第九話: 都合よく漫画のようには出来ないのだ
……しばしの間、沈黙が流れた。
それは、剛が言われた言葉を理解するようにと、校長たちより意図的に与えられた時間でもあった。
当然、余計な口を挟んで混乱させないよう女子生徒にも、相談を受けた保健師にもキツク言いつけてある。
最初に校長が話した通り、この場は剛を弾劾する場所ではないのだ。あくまでも、事実確認をする場だ。
何やら憤慨している様子の二人は別として、少なくとも、校長・教頭・担任の3人は、そう思っていない。
それが、傍目にも分かる。
だからこそ、ひとまずは剛の心が落ち着き、状況を呑み込むのを待っている……そんな沈黙であった。
「……あの、正直に言ってもいいですか?」
「ええ、いいですよ」
それ故に……いや、そういう言い方も変な話だが、明らかに困惑しているのが分かる剛の様子に、男性たち3人は。
「校長の言っている事が何一つ分かりません。いったい、何がどうなってそんな話になったんですか?」
心から、『まるで意味が分からないぞ』といった様子で首を傾げる剛の姿を見て、さもありなん……と、同じことを思ったわけであった。
実際、剛の視点というか、剛の立場で見れば、それこそ降って湧いてきたかのような話でしかなかった。
――まず、剛の意見は……『間違っても、そういった行為などしていない』、これに尽きた。
さすがに取り押さえている時はこちらも無我夢中であったから、手が触れたりはしていたかもしれない。
だが、件の女子が言うような『まさぐる』といった行為は断じてしていない。
というか、やろうと思っても無理だ。とてもではないが、あんな状況でそれをやるには、剛の体格では不可能だ。
いくら性別という肉体的な筋力の差、生まれ持っての差が有るとはいえ、殴り合いではないのだ。そんなのは、大した違いにはならない。
想像してみれば、すぐに分かる。
大雑把ではあるが、体重が約60kgの人間が、体重が約50kgの人間を、そう易々と止められるだろうか?
片方が身体を鍛えた約60kgの男性なら、片方が平均な約50kgの女性なら、まだ分かる。それでも難しいが、まだ理解は出来る。
だが、今回はお互いに平均的な男子高校生と女子高校生だ。加えて、まだ剛の身体は出来上がっていないのだ。
男女の違い、筋力の違いを考慮しても……お互いが本気で殺し合うぐらいに我を忘れていたならともかく、片方は我を忘れ、片方はそうではない。
拘束するという行為は本来、それほどの差が生じていないと、拘束する側が危険なのである。
それこそ、番町並みに恵まれた体格や、柔道などで身体を作っている者でないと無理……というわけであった。
「その話だが、彼女……
「有り得ません、順序が逆です。鼻血が出たのは頭突きを受けたからで、それも、椅子を振り上げた後の話です」
――これ以上無茶苦茶な話を聞くだけで声を荒げてしまいそうになる。
そんな内心を押し隠しながら、剛はハッキリと否定した。
心当たりが有るならまだしも、身に覚えのない疑惑を掛けられただけでなく、加害者扱いされて閉幕させられるなんて断じて許さない。
只でさえ、『幼馴染を孕ませて逃げた男』とかいう根も葉も無いデタラメな嘘によって、これまでずっと苦しんできたのだ。
結果がどうなるかは分からないが、兎にも角にも、不名誉な嘘が事実のように語られるのだけは……もう、我慢ならなかった。
「だいたい、暴れようとしたから押さえたんですよ。暴れようとしなければ、俺も手は――」
「――嘘付くな! 変態野郎!」
しかし、最後まで言う前に邪魔が入った。
見れば、件の女子……理々華が涙を流しながら、「私はあんたに触られた! 気色悪かった!」大声で剛の言い分を遮った。
「私は止めてって言ったのに、あんたは放してくれなかった! もう何もしないって言っているのに、あんたは腕を外してくれなかった!」
