第二話: アダルト・スカウトマン誕生……



 

 何時もより少しばかり遅い時間から出発したジョギングは、その分だけ何時もより速く所要時間を切り上げられた事で、帳尻が付いた。



 何故早めたのかといえば、それは母が洗濯機を回し始める時間がおおよそ決まっているからだ。多少なり時間の前後はあるが、だいたい何時も同じ時間帯である。


 加えて、時田家では洗濯全般の効率化の為に、ある程度洗う物で順番が分けられている。


 最初は普通に洗っていい衣服や下着、少量ならばタオルも。次に、溜まっているのであればタオルのみ。最後は洗い方に注意が必要な物など。


 つまり、衣服などは最優先で現れてしまうわけで……翌日にも使うのであれば、それまでに洗濯に出す必要がある。


 なので、よほどの理由が無い限り、剛はそれまでに洗濯に出すのが常であった。


 母の方からは、『必要なら後で洗う』と言われてはいるが、朝早く起きれば良い事だ。只のワガママで余計な手間を増やすよりも、その日ぐらいは早めに切り上げて間に合わせた方が、剛としてはずっと気楽であった。



「……やっぱり居る」

「あら、おかえり。思ったよりも早かったわね。私に気を使ってくれたのかしら」

「いや、そういうわけじゃ……寝ぼけているだけだと思いたかったけど、夢じゃなかった」

「残念ね、今は現実なのよ、お生憎様……ふ~ん、けっこう良い身体しているじゃないの」

「……セクハラだぞ」



 シャワーを浴びて、水分補給を終えて。着替えと休憩の為に自室へと戻ってきた剛を出迎えた『異世界人』は、舌なめずりと共に剛の肌を見やった。


 妙齢の……それも、滅多にお目に掛かれないレベルの美女からの賛辞。


 言葉だけを聞けば、まあまあ悪くない気分にはなるのだが……浮かべている表情があまりにアレ過ぎて、思わず剛は一歩身を引いた。


 悪い人……か、どうかはともかく、金品や命を狙っているわけではないのは察せられる。少なくとも、それが狙いなら剛は寝ている間に殺されていても不思議ではない。



 かといって、善人かと問われれば……おそらく、そうではないだろうと剛は思っている。



 そもそも、本当の善人であれば、ちゃんと両親に話を通してから自分に来るはず……というか、よくよく考えてみれば……この状況、どう贔屓目に見ても、まるで意味が分からない。


 剛にとって『異世界』とは、文字通り遠い世界の出来事だ。当たり前だが、知り合いだって向こうにはいない。


 そんな剛に、わざわざ頼みたい事があると……異世界人が訪ねてきた。それも、両親に気付かれず……ジョギングを終えて戻るまで、大人しく室内で息を潜めてまで……頼みたい事が、ある?



 ――それが、風俗店を開くから、そこのオーナーになれ、と?



 まるで、意味が分からない。いや、言葉だけなら十二分に伝わっているので理解は出来るが、それをわざわざ己に頼む理由が全くもって分からない。


 何かしらの理由があるにせよ、お偉方とは何の繋がりもない、只の平凡な……それも、成人してもいない学生相手に……わざわざ、いったい何なのだろうか。



(……相手は異世界人。向こうがその気になれば何時でも俺たち家族は処罰されるし、警察に電話したって色々理由を付けて来ないだろうし……)



 ジロジロと楽しそうに(何処となく、嬉しそうにも剛には見えた)眺めてくる美女の視線に気恥ずかしさを覚えながらも、手早く着替えを終える。言っておくが、パンツは既に装着済みだ。



(どうも、調子が狂うんだよなあ……怪しい人なのは確かなんだけど、憎めないというか、何というか……何でだろう)



 とりあえず、現時点では悪人なのか善人なのかも分からない、『いまいち掴み所のない人』……というのが、眼前の美女に抱いた剛の本音であった。



「それにしても、いくら動揺していたからって、私を置いてジョギングに出ていくやつは貴方が初めてよ」



 ――訂正、少しばかり意地の悪い性格のようだ。



「……あの時はどうかしていました」

「まあ、寝起きでいきなりそんな事を言われれば誰だって混乱するでしょうけど……ねえ?」



 そういえば、と言わんばかりに苦笑を向けられた剛は、気まずくなって美女から目線を逸らす。彼女が言わんとしている事は、剛も走りながら思っていた事であるからだ。


 何といえば良いのか……そう、あの時、剛は混乱の極致に居た。


 わけが分からないまま、ちょっと走りに行きますとだけ言い残して、強引に家を飛び出して行った……ジョギング。言うなればそれは、日常の行為を行う事による精神の逃避に他ならない。


