第4話
タンスの中には、この世界に来た時に着ていた制服が畳んで置かれていた。あんなことがあったから、穴が空いて血塗れだと思っていたのだけど、驚くことに新品同然だったのだ。
これも魔導とやらの力なのかと一人納得して、エルとともに部屋を出る。
「お待たせ、ハクア」
「これ、羽織っていた方がいいわ。外は寒いから」
部屋の外で待っていたハクアは、龍太が着替えているうちに上着を用意してくれたらしい。白いロングコートを受け取って、ブレザーの上から羽織る。見ればハクアも、同じ色の外套を羽織っていた。
そうして二人と一匹は小屋から出て、村の奥にあるらしい村長の家へ向かった。
「おお、すげぇ……全然寒くない……めっちゃあったけえ……」
「温度調節機能がついた魔導具のひとつよ。わたしのライフルやカートリッジと同じで、魔導収束という技術が組み込まれているから、大気中の魔力を勝手に吸収してくれるの。だから壊れない限りはずっと機能してくれるわ」
ぬくぬくのロングコートに身を包み、ハクアと並んで歩く。
この村にはそれなりに滞在しているのか、村人はハクアを見ては声をかけていた。
ハクアちゃん、ハクアさん、お姉ちゃん。老若男女から呼び掛けられては、笑顔で手を振り挨拶を返す。
「この村に来て長いのか?」
「一ヶ月くらい。大昔にも一度来たことがあるのだけれど、さすがにその時に生きていた人は村長くらいね」
一瞬だけ、ハクアの瞳に寂寥が浮かぶ。ここではないどこか遠くを、懐かしむような。
人と龍の間に横たわる、絶対的な問題。それが寿命だ。
ハクアの年齢を考える限り、ドラゴンとは何万年、少なくとも数百年は生きていられる種族なのだろう。対する人間の寿命は、百年にも満たない。龍と共に生き、絆を育んだとしても、先に死んでいってしまう。
「その村長も、あの時はまだ可愛い小さな子供だったのに。時間の流れって残酷よね」
瞳に浮かんだ色は、本当に一瞬で消えてしまった。わざとらしくため息を吐き、頬に手を当てるハクアの表情は、また違ったタイプの憂いを帯びている。
「ちなみに大昔って、何年くらい前なんだ?」
「戦争の前だったから、二百年以上は前ね」
「二百年……」
「わたしにとってはそこまで昔という訳でもないのだけれど」
「だろうな」
またとんでもない数字が出てきた。ハクアの二百年はともかく、村長さんも二百年生きてるのか。人間の寿命を優に超えている。
なんて話しながらも、村の奥にあった木造の建物までたどり着く。他の家よりか少し大きなそこに、ハクアはノックもせず入っていった。
「村長、お待たせ。リュータも連れてきたよ」
「おお、白龍様。ご足労いただきありがとうございます」
家の中で待っていたのは、腰が曲がり杖をついた皺だらけの老婆だ。弱々しい姿でありながら、どこか不思議な迫力を感じる。二百年生きている、と言われれば思わず納得してしまうほどの。
「そちらが、アカギリュウタ様でございますか」
「あ、はい。赤城龍太です。世話になってます」
「いえいえ、まさか白龍様が誓約を結ばれるとは思ってもいませんでしたので。貰い手のいないままに何万年と過ごされていましたから、儂ら村の者たちとしても、アカギ様には感謝しておるのです」
「ちょっとセン! 余計なこと言わなくていいから!」
親戚のおばちゃんじみたことを言われ、さしものハクアも恥ずかしいのか、真っ赤な顔で叫んでいる。
しかしそうか、やっぱり
うごごごご……と頭を抱える龍太。隣の少女は怪訝な目でこちらを見ていた。
「どうしたのリュータ、村長の見た目が魔物みたいでびっくりした?」
「ほほほ、滅多なことは言うものではありませんぞ、白龍様」
男子高校生の純情な男心を女性二人は理解してくれず、ただ一人、いや一匹、エルだけが同情するように肩をポンと叩いてくれた。
「さて、奥へお上がりください。アカギ様は知りたいことが山のようにあると思われますが、まずは腰を落ち着かせましょう」
