第十二話: それもまた青春の一幕




「お帰りなさい、『キーコくんエリア』へようこそ」



 戻ってきたら、何故か紅亜が居た。



 というか、紅亜だけではない。離れている間に呼んだのか、付いて来たのか、あるいは野次馬なのかは定かではないが、異世界女子が大勢居た。


 5人、10人、15人……パッと見た限りでも、30人以上は集まっている。それも、右痣の子も、左痣の子も、同様に。


 全員合わせて50人は超えているだろうが、それでも余裕があるぐらいには広さが有るので余裕だけれども……それでも、これだけ一度に一か所に集まると……だ。



(デオドラント……いや、そんな感じの臭いとは違う……)



 体育の授業後などで、デオドラントスプレーの臭いが教室なり何なりに充満している時はある。単純な臭いのこもり具合は、そんな感じが近しい。


 けれども、その時とは臭いが違う。


 アレは薬品臭いというか、デオドラント特有の甘ったるさを嗅ぎ取れるが……今回は違う。同じ甘ったるさでも、そういった薬品臭さは全く感じない


 異世界産の化粧水、あるいは美容系の香りか何かなのだろうか……いまいち、判断がし辛い。おそらく、全員分の異なる臭いが交じり合った結果のモノなのだろう。


 何と言えばいいのか……香水の類とは少し異なる、どうにも落ち着くというか、何とも言い表し難い、そんな感じの匂いが、ふわりと剛たちの鼻腔をくすぐったわけであった。



 ――で、だ



 そんな空間に、一人の例外もなく整った容姿の異世界女子が、それだけ集まっているのだ。美人はそこに居るだけで華に成るとは言うが、限度がある。


 もはや、場の空気は華やかさを通り越した不思議なナニカであり、ある種の壮観さすら思わせ……場合によっては圧力すら感じた事だろう。


 おかげで、戻ってきた剛たちだけではない。場に残っている女子たちも、何処となく居心地悪そうに一か所に集まり、フロアの端にて固まっていた。


 おそらく……帰るに帰られなかったのだろう。


 気まずいから帰るなんて、ある意味では異世界人に嫌みを言っているようなものだ。


 それに、下手に言い訳して帰ったところで、異世界人の超常染みた謎の科学力で調べられたら最後、黒も白も関係なくなってしまう。


 とてもではないが、言えるわけがなく、帰れるわけもない。


 仮に剛が彼女たちの立場であったなら、同じように部屋の隅で固まっていたと思う。それを察したからこそ、剛は……ひとまず、彼女たちに軽く頭を下げたのであった。



「……なんで紅亜さんがここに? どうやって入ったの?」



 次いで、剛は紅亜へと視線を向けた。


 少しばかりクラスメイトの女子たちを気の毒に思ったが、実に嬉しそうにこちらを見つめている紅亜を無視してそちらに行くわけにはいかない。


 チラチラと少しばかりの注意だけをそちらに向けつつ、剛は率直に尋ねた。



「友達から聞いて。『キーコくんエリア』には普通に入れましたよ」



 すると、紅亜が返した答えがソレであった。


 正直……色々と言いたい部分はある。名前もそうだし、それ以前に別クラスの子たちが入れる時点で……何というか、色々とガバガバじゃありませんかね、女王さん?



「……この建物って『キーコくんエリア』って言うのか?」

「え、いや、別に。ただ、『キーコくん』がいっぱいあるから私がそう呼んでいるだけだよ」

「あ、そう……」

(……異世界人のセンスって、やっぱり独特だな)



 いや、これはセンスで片づけて良い問題なのか……は、さておき、だ。



「積もる話は後にして、とりあえずは使い方を教えるよ~」



 唐突に……という言い方も何だが、みっちゃんは手を挙げてそんな事を告げた。



「え、みっちゃん使い方知ってるの?」

「知っているも何も難しく考える必要ないよ、コレはね」



 剛たちが戻って来るのを待っていたかのように……いや、実際に待っていたのだろう。


 ポチポチと片手で弄っていたスマホをポケットに入れたみっちゃんは、「見たら分かるから!」全員に聞こえるように宣言をすると、一台の『キーコくん』に颯爽と跨った。



 その瞬間――反射的に、男子たちの反応は三つに分かれた。



 一つは、突然の事だったから、ぽかんと見つめる結果となった者。


 一つは、本能的というか、つい条件反射的に視線を固定した者。


 一つは、『見てはいけないモノ』と無意識に思って顔を逸らした者。



 この、三つであった。そして、その原因は……みっちゃんの姿勢と服装に有った。



 まず、みっちゃんは立ったままペダルをこぐつもりだったのだろう。そのせいで、ハンドルを掴む為に必然的な前傾姿勢が強制され……自然と、お尻を後ろに付き出す体勢になった。


