文化祭もまた青春
第一話: どうして?(現場猫感)
――異世界人に接すると嫌でも思い知らされるのは、科学力の差である。
各国が持つ軍事力ではまるで歯が立たず、最大の戦力を持つアメリカも勝てなかった。ならばと、世界の総力を結集して挑んでもなお、手傷を負わせる事すら出来なかった。
例えるなら、現代兵器で武装し練度を高めた軍隊と、石の斧で武装した寄せ集めの部隊ぐらいの差が、そこにはあった。一切合財、徹底的な敗北で終わった。
しかし、今もなお、それを受け入れられない一般市民が居る。それは、何故か……答えは、一つ。
それは、異世界人が敗戦国(この場合、敗戦世界?)に対して非常に紳士的な振る舞いに終始したからだ。
戦争の勝敗の果てにおいては当たり前の、敗戦国に対する人権無視の狼藉三昧。それを、異世界人はしなかった。
もちろん、絶対的な命令権(又の名を、特権)を有し、言葉一つで法を捻じ曲げ、気分一つで100人でも1000人でも投獄させられるし、それが許される立場なのは変わらない。
だが……異世界人たちは、それを無秩序に行使したりはしなかった。気紛れ一つで男をリンチし、女を囲んでレイプなんて事も厳重に禁止した。
あくまでも、異世界人たちが容赦しないのは、自ら戦った軍人(あるいは、敵対勢力)や、異世界側への攻撃や妨害を行った者に対してのみ。
個々人の嫌悪感や思想に関する敵対行為……内心の自由に関しては人類側が驚くぐらいに寛容で、ビラやネットで罵詈雑言をばら撒こうが気にも留めなかったのである。
つまりは、だ。
仲間を集めてレジスタンス的な行為や行動を取ろうモノなら徹底的に壊滅する。老若男女の区別なく、アウトだと判定されたら即死刑。
けれども、そういった意図は無く、只々異世界人に対して罵詈雑言を吐くのは見て見ぬフリ。居酒屋で愚痴を吐いている程度の感覚でしか捉えていないのだろう。
それに、異世界人たちは戦争で勝利した後も、一般市民に悪影響が及ぶような事を極力避けていた。もちろん、全てが全てそうではないけれども、そのような実感を得た者は大勢いた。
『いつの間にか戦争が始まって、いつの間にか終わっていた。まるで、寝る前に戦争が始まるとニュースで流れ、朝起きたら戦争が終わったとニュースで流れたかのようだ』
そう、揶揄する者が居るぐらいなのだ。
家族や親戚や友人などに自衛隊や軍人や警察が居ない者たちからすれば、気付けば戦争に負けていて、気付けば異世界人が上に立っていた……そんな感覚で居るのも、何ら不思議ではないのであった。
……。
……。
…………とはいえ、だ。
異世界人は無知に寛容ではあるが、無条件に許すわけではない。異世界人には異世界人なりの基準があって、それに触れない限りは放って置かれていた。
だからこそ……勘違いする者が出ても、致し方なかったのかもしれない。
軍人や政治家などに対しては苛烈であっても、一般市民……いわゆる、権力を有さない者たちに対しては、紳士的な振る舞いをするのだ……と。
……少しばかり月日は流れ、暦は11月半ば。
かれこれ毎日『キーコくん』をこぎ続けている剛(と、番町たち)だが、思いの外、体調を崩すことなく続ける事が出来ていた。
その理由……剛は、例の回復薬だろうと踏んでいた。
みっちゃんたちが話していた通り、『補助回復薬』なるソレは、凄かった。誇張抜きで、一度として筋肉痛などに悩んでいない。
いや、それどころか……むしろ、逆だ。
明らかに……そう、目に見えて体つき(特に、下半身)が変わってきた。具体的には、脂肪が減って筋肉が増えた。
特に顕著なのが、太ももより下だ。
始めてから1ヵ月ぐらいだというのに、薄らと太ももやふくらはぎに筋が入り始めていたのだ。
おそらく……というか、間違いなく『キーコくん』と回復薬の相乗効果だろう。
事実として、『キーコくん』と名が付いたエアロバイクもどきを毎日数十キロこぎ続けているのだ。それも、途中で何度か姿勢を変えたりしながら。
ぜえぜえ、はあはあ、体力を絞りに絞り出して、終わる頃にはヘトヘトを通り越してフラフラ。
