第八話: 恋の駆け引き、けれども……
――カーン・コーン
響いたチャイムの音。それは、昼休みの終わりを告げる本鈴の5分前に鳴らされる、予鈴と呼ばれているチャイムの音であった。
ハッ、と。
それは、正しく我に返るというやつなのだろう。響いたチャイムが、甘酸っぱくも息苦しくもある緊張を解く切っ掛けになった。
どう言えば良いのか……気まずいと思えばいいのか。いまいち判断に困る空気が、チャイムの音によって押し流されてゆく。
合わせて、階段下の……気配が慌ただしく動くのを感じる。それは、そうだろう。
後5分で、本鈴が鳴るのだ。所属しているクラスに戻らなければならない。
チラリ、と。先ほど剛を連れてきた編入女子が、手すりの陰からにゅうっと顔を覗かせて様子を伺っているのが見えた。
「――連絡先、交換してください!」
「え、あ、うん」
とりあえず、教室に戻ろう――そう言い掛けた剛の内心を読んだかのようなタイミングであった。
「あ、アプリの方も有るなら交換ですね!」
「え、君も「紅亜と呼んでください」……紅亜さんも、やってるの?」
「むしろ、やってない人の方が珍しいぐらいですよ」
普段の剛であれば迷うところだが、早く戻らなければならない気持ちと、まだ頭が落ち着いていないからなのか……促されるがまま、剛は眼前の……紅亜と連絡先諸々を交換した。
……いざとなれば、女の方が度胸有るとは、誰の言葉だったか。
お友達からとはいえ、区切りが付いたからなのかは分からない。
ただ、先ほどまで、今にも気絶しそうなぐらいに緊張しきっていたクレアの顔にはもう、緊張の色は見られない。
むしろ、逆だ。
一気呵成に攻めてくる……というほどではないが、明らかに意識して積極的にスキンシップを図ろうとしているのが見て取れる。
「……近くないか?」
「いえ、まったく」
何せ、互いのスマホを近付ければ良いだけなのに、紅亜は剛の胸元にするりと入り込んだ。あまりに一瞬の事で、驚く事すら出来なかった。
客観的に見れば、紅亜を抱き抱えるような体勢だ。あるいは、紅亜が剛にもたれ掛っている……といった具合だろうか。
(……異世界人とはいっても、見た目通りなのか?)
事実、剛はそれなりにグイグイと押し付けられる紅亜の体温と弾力と……己には無い、様々な匂いを感じながらも、困惑するしかなかった。
言っておくが、痛くはない。当然、辛くもない。
押し退けようと思えば押し退けられるが、女子に……それも、好意を持っていると表明してくれた相手にソレをする気は、剛にはない。
それに……相手が自分よりも背が高く体格が良かったならまだしも、一回り小さいのだ。
結局、どう切り返せば良いのか分からないままに本鈴が鳴るまでされるがまま。パッと、幾らか気恥ずかしそうにしながら、それじゃあまた後でと駆け出してゆく紅亜を見送った後。
「――あたしらの相談に乗っていたって言えば大丈夫だから」
「ああ、そうなのか、ありがとう」
「じゃあ、帰ろっか。あたしだけ遅刻扱いされるのもなんだし、しっかりエスコートしてよ」
「えす……はは、分かったよ」
成り行きを見守っていたみっちゃんが、朗らかに笑いながらそう教えてくれた。
普通に考えたら、それで遅刻扱いされないのも変な話だが……さすがは、『異世界人』というやつか。
学校側も、そんな細かい事でいちいち『異世界』と事を荒立てたくない、というこ――ん?
