第14話

 その横顔を、見上げていた。


 男の子にしては低いのだろうけど、それでもわたしより高い背丈。幼さが残る横顔には、強い意志の篭った瞳が。


 本当なら、弱音の一つでも吐いていいのに。誰もそれを咎めないのに。いつだって誰かのためを思う彼は、あまりにも真っ直ぐで眩しくて。


 思わず見惚れてしまう。もう何万年生きたか分からないこの生の中で、こんな感情に囚われるとは思いもしなかった。


 リュータ。わたしのヒーロー。

 あなたならきっと、この長い長い旅を、終わらせてくれる。



 ◆



 コーラルに滞在する残りの日数は、ジンの家でお世話になることになった。

 街の北側、川が通っているメインの大通りから外れた住宅街。ギルドからもそう遠くないらしいそこに、一人暮らしには広すぎるくらいの一軒家が。


「暫くはうちを遠慮なく使ってくれ! 部屋だけは無駄に余っているからな!」

「ありがたいけれど、また随分広い家なのね」

「元々誰かと住んでたのか?」

「ジンさんは一人暮らしですよ。パートナーのクレナさんとは別々に暮らしていたみたいですし、恋人もいません。独身です」

「ヒスイ、その情報は今必要だったか……?」


 どうやら、筋肉馬鹿と揶揄されるジンでも、独身を指摘されるのはちょっと心にクるものがあるらしい。一転してしょぼんと大きな体を縮こませている。

 どうやらまだ二十二歳らしいから、そこまで気にすることでもないのに。


「家が広いのは、金が無駄に余っていたからだな。心配しなくてもいいぞ、広いからと言って掃除は怠っていない。なぜなら! 良い筋肉とは環境から整えてこそ、だからな!」


 聞いてない聞いてない。同意はするけど、そこまで力説しなくていいから。


 お言葉に甘えて遠慮なく中に入る。玄関で靴を脱ぐことはない。この辺りは日本風じゃないのか、と思いながらも廊下を進み、リビングに出た。


「おお、たしかに綺麗にしてるじゃん」

「チラホラと筋トレ道具を飾ってるのが気になるけれど……」

「なに言ってんだよハクア、男なら家にひとつやふたつ、筋トレ器具持ってるものだぜ」

「そ、そうなの……?」


 可愛らしく小首を傾げるハクアに、うんうんと何度も頷く。

 龍太も家にダンベルをいくつか置いてあった。ちなみにお気に入りは、去年詩音から誕生日プレゼントに貰った腹筋ローラーだ。


「白龍様、別にそんなことはないですよ。この二人がちょっと変なだけです」

「おい! 変ってなんだ変って!」

「そうだぞ! 男たるもの、己の肉体を磨き上げ、より高みを目指すものだ! 変なことなどなにもない!」


 ヒスイの暴言に、男二人が騒ぎ立てる。なんて酷いことを言うんだ、このパパラッチは。


 とりあえずリビングを出て、家の中を案内してもらった。キッチンや風呂場に洗面所、トイレ、それぞれが使う空き部屋。

 部屋分けは当然のように、ハクアと同じ部屋になってしまった。ジンの余計なお節介なのだろうが、もはやなにも言うまい。


 もう一度リビングに戻り、ジンが四人分のコーヒーを淹れてくれて、四人でソファに腰を落ち着かせる。


「さて、リュウタ。俺に剣を教えてほしい、と言う話だがな」

「引き受けてくれるか?」

「もちろん引き受けるとも。だが、今すぐにはダメだ」


 その理由には察しがつく。病み上がりだから、怪我が完治していないから。そう言いたいのだろう。

 まさしく正論、龍太には返す言葉もない。


「これからは俺も旅に同行する。その間、リュウタに剣を教える時間はいくらでも取れるだろう。今はまだ、怪我の療養に時間を費やす時だ」

「でも……ッ」

「リュータ、わたしもジンに賛成よ。あまり無茶はしないで」


 眉根を寄せて心配そうなハクアにも言われてしまうと、龍太は弱ってしまう。

 怪我が完治しないうちに無理をして、それで悪化してしまえば本末転倒。とんだ回り道になる。

 それが分かっていても、龍太の気持ちは急いてしまうのだ。


「……分かった。その代わり、なにかできることはないか? 二週間ジッとしとけってのは、逆にしんどいからさ」

「うむ、そう言うと思って、いくつか仕事を用意しておいた。ひとつ、配達を頼みたい」


