第8話
洞窟に入ってから三時間。進むたびに増える魔物と戦いながら、その都度ハクアに戦い方をレクチャーしてもらいながら。
ようやく、二人と一匹は洞窟を抜けた。
「や、やっと抜けた……」
「流石に疲れたわ……」
「きゅー……」
洞窟内にいたスカーデッド、エレファントのせいなのか、魔物たちはかなり密集していた。どうやらハクアでもかなりキツかったようだ。
三時間ぶりの外の空気を胸いっぱいに吸って、未だ変わらぬ曇天を見上げる。
「これで青空が広がってたら、もっと良かったんだけどな」
「今の季節、この辺りは毎日こんな天気だから、仕方ないわ」
なんて言ってたら、空から冷たく白い結晶が落ちてきた。雪だ。
元の世界にいた頃はまだ四月だったし、雪はあまり降らない地域だったから、こうして降ってくる雪を見るのは久しぶりだ。
「マズいわね、少し急ぎましょうか。すぐに吹雪いてくるかも」
「え、マジかよ」
まあ、足元の雪を見ればそれも頷けるのだが。全く溶ける様子のない積もった雪から察するに、この辺りは結構定期的に激しい雪が降るのだろう。
幸いにして、関所とやらはもう目視できる距離にある。関所というよりは、砦といった方が良さそうな威容をしているが。
決して走らず、しかし気持ち急ぎめで足を進めれば、二十分ほどで石造の巨大な壁に辿り着いた。国境線を敷いているのか、壁は横にどこまでも伸びている。高さは十メートル以上あるだろうか。こうもデカイと、目測できないものだ。
さて。そんな関所ではあるが、勿論門が存在している。その端っこに鎧を着た兵士が詰めていて、そちらへ向かうハクアの後ろに続いた。
「おや、おかえりなさいハクアさん。一ヶ月ぶりですね」
「ええ、久しぶり。よかったわ、また門番があなたで。当番が違ったりしていたら、また一から説明しないとダメなところだったもの」
「ははは、他の連中には話を通してますから、心配する必要はありませんよ。ところで、そちらの方は?」
門番と親しげに話すハクアが、龍太のことを軽く紹介してくれる。村で出会った異世界人であること、ドラグニアを目指して旅を始めたこと、そのためにまずはノウム連邦の首都に向かうこと、などなど。
どうやら、異世界人と言うことに関してはさほど珍しくないらしい。門番は多少面食らった様子ではあったものの、しかしすぐに受け入れたようだ。
「それはそれは、ここまでの道中、さぞ大変だったでしょう。これから吹雪いてきますから、関所内で暫くゆっくりしていかれるといい」
「ありがとうございます」
異世界人といえば、身分を証明する手段もない無国籍者扱いではないのか。先日まで滞在していた村がどの国にも所属していなかっただけで、こうして国に入る時はもう少しごたごたがあると思っていたのだけど。
門番は龍太にも親しげな笑顔を向けて、快く迎え入れてくれた。
元の世界なら考えられないよなぁ、とか思いながら、関所の中へと通される。
内部はかなり広くなっていて、旅の人たちを前提に作られているのか、宿屋もあるし魔導具を取り扱ってる店もある。
「異世界人でも、普通に国境跨げるんだな」
「わたしがこう言うのを持っているからね」
ハクアが懐から取り出したのは、龍と剣、魔法陣が描かれた紋章のブローチだ。随分と高級そうなそれを見せられても、龍太としては首を傾げるしかない。
「なんだそれ?」
「ドラグニア王家のものよ。簡単に言っちゃえば、これがあればどこにでも入れるってこと。どの国でも、どの街でも、どの古代遺跡でも!」
「お、おう、なんでテンション高いの……」
「だって、普段は国別で管理してる遺跡に入れるのよ! しかもどこでも!」
そういえば、ハクアは考古学者だったか。すっかり忘れてた。何万年も生きてるドラゴンが考古学者というのも、少し変な話な気もするけど。
「旧文明の遺産はまだまだ色んなところに眠っているのだから、その全てを解明するためには絶対に必要なものなの」
「旧文明ねぇ……そんなに昔のもんなのか?」
「少なくとも、わたしが生まれるよりずっと前に滅んでるはずよ」
「つーことは、ハクアは元々ドラグニアの学者だったのか?」
「んー、それも少し違うのだけれど。龍の巫女のうち二人がドラグニア王家の子で、その片方が友達だから。お願いしたらくれたわ」
龍の巫女というと、たしかこの世界のお偉いさんとか、最強とか、そんな人たちじゃなかったっけ。そのうちの一人と友達ということは、やっぱりハクアも普通のドラゴンじゃないということじゃん。
