第17話

 エルの先導で、狭い列車の通路を駆け抜ける。レストランも遊技場も、バーもカジノも寝台車両もすっ飛ばし、そして最後尾の車両に繋がる扉の前までやってきた。


「きゅー! きゅー!」

「この先か……」

「ここは倉庫になっていて、一般の乗客は近寄らない場所だわ。シンプルだけれど、身を隠すには適しているわね」


 龍太は腰の剣を抜く。狭い場所では振り回すことができないが、今は生身だ。素手よりかはマシだろう。

 とはいえ、車両の横幅自体はそれなりにある。倉庫というからには物が多く置かれていそうだが、通路よりかはまだ広いはず。


 ハクアも担いでいたライフルを構え、龍太が前に出る形で扉を開いた。


 そして目に飛び込んできた光景を見て、絶句する。


「なんだ、これ……?」


 たしかに物はそれなりに置かれているが、奥が見通せないほどではない。その車両の一番奥に、二メートル大にも及ぶ黄緑の塊が。泡立ったような外観をしているそれに、龍太は見覚えがある。

 大きさこそかなり違うが、元の世界、子供の頃によく公園なんかで見つけたことがあるそれは、カマキリの卵だ。


「見てリュータ、人が!」

「あの人がギースさんか!」


 その卵の中から、人間の顔だけが表に出ていた。金髪碧眼の男性。探していたギースという男性は彼に違いない。

 生理的嫌悪感で鳥肌が立ちながらも、彼を救うために龍太は一歩踏み出す。


 が、それと同時に、卵に変化が起きた。下の方から溶けるように床に落ちていき、中から体長数十センチほどの幼虫が、大量に現れたのだ。


 やはり、その見た目はカマキリの幼虫だ。大きさこそ違うものの、間違いない。


「嘘だろ……!」

「扉を閉めるわよ! エル、簡易的なものでいいから結界を張って! 一匹も外に逃したらダメ!」

「きゅー!」


 ハクアが勢いよく扉を閉めた次の瞬間、カマキリの幼虫が襲いかかってきた。未だ未発達なはずの後ろ脚で跳躍し、こちらの顔面目掛けて前脚の鎌を振り上げている。

 だが、所詮は幼虫だ。脱皮も碌にしていない外皮は、剣を振るうまでもなく、ただ刃の部分で受け止めただけで容易く両断される。龍太の魔力に応じて増している剣自体の切れ味もあるとは思うが、これならなんとかなりそうだ。

 気持ち悪い緑色の血が飛び散って服を汚すが、この際気にしていられない。


 続け様に襲いかかってくる五匹を、剣を振り抜くことで纏めて斬り裂けば、背後から銃声。ハクアの放った弾丸は、カマキリへ向けて真っ直ぐ突き進むのではなく、斜めの角度から天井に。どこを狙っているのかとギョッとしたが、驚くべきことに、天井で跳弾した弾丸が幼虫の一体を穿ち貫き、また床で跳弾して別の幼虫に突き刺さる。それを何度か繰り返して、ひとつの弾丸で六体も葬っていた。


「すげぇ……」

「これくらいできないと、旅を長く続けられないもの」


 感嘆しながら、龍太も手は止めない。少し窮屈に感じながらも、剣を振るって幼虫を斬りふせる。


 今も幼虫が生まれ続けているが、最初の様に、一度に大量の幼虫が生まれるわけではない。このままいけば押し切れる。そう確信して、ハクアの銃撃と共に大きく一歩踏み出した。


 銃弾が乱反射する中を、真っ直ぐに突っ込む。弾丸は自分に当たらないと確信しているから。道を塞ぐカマキリが跳弾によって次々と倒れていき、その死骸を乗り越えて、龍太は卵の中に手を突っ込んだ。


「くそッ、気持ち悪りぃ!」


 悪態を吐きながらも、ギースの腕を掴んで引っ張り出す。粘液の様なものが絡まっているが、外傷は見受けられない。息もある。

 半ば引きずるようにしてハクアの元に下がり、卵の異変に気がついた。ギースを救出したことによって、その形を保てなくなり、崩れ落ちていくのだ。


「その人の魔力を養分をにしていたみたいね。ここで幼虫を産んで戦力を増やしてから動くつもりだったのでしょうけれど」


 言いながら最後の一体を屠り、ハクアは厳しい表情で車両の中を見渡す。

 ここは倉庫であり、ではなにが積まれていたのかというと、五日分の必要な物資だろう。食料を始めとした、五日間の旅に欠かせないもの。


「十分に被害が出てるな……犯人も出てこなかったし、まだ列車が出て一時間も経ってないんだぞ」

「きゅー……」


 エルが近くに倒れた木箱へ近寄るが、今の戦闘のせいで中身は床にぶちまけられていた。保存食の類いだろうか、踏み荒らされた今となっては、それがなんだったのか判別がつかない。


