怒りの呼応

第9話

 目が覚めると、ハクアのめちゃくちゃ可愛い寝顔が視界を埋め尽くしていた。


「……ッ⁉︎⁉︎」


 驚いて飛び起きる。心臓がバクバクと煩く鳴っていて、脳は完全に混乱していた。

 状況を冷静に把握する。今は朝、ここはノウム連邦の関所にある宿屋で、ハクアとは同じ部屋、同じベッドで眠っていた。

 そう、昨日と同じく。つまり、関所に滞在して二日目だ。


 今までテントで寝ている時は、龍太も眠りが浅かったのだ。ハクアがすぐ側で寝ていると言うこともあったが、なにより環境もあっただろう。だから反対側を向いて寝て、寝返りを打つこともなかった。

 しかし久しぶりにフカフカのベッドを使えたことで、今までの疲れが一気に出たのか。完全に熟睡してしまい、寝返りを打った結果、朝一から心臓に悪いものを見てしまった。


「いや、マジで心臓に悪いな……」


 同じ布団で同じ毛布を羽織り寝ることになってしまったのだが、暖房の効いた部屋の中だと寝ている途中で暑くなったのか、毛布は完全に捲れている。そうなると、寝巻きから伸びた白く綺麗な腕や太ももにうなじ、なにより緩い首元から覗く、大きくはないが小さくもない、形のいい胸に視線が吸い寄せられてしまって、龍太は一瞬で茹で上がった。


「シャワー浴びよう……」


 煩悩を追い出すために、風呂場へ向かった。服を脱いで浴室に入り、程よい温度に調節したシャワーを頭から浴びる。


 ハクアがああも無防備なのは、人間とドラゴンの価値観の違いもあるだろうが、なにより龍太を信頼してくれているからだろう。その信頼に背くような真似は、断じてしてはいけない。

 昨日の朝もこんな感じで朝からシャワーを浴びていた龍太だが、はてさて、煩悩は完全に消えてくれるだろうか。


 無理だ、と言う答えを昨日も導き出しているのだが、思春期真っ盛りの少年はそれでも頑張る。


 風呂場から出て部屋に戻ると、ちょうどハクアも目を覚ましたところだった。


「ふぁ……おはようリュータ。今日も朝からお風呂?」

「まあな……」


 まさか先に起きてやましいことを考えていたから、煩悩退散のために、などと言えるはずもない。適当に濁しつつソファに腰を下ろそうとすれば、ベッドから立ち上がったハクアが寝巻きを脱ごうとしてギョッとした。


「だから! 俺の前で着替えるなって!」

「わたしは気にしないのに」

「俺が気にするんだよ!」


 上着を脱いだところで顔を背けたからいいものの、白いお腹とヘソが少し見えてしまった。まあ、昨日の朝は完全に予期せぬ不意打ちで、上の下着は完全に見えてしまったのだけど。