 少し待っていろ、と言って、ジンがリビングを出ていく。そして彼が持ってきたのは、それほど大きくもない木箱だ。


「中に薬草が入っている。これを依頼主の足湯屋まで届けて欲しい」

「それ、ギルドの仕事じゃないですか? 良いんですかジンさん、職務怠慢ですよ」

「気にするなヒスイ。クローディア様から許可は貰っている」


 木箱を受け取ると、かなり軽い。中身が薬草というのは本当らしい。


「今日からいくつか、こう言った仕事を頼むつもりだ。もちろん、働きに応じた報酬は用意している。これからの旅には、当然金が必要になるだろうからな」

「金か……気にしてなかったけど、たしかにそうだよな」


 村を出てからは金が必要な場面なんてなかった。関所に滞在していた時も、そこにいた将軍の好意で、宿や食べ物は無償で提供してもらえたし。

 ただ、今いるコーラルやドラグニアの城都など、大きな街になればなるほど、お金は必要になってくる。


 宿にせよ、食事にせよ、娯楽にせよ、お金があるに越したことはない。


「よし、分かった。行こうぜハクア」

「ええ。ついでにそこの足湯に入っていきましょうか。普通の温泉とは違うのだし、それならリュータも構わないでしょう?」

「まあ、足湯ならな」


 なんかデートみたいで小っ恥ずかしいけど、足湯くらいなら別にいいだろう。あんまり拒否し続けるのも、龍太の良心が痛むし。


 木箱を抱え直して、ハクアと二人で家を出る。ヒスイはジンに首根っこ掴まれていた。やっぱりついてくる気だったのか、あのパパラッチ。



 ◆



 大通りに戻り、ジンからもらった地図を頼りに南へ下っていく。入院していた病院よりも、更に南へ。

 すると旅館がいくつも見えてきて、より温泉街っぽい景観が二人を待っていた。


「本当なら、この辺りの旅館のどこかに泊まる予定だったのだけれど」

「金は?」

「あるわよ?」


 あるんだ。いや、ハクアは結構長く旅をしているみたいだし、そりゃ持ち合わせがあるのは普通なんだろうけど。

 どうやら、一文なしは龍太だけらしい。女の子にお金を払われるのは、男としてちょっと思うところがあるので、旅館に泊まることにならなくてよかった。

 ていうか、そうなったら問答無用で一緒に温泉入る羽目になってそうだったし。


 目的の足湯屋は、交差点の一角に位置していた。足湯自体は街が見渡せるよう外にあって、お茶を飲める室内スペースもある。

 二人で店の中に入ったのだが、どうにも人の気配がしない。


「すみませーん。ギルドの依頼で薬草持ってきましたー」

「誰もいないのかしら?」


 客どころか、店員すら見当たらない。しかし閉店中の看板も出てなかったし、ギルドが今日薬草を持ってくるのは当然把握しているはずだ。


 失礼かと思いつつ、レジカウンターの向こうも覗いてみる。だがやはり、そこにも人はいない。


「いないな……」

「ジンの連絡ミスかしら」


 更に店の奥へ進んでみる。恐らくは店員の居住スペースらしきところまで。

 するとそこの畳の上には、一人の老婆が血を流して倒れていた。


「……ッ! おいばあちゃん! 大丈夫か⁉︎」

「大丈夫よリュータ、出血は少ない。気を失っているだけみたい」


 木箱を乱暴に置いて、倒れた老婆に駆け寄る。うぅ、とうめき声が口から漏れ、薄らと瞼が開けられた。


「君たちは……」

「ギルドから薬草の配達を頼まれてきたわ。なにがあったのか聞かせてくれるかしら?」

「に、逃げなさい……早く……」

「ばあちゃん? おい、大丈夫か⁉︎」


 胸を押さえて苦しみ出した老婆。言葉の意味も分からず、龍太は混乱する。

 逃げろとは、どう言うことだ。ここでなにがあった?


 状況が分からないのはハクアも同じなのか、人差し指を顎に当て、考えるように黙り込んでいる。


「ハクア、早くばあちゃんを病院に連れてかないと!」

「……いえ、待ってリュータ。なにかおかしい。魔力の反応が、変化してる」

「は?」


 どう言うことだ、と。尋ねようとした、その瞬間。

 老婆の体に異変が起きた。

 生々しくグロテスクな音を立てながら、骨格が変化していく。みるみるうちに二人の体よりも大きくなって、驚愕に包まれる龍太を、一瞬の浮遊感が襲った。ハクアが龍太の体を抱えていたのだ。