ハッと、剛が気付いた時にはもう、みっちゃんの両手が、剛の両頬を押さえていた。
次いで、むにむにと……まるでパン生地を捏ねるように、それでいてネイルで傷付けないよう指の腹で頬をむにむにと揉まれたかと思えば。
――ちゅ。
みっちゃんの顔が近づいたと同時に、唇に瑞々しくも柔らかい感触が伝わった。
ギョッと目を見開く剛を他所に、するりと離れたみっちゃんは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「がっちがちに緊張しっぱなしじゃん。何だかんだ言いつつ、告白されて嬉しかったんか~?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「それじゃあむっつりってわけね。上はそんなに意地っ張りなのに、下はこんなに素直なのによ~」
「ちょ、おま!?」
「ちょっと固くなってんじゃん。紳士を気取るんなら、意地でもそういうのは隠さないと駄目だよ~」
有無を言わさず、ぐにゅぐにゅ、と。
ズボンの上から股を揉まれる。堪らず身を引けば、みっちゃんはケラケラと手を叩いて笑っていた。
……下品だけど、人気が有る理由が少し分かった気がする。
そういうのが受け付けない男子ならまだしも、ここまで気安く刺激的なスキンシップを笑いながらやれる子なら、そりゃあ男子たちの注目が集まるわけだ。
色々な事が有っても、気持ちが腐っても、それでも男でしかない剛だからこそ、分かる。
――例外はあっても、男というのはナイーブな面もあるが、だいたいは基本的に単純なのだ。
何せ、女性不信が根付いてしまっている剛ですら、女王の色香というか……情けない話だが、女体がもたらす快楽に絆されたのだ。
――ハロー、ハロハロハロ、ハロー、一昨日ぶりだね剛く~ん……おや、何やらアンニュイな雰囲気を漂わせているわね。
――ふむふむふむ、ふ~むふむ。なるほど、幼馴染の尻軽ビッチの事を思い出しちゃって、とってもお辛いわけか。
――まあ、そういうこともあるって。忘れられないなら、抱えたまま生きるのも一つの手だと私は思うよ。
――ほらほら、元気無い時はおっぱい揉んだり、おっぱいに顔を埋めたり、おっぱい遊びするのが一番!
――難しく考える必要はないの。おっぱい柔らかいぐへへって、そういう事で元気が出るのはまだ立ち直れる証なのだから。
実際に、昔の……中学校時代の事がフラッシュバックし、気持ちが憂鬱になっていた時も、こんなエロ漫画みたいなスキンシップで幾らか気持ちが晴れたのだから……うん。
……まあ、それは時田剛という人間が単純だから……と、言われたらおしまいだが……さて、話を戻そう。
話は……そう、彼女が男子たち好かれる理由だ。
彼女が……みっちゃんが、不細工であったなら少し結果が異なるだろうが、あいにく、みっちゃんは美人だ。
それも、そんじゃそこらの女子では叶わないレベル。
そんな美少女から、あそこまで気安くされれば、よほど経験を積んでいるか、根本的に好みから外れているかぐらいでない限り……機嫌が良くなって当然だろう。
「わ、分かった。次からは気を付けるから、もう勘弁してくれ……」
こみ上げてくる羞恥心を何とか押し殺しつつ、それだけを絞り出す。「あはは、安心しなよ、もうしないから~」すると、みっちゃんはそう答えた後……不意に、真剣な眼差しになった。
「でもさ、そういう曖昧な態度で紅亜に甘えっぱなしになるぐらいなら、早めにフッてやるべきだとあたしは思うかな」
「え?」
「不安になる気持ちは分かるよ。でもね、これだけは覚えておいて。私たちと、こっちの女、似ているようで全く違うから」
「……それは、どういう意味だ?」
本当に意味が分からないので尋ねる。
「大丈夫だから。私たちは、ちゃんと対等だから」
「は? いや、だから何が?」
「大丈夫、そういうので紅亜があんたを嫌いになったりはしないから。でも、それに胡坐を掻いてサボっちゃ駄目だよ」
だが、みっちゃんは意味深(あるいは、曖昧な)な言葉しか返さなかった。
「まずは好きなら好き、嫌いなら嫌い、どちらでもないなら、それも声にする。どんなに
「――っ!」
反射的に、剛は言い掛けた。
――それぐらい分かっているよ、と。
けれども、言えなかった。
それは、みっちゃんの眼差しが先ほどとは違い、真剣なモノであったからで……次いで、今はもう疎遠になった幼馴染の事が剛の脳裏を過ったからだ。
「……ごめん、言い過ぎたかな?」
その言葉に視線を上げれば、何処となく申し訳なさそうにそっぽを向いているみっちゃんの姿が有った。