 昨日の衝撃的な朝の光景を頭の中から必死に追い出し、龍太は再び風呂場に籠る。ハクアから着替えが終わったとの声が届き、ようやく部屋に腰を落ち着かせることができた。

 心臓は全然落ち着いてくれないが。


「吹雪は止んでるみたいね」

「だな。これでようやく、ノウム連邦の首都に向かえる」


 窓の外を見ると、未だ雪は降っているものの、吹雪いてはいなかった。これなら旅を続けられる。

 ただ、行軍途中にあの吹雪に襲われたらと思うと、少し怖くもあるが。


 食堂で朝食を済ませ、また部屋に戻り準備をしてから宿屋を出た。関所の責任者であるヴライ将軍にも一応挨拶をしてから、いざ再びの雪山へ。


「しっかし、かなり積もったな……絶対歩きに行くいだろ、これ」

「こればかりは仕方ないわね。暫く歩けばマシになると思うから、それまでの我慢だわ」

「エルはいいよなぁ、ずっと飛んでんだから」

「きゅー?」


 言葉の意図を察せないのか、エルは小首を傾げている。相変わらず猫っぽくて可愛い。


 ともあれ、ノウム連邦の首都目指して出発だ。来た時と同じ門番の人に見送られながら、二人と一匹は出発する。

 予定では、二日ほど歩いたところに街があるらしいので、まずはそこを目指す。それ以降も街や村が点在しているから、それぞれを経由しながら首都に向かうつもりだ。


 しかし、雪が更に積もったせいですこぶる歩きにくい。一歩が非常に重く、ブーツの中に雪が入ってとても冷たい。

 それでも弱音を吐くことなく、龍太は足を進める。これからまだもう一つ山を越えなければならないのだから、弱音を吐く暇なんてないのだ。


 三時間も歩いていれば、道から雪はどんどん消えて、舗装された街道も見えて来た。


「結構歩いたな……」

「この辺りからは、炎龍の加護がちゃんと回っているから、雪が積もってないの。だから少しはマシになるわね」

「道に熱が回ってるとか?」

「そんなところね。関所付近みたいに雪が積もってたら、物流にも影響があるでしょう? だから雪が積もらないようにしてるのね」

「雪掻きいらずで楽そうだな」


 聞いた話によると、元の世界での北海道や東北の方は、毎年雪掻きが超大変なのだとか。ニュースでやってるのを見ては、大変そうだなぁ、なんて他人事に思っていたものだ。

 しかしこの世界は勝手に溶けてくれる、というか炎龍の加護とやらのお陰でそこまで積もらないというのだから、やはり魔導とは色々と便利だ。


「じゃあ問題。その炎龍の加護は魔導でしょうか、それともそうではないでしょうか?」

「えーっと、炎龍の加護って言うくらいなんだから、あのクローディアって人がなんかしてるんだろ……? だったら魔導……いや違うな、炎龍特有の力ってやつか?」

「正解、よく分かったわね」


 抜き打ちの問題にもなんなく答えられた。魔導についての知識は、それなりに備わってきたと思ってもいいのだろうか。


 歩きながらも人差し指を立てたハクアが、上機嫌な様子で説明を続ける。


「国一つ丸々カバーするほどの力を個人で運用している場合、殆どは魔導ではなく特殊な能力だと考えた方がいいわね。しかも人間じゃなくて、ドラゴンの仕業の可能性が高いわ」

「魔導じゃ不可能ってことか?」

「不可能ではないのだけれど、人ひとりが一度に扱える魔力には限度があるの。だから大規模な魔導具を使っているか、複数人による術なら可能よ。けれど、今回は炎龍の巫女がひとりで齎している加護について」

「だったら、異能? ってやつになるのか」

「異能という呼び方は、あなたの世界の呼び方なのだけれどね。こちらの世界では特に決まった呼び方があるわけでもないし」


 まあ、便宜上は異能という呼び方で問題ないだろう。恐らくドラゴンにとっては、特殊な能力でもなんでもなく、体に備わった機能の一部なのだろう。だからこれといった呼び方を定着させていない。それがあって当たり前のものだから。


「水龍ニライカナイがあらゆる流れを操るように、炎龍ホウライは熱を操るの」

「それで雪が溶けてるのか」

「ノウム連邦の首都、コーラルは温泉が有名なのだけれど、それも炎龍の加護があってこそね」

「温泉もあるのか、この世界」


 一度入ってみたいとは思うが、それを口にしてしまえばハクアから一緒に入ろうとか言われてしまうので、ここは我慢。

 十メートル以上離れられないのはやはり不便だ。


 しかしそんな考えはお見通しのようで。


「ちゃんと混浴の温泉もあるから、一緒に入る?」

「入らねえから……」

「裸が恥ずかしいのでしょう? 湯着を着用して入る温泉もあるわよ」

「そういう問題じゃないんだよなぁ……」


 やはりハクアに思春期の男心は理解できないようで、少し不満そうに頬を膨らませていた。ごめんなさいね、恥ずかしいとか以上の問題が色々あるんだわ、男子高校生という生き物には。


