四角の箱に囲まれているわけで
1
山下は入社して1ヶ月が経ったある日、部長に会議室へと呼び出された。会議室は広々としていて、山下はどこか落ち着きがなかった。
「あの、お話というのは」
「もう1ヶ月も経って、そろそろ新しいことにチャレンジしてもいい時期じゃないかと思っていてね」
「チャレンジですか」
「君だって、この会社に入ってずっと研修をしたかったわけじゃないだろう」
「それもそうですが」
「簡単な仕事だ。この会社はマーケティング事業が中心だ。その事業で必要な、培うべき能力をも手に入れる仕事だよ」
「いまいち、想像できないと言いますか。なんかぼんやりとして、あんまり実体の掴めない話だなって」
「お前に期待しているから、この話がある。入社試験の時は優秀だったという評価だ。研修の時も評価は上位に位置していた。ただ。ただね。研修時にアンケートを書いただろう。アンケートの中で『ニュースを見る機会はありますか』という項目に『少ない』と書いている」
会議室の無機質な机に紙切れ1枚が置かれた。山下は覗き見た。確かに見たこともある内容で、見たことのある筆跡。
「山下、お前だけだ」
部長は物足りなさを指摘している。
「駄目ですか」
「駄目じゃない。でも、情報を取り扱う人間がこんなのでは駄目だ。もっと多くの情報に触れていかなくては」
「それが今回の仕事」
「期待している」
はいと山下は頭を下げた。
2
山下は本社の中央部に位置する集合場所へ向かうように指示された。2枚の紙に書かれた内容は至って簡単なものだった。
集合場所は〜、集合時間は〜。持ち物はなし。情報端末は禁止。もう1枚に親切に集合場所までの案内図が印刷されていた。
エレベーターに乗り込み、集合場所のフロアへ向かった。降りたのは山下一人だけであった。通路には白い蛍光灯の光が燦々と降り注がれていた。案内図の通りに足を動かす。周りの壁は白く、足元には灰色の絨毯が敷かれ、殺風景。集合場所であるはずの部屋の前。これも灰色に塗られた片開きのドア。全てが殺風景だ。
集合時間5分前。山下は握りこぶしを作り、そっとドアに置き、弱く手の甲を当てた。2回。反応はなかった。もう一度当てた。2回。反応はなかった。灰色で光沢があるドアノブに触れ、下へ押し引っ張る。ドアが開いた。
中を覗くと照明はついていた。部屋も廊下と同様に壁は白く、床は灰色の絨毯。部屋の中央に長机が一つ、パイプ椅子が一つ。時間も来ていたので中へと進んだ。パイプ椅子を動かし、座る。
程なくして、ドアがノックされ、山下はそちらに体を向けた。ドアが開いたと思えば黒色のスーツを着た女性が一人、山下に向かってお辞儀をした。そして、ゆっくりと歩いてきた。スタイルは良い、髪は黒のロングヘアー。ジャケット、スカートは色気が皆無だ。胸元も首までボタンを留めている。
山下はある程度近づいてきたタイミングを計らい挨拶をした。
「おはようございます」
「おはようございます。山下さん」
顔色は一切変えない。「お越しいただきありがとうございます」
女性は頭を下げた。山下も釣られて頭を下げた。
「今から簡単な説明をします。そして、説明が終わりましたら仕事を始めてください」
「わかりました」
机に1枚の紙が置かれた。
「情報収集業務」
紙の上部にはそう書かれていた。
「これがこれからの仕事」
「はい。単純ですが、これから必要な能力を得るための重要な仕事です」
内容は「新聞等を使い、情報収集を行う。その情報を収集することでアウトプットする機会を設ける」
山下は「それだけですか」
「はい」女性は笑った。
「何日間行うものでしょうか」
「終了予定日は決まっていません」
「そうなんですか」
驚いた顔を見せても女性は同調も叱責をすることもしない。ただ話を聞き反応しているだけのロボットみたいだ。
「情報に触れることはとても重要です。それらを与えられた時に自分の体に取り入れる機会がないと、残念ながらこの業界では生きていけません。山下さんはニュースを見る機会が少ないとお答えになられましたね。そのような状態が続いているようですと、残念ながら」
「クビですか」
「生き残るのは難しいでしょうね」
女性が新聞記事をスクラップしたファイルを持ってきた。机に置き、今度はにっこりと笑い、「明日の10時にアウトプットの時間を設けます。その時まで、このファイルにある記事を読んでください」
山下は無言で頷くと女性は部屋を出ていった。
3