「とにかく、今は一度戻りましょう。彼の安全を確保するのが先決だわ」

「だな。それからスタッフに伝えて、医者も手配してもらわないと」


 四泊五日もの長い列車旅だ。もしもの時のため、車内には医者の一人くらい確保しているだろう。

 目を覚さないギースの体を担ぎ直し、二人と一匹はその倉庫を後にした。



 ◆



 救出したギースを医者とシエラに預け、ジンから車掌に事情を説明してもらい、一行は再び龍太とハクアの部屋に戻ってきていた。


 どうやら、ジンが向かった先にはなにもなかったらしい。あの最後尾の車両、倉庫になっていたあそこだけで、カマキリの卵が現れた。


「スペリオルの仕業、と考えるのが妥当だろうな。犯人は姿を見せなかったが、しかしこれは明らかに人為的なものだ」

「ええ。人間を苗床にして卵を産み、その魔力を養分にする。そう言った魔物がいないことはないけれど、ギースを攫った何者かがいるはずよ」


 そいつは、まだこの列車のどこかに潜んでいる。カマキリの幼虫を産んだのだから、当然敵はカマキリのスカーデッドだろう。これまで現れたやつらの法則からして、名前はマンティスか。


 厄介なのは、奴らが普段は人間と同じ姿をしていることだ。中身は機械なのだろうが、見た目だけはそこらの人間と何ら変わらない。せめてなにか、見分ける術があればいいのだが。


「……そういえば、スカーデッドは普通の人間と魔力が違う、よな?」


 以前、カメレオンと遭遇した時のことを思い出す。あの時に龍太は、初めて他者の魔力を感じ取ることができたのだが。

 龍太が感じたスカーデッドの魔力は、ドロドロとした気持ちの悪いものだった。その時一緒にいたジンやクレナとは、明らかに違った魔力。


「たしかに、スカーデッドの魔力は特徴的なものだわ」

「でもでも、さすがにこの中から感知だけで探すとなると、骨が折れるんじゃないですか?」


 ヒスイの言葉に、ジンもハクアも難しい顔で押し黙る。目の前に向かい合っている状態なら感じ取りやすいが、今この列車には百人以上の乗客がいる。スタッフも含めれば、数はさらに増えるだろう。


 感知魔術とは、範囲内の人数が多ければ多いほど、特定の一人を見つける難易度が増すらしい。その術を極めた魔導師ならともかく、ジンが得意としているのは重力操作系で、しかもバリバリに前線で剣を振るタイプの魔導師。ヒスイはそもそも感知魔術を使えないらしく、ハクアも自信はないのだとか。


 しかし、忘れてはならない。龍太の仲間は、その三人だけではないことを。

 ハクアたちも同じことを考えたのか、全員の視線がソファに座っている小さな黒龍、エルへと向けられた。


「きゅ?」


 この中で最も索敵に優れているのがエルだ。どの様な術を用いているのかは分からないが、いつだって誰よりも先に敵の気配に気づく。先程もそうだった。エルが警戒の声を上げてくれなければ、龍太たちの動きはかなり遅れていたことだろう。