 次に、服装……具体的には、みっちゃんの恰好は、学校指定の制服である。ただし、裾を折っているのか改造しているのかは不明だが、一般女子よりも幾らか短い。


 つまり、スカートの丈が膝よりも上にあるわけで。


 そんなので不用意に腰の位置より高いモノを跨ごうと思えば、当然……ちらりと、見えてしまったわけだ。猫のキャラクターがプリントされた、可愛らしい……下着が。



 ――い、意外だ。



 そう思ったのは、男子たちの誰だったか。あるいは、言葉こそ多少なり違うけれども、全員が似たような事を思ったのかもしれない。


 何せ、みっちゃんの見た目は、一昔前のイケイケギャルだ。


 地毛ではあるが日本では目立ちやすい金髪に、薄らと栄えるアイシャドーに、隠す気が有るのかすら怪しい派手なネイル。おまけに、美人ときた。


 勝手なイメージではあるが、来ている下着も相応に派手なモノだと男子たちは(女子たちも、同様に)思っていた。


 だからこそ……露わになったそこが意外にも子供っぽかった事に、男子たちの反応は見事に別れたのであった。



「――ほら、こうやって、自転車をこぐように……にぃ……ふんぬう……!」



 そんな男子たちの反応に気付いていないのか、みっちゃんは気にした様子もなくハンドルを強く握り締めると……ふんぬ、と気合を入れてペダルをこぎ始めた。


 ただし……その回転速度は、非常に遅かった。


 その様は、水中で自転車をこぐかのよう。明らかに体重を乗せているのが分かるのに、ペダルが下がる速度は一目で分かるぐらいにゆっくりだ。


 いったい、どれだけの負荷が掛かっているのか。


 うんしょ、うんしょ、うんしょ。そんな掛け声と共に、おおよそ20秒近く『キーコくん』を乗りこなした後。



「――ああもう、マジで疲れる!」



 その言葉と共に、のろのろと『キーコくん』から降りたのであった。


 口調こそ軽やかではあるが、かなり息切れをしているみっちゃんの頬は紅潮している。お疲れ~、と声を掛けられているみっちゃんは、そのままぐったりと大の字になった。


 ……短いスカート故に、位置と角度が悪ければ丸見えなのだが……気にする余裕はなさそうだ。


 それほどに、疲れるモノなのか。たった20秒とはいえ、そうまで息切れさせるとは……自然と、剛たちの視線は『キーコくん』へと向けられた。



「――あ、男子がやる分にはこんなに疲れないから。私たち女子がやるからこんな感じになるんだよ」



 すると、男子たちの内心を察したのか、一人の編入女子がそう教えてくれた。見れば、他の異世界女子たちも、うんうん、と頷いて同意していた。



 ……女子がやると、こうなる?



 エレベーターに引き続き、女子が使えば『げろマズ(みっちゃん曰く)』の他にも、まだ女性が使えないナニカが、この装置(それら含めて、施設も)にはあるのだろうか?



「ん~、まあ、あんまり気持ちの良い話じゃないんだけどね」



 気になるし、無視したままなのも気持ち悪いので単刀直入に理由を尋ねてみれば、その編入女子(泣きホクロが有る)は、少しばかり考えた後……ぽつりぽつりと教えてくれた。



 ……彼女の話をまとめると、だ。



 先程もチラッと話してくれていたが、『異世界』では『キーコくん』を使った美容クリニックが非常に盛んであり、コレがあるだけで商売が出来る程である。


 しかし、肝心要の『キーコくん』の数に限りがある。故に、型落ちから更に型落ちしたジャンク品が高値で取引される事も珍しくなく、正規品よりも高値が付く時も有るのだとか。


