第二話: やったら、やり返される




「――剛っち! 衣装の件はどうだったの!?」

「許可は出たよ。みんなで使えってさ」

「ヨシっ!」



 ポニーテールの異世界女子から半ば強引に手を引かれて教室へと戻った直後、真っ向からぶつけられた言葉が、ソレであった。


 一目で、不機嫌であるのが見て取れる形相だ。そして、八つ当たりなのも明白だ。申し訳なさそうに席へと戻る異世界女子に苦笑いを向け……さて、とみっちゃんへと向き直った。


 美人は怒ると怖いとは誰の言葉だったか。


 顔が整っているだけあって、背丈も体格も大きいわけではないみっちゃんのソレに、教室内は静まり返っていた。だいたいの者が、固唾を呑んでいた。


 まあ、それは致し方ない面もある。


 普段から声を荒げるやつなら周囲も慣れるが、基本的に他人に対して笑顔を振りまく事はあっても声を荒げたりはしない、みっちゃんだから、だろう。


 だから、そんな状況で、へらへらと笑っていられるやつ。


 そういうのは、よほどに度胸が据わっているか。

 頭のネジが緩んで取れているか。

 そもそも、状況を理解していないか。

 あるいは……相手を格下と思っているやつか。


 この4つぐらいで……そして、明らかに気分を害して怒りを露わにしているみっちゃんに対して、此度の騒動を引き起こしたそいつ等は……まあ、いい。



(……やっぱり、アイツらか。顔ぶれが変わってねえ……)



 重要なのは、そう、騒動の原因だ。



 ――ちらり、と。



 教室の片隅にて佇んでいる担任の戸嶋先生を見やる。しかし、肝心の戸嶋先生は我関せずな調子で目を瞑り、腕を組んだままジッと静かにしていた。



 ……これは、まだ介入する必要が無い、という意思表示なのだろうか?

 おそらく、そうなのだろう。



 元々、生徒同士のいざこざには相談されない限りは口を挟まないのが、戸嶋先生だ。らしいと言えば、らしいと言える。


 だが、明らかに教室内の空気は悪い。只の言い争いといえばそれまでだが、今回は剛たち現地人と、『異世界人』との言い争いだ。


 異世界人たちも全く話が通じない者たちではないだろうが、全ては向こうの匙加減。


 喧嘩が勃発しかけているのを見て見ぬフリをすれば、異世界側よりどのような沙汰が下されるか分かったものではない。


 それは、戸嶋先生だけでなく、この学校のトップである校長ですら、非常に強く警戒しているはず……なのだが。



(……まあ、俺が考えた所でしょうがないか)