山下は、天井を見上げ「もしかしたら、窓際族?」と不安に溺れそうになった。頭を振り、姿勢を正し、ファイルに手を掛けた。鼻から息を強く吐く。
記事の内容は政治家の脱税。
「こんなニュースあったのか」というのが最初の感想だ。
隣のページには専門家による記事だ。倉田という専門家が「説明責任がある」という内容で寄稿している。その次には非難の的になった議員が否定をしている記事。
また、前の専門家による記事が出てきて「こんなのでは国民は納得しない」と書いている。
山下は「わかんねぇ」と項垂れる。
記事を読み続けると徐々にこの議員が起こしてきた過去の出来事が明らかになっていくと徐々に憎悪を感じ始めた。
過去の発言では「税金は国民のものなのか?」と質問してきたメディアに対し、「前に立つんじゃない」と邪険に扱い、再度コメントを求められると「説明する必要はなし」と答えたようだ。
やっぱり、政治家は駄目だ。自分たちのことしか考えていない。飛び込んでくる記事に毎度思う。
「検察、議員を逮捕」という記事。少しスカッとした。
翌日、10時。女性は山下の前に座り「どうでしたか」と聞いた。「知らない出来事でした」と答える。
「アウトプットの時間ですから、頭の中に残っている事を絞り出してください。感情的なことなんでも構いません。私が質問しますから答えてくださいね」女性は微笑んだ。
「まず、記事を見てどう思いましたか」
「どんな時代でも汚職なんてするやつはいるんだなって思いました」
「山下さんは最初の記事を見た時に、議員はどうなってほしいと思いましたか?」
「その時はまだ何とも。へぇとしか思っていませんでしたから」
「徐々に記事を読み続けると思ったことは?」
山下は少し間を開けた。そして「いいぞって」と答えた。
「悪いことなのだから因果応報だなって。駄目なことは駄目なんだって」
「最後に議員は逮捕されるわけですが、その時の気持ちは」
天井を見た。あの時と同じ白さ。
「ざまぁみろ」
女性は笑った。はっきりと笑った。
「ありがとうございます」
これで良いのだろうか。山下は頬を撫でた。不思議なものだった。感情が簡単に揺さぶられていたから。数時間もしない内に心のなかで会ったこともない政治家に苛立ちと殴りかかりたくなる憎悪が吹き出したからだ。
「最後に」
「はい」
「今回の記事、信頼度は10点中何点でしょう」
記事の発信元がどこなのか全く分からないことに今更気づいた。ただ、最初の記事から逮捕まで全てを追っかけていくと議員の暴くべきポイントまでわかった。それはとても良いことなのではないだろうか。
「8点ですかね」
「専門家の倉田という人物による記事の信頼度は?」
「9点です」
4
次の日も新聞記事を読んだ。今度は女性議員に関してだ。女性議員は野党を笑い者にしていくような発言で注目されていて、テレビでもキャラクターの濃い人と扱われていたようだt。野次を飛ばしたことに関しては謝罪をしない。
その彼女は過去の発言が新たに報じられ、それが問題となっている。
本当に政治家は馬鹿な奴らばかりで駄目だな。山下はそう思ったのだ。
○
「アウトプットの時間です」と女性は笑った。「お願いします」と山下は頭を下げた。
女性は山下の顔を見るなり、心配そうに聞いてきた。
「疲れてはいませんか?」
「疲れですか?」
「慣れないことを続けると体に異常が出たりしますから」
「いや、そんなことは」
「そうですか。今回は一人だけではありません。少し気分転換になるかと」
また女性は笑った。
「私は部屋を出ます。時間になりましたらお知らせします」
そう言って部屋を出ていった。
少しして、ドアがノックされ、男女二人が入ってきた。二人とも片手にパイプ椅子を持っている。男の方は短髪で上が水色のワイシャツに灰色のスラックスを、女性もショートカットで白のブラウスに黒のスカートを着ている。二人仲良く、よろしくおねがいしますと頭を下げた。
3人で円を描くように向かい合って座る。男が「記事見ましたか」と山下に聞く。
「女性議員の?」
「そうです。酷いですよね。発言は酷いものばかり」
女性が話に割り込んできた。
「私、この人テレビで見ていたときから怪しいって思っていたんですよ。そしたら半年前にこの記事が出て。本当、政治家ってどうかしてる」
男性が深く頷く。「全くそのとおりですよ」
二人が山下に顔を向け「あなたはどう思います?」と女性が聞いてくる。
「私は・・・」
男が「正直に答えてくださいね」と言う。