途中、疲労を残さず回復をアシストという名目で、紅亜たちより渡されるのは多種多様な補給食。アミノ酸を始めとして、筋肉の成長に必須の各種ビタミン。
回復薬のおかげで筋肉痛こそ起きなかったが、夕食を食べて風呂に入り、9時には就寝して……翌朝まで全く起きない生活が1ヵ月続いた。
……常識的に考えれば、そんな短期間で目に見える変化など早々起こらない。
肥満体の者が痩せるといった場合はあり得る。だが、個人差こそあるが、筋肉が形成される速度は微々たるモノであり、どれだけ効率的であっても、相当に時間を必要とする。
しかし……『補助回復薬』という異世界の科学力が、不可能を可能にした。
理屈としては、1週間掛けて行われる、筋肉の破壊と再生のサイクル(トレーニングと休養のサイクル)を、たった1日に縮めたのだ。
牛乳等に混ぜないと飲めたモンじゃないという重大な欠点はあるが、言い換えれば、牛乳と混ぜることで、必要な栄養素……タンパク質などを一緒に摂取したも同じ事。
加えて、毎回同じ味だと辛いだろうからという紅亜たちの優しさから、蜂蜜やフルーツを混ぜたりなどの工夫もなされた。
……混ぜる牛乳の量を半端にすると、途端に難易度が増す。
なので、必然的に量を取らざるを得なくなるが……幸か不幸か、回復薬は消化吸収に関しても補助する効能があったようだ。
つまり、回復薬を飲みながら1ヵ月強……約30日。実質、210日間以上もの効率的なトレーニングを積み重ねたのと同じ状況になっていたわけで。
図ったわけではないが、結果的に剛の身体はたった1ヵ月強の間に、『あれ、ちょっと逞しくなった?』と両親から言われるぐらいの変化が起こったのであった。
……もちろん、変化は剛だけではない。
当然、同じように協力して頑張っていたクラスメイトたちにも同様の事が起こった。いや、それどころか、話を聞きつけて協力してくれていた他のクラスの者たちも、同じ変化が起こった。
……まあ、その中でも、だ。
見た目がほとんど変化していない鬼瓦秀一(通称:実写版男の娘)という例外はあるが……それでも、剛の変化など全体で見れば平均的であった。
特に著しく見た目が変わったのは、痩せてはいるが体格に恵まれた者だ。もはや別人と称されるぐらいに見た目が変わった者もいた。
もちろん、太っていた者も同様の変化が起こっており……こう言っては何だが、クラスの雰囲気が以前とは少し変わり始めているのを、誰もが薄らと感じ取っていた。
……。
……。
…………だからこそ。
そう、だからこそ、起こるべくして起こる問題が……剛のクラスでも、起ころうとしていた。
――その日、剛たちのクラスでは、文化祭で行う出し物に付いての会議が放課後のHRにて行われていた。
文化祭が行われるのは、12月の第1週の金曜日。
すなわち、準備期間が3週間ぐらいしかなく、かなりの急ピッチで事に当たらなければならないタイムスケジュールとなっていた。
言っておくが、剛たちだけがそうなっているわけではない。今年に限り、全学年がそのような形になってしまったのだ。
これを、遅いと見るべきか、早いと見るべきか。
その判断は分かれそうだが、たった3週間しか猶予がない理由は……単に、異世界人たちの編入による影響であった。
とはいえ、その責任を当の異世界人……未成年である彼女たちに押し付けるのは違う。また、急な編入への対応に当たった教師を責めるのも違う。
結局は、小さな余分の積み重ねが続いた結果だ。
誰が悪いわけでもなく、強いて原因を挙げるのならば、両方がちょっとずつ悪い……その果てが、此度のきついスケジュールに至ったワケであった。
「――そんじゃあ、さっさと決めて取り掛かりたいからジャンジャン意見だしてね」
カリカリ、と。
黒板に記した『出し物候補』、手を叩きながらチョークを払ったみっちゃんは、クラスメイトを見回しながら、朗らかな笑顔でそう告げた。
……準備期間は3週間。
各自部活動や諸事情が有るから、全員が準備に取り組めるわけではない。というか、文系の活動をやっている者はそちらに手を取られるから、余計に人員は減る。
