熱中症にはお気をつけを


「自分の身体の状態を見誤る医学者ってどうなの」

 ブロンドの髪を揺らしてレナが氷袋を持ってきてくれる。マルリナはベッドに寝転びながらそれを受け取り、困り顔で笑みを浮かべた。

「部屋に冷却の魔法もかけてたし、大丈夫だと思ったんだよ」

「身体が弱ってる時の魔法なんて、普段と同じ効果があるわけないでしょ」

「ごもっともです……」

 マルリナは氷袋を額にあてて目を閉じる。

 冷たすぎない氷は体内の熱を吸い取ってくれるようだった。水滴が滴って不快になることもない。さすが凍屋、とマルリナはつぶやいた。

「どうせ食事もほったらかして論文でも書いてたんでしょ」

「ばれたか」

「あんたの不摂生は学生の頃から知ってるし。私みたいに暑さが平気な身体じゃないんだから、いつか死ぬよ」

「気をつけます」

「とりあえず寝ときなさい、適当に作ってくるから」

 レナは精製した縦長の氷をベッドの傍に置くと、手を当てて呪の文言を唱えた。

 ひんやりとした風が吹き抜け、氷を中心に円形の魔法膜が張られる。密度の高い冷却魔法だった。

「ありがとう。レナの手はやっぱり涼やかだね」

「当たり前でしょ。氷職人の家に生まれてるんだから」

 レナは照れくさそうに言葉を吐いて、寝室から出ていった。


 慣れ親しんだ沈黙がやけに大きく聞こえる。

 マルリナは身体を起こすと、ベッドサイドに置いてあるグラスを手に取った。溶けることを知らない氷袋の氷を取りだしてグラスに放りこむ。

溶けろメル

 まじないの言葉を唱えると指先に針を指したような痛みが走り、レナの氷は水となった。必要な材料をつぶやき、手繰り寄せるように指を動かす。袋に入った粉薬は魔法の糸に引き寄せられて、ベッドに集まった。

 マルリナはそれらを水に混ぜて飲み干す。思ったより体力を消費していたのか、少し魔法を使っただけで息が切れた。

「どうしてこうも暑い日が続くのかね」

 気怠さと眠気が襲ってきて、薬が効能を現しているのが分かる。マルリナは睡魔に身を委ねて深くベッドに沈んだ。


 キッチンへ向かったレナは、あまりに家事をしない人間の冷蔵庫を覗いて唖然とした。数本のミネラルウォーターの他には、冷やす必要のない携帯食料と未使用の羽根ペンが入っているだけだった。

「夏バテ以前に、なにで生きてるのよ……」

 食材の定期配達便でも取ったほうがいいんじゃないかしら、と考えてから確実にそれらをダメにする姿が浮かんで首を振った。

「とりあえず、買い出しに行かなくちゃ」 

 起きたら小言のひとつでも言っておこう。きっちり請求して、それから晩餐をするのだ。久しぶりに学友と会う理由が夏バテの介抱とは複雑な気持ちだが、レナは気を取り直して外に出た。

 溶けない氷の身体は、炎天下の異常な暑さをものともしない。レナがその特異性を受け入れられたのは彼女のおかげだった。

 それにしても強い陽ざしが強い。レナは目を細め、買い物に向かった。

 

 意識を取り戻しても、まだ日は空の上にあった。さほど眠れなかったのだろう。マルリナは幾分軽くなった身体を起こして、腕を回した。

 倒れる前の記憶が蘇ってきて仕事部屋へ向かう。その机に書きかけの論文が放りだされるのを認めて息をはいた。彼女はこれを見ただろうか。中身は途中だし、肝心の部分は書けていない。それでもレナには公表まで隠しておきたかった。

 マルリナはすっかりインクの乾いた用紙を引きだしにしまうと、扉の開く音を聞いてベッドに戻った。

 引きだしのなかに押しこまれた論文には、『異常体質とその有用性について』と書かれていた。

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小さな奇譚集 雨屋 涼 @ameya_

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