「そんなこと言ってないだろ。お前はずっとぎゃあぎゃあ叫んで、振り上げた椅子を下ろさなかったじゃないか」
「あんたが放してくれたら下ろすつもりだった!」
「だから、順序が逆だ。椅子を下ろしてからじゃないと、下手に放すわけにはいかんだろ」
「キッショ! あんたそうやって中学の時も相手に責任押しつけたんでしょ、このレイプ野郎!」
その言葉に、思わず剛の目じりが吊り上った。
怒りが言葉に変わるよりも早く、「先生こいつさっさと退学にしてよ! 今にも女子たちレイプされるよ!」理々華はそう吠えて、教師たちに大声で訴えた。
けれども……教師たちの反応は薄かった。というより、何とも……そう、何とも言い難い目で互いを見やっていた。
……もちろん、そんなのは校長たちも承知していた。
話が来た時こそ驚きはしたものの、騒動の仲裁に入った教師からの報告(それは当時、遭遇した一般生徒も含まれる)を改めて聞いた時……誰もが思ったのだ。
――いや、それは無理筋だろ、と。
校長たちは、改めて明言されるまでもなく、薄々察していた。
事実、騒動の一部始終を見ていた生徒たちに聞き取り調査を行った際……多少なり言い回しこそ違うが、誰もが同じことを話した。
原因はよく分からないが、椅子を振り上げたから男子が止めに入った……と。
二人の位置関係からして、教師たちも『近しい位置に居たから』という剛の言い分は正しいと思っていた。というか、むしろ大怪我に至る前に止めた二人を英断だとすら思っていた。
何せ、ここ数年はとにかく怪我にうるさいのだ。
男子同士ならまだ影響はそこまでではないが、女子なら恐ろしい事になる。たとえそれが、学生同士のいざこざだとしても、その責任の一端を背負わされるのが現代の学校である。
故に、校長たちからすれば……勇気を持って女子に怪我を負わせず場を抑えた剛を褒めこそしても、間違っても責め立てるつもりは欠片もなかった。
「――まあ、落ち着きなさい、狭間さん」
だからこそ、視線を互いに交差させた校長たち3人。その中でも、最も上司に当たる校長が、そう理々華へと声を掛けた。
「事実を整理しましょう。客観的に見て、時田くんが君に対して『わいせつな行動』を取った可能性は非常に低いと思われます」
下手に曖昧な言葉を使うのは愚策。はっきりと、断言する。
さすがに校長相手には強気に出られないのか、理々華は一瞬ばかり睨みつけた後、委縮したように視線を逸らした。
「――結論を出すには早過ぎではありませんか?」
代わりにと言わんばかりに、理々華の隣に座った保健師の女性が、ジロリと校長を睨みつけた。
「彼女もまた混乱しています。気持ちも高ぶっておりますし、日を改めてもう一度――」
「大島先生、日を改める必要はありません。もう、結論は出ていますから」
「……それは、些か男子生徒の肩を持ち過ぎではと思いますが? 同じ男性だから、そう思いたい気持ちは分かりますけれども」
校長より、はっきりと名指しされて告げられた保健師の女性……
「いえ、違いますよ。私たちは、あくまでも第三者の証言と現場の状況から話しているに過ぎません」
けれども校長はそこで言葉を止めなかったし、明らかに侮辱を含んだ言い回しをした大島を責めようとはしなかった。
「先ほども言いましたが、状況を整理しましょう。まず、発端は紅亜という女生徒と、理々華さん……貴女が喧嘩を始めた、それはいいですね?」
「ですから、それは異世界人の女生徒が暴言を――」
「どちらが先か、それは私たちでは結論を出せません。だって、お互いに相手から先だって主張しておりますし、これに関しては第三者の証言からも『お互いに売り言葉に買い言葉みたいだった』とあります」
「だから、それは異世界人が権力を使って――」
「それを判断する事も、私たちには出来ません。いいですか、私たちに出来るのは、起こった事実を並べて判断する事、それだけです」
