第19話

「朱音」


 大陸縦断列車の線路から離れた、ある森の中。運行困難となった列車から転移魔術を使い、巨大な狼と共に離脱した男は、目の前でうずくまる女性に優しい声をかけた。


「丈瑠さん……列車に乗ってた人たちは?」

「全員無事だよ。赤城龍太くんとその仲間が頑張ってくれたお陰で」

「そうですか……」


 粉々に砕けた仮面を顔から外すのは、龍太たちにルーサーと名乗った女性だった。

 その名を、桐生きりゅう朱音あかね


 龍太と同じ世界、地球の日本出身でありながら、ある事情でこの世界に渡ってきた女性。敵の前にいる時とは違う口調で、殺気のひとつも出さず、安堵したようなため息を漏らした。


 そして、彼女の仲間であり大切な存在であるのが、男の正体だった。

 大和やまと丈瑠たけるという名の男は、うずくまったままの朱音へと歩み寄る。


「もう分かったでしょ? あの子は、朱音が思ってるような子じゃないよ」

「それでも、彼の存在が問題の根幹にあるのは事実ですので。根本から排除しないと、いずれ同じことが起こりますが」

「たしかにそうかもしれない。でも、朱音の体ももう限界だよ。無理に先輩たちの力を使うから……」

「そんなことは……ッ!」


 言い返そうとして、朱音がふらつく。あわや倒れそうになった彼女の体を、丈瑠が抱きとめた。

 初めて会った時よりも背は高くなったし、今では丈瑠との身長差が殆どない。その頃から大きな力を持っていることは変わらないけれど、今の朱音は、完全に憔悴し切っていた。

 それも全て、無理に手に入れた力の代償だと考えれば、妥当なものなのだろう。


「ほら、立つこともままならないじゃないか」

「……言うようになりましたね、丈瑠さん。一人でももう充分戦えるみたいですし、私が守る必要もないんですね」

「師匠があの人だったからね」


 思わず苦笑が漏れて、どこか遠いところを見るような目になる。

 丈瑠に魔術を教えた師匠は、なにせ過保護だった。朱音のことも彼から頼まれている。なにより、丈瑠自身も少しでも朱音の力になりたい。

 だから、これ以上の無理はして欲しくないのだ。


「たしかに、氷纒を使ったのは想定外でしたが。まだ負担は少ない方ですので。まだ戦えますよ。そして今度こそ、魔王の心臓ラビリンスの息の根を止める」


 憎悪の宿った瞳は、紛れもなく復讐者のそれだ。大切なものを奪われ、報復を誓った者の瞳。そこに他者の言葉が届く余地はなく、例えそれが恋人のものであっても。


 だが、丈瑠だけではなく、彼女にとってこの世で最も大切な、家族の言葉なら。

 そう思い、丈瑠は傍に控えていた狼の顔を見上げる。随分と人間臭いその狼は、ふぅ、とため息をひとつ。


『朱音、ここは丈瑠の言う通りにしてくれないか。これ以上傷つくあなたを、もう見てられない』

「アーサーまで、そんなことを言うの……?」

『今のあなたは、銀炎を使えない。一度死ねばそれで終わりなんだ。頼むから、体を大事にしてくれ。でなければ私は、主人に合わせる顔がない』


 まるで裏切られたかのように目を丸くして、狼を見つめる。

 アーサーと呼ばれた狼は、本当に心配そうな声で。ルーサーはそれさえも跳ね除ける。


「私たちの世界は、あいつのせいで壊れかけてるだよ! それなのに、その元凶を許せって⁉︎」

『元凶はあの少年じゃない。朱音も理解しているだろう?』

「それでもっ、魔王の心臓ラビリンスが余計な真似をしなかったら、本当なら今も、いつも通りの日常が待ってたんだよ! 未来を失うこともなかった!」


 もう何度目かも分からないやり取り。桐生朱音、ルーサーの中では、赤城龍太こそが悪だと決まっている。

 いや、頭では理解しているのだろう。ただ、納得がいかない。理性と感情が別々に切り分けられて、だから行動もちぐはぐだ。

 あれだけ殺すと息巻いておきながら、彼女には圧倒的な力がありながら、二度も見逃したのがその証拠。


「だから私が、魔王の心臓ラビリンスも赤き龍も、全部殺す。その邪魔をするって言うなら、丈瑠さんでも容赦はしませんが」

「……分かったよ。僕はそもそも、朱音の助けになりたくてここにいるんだから」


 これ以上の問答は無意味だと理解しているから、丈瑠から折れる。でも、ルーサーとして動くのは、本当に限界かもしれない。

 丈瑠たちの敵は赤城龍太だけじゃない。不穏な動きを見せるスペリオルの相手もしなければならない。やつらに赤城龍太の身を奪われる前に、なんとかしなければ。