なので、やれる事は非常に少なく……意見を出せとは言っても実質、ほとんど選択肢は無いに等しかった。
「お化け屋敷!」
「よし、お化け屋敷、脅かすのも脅かされるのも得意だよ」
「大きな看板作ったら?」
「毎年やってるやつね、やるなら派手なやつにしよっか」
「困った時の新聞とか?」
「新聞部が有るのに? だったら変わり種を作らないとね」
「水着で喫茶とかは?」
「いいねえ水着、あたいってばお尻の形に自信あるってばよ」
「ダーツとか、そういうのは?」
「手っ取り早いけど、針で怪我しないように注意しないとね」
とはいえ、始めから出来ないと思って何も言わない……というのは、一番の間違いだ。
明らかに無理であっても、とりあえず意見は出す。×印を付けて却下するにしても、まずは出して貰わないと話が進まない。
いつの間にかクラス委員長みたいな立ち位置に付いているみっちゃんも、それが分かっているのだろう。
傍目にもふざけ半分に出された案だと分かるモノでも、みっちゃんは絶対に否定しなかった。むしろ、どれにも乗り気な反応を見せた。
それ故なのかは不明だが、ノリの良いみっちゃんの姿に、気付けば誰もがワイワイと意見を出し合っていた。
……ちなみに、喫茶の案が出た理由は、異世界女子たちが関係している。
簡潔に理由をまとめれば、異世界の法律では飲食店の出し物OKなので、こっちでもソレが適用されたのだ。
進んだ科学力のおかげで、向こうでは食中毒の危険性は限りなく0に近い。なので、みっちゃん達が暮らしていた異世界では、学校の文化祭などで飲食店を出すのは良くある事なのであった。
おまけに……異世界では、文化祭などの出し物に関して、幾らか『異世界側』より予算が降りるまで来た。
どうも、生徒たちの自主性……すなわち、決められた予算を使い、能力差が有る人員をやりくりして、如何に個性を出すかという部分に対して理解が深く、一度はそういった事も経験してみろ……というのが、異世界の基本的な教育方針のようであった。
だからこそ、生徒たちの意見も多種多様となった……まあ、当然だろう。
誰だって、如何に無難に済ませるかを考えるよりも、定められた予算で無理難題を達成しろと言われるよりも。
定められた予算を使って、好きな様にやれるだけヤレと言われた方が、まだ、やる気が出る。
決定権の全てが生徒側に有るのだ。実現性の有無は別として、生徒たちのやる気が上がるのは……必然の結果であった。
「――それじゃあ、案も粗方出尽くしたし……こっからは削除ターイム!」
そうして、ものの15分程で時間を閉め切った後。
みっちゃんは、そんな掛け声と共に……キィーっ、と。出された『案』を、上から横線でスパッと切ってしまった。
これは、単純に3週間の間では実現不可能な『案』を却下しているだけだ。あるいは、設備の準備だけで予算を使い切るようなやつ。
なので、一切の躊躇なくバッサリ横線で消される。案を出した人から「えー!?」声は上がるが、誰も本気ではいなかった。
何せ却下されるのは、『本格クレープ屋』とか、『マッサージ屋』とか、案を出した当人ですら無理だろうと思っていたモノばかり。
クレープ屋は機材もそうだが作り方を分かっておらず、マッサージ屋に至っては下手に素人がやると危険だからという最もな理屈を出されれば、何も言えなかった。
他にも、色々な『案』が削除された。
予算は掛からないが準備に時間が掛かり過ぎるモノ。全員が無理をすれば間に合うが、間に合わない可能性が非常に高いモノ。
予算も準備期間も十分だけど、反対が相次いだモノ。これは『劇』や『展示』等に関してで、文系の部活が有るから……というモノ。
同じく共に十分だが、季節柄心身への負担が大きく、文化祭後に風邪などを引いてしまう可能性が有るモノ……等々。
そんなこんなで、削除された後に綺麗にされた後……スッキリと、その姿を残したのは。
『中世風居酒屋(偽)』
『和風喫茶』
という、イロモノとしか言い表しようがない、その2つであった。