「なあエル、少し頼ってもいいか?」

「きゅー!」


 まるで任せろ、と言わんばかりに翼を広げ、元気な鳴き声が返ってくる。その表情もやる気に満ちたものだ。


 そんな小さな友達に、ハクアが優しい微笑みを向ける。


「頼もしいわね」

「きゅ、きゅー!」

「そういえば、エルはまだドラゴンとしては赤子もいいところだろう。ハクアが育てたのか?」


 以前から気になっていたことなのか、ジンが唐突にそんな質問をする。

 たしかに、龍太もその辺りは詳しく聞いていなかったか。ただ、エルとは友達だ、とハクアからは聞いている。


「少し事情があって、わたしが卵から孵らせたのよ。だから大切な友達でもあるけれど、この子からしたらわたしは親ということになるわね」

「なるほど、リュウタさんと白龍様のお子さんですね!」

「ぶふっ! それはおかしいだろ!」


 ヒスイがとんでもないことを言い出すから、思わず吹き出してしまった。

 ハクアとエルはそりゃたしかに親子と言えるかもしれないが、龍太はそこになんの関係もない。エルとは仲間で友達だし、ハクアは、まあ、エンゲージは結んでるけど……。


 ともかく、ハクアと夫婦でもない限り、エルが二人の子供だなんて荒唐無稽な話だ。


「ったく、変なこと言うなよ……」

「別に変なことってわけじゃないと思うんですけどねぇ」


 全く悪びれないヒスイを睨め付けると、テヘッ、と舌を出した。可愛いけどムカつく。


「話が逸れたわね。敵の捜索は明日以降にしましょう。たしか、お昼前に一度駅に停車するのよね?」

「うむ、今夜にもノウムの国境を越えて、隣国のフィルラシオに入るはずだ。そこの駅で、二時間ほど停車すると聞いている」

「多分ですけど、殆どの人たちが列車から降りると思いますよ。ずっと車内にいても息が詰まりますし、せっかくの観光ですからね」

「その間なら、俺たちも動きやすくなるな」

「敵も、だけれど」


 だったら好都合だ。敵がその時間を狙って動くのだとしたら、余計に見つけやすくなる。おまけの人が出払うなら、被害も少なく収められるだろう。

 明日の昼前、フィルラシオの駅に停まる二時間で、ケリをつけなければ。



 ◆



 明くる日の朝。予定通り夜中に国境を越えた列車は、フィルラシオの駅に向かって進んでいる。敵の捜索を開始するのは、昼前に停車してからだ。それまでの間は体を休めておくように、とのことなので、ハクアとエルと部屋で寛いでいたのだが。


 コンコン、と部屋の扉がノックされた。

 ハクアと二人で顔を見合わせながらも、扉を開けば。昨日助けたギースの恋人、シエラがそこに立っていた。


「お休みのところすみません。昨日のお礼を言いたくて……」

「いや、別にいいっすよ。お礼とか見返りが欲しくて助けたわけじゃないっすから」

「その後、彼はどうかしら?」

「はい、おかげさまで容体も安定してきました。本当に、お二人が助けてくださったからです、ありがとうございます」


 深々と頭を下げられて、龍太は逆に恐縮してしまう。しかもこの様子だと、本当になにかしらお礼をしないと帰らなさそうだ。

 こちらとして、これ以上シエラを危険に巻き込みたくはないから、直ぐにでも部屋に戻って欲しいところなのだが。


「立ち話もなんだし、とりあえず入ってください」

「ありがとうございます。本当に……驚くほど無防備で、助かりました」


 シエラの声が、ゾッとするほど低いものに変わった。ゾクゾクと背筋に嫌な予感が走り、咄嗟に飛び退き距離をとる。

 先程まで龍太とハクアが立っていた場所には、ナイフが突き出されていた。


「なっ、まさかあんた……!」

「カメレオンのカートリッジを回収していて正解だったわ、まさかここまで全く気づかれずに近づけるなんてねぇ!!」

『Reload Mantis』


 どうやら、そのまさかだったらしい。

 シエラが懐から取り出した紅いカートリッジが、変形した機械の腕に装填、無機質な音を響かせる。

 女の全身が紅い球体に包まれ、それがドロドロと溶けて消えると、中からは紅い体を持った二メートル以上の巨大なカマキリが現れた。


「あんたがスカーデッドだったのかよ!」

「ええ、そうよ! 私はマンティス! フェニックス様からの命を受け、あなたを捕まえに来たわ、アカギリュウタ!」

「……マズいわリュータ、列車の中で、昨日のあの幼虫の反応が増えてる」

「くそッ……! そっちはジンとヒスイに任せるしかねぇか!」


 ハクアと手を繋ごうとしたのだが、互いの間にマンティスの鎌が振り下ろされ、変身を阻まれる。舌打ちして剣を抜くが、ハクアとは話されてしまった。

 マンティスの大きな体では、この部屋の中でも動きにくいだろう。だが、変身さえされなければどうとでもなると思っているのか、ここから出るつもりはないようだ。


「変身するには手を繋ぐか、十メートル以上離れなければならないのでしょう! これでバハムートセイバーは封じたわ! 列車も私の可愛い子供たちが制圧する、これであとはあなたを捕まえたらわたしの勝ちよ!」