 おかげで少しばかり頭が冷えたというか、まあまあ現実を受け入れられる程度には心を落ち着けることが出来た。だが、思い返してみれば……我ながら意味不明な行動だったと思う。


 何せ、見知らぬ異世界人(考えてみると凄い話だ)を家に置いたまま外に出たのだ。最悪、帰ってきたら家ごと無くなっていた……なんてのも、異世界人相手では冗談にならない。


 幸い……という言い方も変な話だが、この美女は『お願いする立場である』という事を理解してこちらを幾らか尊重してくれて(不法侵入はしたが)いるようだが……いや、話を進めよう。



「――それで、先ほどの……風俗店がどうのって話なんですけど」

「あら、もう話し始めて良いの? 走って来てお腹空いているでしょ? 朝ごはんを食べ終わってからでも良いわよ」

「父さんはもう会社に行きましたし、母さんももうすぐパートに出ます。少し休憩してから食べるのが何時もの流れなんで……」

「そう、それじゃあ、お腹が鳴る前にさっさと話を終えましょうか」



 剛の言葉に納得した美女は、パチンと指を鳴らす。


 途端、何処からともなく姿を見せた木製の椅子が、ふわりと空気を撫でるように滑空しながら……剛の眼前にて静止する。


 そこに、美女はサッと腰を下ろした。思わず称賛したくなるぐらいに長く綺麗な脚を組み替え……何とも言い表し難い魅惑的な仕草に、剛は困って視線をさ迷わせた。



「――さて、改めて自己紹介致しましょう」



 けれども、続けられた言葉によって……ハッと我に返った剛は、とりあえず向かい合う位置にあるベッドに腰を下ろす。倣って居住まいを正して……改めて、美女へと向き直った。



「既にお話した通り、私は異世界人です。そして、私の名は……いっぱいあるので、とりあえずは『女王じょおう』とでも呼んでください」

女王じょおう……ですか? それって、役職?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。とにかく、私の事は女王と呼んでちょうだいな」

「はあ、分かりました」



 正直、呼び難いなあ……とも思ったが、黙っておくことにした。異世界には異世界のセンスが有るのだと、剛は己に言い聞かせた。



「で、ここからが本題なんだけど、時田剛くん。君には、私たち『夢華屋』が出資して建てる予定の風俗店のオーナーに就いてもらいます」



 ……ああ、やっぱり聞き間違いではなかった。そして、『就いてください』ではなく、『就いてもらう』という言い回しをする辺り……拒否権はなさそうだ。



「ここまでで、質問はあるかしら?」



 質問も何も、新たに出た情報は眼前の美女の名前(というか、役職?)ぐらいなのだが……まあいい。



「あの、とりあえず、拒否した場合はどうなるんですか? 父も母も、話を聞けば反対しそうな気がするんですけど……」

「拒否する事は出来るけど、その結果がどうなるかを想像出来ないほど、君は馬鹿じゃないでしょ?」

「それ、は……」

「私から言える事は、おススメはしないってだけ。言っておくけど、逃亡劇の後に大逆転みたいな話はハリウッドの中だけよ。現実は、貴方が思っているよりもずっと残酷だからね」



 美女……女王は、質問に対してはっきりとは明言しなかった。いや、むしろ、曖昧に言葉を濁した分、それが余計に恐ろしく……ごくりと、剛は唾を呑み込んだ。



 ――脅しではない。それは、異世界に疎い剛でも分かる事の一つだ。



 何故なら、実際に『異世界人』たちは、その『力』によって、この世界を支配したからだ。


 庶民である自分たちにすら、『異世界』が関わると警察が一切当てにならないという圧倒的な存在感を示している。『異世界人』たちの鶴の一声で処刑された者たちが大勢いるのは、メディアを通して知っている。


 詳細は知らないが、国が幾つか崩壊したのも知っているし、とある国では政府そのものが丸ごと入れ替わっただけでなく、関係が深かった者たちを片っ端から処刑していったのも……記憶に新しい。



 だから――脅しにしか聞こえない。



 たとえ、当人たちにその意図が無かろうとも、彼ら彼女らの支配下に置かれている剛たちにとって、会話を彩るジョーク一つが明確な脅し文句になるわけであった。



「……脅かすつもりはないんだけどなあ」



 剛自身は分からなかったが、よほど酷い顔色をしていたのだろう。「大丈夫、君たちを傷付けるつもりはないから」落ち着きなさいと言わんばかりに剛の型を叩きながら……女王は困ったように頭を掻いた。