……。
……。
…………いや、まあ、なんだ。
本当にどうしてソレが残ったのかと誰もが首を傾げ、結果的にソレを残したみっちゃんですら、「……?」心底不思議そうに首を傾げた。
まあ……ダーツとかやりやすそうなモノは、『何かありきたりで……』といった感じで却下していった結果だから、順当と言えば順当……なのだろうか。
しかし――結果は結果だ。何であれ、その2つが残った。
やろうと思えば、両方とも出来なくはない。
『中世風居酒屋(偽)』の方は名前にこそ酒の文字が付いているが、あくまでもそれっぽい雰囲気の出店である。酒ではなく、出すのは炭酸ジュースだ。
そして、『和風喫茶』も同様。こちらも和風とは名が付いているが出すのなんてスーパー等で買った物や一部手作り菓子を出す程度のモノ。
どちらも難易度が高そうだけれども、手を抜こうと思えば幾らでも手を抜ける部分は出せる。
言うなれば、セットを用意して衣装を着るだけでもそれっぽくなる。そう、本当に手短に済ませようと思うなら、たったそれだけで良い。
儲けは度外視だし、プロのようにやるわけでもない。加えて、客なんて実質身内みたいなモノで、誰もそこまで求めているわけじゃない。
なので、この2つから選ぼう……と、なったわけなのだが。
「とりあえず……衣装に関しては剛っちから『夢華屋』に頼めばだいたい用意出来るから、いいとして」
「え?」
「問題なのは……私を含めて数名、和風喫茶だとウェイトレスをやれないのが出てくるんだよね……」
何やら勝手に納得しているみっちゃん……いきなり名指しされた剛は……困惑に目を瞬かせた。
そして、それはクラスメイトも同様で……例外なのは、みっちゃんたち編入女子だけで、彼女たちだけは分かる分かると頷いていた。
……ちなみに、既にクラスメイトたちの間には、剛が『夢華屋』という名の風俗店のオーナーを務めている事は周知されている。
これは特に隠す必要が(そもそも、隠せられない)無かったので、みっちゃん達を通じて気付けば広まっていたのだが……まあ、そこはいい。
その事で剛をからかう=異世界人を小馬鹿にするという方程式が成り立つのは、少し頭が働けば誰でも分かる事だから、今のところは誰もが見て見ぬフリをしている……で、だ。
とりあえず、剛を通じて『夢華屋』から衣装を借りる事が出来る……それだけは、当人の剛だけでなくクラスメイトもすぐに察せられた。
けれども、その後の……和風喫茶では数名の女子がウェイトレスをやれないというのは、どういう意味なのだろうか?
「……あ~、うん、みっちゃん」
「なに?」
「ウェイトレスやれないって、どういう意味?」
何故か集まる視線に屈っした剛が率直に尋ねれば。
「純粋に、私の体型だと着物は厳しいんだよね。帯にシワ防止の下敷き入れるのもそうだし、体型補正の為のタオル何枚も巻かないと駄目だし、ベルトで固定しないと駄目な場合もあるし……ぶっちゃけ、給仕とかそういうの無理になる」
身も蓋もない理由が、みっちゃんの口から飛び出した。というか、着物に関して色々と詳しいのは……話を戻そう。
あまりに明け透けなソレに、「お、おう、そうか……」尋ねた剛もそれ以上何も言えず……自然と、その胸(というか、全身)に視線が向いた。
……確かに、大きい。
制服なので外からは分かり難いが、それでも大きいと分かるぐらいなのだ。本人は尻の形がどうとかサラッと零していたが、胸も大概なサイズである。
というか、編入女子たちはだいたい大きい。もちろん、中には小さい子もいるが、剛のクラスに居る異世界女子5人は全員大きい。
で、その当人というか、代表的な立場みたいになっているみっちゃんが厳しいと言う辺り……本当に駄目なのだろう。
……と、なれば、残されるのは『中世風居酒屋(偽)』なのだが。胸のサイズがネックなら、そっちも場合によっては駄目なのでは……そう、剛が尋ねてみれば。
「あ、それは大丈夫。だって、それっぽい恰好すればおおよそ納得してもらえるから。中世の給仕服って聞かれて、剛っちは具体的なイメージ持てる?」