その言葉と共に、校長は深々と……それはもう深々と大きなため息を零した。
「結論から言えば、先に手を出した……暴力を振るったのは理々華さん、貴女です」
「ですから、それも――」
「もちろん、理々華さんが悪いとは言っておりません。とはいえ、結果的にお互いが手を出した。その際、椅子という凶器が持ち出され、それを止める為に男子が動いた」
「…………」
「互いに平手打ちならまだしも、軽いとはいえステンレスが使われている椅子です。辺り所が悪ければ出血しますし、痣だって出来ます。下手すれば、骨折だってあり得ない話じゃない」
「…………」
「そ・こ・ま・で・は はい、そこまでは、いいですね?」
――いい加減、話の腰を折るな。
そう言わんばかりに語気を強めた校長を前に、大島は……他の2人からも向けられる視線にようやく気付き、静かに頷いた。
「さて、そこで問題となるのが、時田剛くんが行った対応が間違っていたかどうか……私個人の意見ですが、間違ってはいないと思います」
「……どうしてですか?」
「分かりませんか? 暴れる人を取り押さえる、その行為は非常に大変だからですよ」
納得がいかない……そう顔に書いてある大島へ、校長はゆっくりと言葉を続けた。
「若い頃、私は柔道をやっておりまして。だからこそ、分かります。本当に興奮して我を忘れている場合、それこそ大人と子供ぐらいの体格差がないと無理です」
「ですが、男子と女子の筋力の差を考慮しなくては――」
「大島先生、我を忘れて興奮した者を無力化するというのは、普通は無理です。アニメや漫画、フィクションではあっさり行われますけど、現実でそれが出来る素人はほとんどいません」
――あるいは、片方が冷静に暴力を使うような人間ならば、その限りではありませんけれども。
そう言葉を続けた校長の視線は、保健師の大島だけでなく……その隣で不貞腐れた様子の、理々華にも向けられていた。
「たとえば警察では、柔道や剣道が必修科目として存在し、それに加えて逮捕術と呼ばれる訓練も行います。そして、男女共にほとんどの自治体では身長と体重制限が設けられています……その理由、分かりますか?」
「…………」
大島も理々華も、答えなかった。
「答えは、危険だからです」
しかし、校長はそんな二人の反応など無視して、理由を告げた。
「いいですか? 拳でも武器でも何でも使って暴力で止めるならまだしも、安全に相手を無力化させるには、それぐらいしないと当人も相手も危険なんですよ」
「テレビとかでも、見た事無いですか? 暴れる犯人を取り押さえる為に、警察官が一気に何人も圧し掛かって根負けさせる……プロですら、そうするんですよ」
「分かりますね? 基準をクリアした成人がしっかり身体を作って、格闘技を練習して、それでようやく最低ラインなんですよ」
「実際、時田くんはどうなりましたか? 動きを止めるのに精いっぱいで、頭突きを食らって鼻血を出すわ、足を踏まれて痛むわ、散々な結果になったでしょ」
「それが普通なんですよ。むしろ、逆上せずに辛抱強く堪えた彼は大したものです」
「ええ、君たちが納得いかない気持ちも分かります。触られたかどうかは当人にしか分かりませんから……ですが、こちらとしても第三者の証言を交えて客観的に判断するしかない」
「貴女にも言い分があるように、彼にもまた言い分がある。どちらかを一方的に信じる事は、私たちには出来ません」
「なので、現時点で確定しているのは、君は椅子を使った殴り合いをせずに済み、傷も負わずに場が治まったということ、それだけです」
そのまま、校長は理屈を……いや、もはや説教であった。
こんこんと、出来の悪い子に言い聞かせるように、それでいて、言葉を選んで……畳み掛けた。
その声色は、あくまでも穏やかであった。
しかし、怒りというか、苛立ちがこもっているのは、誰もが理解していた。