「きゅー!」

「エル? どうかしたのか?」


 話していると突然鳴き声を上げたエル。警戒するように木々の間を睨んでいる。この感じは洞窟内でも覚えがあった。

 つまり、敵がすぐ近くにいる。


 一旦荷物を下ろし、剣を抜いた。ハクアもライフルを構えている。


「この感じは……」

「魔物、か?」


 段々と龍太にも分かるようになってきた。この禍々しい気配のする魔力は、魔物が発するものだろう。

 対してスカーデッドの魔力は、ドロドロとした言いようのない気持ち悪さを感じる。それら二つと比べると、人間の魔力はとても澄んだものだ。


 果たして茂みの向こうから現れたのは、やはり予想通り、魔物と呼ばれる生物だった。

 蜘蛛のような下半身に、人間の女のような上半身が乗っている。いわゆる、アラクネと呼ばれる魔物だ。


「アラクネ? こんなところに出る魔物じゃないはずなのに……」

「つーか、洞窟の中じゃなくても出てくるもんなんだな」

「今までは魔物避けの結界があったから、山の中でも出くわさなかっただけよ。森や山の中も普通に出てくるわ。けれど、この魔物はこの辺りじゃ見かけないはず」

「なるほど、明らかにおかしいってわけだ」


 アラクネの生態や通常の出現場所など、龍太には知る由もない。そこはハクアに考えてもらうとして、しかし今は目の前の脅威への対処が先決だ。


 少しの距離を置いて睨み合っているが、向こうから襲ってくる気配はない。だが同時に、この場から逃す気もなさそうだ。


「逃がしてくれそうにはないか……どうするハクア」

「倒すしかなさそうね。けれど、アラクネは普段自分の巣からはあまり遠くに行かない。近くに巣があって、そこに別のアラクネがいるかもしれないわ」

「そっちもどうにかした方が良さそうだな」

「バハムートセイバーで一気に叩きましょう。時間をかけたら面倒よ」


 頷き、互いの手を取り合う。起動の鍵となる言葉を紡ごうとして、その瞬間。

 全く別の方向から、炎の矢が飛んできた。


「キシャァァァァァ!!」


 直撃したアラクネは悲鳴を上げ、矢の飛んできた方向を睨む。そしてそこから現れたのは、二人の人間だ。

 一人は鎧に身を包んだ巨漢。身の丈以上の大剣を携えている。もう一人は、いかにも魔導師らしいローブを羽織った女性だ。杖を持っているところからして、炎の矢を放ったのは彼女だろう。


「よし、いいぞクレナ! かなり効いてる!」

「見たら分かる! さっさと突っ込みなさいよジン!」

「いや待て、人がいるぞ」

「あら?」


 あちらも龍太たちに気づいたのか、攻撃の手を止めた。一般人だと思われているのか、こんな声まで。


「あんたら離れてろ! 上に乗ってるのは大層美人だが、こう見えてかなり危険なやつだぞ!」

「あれが美人ってマジかこの人」

「む、美人じゃないか? ほら見ろ、特にあの体つきは中々のもんだ」

「ちょっとジン! ふざけたこと言ってる暇があったらさっさと戦いなさいよ!」

「ああ、すまんすまん」


 戦場にあっても柔かな笑顔を浮かべる、ジンと呼ばれた男。一転して鋭い表情を見せた彼が、大地を蹴る。次の瞬間にはアラクネの懐まで潜り込み、大剣を上段から振り下ろした。

 だがアラクネの広げた防壁は、大剣の一撃を難なく防ぐ。


「おおっ、防がれるか!」

「下がりなさい筋肉馬鹿!」


 女性が杖を掲げたのと同時に、男は大きく後ろに下がる。入れ替わるようにして放たれるのは、魔力で生成された無数の剣。

 同じく防壁で防ごうとするアラクネだが、やはり数の暴力はどうにもならないのか、防げるのはほんの一部のみだ。残りは全てその体に突き刺さり、血を噴き出して悲鳴をあげる。