 何にせよ、開催まであと3週間。


 収拾が付かないまま、あ~だこ~だと言い合っている余裕はない。下手すれば、それこそダーツ屋ぐらいしか出来なくなる。


 そう判断した剛は……一つため息を零すと、改めて……騒動の引き金となった、例のグループへ向き直った。



「『夢華屋』からの条件は、『みんなで使え』、だ。誰かを特別扱いは出来ない。1人当たりの時間は短くなるけど、全員で交代しながらだ」



 衣装を貸し出す『夢華屋』の名を出せば納得するだろう……と、思っていた剛ではあったが。



「そんなん、お前が適当に誤魔化しとけば済む話だろ」

「は?」

「マジでどんくせえやつだな。誰もヲタクのキモいコスプレなんて見たくねえって話だろ」



 まさか、納得するどころか屁理屈が飛び出すとは思っていなかった。



 ……。


 ……。


 …………はっ、いかんいかん。



 あまりに理解の及ばない言い分に、少しばかり意識が飛んでいた。人は本当に唖然とした時、ソレを記憶する事が出来ない事を剛は知った。



 ……落ち着け。



 何度も、剛は己に言い聞かせる。無意識の内に瞬かせていた目を両手で覆い隠し、大きく……深呼吸。時間にして数秒ほどではあったが……効果は有った。



「……あのな、そんな幼稚園児みたいなワガママを本気で言っているのか、お前?」

「は? お前ってなに?」

「俺がどうして嘘付いてまでお前らのワガママ聞く必要があるんだ? 文句があるんなら、お前から『夢華屋』に言えばいいだろ」

「…………」

「何なら、許可貰えたら直通の番号も教える。俺は、『夢華屋』から言われた事をやるだけだ。意見を通したいなら、そっちに言え」



 はっきりと、告げる。



「それも嫌なら、いっそのこと参加しないでくれ。こっちとしても、文句とワガママで足を引っ張るだけのリア充の面倒を見たくはないんだ」



 それは、正真正銘の嘘偽り無い剛の本音であった。


 そう、剛は何も意地悪で言っているわけではない。事実として、剛が出来るのは指示を聞いて伝えるだけの仲介役。剛の方から何か物を言える立場ではない。


 それを、剛は最初から言っている。はっきりと、自分は意見できる立場ではない、と。


 それを信じるかどうかは、個人の自由だ。剛とて強制出来る立場ではないし、信じないでいるのは相手の自由だと思っている。


 同時に、俺は信じていないからヤレば出来るだろう……なんて甘えた考えも、当然ながら通らない。


 悪態を付こうが何を言おうが、出来ないモノは出来ない。


 それでも通したければ『てめぇが言え』な話であって、剛はそんなやつらの為に動こうとは欠片も考えてはいなかった。



「…………」

「……俺からは、以上だ」



 だから、一瞬ばかり真顔になった彼らの顔を見ても、剛は何の罪悪感も抱かなかった。


 明らかに気分を害しているのが見て取れたが、剛とて彼らの態度に気分を害している。中途半端に上から目線でやられるぐらいなら、最後まで大人しくしていてくれた方が良いのだ。



 そんな、剛の内心がこもった視線に……気付いたのか、気付いていないのか。



 真顔のままに剛を見ていた彼らは、しばしの間、無言を続けた後……互いの顔を見合わせてから大きくため息を吐くと、のそりと席を立った。


 そのまま、気怠そうに廊下へ出ようとする……そうか、そこまで嫌か。


 剛としては、クラスメイトの彼らの参加を嫌がっているわけではなく、無茶苦茶を押し通そうとする様が嫌だったのだが……まあ、仕方がない。



 ――人数は減るけど、何とか工面してやるしかないか。



 結果的には厳しくなった人員事情に剛は内心にて溜息を零すと、みっちゃんへと視線を向ける。


 今のやり取りを見て冷静になったみっちゃんは、少しばかり気まずそうに剛を見やり――瞬間、ふわっと目を見開い――でっ



 ――がつん、と。



 固いナニカが、頬に当たった。グランと視界が揺れたかと思えば、一拍遅れて、ごつん、と頭と身体が冷たいナニカに当たった。



 …………え?