それ故に、納得いかないと表情に出している理々華も、不満たらたらな様子ではあったが……ゆるゆると、頷いたのであった。
そうなると、傍目にも見て取れるぐらいに理々華の肩を持っていた保健師の大島も……渋々ながら、受け入れる他ないのであった。
――そして、同時に。
鳴り響く、昼休み終了前の予鈴。偶然ではあったが、そのチャイムによって……自然と、この話はコレで決着なのだと誰もが思ったのであった。
……。
……。
…………些か強めに閉められた扉の向こうで、足早に離れて行く二人の足音。その足音を、ぼんやりした頭で聞いていた剛の耳に……三つのため息が聞こえて来た。
「……時田、戻るのはしばらく休憩してからでいいぞ。既に話は通してあるからな、遅刻扱いにはしないようにしてあるから」
「……ありがとうございます」
心底疲れた様子ながらも気遣ってくれる戸嶋先生に、剛はそれだけを何とか答えた。
「――災難だったね」
掛けられた声に視線を向ければ、これまた心底気の毒そうにこちらを見やる教頭先生と目が合った。
「よく、最後まで我慢したね。途中、怒って泥沼になるかもと思ってヒヤヒヤしたよ」
言われて、剛は……困惑に首を傾げた。
「いや、怒るも何も、何と言うか……話が全然理解出来なくて……」
「まあ、第三者の立場から見ても、あの言い分は無茶苦茶にも程がある。目撃者がアレだけ居るというのに、よくあんなことを言い出せたものだ」
「正直、不思議な気分でした。日本語で話しているはずなのに、日本語が通じないので……」
思った事をそのまま呟けば、思わずといった調子で校長たちは笑みを零した。とはいえ、それが剛の本音であった。
……やってもいない悪行を事実のように流布される、その屈辱。
それが如何に相手の自尊心を傷つける行為なのか、それが如何に相手の人生に影を落とすか……その事を、欠片も考えた事が無いのだろう。
でなければ、あそこまで酷い侮辱を叩き付けたりなどしない。
あるいは、自分に向けられるのは駄目で、他人に向ける分は何の問題も無いと思っているのか……まあ、どちらにせよ、だ。
「……先生、ありがとうございます。俺の事を、信じてくれて」
自分を庇ってくれた先生方に、剛は深々と頭を下げた。それもまた、剛にとっては偽り無い本音であった。
何せ、中学時代……表立って責めるような教師は居なかったが、庇う教師も居なかった。とにかく、時田剛という生徒は腫れ物扱いされ続けた。
下手に庇うなどして手を貸すと余計に拗れるから……今でこそ仕方ない事だったと呑み込めてはいるが、当時は本当に辛かった。
だからこそ、どんな思惑があるにせよ、しっかり間に立ってくれたことが……剛にとっては、とても嬉しかった。
「――時田くん、それは違うよ」
「え?」
けれども、真っ向から否定された剛は思わず目を瞬かせた。
そんな剛を前に、校長たちは意味深に視線を交わした後。「……君には、正直に伝えた方が良いだろうね」おもむろに、剛へと向き直った。
「本来なら、私たちはお互いに頭を下げさせてこの件を終わらせるつもりだったんだよ」
「え……」
「どちらの味方にもなれない以上、喧嘩両成敗って形で納めるのが一番手っ取り早い。その点を考えれば、相手の……えっと、紅亜さんだったね、あの子は物わかりが早くて助かるよ」
「紅亜さんが?」
「うん、『言った言わないは水掛け論に終わるだけだから、お互いが悪かったって済ませる方が早い』、と」
「そうですか、紅亜さんが……」
知っている人……というか、つい先日、友達以上に成ると宣言された……『自称・恋人予定』の女子の顔が脳裏に浮かぶ。
あの騒動の後、何度も謝罪された(というか、周りの人たちにも謝罪していた)ので剛は特に彼女の事は恨んでいない。
というか、結果はどうあれ、自分の為に怒ってくれたから、どちらかといえば胸がスカッとする思いすら有った。