「キシャァァァァァァァ!!」

「フンッ!」


 怯んだ隙に再び肉薄した男が、水平に大剣を振るった。今度は防壁を展開する暇もなく、人間の上半身が蜘蛛の下半身から落ち、完全に沈黙した。


「巣から一匹逃げたと思ったが、なんとかなるもんだな!」

「逃がしたやつの言うセリフじゃないわよ、筋肉馬鹿。あなたたち、大丈夫だった?」

「あ、ああ、おかげさまで」


 剣を鞘に戻し、魔導師然とした女性に礼を言う。見た感じ龍太と同い年くらいだろうか。しかしハクアの例もあるし、もしかしたらドラゴンだという可能性もある。


「私はクレナ・フォールン。ノウム連邦のギルド、紅蓮の戦斧フレイムウォーの魔導師よ。で、こっちはパートナーのジン」

「怪我がなさそうでなによりだ!」


 ノウム連邦のギルド。

 ハクア先生の授業で、ギルドとやらについては教えてもらっていた。


 この世界に五人いる龍の巫女。彼女らがそれぞれ管理・運営する魔導師の組織だ。

 龍太の知識に照らし合わせてみれば、よく異世界転生もののアニメとかで見る冒険者ギルド的なのかと思ったのだが、どうやら少し違うらしい。


 仕事の斡旋をしてくれるのは変わりないのだが、それぞれのギルドが実質龍の巫女の私設部隊のような役割を果たしているようで、例えば巫女が出動するような世界の危機が訪れた時、真っ先に巫女と共に戦うのがギルドのメンバー。

 別々のパーティが集まった寄合所や組合というよりも、ギルドひとつでひとつのチーム、といった感じらしい。


 この世界に五つしかない、つまりは最強チームのうちの一角。クレナとジンはそのメンバーだ。


「わたしはハクア。ドラゴンなのだけれど、訳あって力を全て封印されているの」

「俺は赤城龍太、一応異世界人ってことになるらしい」

「異世界人に、力を封印されたドラゴンね。いかにも訳ありっぽいじゃない」

「それはそうなのだけれど、それより、アラクネがこんなところに出現した理由を教えてくれる? 普段は熱帯林が主な生息地のはずなのに」


 熱帯林とこの雪山とでは、全く真逆の場所だ。ハクアが驚いていたのも頷ける。

 しかしそうなると、たしかに不自然だろう。普段熱帯林に生息している魔物なら、こんな雪山の環境では生きていけないはず。


「スペリオルという組織を知っているか? これはそいつらの仕業だ」

「最近多いのよ。いるはずのない場所に、生息地が全く異なる魔物が現れることが。どうも、スペリオルが魔物を捕まえては放出してるみたい」

「またあいつらの仕業かよ……」


 人類の変革を謳う組織、スペリオル。

 龍太の身を狙うことにせよ、魔物を別の生息地に放つことにせよ、その目的が見えない。あいつらは一体なにをしたいのか。


 なにより龍太は、自分の身が狙われていることこそが最も疑問だった。なにせ元の世界では単なる男子高校生で、今でこそハクアがいるから多少特別な力を持っているが、本当なら一般人に過ぎない。