話しながらも歩みを進める二人は、宿屋から徐々に離れた位置へと向かっていた。おまけに関係者以外立ち入り禁止と書いているところまで進み、ふとそこで、龍太は違和感に気づく。
「俺、この世界の文字が読めるのか?」
「そうなの?」
「そこに立ち入り禁止って書いた看板あっただろ?」
当然ながら、この世界の文字は元の世界と異なる。日本語なんて使われていないし、英語でもない。なんなら龍太は英語もちゃんと読めるわけではないのだが。
ふむ、となにやら考え込むハクア。むしろ今まで、どうして不思議に思わなかったのか。こうしてハクアと普通に会話していることですら、おかしなことなのに。
「……位相の適応が強い、のかしら」
「位相?」
「説明すると長くなるから、この話はまた今度にしましょう。今は言葉が通じて文字が読めてラッキー、くらいに思っていたらいいから」
ハクアがそう言うなら、と龍太もそれ以上話を広げるのはやめた。実際、言葉が通じないよりも通じる方がいいのだし、文字も読めるに越したことはない。
階段で三階まで上がり、ある一室の前で足を止めた。ノックをして返事を受けてから、中へと入る。
「これはこれは、白龍様。一ヶ月ぶりですね。ご無事でなによりです」
「なんだ、白龍さんかよ。ここにいたのか」
椅子に座っているのは白髪が目立つ中年の男性。そして机を挟んだ位置に立つのは、燃え盛るような紅蓮の長髪を持つ、男装のスーツ姿をした背の高い女性。
「ホウライ? こんな辺鄙なところにいるなんて、珍しいこともあるのね」
「ちょっとな。それより、そっちのチビはどうした?」
「だ、誰がチビだ!」
久しぶりに聞いたその罵倒。ハクアは自分よりも十センチくらい小さいから、自分がチビだと言うことをせっかく忘れていたと言うのに。
「この子はリュータ、アカギリュウタよ。なにかの拍子に位相の扉が開いちゃったみたいで、こっちの世界に幼馴染と一緒に迷い込んだみたいなの」
「位相の扉が? ……なるほどな」
「ホウライはどうしてここに?」
「あの村の付近にドラゴンの反応があったってんで、オレがここまで出張ってきたんだよ。しかし、思ったより面倒なことになってそうだな。こいつはアオイに任せた方が良さそうだ」
先程から意味のわからない会話が繰り広げられていて、龍太は頭の上にハテナを浮かべる。龍太を放ったらかしにしていることに気付いたのか、ハクアが二人のことを紹介してくれた。
「彼女はクローディア・ホウライ。龍の巫女の一人、炎龍ホウライを宿した巫女よ。それで彼がこの関所の責任者、ヴライ将軍」
「龍の巫女……」
つい先程話に出たばかりだ。しかし、この様子から察するに、ハクアの言っていた友人とは彼女のことではないのだろう。そもそも、ハクアの友人である巫女はドラグニアの王族と言っていたし。
「それで、白龍様。こちらにいらしたと言うことは、なにかございましたかな?」
「洞窟内で、ひとり魔物に殺されていたわ。ノウムのギルドメンバーか、あるいは傭兵か。この関所を通った人から探してくれる?」
「そうですか……かしこまりました、部下に指示しておきましょう」
これで、洞窟内で死んでいた人の家族や、あるいは親しい者にはその死が伝わるはずだ。助けてやることはできず、こんなことしか出来ないけど。
「それからホウライ。スペリオルの最近の動きについて、なにか知ってることはない?」
「そいつはまた、穏やかじゃねえ質問だな。オレはスペリオルの担当じゃねえから、詳しいことは知らねえぜ」
「そう……あの村と、それから洞窟の中にも、スペリオルが現れたわ。スカーデッドと名乗っていたけれど」
「アオイのやつに報告しといてやるよ、そこのチビの分も含めてな」
それだけ言って、クローディアはこの場から忽然と姿を消した。急なことに驚いていると、ハクアが横から、今のが転移よ、と教えてくれる。
そんなことができるなら、俺たちも送って欲しかった。
「白龍様、しばらくこちらに滞在するのですかな?」
「ええ。とりあえずは吹雪が止むまでね」
部屋の窓から外を見れば、すでに激しい風がカタカタと窓を揺らしていた。これでは迂闊に外には出れないだろう。
「了解しました。無骨な場所ですが、どうかごゆるりとお過ごしください。なにかあれば、近くの兵士に伝えてもらえれば」
「ありがとう、助かるわ」
最後に一礼して部屋を出る。
その足で宿屋まで直行して、ハクアが受け付けを済ませてくれたのだけど。