 ……と、なれば、購入した業者は少しでも早く元を取りたいと思うのは必然なわけで。


 一日も早く店を作り、一時間でも早く商品を用意し、一個でも多く売りたいと考えるのは、考えるまでもなく当然な話の流れなのだが……そこで、問題が一つ生じた。



 それは――『商品の質』だ。



 実際に使ってみるまで分からないらしい(曰く、公式発表)のだが、同じ男性であっても使用後に出来る『飲み物』の味が、実はかなり異なるらしい。


 身長も年齢も体格も同じぐらいで共に病歴無し(検査結果は『健康体』)なのに、片方は非常に美味で好評なのに対し、片方は雑味が酷く……非常に評価が悪いモノとなった事もある。



 ――もちろん、大半は美味である。不味いのなんて、稀だ。



 しかし、見た目はほとんど変わらないのに味だけがそこまで違い出るとなれば……商品としては、中々リスキーであると判断せざるを得ない。


 しかし……この世界もそうだが、異世界においても……『美への執着』というのは、凄まじいモノである。


 不味過ぎて飲めないのは論外だが、効果(個人差は有るが)は確実。高価な化粧水一本買うより、『飲み物』一本飲んだ方がはるかに効果が出ると立証されてしまっている。


 故に、飲める味であれば、女たちはこぞって買いに走った。


 おかげで販売開始30分後には売り切れが当たり前。事前予約でも、ひと月に一本飲めれば御の字なぐらいに大人気となった……いや、なっているらしい。


 ……だが、そうなると……当然、他の企業も遅れてなるものかと乗り込んでくるわけで。瞬く間に、類似品が作られた。


 当たり前だが、そうなると本家も黙って見ているわけにはいかない。幾度となく実験と改良を行い、問題を改善しようとした。


 けれども、結局は不可能であると断定され……その結果、起こるべくして起こったのが……『良質な飲み物を精製出来る男性の奪い合い』だ。


 売り場に出せば飛ぶように売れる商品ではあるが、違いは、色々ひっくるめて『味』ぐらいしか出せない。


 甘味料などの味付けは基本的にマイナスだというのは、それまでのアンケート調査で分かっていた。つまり、誤魔化す事が出来ないわけだ。


 ……と、なれば、その『味』を出せる男性が必要となるわけだが……まあ、アレだ。


 これまた、起こるべくして起こったのだが……出たのだ。



 ――安価で集めた、女性が使用して作った『飲み物』を売り捌く詐欺業者が。



 最も人気が高まった当時、この『飲み物』は需要と供給のバランスが跳ね上がり、それに比例する形で男性へと支払われる賃金も跳ね上がっていた。


 その結果起こったのは、費用と値段の高騰……すなわち、必然的な高級路線への切り替わり。


 しかし、幾ら欲しいとはいえ、それだけで生きているわけではない。これまた必然的に、その中でも安いやつに注目が集まり……その過程で、詐欺業者が増え始めた。


 ……詐欺業者は、少しでも安価に抑える為に女性を使い、ネット販売のみに限定した。


 1000人中980人が怪しいと思っても、20人が買えば御の字。味を度外視した結果の利益率は凄まじく……警察が動いた時にはもう、逃げ出した後というのが多発した。



「――おかげで、装置のセキュリティがどんどん厳重になったみたいで……今では、女が使うと、その人がギリギリ動かせる程度の重さが加わるように設計されているんだよ」



 と、いう感じの説明を親切にも教えてくれた彼女に対し、剛は(他の男子もそうだが)しばしの間……無言を続けた後。



「……わざわざそんな事しなくても、動かせないようにしたらいいんじゃないの?」



 とりあえず、フッと思いついた事を聞いてみた。