「いや、それは……こう、ゲームとかのイメージが……」
「そういう事だよ。日本人相手に着物だと通じないけど、数百年前の他所の国の給仕服なんて、だいたいの人はそういうもんだって納得するから、それで押し切っちゃえばOK」
「あ、なるほど」
言われて、剛は納得した。というか、話を聞いていたクラスメイトたちも全員納得した。
確かに、そっちに詳しい人でない限り、だいたいはうろ覚えだ。着物のように見覚えのある人が多い衣装ならまだしも、外国の衣装ともなれば、詳しく知っている人の方が稀だろう。
……とまあ、そんなわけで、だ。
会議を始めて30分後に出し物も決まり、後は役割分担を決める。これに関しては給仕も受け付けも分担してやるから、セットをどのようにしようか……という話になったのだが。
「剛っちは『夢華屋』に連絡しといて。2つ返事でOKくれると思うけど、やっぱり連絡待ちしていると思うから」
みっちゃんよりそう言われた剛は、教室を出る。
放課後ではあるが、HRの最中。教師が居る前で電話をするのも……と、担任の戸嶋先生(実は、教室の隅に居た)より視線で訴えられたので、剛は静な場所を求めて……と。
――ぴろん、と。
メールの着信音がスマホからした。
誰からだと思ってみたら、『女王』の文字。
驚いてメールを開けば、件名には『準備万端!』。
文面には、『無礼講、貸出OK、みんなで自由に使って良し!』
そして、多種多様な衣装がぎっしりと詰め来られた……おそらくは、『夢華屋:日本支店』のドレスルームと思われる部屋の画像であった。
……。
……。
…………あの人、誇張抜きでリアルタイムでの監視を行っているのだろうか。
幾らなんでも、早過ぎる。
決まったのだって、ほんの少し前の事だというのに……考えると恐ろしくなるが、悩んだところで解決するわけもない。
とりあえず、当初の目的である衣装関係の許可は貰えたのだ。それで、ひとまずは良しとしよう――ん?
「紅亜さん?」
「……HRは終わりましたか?」
何時の間に、来ていたのだろうか。
教室に戻ろうと振り返ったその先に、紅亜が立っていた。
何時もなら目と目が合った途端に駆け寄ってくるのだが、今回はそうではない。というか、どうも……手持無沙汰というか、迷っているような素振りが……?
普段と違う剛は困惑に首を傾げたが、しばし見つめていると……何やら迷いが晴れたのか、次第に表情が明るくなり……何時ものように、傍まで来た。
「どうしたの?」
「だって、スマホ見た途端に凄い顔をしたから……大事でも起こったのかな……って」
尋ねれば、そんな返事をされた。
……凄い顔?
思わず、剛は己の頬を摩る。途端、紅亜はフフッと笑みを零した……いや、まあ、そりゃあ笑うよね。
でも、それも仕方ないと剛は思う。
一歩間違えればストーカー認定……いや、実質ストーカー以上。身体を洗う順番すら把握しているのではと思ってしまうような勢いで行動を先読みされれば、剛でなくとも頬が引きつるだろう。
「……あの、何を見ていたんですか?」
「女王さんからのメール。衣装諸々自由に使っていいって連絡が来たんだ」
「……? 何で、女王から?」
紅亜から率直に理由を尋ねられた剛は、同じく率直に答えた。ついでに、どうしてメールが来る事になったのか、その理由も紅亜に話した。
すると……紅亜は何とも呆れた様子で納得した。曰く、「向こうでも、あの人の破天荒は有名なんですよ」との事。
まあ、確かに……言葉通り世界が異なるこっちですら、姿を見せる度にあれほど自由気ままに振る舞っているのだ。
これが最も権力の及ぶ向こうなら、いったいどのような無茶振りを周囲に振りまき、己のような立場の者を生み出しているのか……想像するだけで、剛は乾いた笑みを零した。
――ぴろりん。
と、不意に再びメールの着信音が響いた。
相手は先ほどと同じく『女王』から。今度は何だと首を傾げながらもメールボックスを開けば、『こういうのもあるよ!』と件名が表示された。
……もしかして、選ぶの楽しんでる?