「とにかく、事情を順に説明していくから、怖がるのはそれから……はい、OK?」



 言い聞かせるようなその口ぶりに、剛は……恐る恐る頷いた。それを見てから、女王と名乗った彼女は……一つ一つ、順を追って説明を始めた。



 ……彼女が語った内容(要は、目的)を大まかにまとめると、だ。



 まず、『夢華屋ゆめはなや』というのは、彼女(つまり、女王)がオーナーを務めている、様々な分野に出資しその名を連ねている超巨大性風俗会社のことである。


 剛が暮らす世界では馴染みが薄い言葉だが、性風俗会社とは、その名の通り、性的な営み全般に関する事(言い方を変えれば、性産業)を取り扱っている会社である。


 全般とは、その言葉通り全般である……が、まあ、『夢華屋』の場合は、だ。


 有り余る資金力によって、本来であれば他企業や外部に任せる必要がある部分(建物等の建設や従業員などへの医療など)も全部自前で用意して済ませてしまうから、もはや……何といえばいいのだろうか。


 やっている事は様々な業界に進出する大企業と一緒なのだが、規模が違い過ぎるせいで……なんかこう、アレだ。


 あまりに企業全体が大き過ぎるせいで、一部の国(あるいは、星)では端から端まで『夢華屋』系列の企業で独占され、そこに暮らす者たちは大なり小なり……つまりは、だ。


 有り体に言えば、『夢華屋』というのは、超巨大ゼネコンみたいなものだ。その実体はもはや性産業に欠片も留まっていないのだが、名目上はそうなっている……異世界において最も巨大な企業である。



 ……で、(大本の性風俗に限定するなら)だ。



 ここからが本題なのだが、そんな超巨大かつ超有名な企業のオーナーは、剛たちが暮らすこの世界を新たな市場として考え、市場の開拓へと身を乗り出した。


 はっきり言えば、女王たち『異世界側』からすれば、剛たちが暮らすこの世界の市場なんて、手付かずもいいところ。低リスクで高リターンが確約されているようなものだ。


 何せ、文明のレベルが違い過ぎる。


 異世界では型落ちも型落ち過ぎて一つ50円で売られているような電子機器も、こっちでは数億掛けても欲しいモノが山ほど現れているような話なのだ。


 具体的には、この世界では数百億から数千億掛けて設置する大型コンピュータも、異世界では1000円前後で売られている、幼稚園ぐらいの子が持たされる程度の通信機器と同レベル。


 ぶっちゃけてしまうなら、異世界では一個100円均一で売られている大量生産品が、こっちの世界では一個1億で売れる。ソレを改良して機能に制限を掛けてもなお、その価値は、一兆円にも100兆円にもなるだろう。


 例えば、この世界にある日突然、『東京ドーム一つ分までのサイズの廃棄物を自動的かつ瞬時に仕分けし、新品同様にまでリサイクル加工を可能とする、電池二つで稼働する、スマホと同サイズの全自動機器』が登場するようなものだ。


 1tの廃棄物をリサイクル処理して再利用するまで多大なコストを掛けて行うソレが、異世界ではボタン一つ、機械からビームがび~っと出たかと思えば……あっという間に終了だ。


 もはや、アニメや漫画の世界である。


 さすがに全ての分野を制覇するのは無理でも、大半の業界は、それだけであっという間に駆逐出来るし独占出来る。


 それほどまでに、『力』の差がある。そして、その『力』の差は……この世界においては、絶対的なアドバンテージに他ならない。


 事実、その危険性に気付いている国は、『異世界産の電子機器』を血眼になって探し、何とか手に入れて解析し、その技術力を得ようと躍起になっている。


 おかげで、終戦後の交流の際、あの手この手のハニートラップは当たり前で、文字通り煮るなり焼くなり好きにしていい年齢性別容姿様々な生贄をダース単位で用意された事も……話を戻そう。



 ――で、だ。



 それ程のアドバンテージを理解したまま放置するわけもなく、異世界において屈指の大企業である『夢華屋』が動いたわけなのだが……そこで、絶対に無視できない問題が生じた。


 それは……剛たちが暮らす『この世界の法則』と、女王たちが暮らしている『異世界の法則』が異なっているせいで、異世界側とこの世界との交流が上手く出来ないというものであった。



「『法則』……ですか?」

「そう、『法則』。難しく考えず、言葉通りに受け取って……まあ、分からないわよね」



 いまいちピンと来ない……といった顔で首を傾げる剛の姿に、「本当は実物なり実例を見た方が分かりやすいんだけどねえ……」女王は苦笑しつつ、さて……と視線をさ迷わせ……そうね、と一つ指を立てた。