「それに関しては詳しく知らないけど、何か強制停止させた事で女性使用者の一人が怪我したとかで訴訟騒ぎになったとか……」

「訴訟?」

「うん、だから、動かせないのは総合的に見て非力だから……って言い訳する為に、そうしているらしいよ」

「なるほど」


 ――異世界も異世界で色々と複雑というか、そういう商売の大変さは世界が違っても一緒なんだな。



 そんな事を思いつつも、今しがた、みっちゃんが乗っていた『キーコくん』へと近寄る。見れば、ハンドルの中央にディスプレイが表示されている。


 正面から(つまり、使用者でないと)でないと見えない仕様……プライバシー保護だろうか。もっと他にも気を配るべき部分が有るだろうとは思うが、黙っておく。


 画面には……『注意:男性使用者と交代してください』とだけ表示されている。指先で触れてみるも、反応は無い。というか、スイッチらしきモノが何一つ無い。



「あ、使うなら跨ってね。特注だから分からないけれど、だいたいの『キーコくん』は跨ったら自動的に再起動して動いてくれるから」

「ああ、どうも」



 察した編入女子からのアドバイスを受けた剛は……代表する形で、ひょいっと跨る。やり方は分からないので、自転車を乗るのと同じ感覚で。


 そうして、乗った瞬間の感触は……思いの外、座り心地が良い。相当に良いクッションを使っているのだろう。


 加えて、足を両方のペダルに乗せた瞬間、少しばかり手応えが変わった。最初は再起動が掛かったのかとも思ったが……すぐに、違う事に気付く。



(……そうか、みっちゃんは俺と足の長さがほとんど同じなのか。そうか、そうか……見た目も美人で足も長いって、ほんと反則じゃないかな……)



 出来る事なら気付きたくなかったが、まあいい。


 改めてハンドルを握り締めた途端、『承認開始……クリア ご利用ありがとうございます』といった感じの言葉が表示される。


 そのまま、つらつらと注意事項……要は、飲酒時や疲労時には使用するなといった常識的なモノが表示されては消えるを繰り返した後……パッと、画面が切り替わる。


 画面には……左側に『回転数』・『距離』・『精製量』の三つのメーターが表示され、右側には『心拍数/脈拍』・『負荷率』のメーターが表示され。


 そして、画面中央には『現在体力値/総合体力値』と表示されたハートマークの形をしたメーターが、ぴかぴかと点滅を繰り返していた。



 ……もう、やっていいのだろうか?



 とりあえず、自転車と同じ感覚でペダルをこぐ。最初の踏み込みは、一番重いギアにした時のような手応えだった。


 思ったよりコレは辛いぞと思いながらもそのまま力を入れていると、手応えが少しずつ軽くなり……少し重いが問題ない程度で落ち着いた。


 それに合わせて、左側のメーターの数値がカウントされ始める。


 見る間に増えていく数値の中で、ほとんど変化が無いのは……精製量。もしかして壊れているのかと一瞬ばかり疑ったが、500メートル走った辺りで、ぴこん、と数値が増えた。



 その値……20ml(ミリリットル)。



「嘘だろ……!」



 思わず、剛は足を止めた。


 異変に気付いた男子たちの中で、番町が覗き込むように近づいて……数値を確認した瞬間、「嘘だろ!?」剛と同じように叫んでいた。



「ご、500メートル走って一口分以下って……」

「え゛!?」

「これ、一食分はどれぐらいの量になるんだ?」

「ん~、目安としては、おおよそ200から300mlぐらいかな。もちろん、沢山食べても問題ないから、500mlでも1Lでも飲みたい人はいっぱいだよ」

「つまり、最低でも一人分の5kmから7.5kmは走らないと駄目なのか……え、じゃあ仮に20人分用意するとなると、休みなく毎日100km以上こぐのか? え、普通に倒れるぞ」