「ええっと、数日前にも政治家の汚職について報じる記事を見まして、今回もかと」
女性が軽く共感を表明するように頷き「あの党は本当駄目」と言った。「もっと突けばいっぱいホコリは出てくるかも」
「そうかもしれません。大体、私の税金を蔑ろにしようとしている奴らだという印象が強いんです」
「わかります!」と女性は叫んだ。山下は少し退ける動作をしたが、すぐに座り直した。
「馬鹿にしているんですよ、あいつらは。しかも女性議員は問題を抱えているらしいですよ。倉田さんが言うんです。本当、この国を駄目にしようとしてる」
「もしかしたら、総理になりたいのかも」
「それは絶対に駄目!」
山下は女性の勢いに押されそうになったが、
「だから、あの女性議員は説明が必要だし、必要あれば警察が捜査に乗り出すべきです」と言った。女性は、「そうですよね!」と叫んだ。
山下は賛同してくれたことにとても嬉しくなった。
○
二人は部屋を出て直ぐにいつもの女性が入ってきた。
「どうでしたか」と聞いた。
「初日は自分だけでしたので適当に考えていた部分もありましたが、今日は二人に共感してもらった部分もあったので良かったです」
「なるほど。それは良かった」
「共感してくれたことで自分は世間と同じ考えなんだなってホッとしました」
山下は笑った。女性も笑った。
「記事の信頼度は?」
「9点です」
それ以来、情報を貰っては二人と話す機会を設け、気づけば1週間以上が経っていた。二人は山下の意見に「わかります!」「そうですよね」と共感する。山下も「そうですよね」「いや言ってくれてありがとうございます」と話す。
無敵に思えるのも悪くない。山下は、天井を見て思う。
5
今回はまもなく始まる選挙についてだった。
「今回は15名程度のグループで行います」女性はそう言う。
「あれ、あの二人は?」
「参加します。残り12人が新しく入ってきます」
「そうですか」
「不満ですか?」
「いえ、そんな」3人で話す環境が当たり前であったからとは言えず、山下は黙り込んだ。あの環境が崩されるのはとても惜しい。
女性の先導で部屋を移動することになった。同じフロア内にあるもう一つのドアを開け、中に入る。いつもの二人が山下の存在に気づき、会釈した。山下もほっとして、顔の筋肉が緩んだ。他は男女6名ずつで男女のバランスは取られている。15人が同じ方向を向いてパイプ椅子に座る。
ここで気づいたことがあった。いつもの2人には変わったところはなかった。しかし、他の数名は仮面を被っていた。仮面は色とりどりで似ているものがひとつもない。仮面がどうもおかしく感じたが、周りは何も気に留めることもしていない。山下は一番うしろの空席に座った。
案内の女性が前に立つ。
「では説明をします」
昨日見た記事を元に一人ずつ意見を言い、共感できた人は拍手をする。拍手をしなかった人はどうして共感できなかったのか答える。但し答えなくても構わない。というルール。
記事の内容は失業者が増加しているというもの。
まず男性が立った。髪は後退している。仮面は被っている。男性は、「今すぐ、総理は野党党首である佐藤さんがするべきです。まず、彼はとても優秀です。元々、別の党の人間でしたが見切りをつけて今の立場があるわけです。彼は国民に目を向けている。なのに何ですか。今の政権は。経済対策なんて嘘っぱちだ!信じられない。今すぐやめさせるべきです。いや、やめろと言いたい!」
男性の叫びは山下にとって仮面をしていても共感できるものだった。他も拍手をしている。
50代近い女性が立つ。この女性も仮面をしている。
「以前にも問題があったのにも関わらず、のうのうと総理なんてやっています。この国はだめになる。皆さんもあの記事をご覧になったとおり、多くの人達が失業、自殺に追い込まれました。この国は終わりです!」
失業者数は過去で一番となった記事が渡された。これを引き合いに出し、総理大臣の辞任を求める意見が飛んだ。山下も全ての意見に共感した。案内の女性に「次の総理大臣になってほしいのは」と聞かれて、佐藤さんですと答えたほど。総理大臣はもうだめだねと3人で話している時にも思ったものだ。そして全員が出典元とするのは信頼できる発信源からの情報だ。
やっぱりそうだ。みんな思っているんだ。不満でしょうがない。山下は頷いた。
この繰り返しをしていくと途中で一人の男性が拍手をしていないとざわつき始めた。山下もその男性に注目をしたが、確かに拍手をしない。