「とにかく、二人とも怪我がなくてなによりだわ。私たちはアラクネの巣の駆除に来てたんだけど、そこの筋肉馬鹿が一匹逃がしちゃって」

「いやぁ、ああも数が多いとどうしてもな! こうして倒せたのだから良しとしよう!」

「数が多いって、どれくらい?」

「ざっと二十匹はいたな。すべてクレナが焼き払ったが」

「虫は焼却するに限るわ」


 ウインクしてみせるクレナだが、言ってることとやってることがえげつない。

 恐らくはクレナが火を放ち、そこから逃れたやつをジンが捌く手筈だったのだろうが、そこで一匹だけ逃がしてしまったのか。


「さて、せっかく出会えたし本当はゆっくりお話したいんだけど、私たちも急がないとダメなの」

「クレナの転移では二人が限度だからな。申し訳ないが、先に失礼しよう」

「いや、助けてもらったし、それで十分だよ。ありがとな、二人とも」

「首都のコーラルに来るなら、また会えるかもね」


 そう言って足元に魔法陣を広げるクレナ。転移はとても便利だし、どうせなら首都まで連れて行ってもらいたいところだが、二人が限度というなら仕方ない。

 急ぎたいと言う思いはあるにせよ、龍太としても、ハクアとエルとゆっくり旅をするというのも、悪くないと思っているし。


 この二人とまた再会できる日を楽しみにしていよう。そんな気持ちで見送ろうと思っていたのだが。


「あ、あれ?」

「どうしたクレナ?」

「転移できない……?」


 二人は一向に転移しない。魔法陣を展開させているのだから、あとはそれを起動させるだけのはずだ。

 龍の巫女の私設部隊、魔導師ギルドの一員。つまりはクレナも相当腕の立つ魔導師のはず。そんな彼女が、術を発動できない。


「術式は問題ない、魔力も正常に通ってる。となると、後は外的要因しか考えられないけれど。なにか心当たりは?」

「ないわよそんなの。来た時は普通に転移で来たし」


 決して小さくない、明らかな異変。

 見逃せない違和感がある。この二人が魔導師ギルドの一員で、腕の立つ魔導師だというなら、そうも簡単に魔物を逃すだろうか。

 そして都合よく、龍太たちの前にその魔物が現れるか。


 全て偶然の一言で片付けられるのだろうが、どことなく嫌な予感がする。

 そして唐突に、その違和感が明確な形を持つ。


 周囲の草木がざわめいたかと思えば、無数の影が飛び出してきた。


「こいつらはッ」

「フェニックスが村に連れてきたやつらね」

「なんだなんだ、スペリオルの雑兵じゃねえか!」

「それにしても、どうしてダストこんなところに?」


 どうやら、クレナとジンも知っていたらしい。石像のような体をした、真紅の怪人。スペリオルの戦闘員。クレナの言葉を借りるなら、ダストと呼ばれている量産型。


 あっという間に取り囲まれ、四人はそれぞれ武器を構える。


「悪い二人とも、こいつらの狙いは俺なんだ。巻き込んじまった」

「どういうこと?」

「説明は後、来るわよリュータ。戦えるわね?」

「当然!」


 剣を持ち一斉に襲いかかってきたダストに、それぞれ応戦を始める。バハムートセイバーは起動していない。だから無茶は禁物だ。


 ジンが大剣で叩きのめし、クレナが魔術で焼き払い、ハクアは淡々と引き鉄を引く。三人とも相手の攻撃すら許さない。さすがの実力だ。けれど龍太はまだまだ素人同然。

 数少ない戦いの経験を必死に動員させ、敵の剣を一度受け止めてから蹴りで体勢を崩し、その隙に一撃を見舞う。


 たった数回の経験だけで、よくもまあここまで戦えるものだ。自分で自分を褒めてやりたい。


「リュータ、大丈夫?」

「なんとかな」

「リュウタは戦いに慣れてないのか? だったら下がっていてもいいぞ、俺たちに任せておけ!」