「え゛え゛!?」

「う~ん、どうだろう。『夢華屋』の人達が使うぐらいだから、たぶん最低でも500mlは欲しがるんじゃないかな」

「……最低でも250km、多ければ500kmとか、普通に死ぬぞ」

「こ、殺しに掛かってやがる……!」



 ざわざわ……と。


 予想以上の苛酷な労働内容に、男子たちは堪らず悲鳴を上げた。次いで、彼らの視線は……自然と、時田剛という一人の生徒へと向けられる。


 彼らは……この時になって始めて……剛が置かれている立場というか、どれだけ無茶な事を命令されているのか……僅かながら実感した。


 それまで、薄々分かってはいたが、どこか他人事であった。


 明らかなオーバーワークではあるが、何とかするだろう……そんな気持ちで居た。実際、勉強している姿を見ていた時、誰もが似たような事を思っていた。


 しかし、こうして剛と同じ目線に立ち……異世界人からの要求に対し、剛と同じ立場で耳にして立ち会った時……少なからず、彼らは思ったのだ。



 ――あ、これ、面倒臭いとかそんなの以前に、一致団結して協力しないと確実に過労死するレベルだ……と。



 ……社会経験の薄い彼らとて、馬鹿ではない。


 むしろ、社会に擦れていない分、ある一面においてはよほどに純粋で、損得やカーストを抜きにして考える事が出来る。


 そんな彼らだからこそ、薄々気付いているのだ。異世界人……いや、正確には、『異世界の科学力』の凄まじさを。


 みっちゃん達を怖がっているわけではない。ただ、『異世界』という国が持つ力が恐ろしい。そこに住まう人ではなく、そのバックが怖い。


 今まで気に留める事はなかったが、たった一夜でこの施設を用意した、その『力』が怖い。


 そして、たかが美容食品を用意する為にそこまでやった。いや、異世界人にとって、この程度は些事でしかないのだろう。だからこそ、彼らは……一様に、察した。



 ――面倒臭いとか、そんな事を言っている場合ではない……と。



 故に、横で見ていた番町は上の制服を脱ぐと、さっさと剛の隣にある『キーコくん』へと跨る。



「番町……?」

「体力には自信有りだ。やれるだけやるぜ」

「……ありがとう」



 途方もないノルマに少しばかり現実逃避していた剛も、番町の参戦に少しばかり気が紛れたのだろう。


 礼を述べると同時に、再びペダルをこぎ始める。「――しゃあオラァ!!」少し遅れて、起動を終えたのを確認した番町が、気合を入れてペダルを回転させた。


 ……その時、男子たちの間でどのような空気が流れたのか……それは、居合わせた男子たちしか分からなかっただろう。


 分かるのは、男子たちは互いに顔を見合わせると……思い思いに衣服を脱いで、無言のままに『キーコくん』へと跨り……二人に続いた、ただそれだけであった。






 ……。


 ……。


 …………そうして、幾らか時は流れ……残されるのは女子たちであった。しかし、その女子の人数すら、当初に比べて半分以下にまで減っている。



 というのも、現在、この場に異世界女子は1人も居ない。



 つい10分程前に、「ちょっと出てく」と言って此処を離れて、まだ一人も戻っていないからだ。まあ、居ても戦力にならないから、そこは良いのだが……問題は、残っている女子たちだ。


 彼女たちも、彼女たちなりに、色々と頑張ったのだ。


 けれども、男子たちの空気に当てられて、同じように跨ったはいいが……そこまで。先ほど、みっちゃんが身を持って示した通り、『キーコくん』は男性用であった。


 女子の中では一番背が高く運動部に所属している子でも、10秒使用した時点で息が切れ始める。インドア系や帰宅部の女子なら、ペダルを一回転させるだけでも一苦労。


 体重を掛けて強引にやろうにも、『正しい姿勢で使用してください』とディスプレイに表示され、放置するとアラームまで鳴る始末。やればやるだけ、邪魔になってしまう。


 だから……正直、この場において女子たちが出来る事はほとんど無かった。そこに、異世界女子も、こっちの女子も、違いは無かった。



 等しく、居ても居なくても良い感じの立場。



 手伝おうにも邪魔にしかならず、結果的に手持無沙汰な彼女たちが……次第に、飽き飽きした空気を出し始めるのは、仕方ない事であった。


 何せ、ただ見ているだけ。男子たちが『キーコくん』を動かしているその姿を見るぐらいしか、出来ない。


 中には、一部の男子に雑談を始める女子も居た。


 だが、慣れない状況も相まって、会話するのが辛くなった男子たちの無言の拒絶も相まって……1人、また1人と離れてゆく。


 そうして、20分も立つ頃には……ひいひい言いながらペダルをこぐ男子たちと、隅っこで雑談に興じる女子たちと、ぼんやりと男子たちを眺める異世界女子たちの3つに分かれていた。