「……いや、そんな事はない。間違いそうになった俺を注意してくれただけだ……ありがとう」
「別に、そんなつもりはないよ」
少し、気まずく思ったのか。
剛の方を見ずにそっぽを向いたまま、みっちゃんは……行きよりも幾ばくか、早歩きで教室へと戻って行った。
……。
……。
…………とりあえず……このまま突っ立っていても仕方ない。
しばし、その後ろ姿を見送った後……みっちゃんの後を追いかける形で、剛も教室へと向かった。
……お友達からという言葉通り、あくまで仲良くなりたい友達としてやってくる紅亜と一緒に昼食を取るようになったのは、その翌日からだった。
もちろん、クラスの人達からは奇異の目を向けられた。割合として、女子の方が多かったのは……仕方がないだろう。
ちなみに、男子は嫉妬が多かったが……話を戻そう。
とにかく、色々と噂を抱えた男子の下に、中々お目に掛かれないレベルの女子が弁当片手にやって来るのだ。
それも、傍目にも分かるぐらいに好意的な笑顔と……会話の合間にぽろっと零れる、好意を示す言葉を合わせて。
明らかに、紅亜がどのような目的で剛と昼食を取ろうとしているのかが丸分かりであった。
だからこそ、一部男子たちからの視線に嫉妬が混じるわけだが……まあ、それはそれとして、だ。
――兎にも角にも、紅亜の登場によって、また、少しばかり剛の日常に変化が訪れた。
具体的には、番町(秀一も、同様に)が学校でも普通に話しかけてくるようになった。
番町たち曰く、紅亜がキッカケという形で持って行けるという事らしい。
剛にはよく分からなかったが、つまり、休みの日とかに遊びに行くような、普段と同じ態度で接するようになったのだ。
これに驚いたのは……意外な事に、女子たちよりも男子たちの方が多かった。
何故かと言えば……これは後日知った事なのだが、どうやら、番町はそういうクラス(男女の問題に限らず)の空気を読むことに長けている、のらりくらりとした性格だと思われていたらしい。
なので、いくら中学に比べて『時田剛』という少年の印象が変わって来ているとはいえ、だ。
仲が良いという印象を持たれるのはマイナスにしかならない剛と親しげにする様は……彼らからすれば、何が起こったのかと驚いて当然な話であった。
そして……それは一部の女子たちにとっても、無視出来ない話であった。
ただし、こちらは男子たちとは少し事情が異なる。
純粋に疑問に思う者、純粋に嫉妬する者とは違い、彼女たちの視線は剛ではなく……傍の紅亜に向けられていた。
理由としては……何と言っても、番町の存在だろう。
以前にも番町が自虐していた通り、見た目も凄く良いのだ。長身でガタイもほどほどに良く、顔立ちも整っている。
当人曰く女性不信らしいので、今まで特定の異性を作らなかったからこそ表面化しなかったが……此処に来て、現れたのだ。
――紅亜という、特大の爆弾が。
彼女が普通の一般人ならば、まだ良かった。けれども現実は、異世界人。それも、下手に叩けば妬み扱いされかねないレベルの美人である。
嫉妬に駆られて嫌がらせをしようにも、ネットを見れば『敵対すれば女子供にも容赦しない』という情報ばかりが流れている。
幾らなんでも、警察ですら手出し出来ない相手に喧嘩を売る様な真似はしない。恋に暴走しているとはいえ、それぐらいの冷静さは持っていた。
だから、一部の女子たちは歯痒く思いながらも、紅亜には手を出せなかった。
……しかし、だ。
紅亜の登場によって、それまで腫れ物扱いだった『時田剛』に対して、わざわざ番町が動いて、交友を持ったのだ。
……紅亜の狙いが、傍から見れば明らかに時田剛、その人であるとしても。
もしかしたら、当の番町の狙いは……そう思う女子が現れるのは、極々自然な話であって。
そう、いくら紅亜が剛を狙っているとしても、近しい位置に居る番町の気持ちが改めて紅亜に向く可能性は、0ではない。
むしろ、可能性としては非常に高いと思われる。
いや、それどころか、剛狙いはカモフラージュで、本命は番町なのでは……そんな根も葉もない憶測すら、一部では流れ始めていた。
……故に、一部の女子たちは……考えた。
紅亜の真の狙いがどちらであれ、要は、番町からの印象を悪くさせれば良いのだ。結果的に剛との仲が拗れたとしても、そっちは自業自得なのだから、仕方ない事だ。
――そうだ、彼なら、そんな女と知れば幻滅して離れるに違いない。
何とも理屈の破たんした結論が出るまで、そう長くは時間が掛からなかった。
とはいえ、誰がそれを行うというのか?