歳の離れた弟の衣服を選んでいる感覚なのだろうか……?
何となくそう思った剛は、妙な気恥ずかしさを覚えながらも……特に思う事なく、届いたファイルを開いた――瞬間、えほっ、と咳き込んだ。
何故なら――画面に表示されたのは、官能的な下着姿の女王であったからだ。
いや、それはもはや下着ではない。本来であれば最も隠さなければならない乳首や股の……そこだけが剥き出しになっている、下着の役目を果たしていない下着。
切り抜いたのではない。初めから、ソコが剥き出しになるように設計された……明らかに、日常的に使用する類ではないエロ下着であった。
「あっ――」
驚きのあまり、手からスマホが滑り落ちた――のを、素早い動きで紅亜がキャッチした。
途端、剛はスマホが落ちなかった嬉しさよりも、これから起こる事に顔色を青ざめた。誰だって、青ざめる
待って――そう、言おうとした時にはもう、遅かった。
くるりと手首を捻って画面を確認した紅亜は、瞬間――軽く目を見開いた後……キリッと目じりを吊り上げた。
だが……それだけであった。
無言のままに返されたスマホを受け取った剛は、とりあえずポケットに仕舞う。そして、見上げてくる紅亜の視線に……耐えきれなくなった剛は、彼女から視線を逸らした。
……き、気まずい。
そりゃあ、そうだろう。常識的に考えなくても、恥ずかしい。言い訳しようにも、この場での言い訳はどう足掻いても悪手でしかない。
それに、紅亜はハッキリと好意を示している異性だ。だからこそ、下手な言い訳はなお悪い。
事実だけを考えるのであれば、恋人同士ではないから何の問題も無いのだろうが……咎められているような気がして……剛は、紅亜の顔を見る事が出来なかった。
――ぴろりん。
と、思っていたら、また着信音。
しかし、悲しいかな先ほどとは状況が違う。そして、紅亜自身も無意識にそうして……いや、分かっていてやったのだろう。
他人のスマホとはいえ、アイコンの位置や操作のやり方は基本的に似たような作りになっている。故に、パパッと画面の上を滑る指先が……あっという間に、届いたメールを開いていた。
……そうして現れたのは、屈んで乳房を露わにしている『夢華嬢』たちの姿であった。
わざと、胸が大きく見えやすい角度で撮ったのだろう。明らかに悪戯でやっているのが分かる、してやったりな笑顔。
そして、たわわに垂れ下がった乳房に張られた、様々な模様のシール。ご丁寧に、『注目!』とまで文字で書かれている。
……つまり、乳房にシールを張った上半身裸の5人の美女が、紅亜(あと、剛にも)に向かってピースサインをしていた。
「……」
「……」
「……はい、どうぞ」
「……あ、うん、ありがとう」
先ほどより明らかに低くなった声色に、少しばかり腰が引けながらもスマホを受け取る――っと!?
アッと思った時にはもう、紅亜の腕が剛の背中に回っていた。
もはや、反射的に香る紅亜の甘い匂い。突然の事にビクッと背筋を震わせて停止する剛を他所に、回された腕に……力が入った。
当然、そうなれば密着度は増す。当たり前だが、女性である紅亜が抱き着けば……真っ先に密着するモノが、2つ。
――どむん、と。
思いの外……そう、思いの外しっかりとした弾力が己の身体にぶち当たった事を認識した剛は……ぎくりと、身体を硬直させた。
――これは制服とブラが当たっただけ。
何故か、剛はそう己に言い訳をしていた。理由は剛自身分からなかったが、目と鼻の先に迫る紅亜の体温を受けて、反射的にそう思った。
だが、同時に……いや、実の所は他の男子と同じく血気盛んな年頃である剛は、瞬時にアナライズを行ってしまう。
――育っている弾力 - (制服の分厚さ+ブラの硬さ) = 弾力の戦闘力
この図式で考えれば、戦闘力が弱ければ最初に感じ取るのは制服の厚さで、次に弾力……だが、コレは違う。
最初に、弾力が来た。確かな、存在感だ。
もちろん、硬さも感じたが、それらを軽く上回る戦闘力の前では、制服など何のフィルターにも……いや、いやいや、そうじゃない。
(……い、意外と大きい?)