 何が起きたのか、剛は状況を理解出来なかった。つーん、と頬から全身に広がり始めた鋭い痛みのせいか、視界がぐらりと歪んでいる。


 その視界の中で、呆気に取られているみっちゃんの姿。ゆっくりと振り返れば、同じくポカンと大口を開けているクラスメイトたち。



 ――すんませ~ん、手が滑っちゃっただけなんで~。



 そして、ヘラヘラと笑いながらも剛へ……ではなく、片隅でこちらを見ている戸嶋先生に頭を下げている……先ほど悪態を付いた男。


 その男に続いて、こいつも反省してるんで~と、戸嶋先生に頭を下げるソイツの連れ。まあ、クラスメイトだ。


 もう、気を付けなよ~、と茶化すようにソイツをたしなめる、女子が二人。こっちも、両方ともクラスメイト。


 何が起こったのか……考えるまでもない。頬の痛みと、ぷらぷらと手を振るその姿と、今にもブチ切れんばかりに顔を強張らせた番町の姿が……全てを、物語っていた。



 ――俺って殴られ――っ。



 そこまで思考が動いた時点で、剛はキレた。


 口の中に広がる鉄臭い味、唇を伝う生暖かい粘液、ジクジクと芯から響き始めた痛み。


 それら全て意識の彼方に吹っ飛ばした剛は――次の瞬間にはもう、固く握りしめた拳を振り上げていた。



 ――この時。そう、この瞬間。



 実は、一つだけ……殴った張本人やその仲間も、殴られた剛自身も想定していなかった要素が一つあった。


 それは、剛の身体能力だ。それも、回復薬によって底上げされた、今の剛の身体能力だ。


 ……と、いうのも、だ。


 良いか悪いかは別として、剛はこれまで殴り合いの喧嘩などした事が無い。また、中学のアレが原因で、部活にも入っていなかった。


 だから、普通に考えれば剛の動きは速くはない。


 少なくとも、人を殴った直後に平然と笑える程度には暴力の行使に慣れている者たちからすれば、剛が怒って殴り返しに来ても……返り討ちは簡単だと思っていた。


 しかし、実際はそうならなかった。


 用途も目的も違うが、筋肉は筋肉だ。実時間1ヵ月強とはいえ、実質210日間もの間トレーニングを続けたに等しい身体は、以前よりもずっと素早かった。


 故に……想定以上に速く迫る拳を前に、殴った張本人がようやくソレに気付いた時にはもう、遅い。


 彼の危機意識が追い付いたのは、がつん、と鈍い音を立てて、剛の拳が相手の横面を殴った後であった。


 体格や経験値の差はあるが、片や不意を突かれ、片やキレて理性が飛んでいる。


 生じていた差は埋まり、彼はぶふっと鼻血と唾を飛ばして――どたん、と仰向けに転がった。



「――てめえ!」



 一拍遅れて、我に返ったソイツの連れが剛へと殴りかかる。


 当然――反撃など、剛には出来ない。


 相手の方が体格は上だし、何より今のは不意を突いたおかげだ。辛うじて拳はガード出来たが、追撃の蹴りは腹部に当たり……こほっ、と息が詰まった。


 そのまま――いや、無理だった。


 何故なら、それよりも早く、ブチ切れた番町の拳がソイツの顔面を捉えたからだ。


 ……手を出したのは剛に殴り返された男が先だった。だが、可愛そうなのは……番町に殴られた、そいつの連れだろう。



 何せ、パワーの桁が違う。



 元々、番町は体格が良い。それに加え、剛と同じく実質210日間の集中トレーニング。搭載されたエンジンが、違う。同じく放たれた拳でも、破壊力が違う。


 剛の拳では鼻血を噴く程度でも、番町の拳だと……歯が砕け、2本飛び散る。鼻血も勢いよく噴き出すし、どつん、と音が違う。


 素人の耳でも重さが違うのだと分かるソレをまともに食らったソイツは……ふらふらとたたらを踏んだかと思えば、そのまま尻餅をついて……気絶した。



 ……。


 ……。


 …………沈黙が、教室内に広がった。



 突然の結末に、ポカンと呆気に取られている剛。


 やっちまったと、少しばかり顔色を悪くしている番町。


 連れの男がやられて、身体を硬直させている女子2人。


 怒涛の流れに思考が追い付かず、呆然とするしかないクラスメイト。


 辛うじて気絶はしていないが、ぐらぐらと頭が揺れている男。


 ピクリともせず、座り込んだまま沈黙している男。



 ほんの5分前まではまだ平穏だったのに、いったい何がどう歯車がずれ合って、こうなったのか……誰もが、上手く状況を呑み込めずにいた。



「――喧嘩両成敗だな」



 そんな中、ある意味では空気を呼んだのだろう。


 ポツリと響いた……戸嶋先生の呟きに、誰もがハッと我に返って――担任へと視線を向けた。



「最初に話していただろう。今年の文化祭は、異世界のやり方でやる。生徒たちの自主性に、私たち教師は手伝いこそするが、ほとんど口を出さない」

「それこそ、殴り合いになろうとも止めはしない。さすがに、命に係わる一線を明確に越えようとしたら止めに入るが……それまでは、君たち生徒たち同士で解決しなければならない」