露見すれば、その者の破滅は必至。そこに暗黙の駆け引きが有ったようだが……焦れてしまった女子の1人によって、結果が出てしまった。
「――あの、紅亜さん?」
「ん、なに?」
「その、紅亜さんってもしかして……時田くんの事、好きなの?」
「うん、超好き、一目惚れ。緊張して時田くんには敬語だけど、そのうち砕けたお喋りする予定で、何時かエッチする予定。なに、まさか君も時田くんを狙っているの?」
「い、いや、そんなわけないじゃない」
「ふ~ん、じゃあ、何でまたいきなり? 人のプライベートに踏み込んで来て、満足したからサヨナラなんて性格の悪い事せずに、はぐらかさず答えてよ」
「……知らないようだから教えるけど、その人、中学の時に色々と――」
「ああ、それ? 知ってるよ。なんてったって、一目ぼれの相手だからね、ガンガン調べたよ……で、それがどうかしたの?」
「どうかしたって、貴女のためを思って……」
「私のためじゃないでしょ」
「え?」
「いや、忘れて。ていうか、さ……その噂ってさ、証拠あるの?」
「え?」
「だから、証拠」
「証拠って、実際に相手の女の子は……」
「いや、だから、そいつが孕んでいた子が、時田くんの子供だったって証拠、あるの? 君ら、当然のように時田くんがやったって思ってるようだけど、どうして?」
「そ、それは……」
「中絶するのだって、相手の承諾が居るんだよ。本当に時田くんが相手で逃げようとしていたなら、学校側も動くでしょ。放っておけば、中絶出来る時期越えちゃうから。でも、そうする前にそいつは中絶出来た、出来ちゃった」
「…………」
「仮に……うん、仮定の話だけど、避妊失敗したのならお互いが悪い。でも、それならなんで時田くんだけ悪者なの? お互い合意の上でやったのなら、半分はそいつの責任でしょ? ヤルことやっといて、全責任は相手に……って、そんな甘ったれな考えで君らSEXしてんの?」
「…………」
「可能性しては、時田くんとは別の第三者が居たってこと。仮に強姦とかそういう事をした結果なら、警察が動いているはずでしょ。でも、現実として警察は動いていない……なら、時田くんは無関係な可能性が高いわけだ」
「それは、その……公にされたくなかっただけ……誰だって、そんな冷静には……」
「当時、学校中に中絶した事を知られ、加害者だと思われていた時田くんが同じ教室に居るのに、平然と同じ教室で授業を受けられるやつが、セカンドレイプを怖がると思う? わざわざ教室で、時田くんがヤッたかのようにアピールするようなやつが?」
「…………」
「普通、怖がるよね? 私だったら怖くて怖くて同じ学校に居るのすら無理だよ。だって、自分を強姦したようなやつが同じ教室に居るんだよ。ねえ、君は平気なの? そんな立場に置かれたら、平気な顔で授業受けられるの?」
「…………」
「学校側がそこらへん動かなかったってことは、その学校の生徒じゃないってのは確定でしょ。と、なれば、学校側としてはそいつが保健室登校をするとか、そういう自身への対応を望まない限り、動きようがないわけだ」
「…………」
「で、そこまで考えたところで……それよりも、私としては……当時、同じクラスメイトだったアンタを含めた、女子たちの反応というか、やった事の方が万倍も問題だと思うよ」
「え?」
「『え?』じゃないよ。だって君ら、ちょっと考えれば分かるような馬鹿みたいな話をまるで疑わず、一方的に時田くんを責め立てたわけだ。しかも、悔い改めるどころか高校生になってもまだソレを疑わず、時田くんを加害者だと私に教えようとした」
「それは――」
「『それは』じゃない。君ら、中学の頃から身体だけ成長して、そういったロジカルな思考が何一つ成長していないって事でしょ。つまり、君らは未だに感情的に悪者だと決めつけて、一方的に相手を貶めようとしていたわけだ」
「――そういう言い方、ないんじゃないの? 私たちは、心配していただけなのに!」
「ほら、今も感情に任せて逆ギレした。そのうえ、『私たち』って言い回しで責任を自分以外にも分散させた。次は涙でも流して被害者の立場に立つ? それが通じる相手かそうでないか、それぐらいは分かるでしょ」
「――キモッ! もういい!」