村長に促され、家の奥にあった居間へと場所を移す。木製の椅子に腰掛け、テーブルの上には村長が淹れてくれたお茶が置かれた。エルはハクアの膝上だ。
異世界なのにお茶があるのか、と不思議に思いつつ、向かいに座った村長へ視線をやる。
「まずは自己紹介を。儂はこの村の村長をしております、センと申す者です。白龍様はこの村で祀っている龍神のお一人、その白龍様と誓約を結ばれたアカギ様も、大事な賓客として丁重に扱わせていただきます」
「龍神……神様ってことか?」
「少し違うのだけれど……龍神というのは、この世界で最も強い五体のドラゴンを指してそう呼ぶの。本当に神様ってわけではない。わたしも、長く生きているだけで、そこまで強力なドラゴンではないわ」
しかし、火のないところに煙は立たない。この村の人々からそう呼ばれ、祀られるだけのなにかを、この白い少女は有している。
とはいえ、正直なところ龍太にとって、ハクアの素性はどうでもいいものだ。
彼女は信頼できる。それだけがわかっていればいい。
「ではリュータ。まず最初に、あなたがこの世界に来てしまった時のことを話すわね」
村長がテーブルに手を翳すと、その上に光の地図が出現した。突然のことに驚くが、なんとなく察せられる。
これも魔導だろう。そしてこの地図は、あの雪山を描いている。多分。
その証拠に、地図の中には二つの丸印が。
「この村の周囲には、儂の施した結界がございます。アカギ様がいた雪山もその範囲内であり、人間の生体反応を捉えることができるのです。これは、アカギ様がこちらの世界に転移しして来たと思われる時刻の、直前の反応でございます」
「てことは、この丸印が……」
「ええ、あなた様の幼馴染かと」
地図上の時間が進む。隣り合った丸印はゆっくりと雪山を進んでいき、その一つが唐突に消えた。
「消えたぞ!」
「落ち着いて、リュータ。とにかく最後まで見てみましょう」
ハクアに宥められ、もう一つの丸印の行方を追っていく。やがて印は開けた場所に出て、そこで反応が途絶えた。
その場所は龍太も覚えがある。あのドラゴンと遭遇した場所だ。
その後しばらくしてから、また新たな丸印が。これが龍太のものだろう。そして更に時間を進めると、ハクアのものと思われる反応も現れる。
そこで地図は動きを止めた。
「白龍様は例外として、この地図は基本的に人間の反応のみを捉えております。幼馴染の方になにがあったかまでは分かりかねますが、突如姿を消したということは、またどこか別の場所へ転移してしまったのでしょう」
「……最初に消えたのが詩音で、その後が玲二……あの場にはドラゴンもいたから、もしかしたら玲二は……」
考えられる限り最悪のパターンだ。詩音はよく分からないが、玲二はあのドラゴンに殺された。そう考えるべきだろう。
視界が揺れる。
頭では分かっていても、心が受け付けない。ずっと一緒だった幼馴染の一人が、こんな異世界で突然死んでしまうなんて。
しかも彼らが異世界に来てしまったのは、龍太を庇ったからだ。
だから、全部、俺のせいで──
「諦めるのはまだ早い」
沈んでいく龍太を、凛とした声が呼び戻した。隣に座る純白の少女は、玲二の反応が消えた一点を見つめている。
「たしかにあそこにはドラゴンがいて、リュータの幼馴染はそこで反応を消しているけれど。殺されたにしては、不可解な点がある」
「……そうだ、血がなかった」
地面は雪。血の赤で汚れれば、それはそれは目立つことだろう。
しかしあの場の雪は真っ白なままで、あのドラゴンの大きさから考えると丸呑みというのも考えられない。
「ドラゴンが急に現れたというのも、少しおかしいですな。ドラゴンは人間よりもより大きな魔力を有しております。結界に反応せずとも、儂や白龍様ならばこの村からでも事前に気づけたはず」
「転移してきたにしては、その魔力もなかった。でも、そう考えるのが妥当ね。リュータの幼馴染とあのドラゴンは、入れ替わりになったのかしら」
魔導やら魔力やらの専門的な知識は、龍太にはない。だから二人の話している意味はよく分からないけど、それでも、ひとつだけハッキリした。
