにでもなれ、という言葉をぼそりと吐き出して、私は教室を出ていった。

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