案内の女性が前にやってきて、「そちらの男性にお伺いします。何かご意見をおっしゃってみては?」と言う。
男性はむくりと立ち上がり、前へ向かった。仮面を被っていない。男性の顔を目に焼き付けるように睨む人もいた。
全員が男性に注目した。
「まず、一つ言いたいのは、皆さんが信頼している情報源。どうせあの新聞社でしょ。あそこの信頼度は第3者による調査で信頼度は最下位。あと、あんた倉田って言ってましたね。評判を聞いたことはありますか?そこの記事を引き合いに出して、笑っちゃいますよ」
一人の男性が「何が言いたいんだ!」と叫んだ。
「嘘っぱちだってことですよ。最初の男性だって、次の女性だって元にしていた記事は記者による捏造ですよ?」
二人は血の気が引いたような顔をしていた。他の女性が叫んだ。
「そんなのありえない!」
「何がです」
怒り狂う二人に伝染したように他の人も怒声を飛ばし始めた。
「ここにいる全員が同じ考えよ!国民全員がそう思ってるわ!」
女性の叫びが終わったのと同時に、案内の女性が手を叩いた。
「終わりです。ありがとうございます」
6
今日は仕事が休みで友人と出会う事になった。友人と食事に向かった。レストラン内に大型のテレビが設置されていた。テレビはニュースを報じている。
「内閣支持率、上昇」
山下はショックを受けた。
「どうした」と友人が問いかけてくるが、「ありえない」という言葉と共に頭の先から足の先まで冷えたヘドロが流れた。
「どうしたんだって」
「あのさ、総理大臣いるじゃん。支持する?」
友人は後ろを振り向いた。「あのニュース?」小さく頷く。
「いや、興味ないし」
「興味ないは無いだろう」と山下は呆れたように言った。
「何だよいきなり」
「だからこの国はだめになるんだよ」
「キモチワル」半笑いで友人は言った。
仕事の日。女性と二人っきりで話していた。「お休みの日はどうでしたか」と聞かれたので、友人との出来事をありのままに話した。
「そうですか、大変でしたね」と話す。
「本当ですよ。わからないやつは本当にわからないまま。駄目になってることに気づかないんでしょうね。以前の男の人と一緒ですよ。自分で酔っちゃってる」
女性が机にファイルを置いた。ファイルは2つあった。
「2つ、ご覧になります?」と山下に問う。
「中身は?」
「今までご覧になった記事に関連するものです」
山下は静かにファイルを取った。1ページ目を開くとそこは女性議員に関する記事が並ぶ。「前、見たやつです」
「もう一つのファイルをどうぞ」山下の前に押し出す。
もう一つのファイルを開くとそこには女性議員に関する記事ではあったが、女性議員による否定の記事は記者による誤報であったというもの。見たことがない記事だった。
「どうですか」と女性が聞いてくる。
「見たことがないものです」
彼女は一貫して考えを露わにしないクズみたいな奴だ。
そんな結果はありえない。
「そうでしょう。だってあなたが欲しているものを選びましたから」
「それはそっちが提供したから。誤報なんて知らなかった」
「提供しました。それは確かに事実です。でも、それを受け取るか受け取らないかはあなた次第ですよね。誤報のニュースはあなたにとっていらない情報であるとこちらが判断しました」
女性は微笑んだ。
「じゃあ、あの二人も同じ環境下に」
「同じですよ」
「世間も僕らと一緒に思っているはず誤報なわけがないって、あの女性議員はクズなんだって」
女性は山下の訴えを嘲笑った。
「あなたとは違う考えの人は全員、勉強不足と片付けますか?渡される情報を全て正しいと無条件に思ってしまうのはあなたが望んでいたからではありませんか?他の可能性を考えたことはないですか?」
口が開いていることに山下は気づいた。
「私はあなたが望めば情報を提供できますよ。あなたが欲しいもの、あなたが好むものは少しずつ理解してきましたから。あの人達にだっていつだって会える。どうしますか?」
山下は、全てを疑った。今まで見ていた情報は世間から見たらどのような評価がくだっているのか。あれは、全てが正しいものじゃなかったのか?じゃあ、あの倉田ってやつは?今まで受け取っていた情報は自分が好むものばかりだったというのか?
自分とは全く違う考えを持った人間の存在を認めたくない。
「会えるんですか?」
信じられない。信じたくない。そんな思いが体を包む。
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