 斬るというよりもその重量で叩き潰すように、ダストを軽々しく倒すジンからそう言われるが、分かりましたと素直に下がれるわけがない。


「そいつは聞けねえよ。ヒーローが守られる

 だけでいていいわけがねえ!」

「ハハハ! いい心意気じゃあないか! 気に入ったぞリュウタ!」


 ジンに負けていられないとばかりに、龍太も少しずつではあるが確実に敵の数を減らしていく。


 しかし多い。先程まで四人に気づかれないよう雪山に潜んでいたにしては、あまりに多すぎる。

 広い雪山だ。隠すためのスペースは問題ないにしろ、これだけの数がいればハクアか、それこそエルが気づきそうなものを。


 不思議に思いながらも戦っている、その時だった。


「ッ……! リュータ危ない!」


 突然ハクアに突き飛ばされる。どこからか飛んだきた薄いピンクの長いなにかが、純白の体に巻きついた。


「ハクア!」


 手を伸ばすが、届くよりも前にハクアの体が木の上へと引き寄せられる。

 なにもないはずのそこに現れたのは、真紅の体を持ったトカゲのような生き物。しかしその長い舌と、突然現れたことから考えるに、トカゲではなくカメレオンのスカーデッドだ。


「キヒヒヒヒ! 白龍は抑えたぞ! フェニックス様の報告通りなら、これで貴様は変身できまい、アカギリュウタ!」

「テメェッ……! その汚い舌からハクアを離せ!」

「落ち着けリュウタ!」


 今にも考えなしに突っ込もうとする龍太を、ジンが肩を掴んで止めてくれた。距離もある上に相手は頭上だ。無闇に突っ込んでどうにかなるわけじゃない。


「おっと、そこの女魔導師! 詠唱を止めろよ、俺は白龍を盾にするぜ?」

「チッ……」

「あるいは、まだどこかに隠れてるダストが、また一斉に襲いかかるかもなぁ! 俺のカートリッジの力があれば、姿形だけでなく魔力すらも周囲と同化させられるんだぜ!」


 術の準備をしていたクレナも、その一言で中断を余儀なくされる。人質を取られた。非常にまずい展開だ。


「キヒヒヒ、俺たちスペリオルの目的は、お前の身柄ただ一つだ、アカギリュウタ。大人しく投降しなければどうなるか、分かるだろう?」

「くっ、うぅ……」

「ハクア!」


 体に巻きついた舌の拘束が強まったのか、ハクアが苦しげなうめき声を上げる。純白のドレスは穢らわしい唾液に汚され、龍太の怒りも限界が近かった。


 しかし、そんな少年を窘めるように、ハクアは笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「大丈夫、リュータ。落ち着いて、後ろに大きく十五歩よ」


 言葉の意味に気づいてハッとする。

 そう、バハムートセイバーを起動させる条件は、なにもひとつじゃない。


 ハクアに言われた通り、後ろに振り返って大股で距離を取る。


「キヒヒヒヒ! 諦めて見捨てて逃げるつもりか! とんだ根性なしじゃないか!」

「バカ言うな、ヒーローは逃げねえよ」


 きっちり大股で十五歩。そこが丁度、ハクアと十メートル離れた位置だ。


「「誓約龍魂エンゲージ!!」


 龍太とハクア。二人の体が光の球体に包まれる。拘束されていたハクアは容易く抜け出し、ふたつの球体がひとつに混じり合って、弾けて消えた。


 そして現れるのは、純白の鎧を纏い、紅い瞳を持った一人の戦士。


「ば、馬鹿な! 離れていても変身できるだと⁉︎」

「テメェ程度じゃ、俺とハクアは引き離せねえんだよ!」

『うぅ……気持ち悪い……まだザラザラした感触が残っているのだけれど……』

「よし、ぶっ殺す!」

『Reload Execution』

『Dragonic Overload』


 あのようなクソ野郎に情けなど無用。怒りのままにカートリッジを装填し、全身を真紅のオーラが包み込む。ガントレットが分解、脚に装着され、真紅のオーラもそこに収束された。