 朱音の体を考えれば、他にも仲間が必要だ。桐生朱音のことも、ルーサーのことも理解してくれる仲間が。


 そう考えた丈瑠は、この世界にいる知己に連絡を取ろうと決めた。



 ◆



 列車が緊急停止したのは、フィルラシオ国内北側の草原だった。ノウム連邦から山を降って来たここは、龍太とハクアが滞在していたコーラルよりも気温が高く、日本人の龍太としてはかなり過ごしやすい気候と言える。


 とは言え、草原のど真ん中でのんびりすることもできない。

 現在乗客全員が列車から降りて、被害状況の確認を行っていた。


「怪我人は多少いるものの、軽傷の者ばかり。列車も取り敢えずはフィルラシオの駅まで運行可能のようだ」

「そっか、サンキューなジン」

「被害が最小限だったのは、ジンのお陰ね」


 代表して列車のスタッフたちから話を聞いていたジンが、取り敢えずの現状を報告してくれる。

 龍太とハクアはマンティスの、そして続けて現れたルーサーの相手にかかりきりだったから、お世辞でもなんでもなくジンのお陰だ。


「もちろんその礼は受け取るが、実は俺以外にも魔物の相手をしてくれた男がいたのだ。いつの間にか消えていたんだが……」


 周囲を見渡すジンだが、魔導師らしき男はどこにも見当たらない。


「せっかく聖獣がいたから、リュウタとハクアにも見てもらいたかったな」

「聖獣がいたの⁉︎」


 驚いた様子のハクアに、龍太は首を傾げる。彼女がここまで驚愕を露わにすることなんて、これまで滅多になかったのに。


 聖獣とは、曰く人間でもドラゴンでもない、それ以外の高い知性と知能、強大な力を持った生物。かつて起こった人間とドラゴン、龍神たちの三つ巴の戦争で、龍神の下について戦い、数を減らしたものたち。

 実は古代文明が滅びる前、ハクアが生まれるよりもっと前から存在しているのでは、なんて話もあるらしい。


 ジンが見たと言うのは、大きな白い狼だったという。

 さぞやもふもふなんだろうなぁ、なんてどうでもいいことを考える龍太。


 やはり考古学者としては、そんな聖獣が気になるのだろう。ハクアは肩を落としてため息をついた。


「わたしも見たかったわ、現代に生きる聖獣……もふもふ狼……」


 ハクアさん? 本音漏れてますよ?


「そう気を落とすな。旅を続けていれば、またいつか会えるかもしれないからな」

「そういえば、ヒスイは?」

「取材に行くと言っていたぞ」


 ほら、とジンが顎で示す先には、メモ帳片手に乗客から話を聞いているヒスイの姿が。ジャーナリストとしては正しい姿なのだろう。

 あるいはこれで、スペリオルの脅威を少しでも世に知らせてくれれば。


 それで奴らに対する抑止力になる、とまでは言わないが、少しでも多くの人たちにスペリオルのことを知ってもらえれば、それだけでの価値があるだろう。

 まあ今のところ、彼女が記事を作っているところは見たことがないのだけど。


 取材は一通り終わったのか、こちらに気づいたヒスイが駆け寄ってくる。


「お疲れ様ですみなさん! いやぁ、とんでもない目に遭いましたね!」

「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」

「いい記事には刺激的な体験が必要不可欠ですから!」


 見上げた根性だ。本人曰く、戦う力はあまり持っていないとのことだが、それでよく今まで生きてこれたものである。

 どうせ今日みたいに、訳のわからない事件や戦いなどには、積極的に巻き込まれていたのだろう。

 運がいいのか、あるいは引き際をちゃんと分かっているのか。


「でも、リュウタさんと白龍さまの戦ってるところを見れなかったのだけが残念です」

「見せ物じゃねえんだぞ……」

「あたしも一回くらい見たいですよ、バハムートセイバー。今変身できないんです?」

「リュータもかなり消耗しているから、勘弁してあげてくれないかしら」


 苦笑気味のハクアからやんわりと拒否されて、さすがのヒスイも素直に下がった。

 十分という制限時間から分かる通り、バハムートセイバーは消耗が激しい。時間内に変身を解いたとしても、龍太の体はそれなりに疲労している。


 ただ、それはハクアだって同じはずだ。

 バハムートセイバーは龍太の体を使って変身しているから、ハクアは外傷がない。それでもダメージはフィードバックされる。龍太が受けた傷と、同じだけの痛みは生じている。だから、休まなければならないのはハクアだってそう。