「……あの、時田くん」



 その中で、ふと……固まっている女子たちの1人が、剛へと話し掛けてきた。



「はあ、はあ、はあ、はあ……な、なに?」



 ジョギングを日課にしているとはいえ、何時もと勝手が違うというのは想像している以上に疲労する。


 汗で濡れた顔を上げれば、その女子は少しばかり身を引いた後……申し訳なさそうに、帰っても良いかと訴えてきた。



「その、部活が……大会が近いから、出来るなら参加しろって通知が来ていて……」

「あ~、そうか……他の皆も、似たような理由?」



 剛の視線が、彼女の後ろに居る他の女子へと向けられる。「私たち、此処に居ても手伝えそうにないし……」そんな言葉が、女子たちの中から聞こえて来た。


 ……そういえば、そうだ。


 彼女たち全員が頑張ったところで、運動が苦手な男子が5分ほど頑張る方が効率的なのだ。しかも、無理して手伝おうとすれば、鳴り響くアラームでこちら側の気力が削がれてしまう。



「……仕方ない。いいよ、今日はありがとう」



 どうしたものかと思ったが……結論はすぐに出た。


 事実として、する事もなく只々待ち続けるのは苦痛だろう。剛を含めて男子たちが逆の立場でも、同じことを思うから。


 せめてテレビとか時間を潰せそうなモノが有れば話は別だが……無い物を求めても仕方がない。



「いいの?」

「ただ見る為だけに残っても無駄だし、また何か手伝えそうな事があったらお願いしていいかな?」

「うん、いいよ。でも、本当にごめんね」



 ポツリポツリと謝罪の言葉を零しながら、女子たちは『キーコくんエリア』を出て行った。正直、くそダサいが……他に呼び名も……と。



「皆の衆、元気にやってっか~」



 ほとんど、行き違いのタイミングであった。入れ替わるかのように、外出していたみっちゃん達が戻ってきた。


 その手は、スーパーの袋。みっちゃんだけでなく、後ろからぞろぞろと列を成して入って来た異世界女子たちの手には、スーパーの袋が有った。



「――はい、これ飲んで!」



 その内の一人である紅亜は、剛の姿を目にした途端、ちょこちょこと小走りで駆け寄ると……手にした袋よりスポーツドリンクを取り出した。



 ……もしかして、これを買いに行っていたのだろうか?



 視線を向ければ、どうやらそのようだ。彼女たちはドサリとその場に袋を置くと、袋から取り出したスポーツドリンクを男子たちに手渡し始めた。



「……お金は?」



 まず、気になった点を尋ねれば、紅亜はフリフリと手を横に振った。



「『キーコくん』使用の為って申請したら経費で落ちると思うから、気にしなくていいですよ」

「経費って、留学している紅亜さんたちにはそんなの有るの?」

「有りますよ。まあ、よほどの理由が無いと却下されちゃいますけど、『夢華屋』からの命令って言えば、向こうも察してくれますから」

「『夢華屋』って、本当に色々と規格外なんだな……じゃあ、いただきます」

「どうぞ、御気になさらず」



 遠慮する気持ちもあったが、相当に汗を掻いているのは自覚していた。合わせて、喉の渇きもはっきりしていた。


 なので、欲求に耐えきれずに一口飲んだ瞬間、気付けば止まらなくなり……あっという間に飲み干していた。



「まだ、有りますよ?」

「ああ、うん、それは後でいいよ、ありがとう」



 甲斐甲斐しく新しいボトルを差し出して来た紅亜に礼を述べると、剛は一つ気合を入れて……再び、ペダルをこぎ始める。




 ――ゼリー飲料とか色々買ってあるよ~。




 視線を向ければ、みっちゃんがそんな声と共にソレを掲げていた。スポーツドリンクとは違い、そちらが欲しいと訴える者は2人しか居なかった。



「お前、よく食えるな。横腹痛くなっても知らんぞ」

「……何言ってんだ、こういうのはしんどくても腹に入れれば勝ちなんだよ」



 その内の一人である番町は、手渡されたゼリー飲料をちゅ~~っと吸い上げながら……剛に向かって、ニヤリと笑みを浮かべた。



「登山家だってアスリートだって、登ったり走っている最中にチョコ食ったりスポドリ飲んだりするだろ。栄養補給ってのは、それだけ大事なんだぜ」

「そういうもんなのか」

「そういうもんだ。皆も、俺みたいに身体をでっかくしたければ、とにかく食え。食わねえとデカくなれねえぞ」



 その番町の言葉に、何人かが触発されたのか……ゼリー飲料を受け取る者が出る。


 もちろん、何やら手慣れた様子の番町みたいに飲めはしないが……ん?