「今度は相手を中傷して話を打ち切ると来たか。耳を澄ませている男子たちも気を付けた方がいいよ。こういう人はもちろん、こういう人に同調するような子を彼女にすると、後々苦労するから」
「はあ!?」
「なにか事がある度に泣いて誤魔化すし、彼氏が浮気したとかDVされたとか嘘を広めて自分の浮気を隠すタイプだから」
「――っ!!!!」
「自分が間違ったのは彼氏が不甲斐ないからとか責任転嫁する場合も多いから、こういう人を彼女にする時は本当に覚悟しないと苦労す――っ!」
「おまえっ!」
「ほら、図星刺されたから手が出た! 相手が男子だったら泣いて誤魔化して加害者に仕立て上げられるけど、同性相手にそれは難しいから手を出した! それがお前の本性だってことだよ!」
……。
……。
…………ちなみに、この会話。昼休みの教室の、傍に番町と剛と、別クラスからやってきた秀一が集まって、弁当を広げていた時に行われたモノである。
当然、弁当持参の子もそれなりに居て、教室内にはそれなりに人が残ったまま。喧騒……とまではいかなくとも、それなりに騒がしい雰囲気であった。
そうして、そこで始まったのが、冒頭の会話なわけで。
最初は全員が、なんだいきなりって感じの視線を向けた。
だって、女子の顔に見覚えが無かったから。秀一と同じく、別クラスの女子であったから。
しかし、紅亜に対して話し掛けてきたので、男連中は、我関せずとばかりに話が終わるのを待った。
――途端、紅亜の口から飛び出す剛へのラブコール。
あまりに突然過ぎて、思わず剛はむせた。それもそうだ、何せ脈絡もなくいきなり『今後、あなたとエッチをしたい』と本人を前に宣言したのだ。
剛が食べ物を口に入れていたら大変な事になっていただろう。秀一は思わず頬を染め、番町ですら、ぽかんと大口を開けて固まったぐらいだ。
しかし、二人の女の会話は止まらない。
口を挟む事も出来ず、何やらきな臭いというか、不穏な空気がと感じ始めたかと思えば、嫌悪感の殴り合い……最後に始まった、リアルファイト。
その頃には、さすがに見てられなくなった剛たちが止めに入った――が、頭に血が上ったその子も、煽る紅亜も、止まらない。
力技で止めるのであれば男子の出番だが、動きが鈍い。
先ほどの紅亜の発言が影響しているのは明白だが、同時に、女子同士の喧嘩なのだ。後に、どのようなトラブルを招くか分からないせいだ。
さすがに1対多数となれば男子たちも動いただろうが、1対1。凶器も使っておらず、素手の掴み合いという状況に割って入るような状況にはなれなかった。
……とはいえ、だ。
互いに平手をぶつけ合う程度ならともかく、ついには互いに椅子を振り上げた辺りで――慌てて、近くに居る剛と番町が力づくで止めに入る結果となった。
その際、紅亜は番町が、女子を剛が、後ろから羽交い絞めにする形となった。それ自体に特に意味はなく、たまたま互いに近しい位置に居たから、そういう形になっただけであった。
もちろん、それだけであっさり収まる程度なら、誰も躊躇したりなどしない。
売り言葉に買い言葉とはいえ、比較的冷静さを保っていた紅亜の方はすぐに我に返ったが、名も知らぬ女子の方は駄目であった。
剛の足をわざと何度も踏みつけたり、頭を振って頭突きをしたり、身体を捻ってわざと剛の身体を机やら何やらにぶつけようとしたり。
傍目にも、辛そうなのは剛であった。けれども、それでも、5分と続けていれば、ひとまずは落ち着く。
振り上げた椅子を互いに下ろしたので、二人もようやく拘束を解く。そうやって、二人の行動によってとりあえずは危険が去った。
「おい、大丈夫か? 誰か、ティッシュ持ってねえか?」
「足とか大丈夫かよ? めっちゃ踏まれまくっていたけど」
「あんまり血は飲むなよ、後で気持ち悪くなるぞ」
後に残されたのは、倒された机やら椅子やら。幸いにも弁当等が倒されて駄目になった者は居なかったが、酷い有様であった。
加えて、剛も酷い有様であった。
何度も踏まれまくった上履きは汚れまくっていて、鼻血まで噴いている。痛そうに、顔やら身体やらを摩っていた。
悪い具合に、頭突きを食らってしまったのは明白だ。