 いつも龍太の心配ばかりしているけど、果たしてハクアはなんともないのだろうか。実は見えないところで、龍太の知らないところで、思っている以上に消耗していたりしないだろうか。


 そう思いながらハクアをジーッと見ていると、龍太の考えは筒抜けなのか、優しく微笑みかけられた。


「わたしなら大丈夫。見ての通り怪我なんてないもの」

「いや、でも……」

「心配しすぎよ。わたしもリュータと一緒に休むから」


 まあ、龍太とハクアは十メートル以上離れられないのだし、龍太が休むと言うことは自然とハクアも一緒ということになるか。

 ハクアの言う通り、少し心配しすぎなのかもしれない。


 暫くすると車掌が運行再開を告げて、ぞろぞろと車内に戻って行く。ただ、寝台車両のある後部車両を切り離してしまったせいで、残された車両に全員を詰め込むことになってしまった。

 龍太とハクアの部屋も例外ではなく、何人かの親子連れの一般客と部屋を共にすることとなった。


「さすがに横になる訳にはいかないけれど、座って休んでいるといいわ」

「いや、子供もいるんだし、そっちに譲るよ。駅まで一時間くらいだろ? それくらいなら立ちっぱなしでも大丈夫だしさ」


 幸いにして、現代日本で生きていた龍太は列車、というか電車に慣れている。通学が電車だったわけではないが、市外に遊びに行く時などはよく利用したものだ。

 満員電車の経験だってあるし、一時間くらい立ちっぱなしでも何の問題もない。


 なんなら適当に筋トレでもしておこうかな、と思っていた矢先だった。この部屋を貸すことになった子供たちが、小走りで寄ってくる。全員十歳くらいの少年少女だ。


「おう、どうしたどうした、走ったら危ねえぞ」

「兄ちゃん、さっき戦ってくれてたんだろ?」

「鎧のおじちゃんが言ってたよ! みんな無事なのは、お兄ちゃんとお姉ちゃんのお陰だって!」

「鎧のおじちゃん……ああ、ジンのことか」


 彼はまだ二十二歳なのだが、子供たちからすれば十分におじちゃんなのだろうか。本人が聞いたら結構凹みそう。


 無邪気な笑みを浮かべる子供たちは、せーの、と声を揃えて。


「「「守ってくれてありがとう!」」」

「え? ……あ、おう」


 まさかそんなことを言われると思っていなかった龍太は、面食らってまともな反応が返せなかった。

 礼が欲しくて戦ったわけではない。見返りを求めたら、それはもうヒーローとは言えない。だから龍太は、強いて言うなら自分のために戦っていた。マンティスのスカーデッドとも、ルーサーとも。


「良かったわね、ヒーロー」


 隣に立つハクアが、まるで我が事のように嬉しそうな顔をしている。

 見れば、子供の親たちも、皆一様に龍太を見ていて。その表情に、感謝の色が滲んでいる。


 見返りを求めたわけじゃない。そんなものがなくても、この子たちが無事なら、それでいい。けれどそれでも、こうして感謝されると、胸の奥に温かいものが広がる。


 これが、自分の守ったものなのだと。実感が湧いて、意味もわからず目頭が熱くなる。

 自分がどんな表情をしているのかは分からないけど、情けない顔をしているのは確かだろう。それを子供たちにも、ハクアにも見られたくなくて、照れ隠しをするようにそっぽを向いた。


「べ、別に、俺一人の力じゃねえよ。マンティスはルーサーがすぐに倒したし、車両の中で実際に戦ってたのはジンだし。俺は結局、ルーサーの相手ばっかだったし」

「でも、兄ちゃんが一番大変だったって、鎧のおっちゃんは言ってたぞ!」

「お兄ちゃんは正義のヒーローなんだって!」

「だから、俺たちに遠慮しないで、兄ちゃんはちゃんと休みなよ!」


 腕を引っ張られて、無理矢理ソファに座らされる。どんな風に戦ってたのだとか、しんどくないのかとか、ハクアとの関係だったりとか、子供達に質問攻めに会う龍太。

 子供の相手は得意じゃないのだけど、不思議と苦じゃなくて。


 自分が、本物のヒーローに近づけているような。そんな気がした。

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