(そういえば、今日は朝に会ったきりだな……)
剛の家が通り道から少しズレた所にあるらしく、告白された翌日から一緒に登下校するようになった。
さすがに、昨日の今日なので、朝に会った時はまだ申し訳なさそうにしていたが……そんな感じで、紅亜の事を思い出していると、だ。
「……学校としても、異世界人とのトラブルは避けたいし、長期化させたくないというのが本音です」
唐突に……校長が、誰に言うでもなく……いや、剛に語りかけるかのように話し始めた。
「理屈で考えられる生徒同士なら、大事にはならない。苛めや嫌がらせとかじゃない限り、だいたいは双方に問題があって、翌々日ぐらいには『俺も私も悪い部分が有ったな』って、互いが水に流してくれる」
「…………」
「しかし、今はあの子のような生徒が増えた。いや、生徒に限った話じゃない。自分の落ち度は無かった事にして、兎にも角にも自分を被害者の立場に変えて、責任を全て相手に押し付けようとする。昔からそういう子は居たけど……最近は、特に増えた」
――これも、時代なのかねぇ。
そう呟いたのは、校長。深々と頷いたのは教頭で、苦笑いしながらも否定しなかったのは、担任の戸嶋先生。
……もしかしたら、過去に何度か似たような事が有ったのだろうか。いや、有ったのだろう。
好奇心が疼いたが、聞くと後悔しそうな気がする。
まあ、現在進行形で非常に面倒臭い事に成りかけた身としては、聞かない方が色々と良いんだろうなあ……と、思った。
……さて、話を戻そう。
結論から言えば、剛の『わいせつ疑惑』は無罪となった。
というか、そもそも女子の勘違いという事で決着が付いて、それが周知された。
何せ、目撃者が大勢居たのだ。
いくら理々華が訴えたところで、いくら何でもそれは……と思う者が現れても何ら不思議な事ではない。
いや、むしろ、真っ当な目線で見ていた者たちからすれば、理々華の所業に対して『お前、マジか……』と引く事はあっても、同情して味方になろうとする者は少数だろう。
事実、最初の頃は理々華の話を鵜呑みにして怒りを見せる者はいたが、それもすぐに減少していき、一週間も経つ頃には極々少数しか居なくなっていた。
いったい、何故か?
それは、ある意味では影の当事者である番町と、当事者である紅亜が、最悪になる前に止めてくれた剛をどうして責めるのかと回りに広めたからであった。
――冷静に考えれば、酷いなんてものではない。
冷や水を浴びせられたかのように冷静になった誰も彼もが……件の女子に対して一歩身を引くようになったのは、必然の結果だろう。
加えて、もう一つ。
それは、みっちゃんを始めとした、各クラスに編入した『編入女子』たちが沈静化に動いたおかげであった。
彼女たちがやった事は、ただ一つ。
それは、彼女たち自身が築いた様々なコミュニティにて、『恩人に泥を投げつけたようなモノ』という意味合いで、ひたすら理々華の所業は酷いと繰り返しただけだ。
もちろん、面と向かった悪口ではなく、所業への苦言だ。かといって、同じ異世界女子である紅亜へ味方するわけでもない。
――あくまでも、あの騒動は両人同士の喧嘩である。原因は何であれ、一線を越えかけたのだから両人とも責められて当然。
――だからこそ、身を呈して防いでくれた時田剛を責めるのはお門違いであり、頭を下げて感謝するのが筋。
――なのに、感謝するどころか、助け方が悪いと文句を言うなんて信じられない。こっちでは、それが普通なのか。
――お互いに、停学になるかもしれなかったというのに。同じ異世界人として、時田くんには申し訳ない事をしたと思っている。
そんな感じの事を、彼女たちは何度も何度も愚痴を交えて零したのである。
……単純だが非常に効果的であった。
何せ、みっちゃん含めた『編入女子』たちが関わるコミュニティは多い。そして、どんな人物にも朗らかに接してくれる分、その種類は多岐に渡る。