「させるかよッ!」


 背後に回り込み、後ろ脚に剣を振り下ろす。しかしその一撃は防壁に阻まれ、ナイフを抜いていたハクアの攻撃も、同じく防壁によって弾かれていた。そして前脚に備えられた二本の鎌が、それぞれ龍太とハクアに襲いかかる。


「防壁二箇所とか、セコいだろ!」

「この距離じゃライフルも使えない……!」


 右手にライフルを持っているハクアだが、なにせマンティスとの距離がこうも近ければ、取り回しが悪すぎる。止む無く太腿のベルトからナイフを抜いてはいるものの、あのナイフは本来、牽制などに使うものだ。


 どうするべきかと思考を巡らしながらも、迫る鎌の攻撃をなんとか躱していると。マンティスを挟んだ向こう側で、ハクアが天井にライフルの銃口を向けていた。


「あまり列車を壊したくはなかったのだけれど、こうなってしまったら仕方ないわね」

『Reload Explosion』


 そして、容赦なく発砲。光弾が天井にぶつかると同時に小さな爆発が起こり、列車の屋根に穴が空いた。

 マンティスが頭上に気を取られた隙に、純白の少女は素早く身を翻す。龍太の体を軽々と抱え上げ、空いた穴から列車の屋根に飛び乗る。強い風にあおられて、白く美しい長髪が靡いた。


 穴から距離を取ってハクアに下されると、続いてマンティスも屋根に上がってくる。表情なんて分からないが、どこか怒気を帯びているように感じられた。


「おのれ……! まさかそっちから列車を破壊するなんて……!」

「奇遇だな、俺をビックリしてるところだ」


 いや本当、まじでビックリした。急に天井を壊すから何事かと思ったが、こうして屋根の上に出た方が戦いやすい。さすがはハクアだ。下に残してきたエルが心配だが、自衛するだけの力をエルも持っている。

 ここからは、心置きなくこいつをぶん殴ることに集中しよう。


「あのギースって人、元々恋人でもなんでもなかったんだな」

「ええそうよ! 私が捕まえて、私が苗床にしたの! でもハズレだったみたいね、魔力が少ないから子供達を産むのにも時間が掛かった。お陰であなたたちに邪魔されたのだから! 本当は死ぬまで魔力を絞ってあげる予定だったのに!」

「人の命をなんだと思ってるのよ……!」


 龍太一人を捕らえるために、大勢の人を犠牲にする。そんなことを認めるわけにも、許すわけにもいかない。

 怒りに震える二人はマンティスを強く睨み、手を繋いだ。


「ここにいる人たちは、お前の養分になるためにいるんじゃない!」

「大切な人たちと、旅を楽しむため、この列車に乗っているのよ! あなたなんかが邪魔していい理由はないわ!」

「「誓約龍魂エンゲージ!!」」


 白い球体に包まれ、それが弾けて消える。

 現れた純白の戦士は、紅い瞳に怒りを宿らせ、剣を抜く。


「下らない説教を……! 何様のつもりよ!」

『わたしたちはバハムートセイバー!』

「お前を倒すヒーロー様だよ、覚えてろクソカマキリ!」


 剣を構えて屋根の上を駆け出した、その瞬間。


 マンティスの体が縦一文字に両断された。

 あまりにも唐突なその出来事に、足を止めてしまう。マンティスは悲鳴を上げることすら許されず、緑色の体液を撒き散らしながら、風に飛ばされて列車の上から落ちていった。


 そして姿を見せたのは、龍太の命を狙う仮面の敗北者。


『ルーサー……!』

「テメェ……なんでここに……!」

「貴様を殺すため。それ以外に理由が必要か?」


 刀に付着した緑の血を払い、キン、と残酷なほどに綺麗な音を立て、鞘に収められる。

 だが手は刀に添えられたまま、深く腰を落とした。居合いの構えだ。やつのスピードは前回に嫌と言うほど味わった。あの速さでの居合いはマズい。達人の居合い斬りがどれほどの速度に到達するかなんて、詳しくない龍太でも知っている。


 ましてや、魔導の力を利用するなら。

 光を超える、なんて馬鹿げたことを言われても、信じてしまうだろう。


「今回は逃がさんぞ、魔王の心臓ラビリンス

「やれるもんならやってみやがれ」


 だが、それでも。

 殺されるわけにはいかない。

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