「なぜ同じ部屋……」
「仕方ないでしょ、離れられないんだから」
ハクアが取った部屋は、ダブルベッドの一室だった。エンゲージの影響で離れられないのは仕方ないにしても、すぐ隣の部屋、せめてベッドは別とかにして欲しかったのだけど……。
まあ、テントの中ではこのベッドよりも更に狭いところで一緒に寝てたのだし、この際諦めてしまおう。
荷物を置いてソファに腰掛ける龍太。対してハクアは、荷物の中から着替えを取り出していた。
「お風呂に入るけれど、一緒に入る?」
「入るわけないだろ!」
「そう? 残念……」
心底残念そうにしながら、ハクアは備え付けられた風呂場へ向かった。
やっぱり何万年も生きていると、羞恥心とかなくなるのだろうか……人間とドラゴンの価値観の違いがこんなところで見れるなんて。
やがて衣擦れの音と、次いでシャワーの流れる音が聞こえてきて、龍太は悶々とした時間を過ごすこととなった。
「きゅー」
「エル……お前はわかってくれるか……」
ため息をこぼす人間臭いドラゴンは、やはり龍太に同情してくれているようだった。
◆
龍太も風呂に入った後、二人は食堂で久しぶりの温かいご飯にありついていた。ハクアもいつものドレスではなく、持ってきていた部屋着に着替えている。色はやはり白だが。
とはいえ、この世界で白飯にありつけることもなく、なにかのステーキ肉とスープというメニューだったが。
「それで、いつまでこの関所に留まるつもりなんだ?」
「一先ずは吹雪が止むまでね。少なくても二、三日は見てた方がいいかも」
「あのクローディアって人が送ってくれたら話は早かったのに……」
「あれに期待しても無駄よ。特に今は仕事中だったみたいだし、余計な寄り道はしないはずだわ」
根っからの仕事人間、というわけだ。
しかしそうなると、吹雪が止むまでの間、時間を持て余すことになる。今まで通りハクアに色々と教えてもらうにしても、それだけで全ての時間が潰せるわけでもない。
「そういえば、さっき言ってた位相ってのについて教えてくれよ」
「ああ、そうね。これは知っておくべきだと思う」
文字が読める、あるいは言葉が通じる。これには位相というやつが影響している、とハクアは言っていた。クローディアもそのことを口にしていたし、単に言葉が通じるようになるもの、というわけではないのだろう。
「位相っていうのは、この世界とリュータの世界の狭間にある、フィルターのようなものよ」
「フィルター……俺はそいつを通して、言葉や文字が理解できてるってことか」
「簡単に言っちゃえばそういうことになるわね」
曰く、この世界と龍太の世界以外にも、異世界というのは多く存在しているらしい。その中でもより近く、隣同士に存在しているのが、龍太とハクア、両者の世界だ。
あまりにも近すぎる互いの世界が干渉しすぎないように、一枚のフィルター、あるいは壁と言っても差し支えないものが存在している。
それが位相。
「これはわたしも人から聞いた話なのだけれど、こちらの世界から溢れた魔力がリュータの世界に流れないように敷かれたもの、それが位相らしいの。で、それは異世界同士の扉としても機能していて、なんらかの原因で開いてしまった扉に、リュータたちが巻き込まれた、ってことね」
「なんらかの原因、か……」
それが果たして意図的なものなのか、単なるアクシデントなのか。
龍太としては前者だと睨んでいる。なにせスペリオルは、龍太のことを狙っていた。しかも龍太がこの世界に来た翌日に、やつらは村に現れたのだ。
となると、玲二と詩音が行方しれずになったことにも、関係しているはずだ。
「やっぱり、スペリオルのやつらとぶつかるのは避けられないか?」
「そうね。やつらがなにを企んでいるにせよ、リュータのことをこれからも狙ってくるはず」
なにより、やつらが関係ない人たちすらも巻き込むというのなら、放っておけるはずもない。それが自分のせいだというなら尚更に。
「それで、その位相の扉を開ける人が、ドラグニアにいる、ってことでいいんだよな?」
「ええ。村長は魔人って言っていたし、さっきホウライとの話にも出てきたわね。元異世界人のタカナシアオイ。今はこの世界に永住していて、龍の巫女のひとり、わたしの友達でもあるアリス・ニライカナイの旦那でもあるわ」
「おお、いかにも異世界転移の主人公っぽい肩書きだ……」
異世界のお姫様と結ばれるとか、魔人って呼ばれるくらいに凄い人だったりとか、マジでいかにもって感じだ。