「要は、ファンタジーな世界ではファンタジーが起こせるけど、この世界ではファンタジーは無理って事よ。ファンタジーは、ファンタジーが出来る『法則』がその世界にはあるってわけ」

「……えっと、つまり?」

「この世界では魔法は使えないけど科学が発展したように、ファンタジーではファンタジーしか発展しない。極論だけど、こっちでは爆発する危険な液体であるガソリンが、向こうでは火を近づけても爆発しない、ただ臭いだけの水……という状態になったりする場合もあるってわけ」

「はあ……」

「とりあえず、難しく考えなくていいから。私が言いたいのは、その『法則』のせいでこのままだと私たちは商売が上手く出来ないってこと。それを解決する為には、時田剛くん……君の協力が必要ってわけ」

「……なるほど」



 女王と名乗る眼前の異世界人の身分というか、目的は分かった。少なくとも、嘘をついていないのであれば。


 しかし、分からないのは……そこで、どうして自分の協力が必要になってくるのか……そこが分からないからこそ、剛は視線で続きを話すように訴えた。



「君には、その『法則によって起こる反発を無効化する力』が備わっている。私たち『夢華屋』が商売をするには、その『力』が必要なの」



 すると、女王は思いの外あっさり話してくれ……え、いや、待って。



「……マジなんですか?」

「わざわざ一人の青少年を騙す為に、こんな回りくどい事をすると思う?」

「いや、でも、俺にそんな『力』があるなんて……全然気付かなかった……」

「それはそうでしょ。少なくとも、異世界と関わらないのであれば死ぬまで気付けない類の代物だし」



 言われて、剛は納得……したと同時に、ふと、疑問が新たに湧いた。



「ところで、反発を無効化ってのは何となく分かるんですけど、そもそも『反発』って、具体的にどんな……」

「極端な例だけど、私たちの世界のとある種族の一人が、こっちの世界に足を踏み入れた瞬間……場合によっては死ぬ」

「――死ぬ!?」

「そう、死ぬ。それも普通には死なない。境界線を越えてこっちの世界に入った部分が瞬時に炭化して実物大の炭の塊になる場合や、液状化して飛び散った挙句そのまま……なんてのも、有り得る話」

「…………」

「だからこそ、その法則からの反発を無効化出来る剛くんの『力』は私たちにとってはまさに起死回生の一手なわけ……で、ここまでは分かった?」

「…………」



 想像以上の話に絶句するしかない剛は、黙って頷くしか出来ない。「はい、よろしい」でも、それで十分と判断した女王は、そのまま話を続けるのであった。



「――で、話を最初に戻すのだけれども、君に風俗店のオーナーを任せるってのは、私たち『夢華屋』の本業が性風俗なの。色々手を出してはいるけど、元々がソレなわけ」

「はあ……」

「どんな商売をするにせよ、まずは名前を知って貰わないと駄目なわけで……そこで、私たちが持つ一番の強みである風俗業……つまり、『夢華屋日本店』を作る事を決めたの」

「はあ……」

「とはいえ、いざ開店……の段階になって、無視出来ない重大な問題が発生した……というか、見つかった」

「あ、そこでさっきの『法則』ってやつですか?」

「そう、そうなのよ。資金は用意出来るし、こっちに店は建てられる。でも、肝心要の風俗嬢……すなわち、私たち『夢華屋』が専属として雇っている『夢華嬢』たちを連れて来られなくて、計画はとん挫していた……ところを!」

「……俺が見つかった?」

「そう、その通り! 諸々の問題をスパッと解決出来る良い人材が見つかったから、スカウトに来たってわけ」

「……ようやく、全貌が見えた気分です」



 言いたい事も全部話して説明は全て終えた……と、言わんばかりに向けられる満面の笑みを前に、剛は……徐々に認識し始めた理解という二文字に、打ちのめされそうな気持ちになっていた。


 女王の話は、要はビジネスの話だ。そう、剛は思った。


 性風俗だとか異世界だとか何だとかは、重要ではない。自分たち(夢華屋)が儲かる為に、必要な要素(あるいは、才能?)を持った剛を勧誘しに来た。


 これまでの一連の話は、結局のところはそれだけである……が、しかし。その話で、絶対に無視できないのが……『夢華屋』という企業の規模である。


 女王の話が全て本当であるならば、一個人が叶う相手ではない。文字通り、警察どころか政府すら当てにはならない絶対的な権力者……その中でも、トップクラスに当たる者からの、直々の命令。