「オラァァァァァァ!!!」

「ひぃぃぃ!!」


 高く跳躍して、流星のように突き刺さる飛び蹴りが、カメレオンの張り付いていた木を粉々にへし折る。


 しかし、手応えがない。外した。

 周囲を見渡すが、やつの姿は見えない。カメレオンの能力を使って隠れたか。


『どうやら逃げたみたいね。反応が消えてるわ』

「くそッ」


 舌打ちしながらも、変身を解く。

 ハクアを薄汚い舌で汚した報いを受けさせねばならないのに、根性なしはどっちだという話だ。


「ハクア、大丈夫か? 痕が残ったりしてないか?」

「心配しすぎよ、リュータ。わたしは全然大丈夫だから」


 優しい微笑みに諭され、本当に大丈夫なのを確認してから、龍太は大きく息を吐いた。

 カメレオンが逃げてしまったのなら、これでようやくひと心地つける。そう思いジンとクレナの方に振り返れば、唖然とした表情の二人が目に入って。


「あー……とりあえず、野営の準備していいか? 詳しいことはその後話すよ」


 苦笑混じりにそう言うしかなかった。



 ◆



 戦場から逃げ延びたカメレオンは、息も絶え絶えに雪山の中を走っていた。

 アカギリュウタを始めとした一行からはなんとか逃げられた。しかし逃げた先で、また別の何者かに追われる羽目になっていた。


「なんでだよ……なんで俺がこんな目にッ……!」


 カメレオンは自身が優秀だと自負していた。アカギリュウタと白龍があの村を出てからずっと、二人を隠れて監視していた。気づかれることはなかったし、実際にやつらはあの瞬間、ようやくカメレオンの存在を認知したのだ。

 転移の妨害をしてくれたあの瞬間は、まさしくチャンスだと思った。伏せていたダストを全て投入し、奴の身柄を捕まえる絶好のチャンスだと。


 カメレオンの敗因は、情報不足と言わざるを得ない。バハムートセイバー起動には、アカギリュウタと白龍が手を繋ぐ、あるいは身体的接触が必要だと思っていたのだ。

 それがまさか、一定の距離を取ると自動的に起動するなんて。


 本来はその情報を掴み、組織に送るのがカメレオンの役目だ。功を焦って手柄を上げようとしたのも、またひとつの敗因だろう。


 だが、あの場からは逃げられた。ならば後は組織に情報を持ち帰るだけ。

 そのはずなのに。


「くそッくそッくそッ! なんで俺の場所がバレてるんだ! 能力は作用してるはずだろッ、がぁ!」


 背中に弾丸を受けて、カメレオンを飛び移った木から地に落ちる。風景との同化が溶け、トカゲのような紅い体が露わになった。


 見上げた先には、銀のラインが入った黒いロングコートを羽織り、オレンジの瞳を持つ仮面を被った何者か。


「なんなんだよお前はッ、アカギリュウタと白龍の仲間なのか⁉︎」

「仲間? ふざけたことを抜かすなよ、死体リサイクル風情が」


 男とも女とも判別できない声。その体つきからも、目の前の人間からは性別はおろか歳の頃すらも把握できない。

 完全な正体不明。理解不能。

 抗いようのない恐怖を感じるには、十分な条件が揃っている。


「我がやつの仲間などと、あり得るはずもないだろう」


 フッと、仮面の奥で笑う気配。

 それすらも恐怖を助長するものでしかない。カメレオンの生殺与奪は、確実にこの仮面が握っていた。


「だったらなんなんだよ! 何者なんだよお前は⁉︎」

「さて、じっくりと考えてみてはどうだ? なに心配はいらん、あの世ならば時間はたっぷりとある」


 嘲笑う声が聞こえたと思った時には、カメレオンの首が地面に落ちていた。あるいはそれよりもずっと前に、機械仕掛けの尖兵は首を落とされていたのかもしれない。


 斬られた本人すら気づかぬほどの神速。

 この世界には似つかわしくない、日本刀を鞘に収めた何者かは、曇天の空を見上げて呟いた。


「ようやく見つけたぞ、魔王の心臓ラビリンス

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