「……分かるな? これは、私の独断じゃない。『異世界側』が、そうしろと命令したんだ」

「だから、今みたいに殴り合いの喧嘩になっても、期間中ならば内々で処理はしない。あまりに酷ければ警察を呼ぶし、救急車だって呼ぶ。そう、こんなふうに……」



 ……そうして、集まった視線の中で……戸嶋先生は、深々とため息を零すと……ポケットから取り出した業務用のPHSで連絡を取り始めた。


 連絡先は……救急であった。


 保健師ではなく、いきなり救急車を呼ぶ。迅速といえば迅速だが、学校では中々見られない対応に、誰もがポカンとした顔で戸嶋先生を見つめた。



「……幼稚園児同士の喧嘩じゃないんだ。男子高校生が本気で殴り合ったら、そりゃあもう大人が殴り合うようなものだ」



 だが、そんな彼ら彼女らに対して……戸嶋先生の言い分は、御もっともな内容であった。



「言っておくが、私たち教師を仲間にしようとしても無駄だぞ。さっきも言ったが、私たちはあくまでも文化祭の協力や手伝いはやれるが、生徒間のいざこざには口を挟まない。そう、厳命されているからな」



 ――ジロリ、と。


 戸嶋先生の視線が……番町に殴られて気絶している男子(というか、己が担当している生徒だが……)を見つめる。


 そこには、生徒を案じるような……そんな優しさは無い。だが、同時に……剛たちに対しても、優しさは無い。


 どちらに対しても優しさは無いが、発端となった生徒に向ける視線には……そう、特に冷たい。


 まるで、後先考えない馬鹿が馬鹿な事をやって馬鹿な結果になった、その馬鹿の尻拭いに駆り出された者の視線……戸嶋先生が向けたのは、そんな眼差しであった。



「……んれらよ」

「ん?」

「らからって、ほほまではうひうようないらろ……」

「返り討ちにされただけだ。それとも、自分たちは良くて、相手がやるのは駄目だと思っていたのか?」

「…………」

「何度も言うが、これが逆だったとしても私たちは何も言わない。喧嘩を売って、買われて、返り討ちにあった。これは、ただそれだけの事なんだ……いいかげん、ちゃんと考えて理解しなさい」



 ポツリと零した、剛に殴り返された男子の反論。


 当たり所が悪かったのか、口内が切れて痛いのか、舌がもつれて呂律が上手く回っていない。


 でも、言いたい事は聞き取れる。


 それは、反論というにはあまりに一方的で……故に、戸嶋先生より放たれる言葉もまた冷たく……何処までも厳しかった。


 そして、忠告であり本気なのだと……誰もが、言われずとも察したのであった。


 ……。


 ……。


 …………そうして、少しの間を置いた後。



「大戸(番町の苗字)、君も救急車が来たら一緒に行きなさい」

「え、いや、俺は別に殴られては……」

「違う、殴った手だ。今はまだ気が高ぶっているから感覚が鈍くなっているだけで、ヒビが入っていても不思議じゃない」

「そんな大げさな……」

「大げさなものか。今は平気でも、家に帰った頃に痛み出すぞ。そのまま3日ぐらい痛みが続いて、我慢出来なくなって病院行ったら骨にヒビだの何だの医者から小言食らう事になる。それが嫌なら、一緒に乗って行くべきだ」

「……先生、やけに具体的っすね」



 そうして……誰も彼もが、当事者である剛や番町たちですら、怒涛の状況の変化に追い付けないまま……わずか5分後に、救急車のサイレンが外から聞こえて来て。



 ――ものの20分後には救急車に乗り込み、学校を後にしていた。



 こうして……文化祭準備期間の初日。



 貴重な3週間の内の1日は、出し物を決定し、使用する衣装の用意が決まり、負傷者4名(その内、番町は指を軽く痛めただけだが)を出して……終わった。



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