 急いで外に出れば、店の屋根を突き破るようにしてドラゴンが現れた。


『■■■■■■■!!!!』


 咆哮が轟く。

 突然街中に現れたドラゴンに、道を歩く人々は驚いて足を止める。砕けた屋根の破片が道路に落ちて、車の上にまで落ちていた。


「なっ……! どうなってんだよ、これは⁉︎」

「信じられないけれど、人間がドラゴンになったとしか言いようがないわ!」

「あのばあちゃんがドラゴンだったわけじゃないのか⁉︎」

「違う、魔力は紛れもなく人間のものだったし、それがドラゴンのものに変化した!」


 ドラゴンは両手を振り回し、近隣の建物も破壊していく。付近にいるドラゴンは、その全員が戦えるわけではないのだろう。人間と共に逃げ惑う者も見受けられる。


 非常にまずい。

 ここは完全に観光者向けの地域だ。コーラルの中でも、特に人が多い。

 もっと言えば、龍太もハクアも、武器を置いてきていた。ハクアは太腿に巻いたベルトにナイフを隠し持っているが、それだってドラゴンの巨体には通用しないだろう。


「ハクア、とにかく変身だ! ライフルが遠くにあってもできるだろ⁉︎」

「出来るけれど、それだとリュータが……」

「言ってる場合かよ!」


 誓約龍魂エンゲージは、互いの心が同調しないと出来ない。どちらか片方が変身を拒否していれば変身できない。


 こうやって言い合っている間にも、ドラゴンはこちらに狙いを定めている。長い尻尾を振り回し、近くの建物を破壊し、車を薙ぎ倒しながらも真横から襲ってきた。

 ハクアが龍太の体を再び抱えて、大きく跳躍。交差点を挟んだ位置にある建物の屋根に飛び移る。


「とにかく、リュータはここにいて! ギルドの魔導師がすぐに来るはずだから、それまではわたし一人で時間を稼ぐわ!」

「無茶だって!」


 静止の声も聞かず、太もものベルトからナイフを二本抜いたハクアは、また別の屋根へ飛び移った。

 そこから一本のナイフを投擲、ドラゴンの眼前で激しい閃光を撒き散らす。思わず目を覆った龍太の視界が回復した頃には、ハクアはドラゴンの首元に飛び移り、そこに刃を突き立てていた。

 たしかあれは、強力な麻痺毒を出すナイフだったはず。だがそれが通用している様子はない。もがき暴れるドラゴンにハクアは振り落とされ、近くの車の上へと勢いよく墜落した。


「ハクアッ!」

「くッ……やっぱり、この魔導具だけじゃ……!」


 容赦なく、ドラゴンの追い討ちがハクアへ迫る。大きな足で踏み潰さんと目の前まで近づいていた。

 なにか、なにか出来ないか。変身しなくても、剣がなくても。出来ることがあるはずだ。


「こっちを見やがれ!」


 体内の魔力を、外に放出する。大切なのはイメージだ。細かい術式がどうだとか、そんなの今はどうでもいい。

 手を前に掲げ、小さな光弾が生まれる。

 魔力に攻撃の指向性を持たせ、弾丸として放つ!