誰が発したのか分からない、背びれ尾ひれが生えた噂話よりも、笑顔をよく見せる美人な編入女子たちの発言の方が、はるかに信憑性は高くなるのだ。
それに加えて、パッと聞いた限りでは……みっちゃんたちの目線や発言が、フラットであった事も関係していた。
これが、同じ異世界女子の肩を持つ発言ばかりなら、反発する者は多かっただろう。
いや、間違いなく、そうなっていた。
それらしい綺麗事を述べた所で、結局は同胞の肩を持ちたいだけなのかと……冷めた目で見られる。
そうなるところであった……が、そうはならなかった。
みっちゃんたち異世界女子たちは、あくまで客観的に、分かっている点でしか苦言を零さなかった。
すなわち、理由は何であれ互いに暴力を振るった事。
お互いに行き過ぎて、周囲の迷惑を考えなかった事。
場合によっては、相手に大怪我を負わせかけた事。
そして……勇気を出し、怪我をしても騒動を止めようとした時田剛という男子生徒に対し……一方的に被害者を主張し、謝罪を求め、退学を主張した事……それらであった。
……。
……。
…………おかげで、騒動から2週間も過ぎた頃には剛を悪く言う者は居なくなった。
もちろん、内心では以前と変わらず冷たい眼差しを向けている者は居ただろう。だが、それを表に出す者は確実に居なくなっていた。
いや、むしろ、逆だ。
この騒動がキッカケとなって剛に話しかける者が増えた。その割合はほぼ男子であったが、それでも以前とは比べ物にならないぐらいに増えた。
それは周りが剛の魅力に気づいた……わけではない。
単純に、騒動の影響から剛の下へ挨拶に来たり、簡単な相談(いわゆる、一般常識に関して)をしに来たりと、数が増えた異世界女子に対する……下心であった。
もちろん、それだけが理由ではない。しかし、それもまた外せない理由の一つである。
当然、薄々ではあるが彼らの思惑を察していた剛は苦笑いするしかなかった。けれども、同時に……己の状況を好転させるキッカケである事にも、剛は気付いていた。
過程や手段は何であれ、だ。
『証拠も無い偏見で相手を見るんだ……』といった感じで女子たちから冷たい眼差しで見られて、平気な顔で居られる者は、そう多くはない。
ソレが非常に後ろ暗い事ならともかく、理性的に考え、そちらの方がずっと楽だと気付けば、自然とそちらへ心は動く。
さすがに下心満載で近寄ってくる者には辟易するが、それでも、下心満載で敵視されるよりはずっと良い……それが、剛の出したひとまずの結論であった。
「――紅亜さん」
「はい?」
なので、ようやく気持ちの整理が付いて、前と同じように接してくれるようになった紅亜と一緒に登校中。
「俺の為に怒ってくれて、ありがとう。嬉しかった」
「……うん!」
言いそびれていたお礼を、改めて彼女に伝えるのであった。
……。
……。
…………そして、そこから更に数日後の、10月初旬。
セミの声はすっかり忘れ去られ、夏の暑さも遠ざかる。代わりに台頭し始めたトンボが飛び交う最中、徐々に過ごし易い季節へと移り始めている。
受験や就職を前にして、追い込みに入り始めてピリピリとした空気が何処となく漂い始めた3年生。
まだまだ意識は薄いが、薄らと見え隠れし始める受験や就職に少しばかり意識が向き始めた2年生。
そして、受験や就職なんて意識の外、部活にも慣れ、高校生としての意識も定着し、ある意味一番騒がしい時期の1年生。
そんな、ある意味では毎年の風物詩とも言える光景と気配が学校中の至る所で見られるようになった……そんな頃であった。
――ハロー、時田剛くん。
学校から帰宅して、フッと一息入れた、その瞬間。
最近、少しばかり姿を見ないなと思っていた女王が、ひょっこり現れた。というか、勝手知ったると言わんばかりに、当たり前のように、部屋に入って来た。
