殺気
「最後にもう一度言うぞ、兄弟。カシラの仇だ、容赦はすんな! ぶっ殺せ!」
号令と同時に、五人の男たちが張龍と黒羊に襲い掛かった。二人は互いに背中を預け、これに応戦する。
張龍に向かってくるのは三人。得物は三人とも短刀。張龍は刀を抜かず、素手のまま対峙する。
まずは左に回り込み、包囲の中心を脱出。左端の男が他の二人の進路を塞ぐ形となり、一対一が完成。両者はにらみ合いになった。
先手を打ったのは相手。真っ直ぐに、腹を目掛けて一突き。その場で躱し、人中への正確な当身で反撃。怯んだ隙に短刀を叩き落とし、そのまま後方の仲間に向けて突き返す。
「──!」
ぶつかり合い、混乱する敵陣。その混乱に乗じて、手ぶらになった男の金的に蹴りを見舞った。残るは二人。酒が回っていても、その動きはあくまで滑らかだ。
一方、黒羊の相手である棍棒を持った二人組は、早くも地面に倒れ伏していた。すぐには起き上がれないと踏んだ黒羊は張龍の援護に向かおうとするが、それを二人組の片割れが呼び止める。
「待ってくれ! 俺らはそこの鉤爪に用があるんだ! だからそこをどいてくれ、頼む!」
「どう考えても、負けてから言う台詞じゃないよな? もう遅いよ」
「だったらせめて……足止めだけでも……!」
「あれ、もう立てるんだ。案外根性あるじゃん」
張龍の方を見ると、向こうの相手もまた、武器を失った者も含めてまだ戦意を失っていないようだった。彼は色々なことに呆れた顔で張龍に歩み寄る。
「仕方ないか……悪いな、兄ちゃん」
「ん? 急にどうし──」
次の瞬間、黒羊は道端の築地に向けて張龍を突き飛ばした。突然の暴挙に、自ずと暴漢たちの視線は黒羊に集中する。次の瞬間、暴漢たちはどす黒い
目の前の男から溢れ出す異様な気配が、夜の闇よりも更に暗い色として認識されたのだ。決して実際の現象ではないと頭で理解しているにもかかわらず、彼らは本能的な恐怖心から黒い靄を直視出来なくなっていた。
殺気。これが殺気なのだと、武術の心得の無い暴漢たちにも直感出来た。
「人を殺したいなら本気でやりなよ! そんな温い喧嘩じゃなくてさ!」
闇の中から挑発する声。暴漢たちが持って来た殺意などとは比べ物にならない、何か恐ろしい物を含んだ声色だった。
殺される。殺される。殺される。殺される。殺される。
全く同じ言葉が、暴漢たちの頭をよぎった。だが、体が動かない。この状況を脱しなければならないのに、頭が空回りするばかりで、足が前にも後ろにも進んでくれない。これ以上この場に留まれば、本当に──
「に、に、逃げろ!」
誰かが叫んだ。それでようやく、暴漢たちは正気を取り戻した。互いに目配せをすると、彼らは次々と逃げ出し、闇の中へと消えていった。
危険が去ったことを確認すると、黒羊は殺気を引っ込めた。
「急に突き飛ばしたりして悪かったね、兄ちゃん。怪我は無い?」
そうやって呼びかける声は、間違いなく普段の気さくな青年の物であった。しかし張龍は返事をしない。近づいて見てみると、彼は刀に手を掛けながらこちらを向いていた。いざとなれば止めるつもりだったのだろう。だが、足がすくんでしまっている。黒羊としては張龍が自分を直視しないよう配慮したつもりだったが、どうやら失敗だったらしい。
「さっきの『逃げろ』って声、やっぱり兄ちゃんだったか」
「すまない。もしもお前が本気だったらと思うと……俺はお前を信じてやれなかった。本当にすまない……」
「別に気にしてないよ。色々と言いたいこともあるけどさ、今日はもう帰ろうよ。明日も仕事でしょ?」
「……ああ。狭い家だが、どうか許してくれ。さあ、帰ろう」
二人は今になって初めて、遠くから虫の音が聞こえるのに気付いた。昼間と違って、涼しい夜だった。
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