「ほら、お前も飲んどけ」



 ポイッと投げ渡されたのは、番町が飲んでいるモノと同じやつ。飲め飲めと視線で訴えてくる番町に対し、剛は……気怠そうに溜息を吐いた。



「……いらん。そういうの慣れてないから、後で横っ腹が痛くなりそうだ」

「だからこそ、早く慣れる為に飲んどけ。運動中でなくとも、晩飯までの繋ぎだ。こういうのはとにかく小さな積み重ねなんだよ」

「どういう意味だ?」

「疲労回復と栄養補給はセットだ。明日に疲れを持ち越したくなかったら、しんどくても腹に入れとけ。入れさえすれば、後は勝手に身体がやってくれる」

「……そういうもんなのか?」

「そういうもんだ。紅亜ちゃんも、疲労でフラフラな剛よりも、筋肉付いて逞しい剛の方が良いだろ?」

「え? え?」



 唐突に尋ねられた紅亜は、困ったように視線をさ迷わせ……剛から向けられた視線に、少しばかり頬を赤くする。


 けれども、そのまま黙って視線を向けられ続け……逃げるタイミングを見失ったのだろう。


 しばし、居心地悪そうにモジモジとその場で身体を振った後……心底恥ずかしそうに視線を逸らすと。



「……まあ、元気な方が……私は好き、かな」



 それだけを、剛に告げたのであった。




 ……。


 ……。


 …………もちろん、だからってわけではないのだけれども。



「お、いい飲みっぷりだね剛っち。こっちのBCAAとかクエン酸とか配合されているらしいスティック羊かんも御一つどうぞ」

「……これ、けっこう食べやすくて美味しいね」

「初日から飛ばすと後が持たないから程々に、だよ。それと、さっき『夢華屋』の人から補助回復薬を貰ったから、帰る前に忘れずに飲んでね」

「回復……? それって、大丈夫なのか?」

「あたしたちも何度か飲んだ事あるから大丈夫。向こうでは乳幼児でもOKなやつだから……ただし、恐ろしく苦くて不味いから色々と覚悟するように」

「……飲まなくても大丈夫?」

「こればっかりは絶対飲んだ方がいい、後が色々と楽だよ。4日続くレベルの筋肉痛が一晩で回復するやつだから。牛乳に混ぜて飲めば大分マシだから、頑張れガンバレ!」

「……ここってトイレって有ったっけ?」

「建物の裏手に作られてあったよ。皆が下に行っている間に見て来たけど、新築なだけあって綺麗きれい――っていうか、吐くの前提で考えてない?」

「いや、そういうわけじゃ……」



 変に意地を張って疲労から風邪でも引いたら嫌だと思った剛は、話しかけてくるみっちゃん達の厚意を受け取りながら……マイペースにやる事にした。



「――ところで剛っち、さっきから少し顔が赤いように見えるけど、暑いの? 空調強くする?」

「あ、それは暑いからじゃないぞ。紅亜ちゃんに良いトコ見せようと張り切っているだけだ」

「ば、番町!?」

「なっるほど。剛っち、やるじゃん。私たち、そういう自分の為に努力してくれているってのに弱いんだぞ~」

「だ、誰もそんなつもりじゃ……」

「え、そうなの? それじゃあ、そこで顔真っ赤にしてお眼目潤ってる紅亜っちに、言える?」



「え?」



「どうよ、言える?」

「…………す、少し集中するから静かにしてくれ」

「ひゅー、照~れかっくし、そーれ照~れかっくし!」

「茶化すな、番町!」

「そうそう、あんまり剛っちをからかっちゃ駄目だよ。尊さのあまり、紅亜っちが立ったまま気絶してるから」

「――なんて?」



 ただ、そのマイペースを剛が維持出来るかは……はっきり言って、無理だなあ……といった感じであった。



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