まあ、剛の方も例の験担ぎ要員を連れて行ったっきり顔を見せてないので、そこらへんは『おあいこ』というやつだが……まあいい。
――ハロー、ハロハロハロ、ハロー、時田剛くん。
女王は、何時もと同じであった。
相変わらず見惚れる程に美人で、スーツという堅苦しい恰好なのにむせ返るような色気が滲み出て、傍に寄るだけでのぼせてしまいそうな甘い匂いがする。
さすがにある程度は慣れたが、未だに過剰なスキンシップに胸がドキドキしてしまうほどの……そんな女王は、何時もと同じように朗らかな笑みを剛へ向けた。
「しばらく見ない内に、ちょっと逞しくなったわね。煩わしい些事も解決、お友達も出来て、万事が良い方向へと動いているのかな?」
……この人、多分だけど、全部分かっているうえで聞いている。
そう思った剛は、「そうですね、悪くはないですよ」もはや笑うしかないと苦笑しながら……ふと、外の熱気に目を向けた。
「オレンジジュースか麦茶ならありますけど、飲みます?」
「あら、気を使ってくれているの?」
「見知らぬ他人じゃありませんし、色々有りましたけどお世話にはなりましたし……で、どうしますか?」
「お気持ちだけ受け取っておくわ。それよりも……私が此処に来た意味、分かるかしら?」
言われて……剛は、首を傾げた。
全く分からないわけではないが、おおよそ見当は付く。『夢華屋』に関して己が必要になったか、あるいは連絡事項がある時、あるいはお願いという名の課題……この三つだ。
とりあえず、その三つぐらいしか思いつかないと伝えれば、「よく分かっているじゃないの」女王は嬉しそうに手を叩き……次いで、意味深な眼差しを剛へと向けた。
「まず、連絡する事が二つ。一つは、明後日の金曜日の夜から正式に『夢華屋』がオープンするから、明日ぐらいに顔見せに来てほしいこと」
「あれ? まだオープンしていなかったんですか?」
てっきり、夏休み開けてすぐにオープンしたかと思っていたが……そんな思いで首を傾げると、「何事も、順序を踏まないとね」女王はそう答えた。
「いきなりオープンしたって警戒されて閑古鳥になるでしょ。宣伝はしていたけど、最低でも2,3ヶ月は間を置きながらやり続けないと客は動かないものよ」
「そういうものなんですか?」
「スーパーマーケットだって、明日オープンって大々的に宣伝するより、何か月も前から手を変え品も変えた方が、記憶に残り易いでしょ」
「……言われてみれば、そんな気がする」
「もちろん、意外性を出す為にいきなりオープンってのもあるわよ。まあ、ほとんどの場合は建築中に○○日にオープン予定って感じでチラシでも配るくらいかしら」
「あ、なるほど、言われてみればそうですね」
納得した剛に対し、女王は「二つ目は……」剛に、『オーナー』と文字が掘られたキーホルダーの付いた鍵を手渡した。
「オーナーではあるけど、剛くんの見た目で表から入るとお客さんたちが困惑しちゃうから、オープン日より以降はコレで裏から入ってね。場所は明日教えるから」
「あ、はい、分かりました」
「時々でいいから、顔見せに来なさいな。夏休み終わってから顔を見せないから、皆寂しがっているわよ。けっこう気に入られているから、慰労のつもりで……ね」
「ははは……はい、そうします」
曖昧な笑みで誤魔化しながら……剛は、内心にて軽くため息を零した。
別に、剛は意地悪や面倒になって行かなかったわけではない。
――だって、風俗店だもの。
(ちょっと、気が引けるよね……)
夏休みの時は理由が有ったので行けたが、さすがに、理由も無く顔を見せるのは些か……であった。
「――さて、そんな剛くんに、『お願い』があります」
……で、だ。
そんな青少年の青い内心を他所に、女王は……夏休み以来となる、通算三度目の『お願い』という言葉に出した。
(……何をするんだろう?)