『■■■!』


 上手くドラゴンの顔に着弾したが、ダメージが入っている様子はない。しかし、注意はこちらに向けられた。

 ハクアの前からゆっくりとこちらに移動してくる。その隙にハクアもその場を離脱して、急いで龍太の隣へ移動してきた。


「魔力借りるわね!」

「ああ!」


 凶悪な爪が振り下ろされる。

 手を繋いだハクアが龍太の魔力を使い、防壁を展開。激しい音を鳴らしてぶつかった。


「もう、無茶なことはしないで!」

「こっちのセリフだっての! 俺たちはふたりでひとりなんだろ! だったら、ハクアもちょっとは俺を頼ってくれよ!」


 ハッとしたように目を見開くハクア。

 ふたりでひとり。

 いつも龍太ばかりがハクアに助けられていて、こういう時、ハクアは龍太を頼ろうとしない。それはおかしいだろう。


 男としてとか、そういうことよりも。ハクアとは一心同体、運命共同体。言い方は色々あれど、互いに頼って頼られて、そういう関係のはず。


「分かったら、さっさとあのばあちゃんも助けて、街の人たちも守るぞ! そのための力だ!」

「……そうね。ごめんなさい、リュータ。あなたはもう、強いものね」


 柔らかい微笑みに、龍太も笑みを返す。

 握った手に力を込めて、強く言葉を紡いだ。


「「誓約龍魂エンゲージ!!」」


 二人の体が光に包まれ、強い衝撃が放たれる。ドラゴンの巨体が弾かれて、瓦礫の上へと倒れ伏した。


 遠くからハクアの龍具が飛来し、光りの中へと入り込む。

 そして純白の鎧と赤い瞳の仮面を持つ戦士が、コーラルの街中に現れた。


「それで、どうしたらばあちゃんを元に戻せる⁉︎」

『原因が分からないことには対処できないけれど、とにかく一度落ち着かせましょう! 少し力尽くになってしまうけれど!』

「この際仕方ねえな!」


 バハムートセイバーが屋根から飛び降りる。倒れたドラゴンも起き上がり、威嚇するように唸りながらこちらを睨んでいる。


 先に動いたのはドラゴンだ。口元に魔法陣を展開させて、そこから炎のブレスを吐き出す。後ろにあるのは木造の建物。避ければ延焼は免れない。


『Reload Vortex』

「させるか!」


 カートリッジを装填し、ガントレットから直接渦を放つ。炎を絡め取り封じ込め散らす。ブレスが通用しないのを見たドラゴンは、大きな翼を広げた。空へ逃げるつもりだ。


『逃がさないわよ!』

「ああ! これでも喰らえ!」


 高く跳躍。ドラゴンの脳天に踵落としが突き刺さる。頭を地面に強くぶつけて、ドラゴンの体は動きを止めた。

 その隙にカートリッジを装填。狙うのは翼だ。機動力をなくし、ここから逃がさないために。


『Reload Execution』

『Dragonic Overload』

「おらぁぁぁぁ!!」

『はあぁぁぁぁ!!』


 空中で姿勢を制御し、紅いオーラを纏った蹴りが翼を突き破った。

 耳をつんざく悲鳴が響き、ドラゴンの体が粒子となって消えていく。まさかと思ったが、完全に消えた頃には老婆の小さな体が地面で倒れていた。


「良かった、死んだわけじゃなかったのか……」

『リュータ、まだよ!』


 ホッとしたのも束の間、横から炎の鏃が襲ってくる。ハクアが体の主導権を咄嗟に奪って、すんでのところで躱す。

 鏃が飛んできた先を見やれば、炎を纏った不死鳥がそこに。


「残念、上手くいきませんでしたか。人間のドラゴン化は、まだまだ課題が山積みですね」

「テメェ、フェニックス!」


 初めて龍太たちに接触してきたスカーデッド、フェニックスだ。炎の翼をはためかせて空を飛び、見下ろすようにバハムートセイバーを睨んでいた。


「お久しぶりですね、バハムートセイバー。怪我で満足に動けないと聞いていましたが……」

「そんなわけが……くッ……!」


 強く言い返そうとしたのだが、急に力が入らなくなって膝から崩れ落ちる。やはりハクアの言う通り、変身はまだ無理があったか。制限時間も来ていないのに。


「やはりですか。今のあなたを倒してもつまらない、今日はデータも取れたことですし、お暇するとしましょう。龍の巫女が来ても面倒ですしね」

『待ちなさい! 人間のドラゴン化だなんて、どういつもり⁉︎』

「我々スペリオルの計画、人類の変革のひとつ、とだけお答えしておきましょう」


 人間をドラゴンに変えるのが、人類の変革だって? なにを馬鹿なことを。この世界は、人間とドラゴンが手を取り合い、共存しているんじゃないのか。


「それではバハムートセイバー、また会う日まで。くれぐれも、勝手に死なれては困りますよ。あなたを倒すのはこの私、フェニックスだといつことをお忘れなきよう」

「待て!」


 そう言い残し、フェニックスはどこかへと飛び去ってしまう。追いかけようとしたが、空を飛ばれては手出しできないし、龍太も体が限界だった。

 制限時間前だというのに変身が強制解除され、龍太は膝をついたまま立ち上がれない。傷口が開いて、服に血が滲んでいた。


「リュータ!」

「俺は大丈夫だから、先にばあちゃんを……」


 無理矢理立ち上がり、ハクアに肩を貸してもらいながら、道に倒れている老婆の元へ向かう。

 息はある、死んでいない。そのことにホッとしながら、喧騒が近づいてくるのに気づいた。


「ギルドの魔導師が来たみたいね。あとはあちらに引き継ぎましょう、リュータはまた病院よ」

「悪りぃ、ハクア。でも、ばあちゃんが無事で良かったよ」

「もう……」


 ここに及んでも人の心配をする龍太に、ハクアは困ったようにため息を吐きながらも、優しい微笑みをこぼす。


 その後は遅れてやってきた魔導師たちに任せて、龍太は早くも病院に送り返されるのだった。

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