不在

 男の死体には、外傷などは一切見当たらなかった。先ほどの火災が死因であることは明らかだが、例の焼死事件とは無関係であるらしかった。男の体は、火元に近い部分は焼けただれて見るに堪えない有様であったが、黒焦げにはなっていなかった。

 しかし、張龍は何か違和感を感じずにはいられなかった。麦の上に落ちていた煙管──これがもしこの男の持ち物であったなら、何故こんな所で煙草を吸うのだろうか。煙草くらい堂々と吸えばいいはずである。

 何か人に見られては都合が悪いことでもあったのではないか。


「……まさか!」


 張龍は死体の懐に手を入れた。彼の予想は的中した。懐には麻の小袋が二つ。片方には煙草が、そしてもう片方には、少量の阿片が詰められていた。さしずめ煙草に混ぜて阿片を吸っていたところ、その阿片が悪い効き方をして昏倒。煙管に詰めた煙草が麦に引火したのだろう。

 これはより一層の調査が必要だ。そう判断した張龍はこの男の身元を調べ始めた。

 半刻ほど聞き込みを続けていると、男の身元自体は早々に判明した。出港を間近に控えたある運搬船の乗員が、何度数えても一人足りぬというのだ。その船の船長に現場に落ちていた煙管を見せたところ、どうやらその男が、一人足りぬその船の船乗りらしい。


「……それで、大鷲の旦那。本当に、あいつが阿片なんてやっていたんですかい?」

「ああ。彼が江城に来てから、何か様子がおかしいと思うことは無かったか?」

「そう言われましても、あいつは真面目な男で、煙草は少しばかり吸いますが、阿片どころか酒も女も博打もやらないような奴だったもので……」


 船長は少し考え込むと、何かを思い出したようで、再び口を開いた。


「強いて言えば、三日ほど前ですかね、他の船の船乗りたちと連れ立って、どこかへ出かけていくのを見ましたよ。思えば、その時からあいつが煙草を吸うのを見てません。阿片なんぞやってるのがバレたら縛り首になっちまいますから、煙草に混ぜて阿片を吸っていたんなら、確かに仲間にも見られたくはありませんわな」

「その、連れ立っていた船乗りたちの顔を覚えているか?」

「へえ、申し訳ありません。覚えてはいるんですが、昨日から姿が見えねえ。どうやらそいつらの船はもう出ちまったみたいなんでさあ」

「……そうか。時間を取らせて申し訳ない。貴重な証言、感謝する」




 突き刺すような西日が江城の街路に濃い影を落とし、人々は皆日陰を辿って家路を急いでいた。特に屯所の周辺は役所の庁舎が密集し、足元を見る分には夜と大差ないほどであった。

 そんな中、張龍は屯所を出ていく影を発見した。


「──! 大哥!」

「おお、小龍じゃないか。今日もご苦労だった」

「はい! 大哥はどこへ?」

「市中の見回りだ。くだんの下手人が見つかっていない以上、一星だけに任せている訳にはいかないと思ってな」

「そういうことでしたら、俺もお供します。今報告を済ませてくるので──」


 そういって横を通り過ぎようとする張龍を、李飛は制止した。


「駄目だ」


 李飛の声が、いつもとは違うように感じられた。少しの間、返事が出来なかった。


「……え?」


 李飛がゆっくりと振り返り、張龍の目をしっかりと見つめた。暗くてよく見えないが、その顔は険しいように見えた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに彼の顔はいつもの柔和な笑顔に戻った。


「お前の今日の職務は夕方までだろう? 志は立派だが、役人は分を越えて働いてはいけない。国とはそういうものだ。分かったな?」


 日頃から慕っている李飛に優しく諭されてしまうと、もはや食い下がることは出来なかった。張龍は今日起こったことを報告すると、その足で自宅に戻った。





 自宅に着く頃には、日もほとんど落ち切っていた。涼しくなり始めたのを見計らって、隣近所の人々が家を飛び出して忙しく動き回っている。江城の夏の風物詩、夏至祭があと十日ほどまで迫っていた。黒羊がもし十日後までこの街にいるようなら、是非とも連れて行こう。そんなことを思いながら、彼は玄関の戸を引いた。


「……?」


 しかし戸は開かない。戸締りがしてあるようだった。仕方がないので、張龍は勝手口に回った。


「帰ったぞ。おい、居ないのか?」


 大して広くもない部屋に、声が反響した。そこには確かに、誰も居なかった。

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