それに対し、剛が抱いたのは……困惑や不安よりも、ある種の好奇心であった。
何せ、考えられる限り、現時点で己を頼る理由が何一つ思いつかないからだ。
一度目は、こっちに来た夢華嬢のプライドを満足させる為に、文字通りの死にもの狂いな猛勉強。
二度目は、オープンする前の験担ぎとして、条件に合う者を15人。今後を見据えて、選別もした。(番町が)
そして、三度目……とりあえず、オープンに当たってやれることはやった。なので、次に言われるのは、『追加人員』に関する事だろうか。
「まだオープンしていないけど、口コミとかの反響を調べた限りけっこう期待が集まっているみたいでね。必要になるかは分からないけれども、もう少し人員を増やしておきましょうか……って話になったのよ」
――おお、当たった。
そんな呟きを、剛は胸中にて留める。
「とりあえず、剛くんには前と同じように、新しく追加される彼女たちに誠意を示してほしいの。ていうか、見たいって言われちゃって」
「――え゛え゛!? またアレをやるんですか!?」
「大丈夫、さすがにあんなのは一度きりだから。子供みたいな話だけど、ずるいって意見が出ちゃって……」
「ああ……そういう……」
言われて、想像した剛は……不本意ながら納得した。というか、納得せざるを得なかった。
「……事情は分かりましたけれど、何をするんですか? やっぱり、勉強漬けですか?」
――正直、お手柔らかな奴が良いんですけど。
そんな泣き言も、胸中にて留める。
しかし、それは女王に見透かされたようで、「やあね、さすがに同じ事はさせないわよ」ひらひらと手を振られた。
「まあ、単刀直入に言いますと……剛くん」
「はい」
「実はね、私たち『夢華嬢』は、毎日常飲している、『とある飲み物』があるの。それはね、特殊な機械を用いて精製出来るモノで、人力でやらないと駄目なやつがあるの」
「はい」
「やることは凄く簡単なの。機械の自転車みたいなやつを、只々ひたすらこぎ続けるだけ。私も詳しく原理は知らないけど、人力でやる方が効率的に作れるらしいの」
「はい」
「それを使ってね、『夢華嬢』たちの『飲み物』を作ってほしい。それが、その子たちからの頼み事。けっこう大変だけど、いいかな?」
「ペダルを回すだけなら、大丈夫です。さすがに部活やっている人には負けますけど、帰宅部よりは体力はあるつもりですから」
「あら、それは頼もしい……うん、ありがとう。それじゃあ、君を含めたクラスメイト全員の力を結集して、頑張ってね」
「……はい?」
「――ん? 何を驚いているのかしら?」
「え、いや、だって、クラスメイトって……」
「……? そりゃあそうでしょ? だって、毎日飲む物だよ。1人で全員分作るとなると、それこそ寝る間を惜しんで毎日こぎ続けないと間に合わないよ」
「え゛え゛!?」
「じゃあ、頑張ってね。それで出来る飲み物って、私たち異世界人にとっては健康の秘訣みたいなものなの。出来る限り毎日飲んでおきたいモノだから……じゃあ、皆には伝えておくから」
「え、あ、あの、ちょ――待っ――」
来た時が突然なら、出て行くタイミングも突然であった。
正しく、有無を言わさずサッと部屋を出て行き、慌ててその後を追い掛けた時にはもう、家の中からは気配が消え、外を見回っても何処にも居なかった。
……。
……。
…………そうして、5分程辺りを捜索し、家へと戻ってきた剛は。
「…………どう、説明しろと?」
自分一人だけでなく、クラスメイトたちをも巻き込む『お願い』に……頭を抱える他、なかった。
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