「アオイがこの世界に住むようになってから、もう十年経っているのだけれど。それからは位相の扉が勝手に開いたことなんてなかったのよ」
「ん? でも、他にも異世界人はいるんだよな? その人たちは?」
「モモとヒザクラのことね。その二人も、この世界に来たのは十年前よ。それからずっと、世界各地を旅して回っているの」
「だから行方は分からないってことか」
「ええ。彼らがこの世界に来てからも、多分扉が開かれたことはあったんだと思うわ。リュータの世界には、自由に扉を開ける人がいるみたいだから」
「そもそも、俺はそこからして全く知らないんだけどな……」
元いた世界でも魔法だなんだが存在していてなんて、思いもしなかった。
しかしこの世界でその存在を実際に見て、自分でも使って。ならば元の世界にも存在していた、と聞けば信じる他ない。
「本当に全く知らないの? 少しくらいはその気配を感じても、おかしくはないと思うのだけれど」
「そうだな……まあ、変な夢見たことならあるけど」
「変な夢?」
可愛らしくキョトンと小首を傾げるハクアに、その変な夢について説明してやる。
初めて見たのは、それこそ十年くらい前の話だ。
住んでいる街が化け物で覆い尽くされ、空は夜の闇がいつまでも晴れない。そんな中で、龍太は悪魔と呼ばれていたやつに襲われかけていた。
あわやと言うところで助けに入ったのは、黄金の剣を持った少年。
正義のヒーローを名乗る彼は、龍太を助けて怪我を負い、それでも立ち上がって悪魔に相対する。
そんな夢を、十年前から何度も見た。
ここ最近は見ることがなくなったけど。
「思えば、その夢があったから、俺はヒーローを目指すようになったんだ」
「そう……そんな夢を……」
「あの剣とか、化け物とか、いかにもって感じだったな。まあ、結局は俺の夢の中の話なんだけどさ」
そう、現実ではなく、夢の話だ。あくまでも、龍太の頭の中でのこと。
現実で魔導や魔術の存在なんて、これっぽっちも感じたことがなかった。
「そもそもあなたの世界では、魔の力は秘匿すべき、って考えらしいから、一般人は知らなくても当然かもしれないわね」
「だな。俺、マジでただの高校生だったし」
それなら知らないのも当然だ。
さて、話は戻して、その異世界人こと、タカナシアオイという人について。
「ドラグニアにいるそのアオイって人が、位相の扉を開けるのか?」
「正確には、アオイのお嫁さん、龍の巫女のひとりでおるアリスが開けるわ。でもアオイは色々な事情に詳しいから、リュータがこの世界に来てしまった原因とか、スペリオルについてとか、話は聞けるはずよ」
そいつはありがたい。なにせ龍太は今のところ、自分を取り巻く形で広がっている出来事について、全くと言っていいほど把握できていないのだから。
その人から、もしかしたら幼馴染の話も聞けるかもしれない。
「後は、モモとヒザクラの方だけれど……こちらは期待しない方がいいわね」
「行方知れずだから?」
「それもあるのだけれど、会ったら辟易とするわよ? わたしもアリスの紹介で一度会って、それ以降も旅先でたまに顔を合わせていたのだけれど、いつまで経っても新婚気分が抜けていないのだも」
「ああ、そういう……」
どうやらこちらも、異世界転移の主人公っぽい人たちらしい。
どうせまた美男美女の夫婦なんだろう。羨ましい限りだ。
まあ、龍太にも今はハクアがいるのだが、そこはまた別として。
「そういうわけだから、ノウムの首都に着いたらドラグニアに直行で良さそうね。ホウライには話を聞けたし」
「収穫はなかったけどな」
「アオイに話を通してくれるみたいだから、それで十分よ」
そこで話は終わり、夕飯も食べ終わったことで部屋へ戻った。
自分は恵まれているな、と。龍太は改めて思う。この世界に来てから真っ先に出会ったのが、ハクアで本当に良かった。
龍太の命を助けてくれ、半ば強制的のようなものだけど旅に同行してくれ、しかも顔が広い上に事情通。
もしも龍太一人だったら、と思うとゾッとする。
「さ、今日はもう寝ましょうか。久しぶりにフカフカのベッドだし、ゆっくり寝れるわね」
「そうだな……」
ただ、龍太に対してこうも無防備なのは、どうにかならないものか。
ベッドに寝転んで手招きするハクアを見て、龍太は今日もちゃんと寝れるのかどうか不安になった。
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