炎上
卯時の半ば頃、登庁した張龍は改めて昨日の簪のことを李飛に伝えた。彼には下手人が現場に他人の簪を置いて帰った意図が全くもって掴めなかった。優秀な大鷲である李飛ならば、あるいは下手人の心が読めるかもしれない。
「そうか、あの簪は下手人とは無関係か……」
「はい。はっきり言って、不自然です。飛の大哥はどう思いますか?」
「うむ……真っ先に思い付くのは、正体を隠すため、だ。お前が見つけた女らしき足跡に、落ちていた簪を突き合わせると、直感的に下手人は女だと誰もが思うだろう」
「鉤爪の目を欺くために、わざと?」
「まあ、推測でしかないがな」
「そういえば、一つ大哥に伝えておくべきことが──」
ふと思い出して、張龍は昨晩の襲撃についても話した。暴漢たちの顔は暗くて見えなかったが、口ぶりからしてやくざ者であろうということ、鉤爪を明確に敵視しているらしいということ、他にも覚えていることはすべて話した。酔った勢いならともかく、やくざ者が集団で鉤爪の役人に襲い掛かるという話を張龍は聞いたことがなかった。変死体の件も併せて、何か不気味なものを彼は感じていた。
「なるほど。それは災難だったな。で、そいつらは確かに『カシラの仇』と言ったんだな?」
「はい。ですが、大鷲の方ではどこぞの一家の若頭を逮捕したといった話はありませんよね? 何かあったとしたら
「ああ、分かってる。人づてになるからすぐにとは行かないが、話は通しておくよ」
一星の任務の大半は市中の見回りで占められている。悪事の臭いを嗅ぎつける嗅覚を鍛えるためだとか、様々な建前はあるものの、結局は最も人手が要るところに最も数の多い一星を回しているに過ぎないのだが。
この日、張龍の警戒心は異様に高まっていた。どこかを覗けば誰かが焼け死んではいまいかとびくびくしながら、彼は街のあちこちに目を向け、耳を傾けた。今日も今日とて酷暑であったが、いつかのように酒場に寄ることはしなかった。
さて、江城広しと言えども寄り道をしなければ案外遠くまで行けるもので、いつの間にか張龍は江城の西端、大江に面する港にまでたどり着いていた。威勢のいい船乗りたちの声が、天にも届きそうなほど響き渡っている。この場所からあらゆる物が天下に流通するのだと思うと、張龍は今でも気が遠くなるのだ。しかし、人や物が集まるこの巨大な
「……?」
焦げ臭い。どこかで香木を焚いている、という臭いではなかった。気を満足に練れない張龍の鼻は、他の大鷲に比べるとまるで利かない。それでも臭いに気付けたこと、そして周囲の人間が大して反応を示していないことを総合すると──
風上にある、小さな倉が目に付いた。恐らく、火元はそこだ。急いで倉に駆け寄り、戸を開け放つ。予想通り、倉の中では積みあがった麦の山から火の手が上がっていた。
「火事だ! 誰か水を!」
張龍の声で、ただでさえ喧しい港がさらに喧しくなった。幸い、火の勢いは弱く、間もなくして火は消し止められた。
それから半刻ほど経って、倉から煙を追い出し終わると、張龍は合流してきた大鷲数名とともに、被害状況を確認するべく倉の中を調べ始めた。乾いた麦は確かに燃えやすいが、かと言って勝手に燃え出す道理はない。放火だろうか、それとも何らかの不始末が原因だろうか。
焼け焦げた麦の上を調べていると、
恐る恐る、半ば確信を抱きながらその何かを見ると、それは紛れもなく、男の死体であった。
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