普段は距離を置いていた男子たちも、手を貸せなかった秀一も、この時ばかりは率先して手を貸し、傍観するしかなかった女子たちも、気の毒な目で剛を見ていた。
……その際、いつの間にか件の女子は居なくなっていた。まあ、誰も探そうとはしなかった。
それよりも前に、連絡を聞きつけてやってきた教師の登場によって、ようやく騒動に決着が付くと誰もが思ったからだった。
……。
……。
…………だが、翌日の昼休み。
興奮冷めやらぬというわけではないが、チラホラと女子同士のリアルファイトの事で、ポツリポツリと色んなところで話題に上っていた……そんな時。
「――時田剛くんだね? とりあえず、こっちに座って」
「はあ……」
担任教師に呼び出された剛は、職員室の奥にある小さな部屋に通されていた。心当たりは当然、まったくなかった。
室内には、担任教師と校長と教頭。それと、白衣の中年女性……誰だったか、そう、保健師と……昨日騒いだ女子が居た。
保健師と担任は別として、だ。
校舎内ですれ違うぐらいはあるが、こうした形での校長と教頭との対面は初めてで……正直、腰が引けてならなかった。
まあ、呼び出されるような不祥事など起こしていないので、そういう意味で緊張するような事はなかった。
……まあ、それはそれとして。
パイプ椅子とテーブルが置かれたそこに、剛を含めて6人も入れば手狭となる。すし詰めとは言い過ぎだが、けっこう窮屈な印象を覚える。
そんな中、剛は促されるがまま椅子に腰を下ろす。
位置的に、剛の隣に担任。テーブルを挟んで校長と教頭。そして、4人から離れ、担任たちの向こうに保健師と女子が腰を下ろしていた……と?
(……なんで俺、睨まれてんの?)
只々静かに、それでいて怒りを込めた……保健師と女子からの視線。なのに、対照的に冷めた様子の校長と教頭と、担任。
構図的に考えれば、睨みつける女性たちと、白けた様子の男性たち……といった感じだろうか。
成績の事なら、わざわざ校長たちが出張ってくるようなモノではない。と、なれば、それ以外の理由なのだろうが……正直、見当もつかない。
正直、気まずいので早めに終わって欲しいのだが……少しばかりの沈黙が流れた後……おほん、と校長が一つ咳をしてから、話が始まった。
「呼び出したのは他でもない、昨日の騒動の件なんだが、分かるかね?」
「昨日……そこの女子が暴れたやつですか?」
「君は、彼女とは個人的な付き合いなり何なりはあるかい?」
「いや、まったく無いです。付き合い以前に名前も……クラスメイトならともかく、別クラスは……女子の友達はいませんので」
――そういえば、名前すら知らなかったな。
そう思いながら視線を向けた――途端、剛はギョッと目を見開いた。
何故なら……件の女子が、いきなり泣き始めたからだ。隣に座る保健師が宥めようとするが、女子の涙は止まる気配がない。
……こいつ情緒不安定にも程があるだろう。
まるで状況が分からなかった剛は、とりあえずは心の中で愚痴を零しながらも、改めて剛は校長へと視線を戻す。
「実は、彼女から保健師を通じて相談があった。とりあえず、君を疑っているわけじゃない。ただ、事実確認をするだけだ」
「はあ……」
「まとめると、彼女と、別の女子生徒との間で喧嘩が起こり、互いに椅子を振り上げた。たまたま傍に居た君が彼女を背後から押さえ、もう一人は別の男子が押さえた。その際、君は顔をぶつけた……そこまでは、いいね?」
「はい、その通りです。もう血は止まりましたけど、けっこう鼻血が出ました」
「ふむ、そこなんだが、実はその際、彼女が言うには……だ」
だが、しかし。
「押さえ込む際、どさくさに紛れて胸などをまさぐった。暴れたのは、その女子生徒相手ではなく、背後からいきなり胸をまさぐられたから……と、彼女は主張している」
「――はい?」
「つまり、彼女は暴れるつもりなど全くなかった。君が彼女に対してセクハラ行為を働いたから、彼女は怖くなって暴れてしまった……という話らしい」
その直後、校長より言い渡されたその言葉に。
「――なんて?」
思わず、そう聞き返した剛は……軽率だが、仕方ない事であった。
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