ここが何処だかも忘却の彼方に追いやっている剛を尻目に、どむん、どむん、どむん、押しては引く潮の如く、何度も何度も押しつけられ――っと。
不意に――紅亜が離れた。合わせて、ハッと我に返った剛が、紅亜へと向き直れば。
「私だって……負けてないですから」
当の紅亜は……頬を赤らめつつも、してやったりと言わんばかりにニヤリと笑うと……たったかたったか、小走りに駆けて行った。
……。
……。
…………後に残されたのは。
(……デカかったな)
己の身体に触れていた、己にはない弾力を思い出して、些か居心地悪そうに佇む……思春期の男子であった。
……と、まあ、そこで終わっていたら、青春の小さな一コマで終わっていただろう。
場所が場所なので、運悪く傍を通り過ぎた一部の生徒から向けられる、嫉妬がこれでもかと込められた視線を前に、剛は背を丸めて教室に戻っただろう。
だが、そうはならなかった。
何故なら、そうするよりも前にクラスメイトの異世界女子が迎えに来たからだ。けれども、理由はそれだけではなかった。
「――ごめん、剛くん。ちょっといいかな?」
その女子も、みっちゃんに負けず劣らずの美人であった。ちなみに、ポニーテールが似合っていた。
でも、その彼女は何やら困った様子だった。「ど、どうしたの?」見られていた可能性に少し背筋を伸ばしたが、それよりも彼女のその姿を見て、気恥ずかしさが吹っ飛んでしまった。
離れている間に、何か有ったのだろうか?
しかし、離れていた時間は10分にも満たない。
話も揉めることなく纏まっていたし、直前まで和気藹々(わきあいあい)だったはずなのだが……そう思って、何が起こったのかと尋ねて見れば、だ。
「実は……看板とかポスターとか、役割分担を作る人員で揉めちゃって……」
と、言うものであった。
正直、たったそれだけで……と思わなくなかったが、詳しく話を聞けば……なるほど、と剛は納得した。
有り体に言えば、誰が花形……衣装を着る役割を担うか、そんな話をみっちゃんが切り出したのが、切っ掛けらしい。
衣装そのものは用意出来るが、文化祭そのものは1日で終わる。その内、開かれるのは午前中と午後の半ばまで、後は片付けというプログラムになっている。
加えて、あくまでも善意の上での借り物だから、衣装を着たままフラフラ出歩いて、万が一、不必要に汚してしまうのはマズイ。当然、着たまま片付けなんて、もっての外。
つまり、おおよそ5,6時間ぐらいしか使用出来ないわけだ。
飲み物等の搬入の際に、衣装のままでは危ない。また、他にも衣装のままでは行わない方が良い事も沢山出てくるだろう。
なので、時間制を取って、午前の部と午後の部の2つに分かれ、どちらかの時間は裏方に回り、店を回した方が良いのでは……と、提案が成されたのだが。
「一部の人達から……その、反対意見が出て……」
「そうなの? 別に反対するような案ではなさそうなんだけど……」
まさか、一部より拒否されたらしい。
剛からすれば、拒否する理由が分からなかった。
全員が表も裏も兼任するわけだから、得手不得手はあっても平等ではなかろうかと思ったのだが……ならば、代案は?
「その、見た目が綺麗な人たちが衣装を着て、それ以外は裏方に回った方が良いって」
「ああ、なるほど。まあ、お店とかはそういうの当たり前にやるけど……でも、文化祭でやるもんだし、目的が違うと思うんだけど」
「うん、みっちゃん達もそう思ったから、本末転倒だって突っぱねたら……」
「突っぱねたら?」
「適材適所だろって……それで、みっちゃんが怒っちゃって……けっこう、険悪な空気になって……」
「……もしかして、前にみっちゃんを怒らせたアイツら?」
嫌な予感を覚えながらも恐る恐る尋ねれば……彼女もまた、恐る恐るといった様子で頷いた。
……。
……。
…………マジで何やってんの、アイツら?
思わず、剛は……困惑に目を瞬かせる事しか出来なかった。
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