 ――両親は、憤慨してくれるだろう。もしかしたら、抵抗してくれるかもしれない。



 けれども、それをやれば待っているのは破滅だ。何をするにしても、戦力が違い過ぎる。仮にこちらに仲間が100万人居たところで、向こうにとっては手で潰すか殺虫剤を使うか程度の違いでしかない。


 泣こうが喚こうが、現実は変わらない。くしゃみ一つで自分だけでなく両親やその関係者すら社会的にも物理的にも消し飛ばしかねない、巨大な力を持った存在。



「……やるのは構いません。でも、分かっているとは思いますけど、俺は未成年で素人ですよ。経営とか、そういう関係の本すら読んだ事……それに、俺が持つ『力』だって、扱えと言われても扱い方が……」



 そんな、絶対者を前に……剛は、そう答えるしかなかった。



「あ、そこらへんは大丈夫よ。経営とか税金とかその他諸々はこっちで用意した子に任せるつもり……っていうか、さすがに素人に任せるつもりはないから」

「あ、そうなんですか?」



 ちょっと、安心した。


 素人が抱く不安など、女王(夢華屋)には御見通しだったのだろう。



「先に言っておくけど、仮に店が赤字になっても、負債云々を剛くんに背負わせる事はないから」

「本当ですか?」

「こんなしょうもない嘘はつかないわよ。それと、君が持つ『力』は常時発動しているようなものだから、こっちの指示を聞いて動いてくれれば、それだけで良いから」

「そ、そうなんですか……それなら、良かった」



 更に、安心する。とりあえず、慣れぬ未知をやれと命令されるわけでもなければ、借金を背負う事は無いと分かっただけでも気が楽になる。


 我知らず、剛は安堵のため息を零し――



「……それでね、時田剛くん。早速で悪いんだけど、君にはうちで働く夢華嬢たちをこっちに連れてきて欲しいんだよね~」



 ――た、その直後。



 本当に、早速の命令が下された。


 思わず、『え、いきなり?』と目を瞬かせたが、大企業のトップともなれば行動力もそうなのかな……と剛は己を納得させた。



「説明すると長くなるから省くけど、君の『力』は、君と相手が互いに了承することで100%の効力が発揮するの。なので、君には夢華嬢たちを何とか説得してこっちに招待してくださいな」

「あ、はい、分かりまし――え?」



 だが、納得させた直後に、何やら不穏な単語を聞き逃す事が出来なかった剛は……聞き間違いだよなと己に言い聞かせながら、甘い希望と湧き起こる不安と共に……尋ねた。



「あの……聞き間違いならいいんですけど、何とか説得して……ってのは?」



 すると、返されたのが……満面の笑みであった。ぞわっと、背筋を走る悪寒が嫌な予感へと形を変える最中……ポツリと、女王は答えた。



「……あのね、想像してみて。まずね、うちってば、本業は性風俗だけど、利益というか会社の規模は凄いわけ。言い方を変えれば、世界有数の大企業なわけよ」

「は、はい」

「さすがに末端まで……ってわけにはいかないけど、『夢華屋』が築いてきたブランドを崩さない為に、雇う人員はこれでもかってぐらい篩(ふるい)に掛けられるの。それが出来るぐらいに、毎年凄い数が来るの」

「……はい」

「そうなると……想像出来るわよね。それだけの競争を勝ち抜いてきた強者たちが、ある日突然、外国の……それも、聞いたこともないような国の小さな店に飛ばされる気持ち……そんな感じの憤りを」

「……もしかして、感覚としては……左遷みたいな扱いなんですか?」



 恐る恐る尋ねてみたが、女王は曖昧に微笑むだけで答えなかった。


 ある意味、それが答えであり、無言もまた返事であることを剛が思い知った瞬間となった。



「……冗談抜きでね、うちに雇われる風俗嬢ってとんでもなくレベルが高いの。顔も身体も一級品、頭だって客と円滑なコミュニケーションを取れるように様々な知識を入れているの」

「……それって、つまり?」

「はっきり言えば、滅茶苦茶プライドが高い。『夢華屋』の風俗嬢という立場に『誇り』を持っているから、金だけだとまず動いてくれない」

「ええ……」

「業務命令で働かせる事は出来るけど、それをやると確実に不満を溜めて後々ものすごーく面倒な事態に発展する……ので!」



 ぱしん、と。女王の両手が、剛の型に置かれた。満面の笑みを浮かべている、その顔を前にして……剛は、生まれて初めて。



「だから、貴方が説得してちょうだい。彼女たち『夢華嬢』が、『この人の為ならひと肌脱いでやってもいい』と……そう思わせてちょうだいな」



 笑みとは、時に、憤怒よりもよほど相手に恐怖を与えるのだと……剛は、初めて思い知ったのであった。





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