「玲二は、まだ生きてるんだな⁉︎」
「その可能性が高いわ」
「詩音も、この世界のどこかにいる……だったらやることは決まりだ……!」
幼馴染二人を見つけて、元の世界に帰す。
龍太はエンゲージの件があるから、もしかしたら帰れないかもしれないけれど。あの二人だけでも、助けないと。
「でしたら、同じ異世界人を頼れば宜しいかと。ドラグニアまで赴けば、かの魔人が力になってくださるはず」
「そういえば、ハクアも言ってたけどさ。俺たち以外にも異世界人がいるのか?」
「わたしが知る限りでは三人。そのうち一人は基本的にドラグニアにいるのだけれど、後の二人はセットで旅してるから、行方は知れないわ」
「ドラグニアってのは?」
テーブルの上の地図が変化する。雪山から世界地図へ。
地図の丁度真ん中で、地球で言う赤道に該当するであろうあたりよりも、少し南から北端にかけての大陸と、その南側にある大陸。そして東側にもひとつあり、西には大陸と呼ぶには些か小さな、しかし島と呼ぶには大きすぎるくらいの国がいくつもひしめき合っている。
ハクアはそんな地図のど真ん中を指差した。たしか、この村もある中央大陸だ。世界地図で見ればど真ん中だが、中央大陸で見れば南寄りのその位置。
「ここにあるのが、この世界で最大最強の国、ドラグニア神聖王国。龍と人の共存を、世界で初めて成し遂げた国よ」
国境線も描かれているが、とにかく広大だ。元の世界のロシア連邦と同規模と見ていいだろう。
ハクアが指差しているのは、ドラグニアの城都。
「結構遠くね?」
「ここから転移もなしで移動するなら、三ヶ月は見ていた方がいいかもしれないわね」
「長い……」
現代なら飛行機で一っ飛びなのだろうが、この世界にそんなものがあるかどうかも分からない。あったとしても、こんな雪山に空港なんてないだろう。
おまけに、その三ヶ月の間、玲二と詩音の身になにがあるか分からない。今でさえ、二人が安全な場所にいてくれているのかどうかも分からないのだ。少しでも先を急ぎたいのだが、物理的な距離はどうやっても埋まらない。
頭を抱える龍太に、ハクアが優しく微笑みかける。
「大丈夫、馬鹿正直にドラグニアまで歩かなくても、このノウム連邦からは列車が走ってるから」
「列車があるのか!」
「それを使えば、一ヶ月と少しでドラグニアの城都に着くと思うわ」
「つまり、ノウム連邦ってところまではどうやっても一ヶ月かかるってわけか」
「残念だけどね」
ノウム連邦は、位置で言えばこの村から最も近い国だ。しかしドラグニアと同じく、首都はそれなりに遠い。しかも直線的な距離のみならず、二つほど山を越えなければならないと来た。
都会っ子の龍太は山登りの経験なんてないので、今から不安で仕方ない。
「ノウム連邦を経由するなら、龍の巫女にも会っておきたいわね」
「龍の巫女?」
また初耳の単語が出てきた。
言葉から察するに、ドラゴンに仕える女性のことだろうか。しかしそれなら、ドラゴンの方に直接会えばいいものを。
「龍の巫女っていうのは、この世界の均衡を保つ五人の女性。その身に龍神の魂を宿した、最強の魔導師たちよ」
「龍神って、さっき言ってた最強のドラゴンだよな。そいつを体に宿したってことは、俺とハクアみたいな関係なのか?」
「それも少し違うみたいなのだけれど、わたしも詳しいことはよく知らないわ。
ふむ。とにかく凄い人、ということは覚えておこう。その人たちに会えば、異世界人である幼馴染二人の行方も掴めるかもしれないのだし。
「最終的な目的地はドラグニア。まずはノウム連邦を目指して、そこで龍の巫女に会った後、列車でドラグニアの城都に向かう。そんな感じね」
「旅の支度は我々村の者にお任せください。当分の食料と、野宿のためのテントくらいは用意しておきましょう」
「助かるわ村長。出発は明後日にしましょうか。リュータも病み上がりだし、少しでも休まないと」
「俺は大丈夫だぞ」
「自覚がなくても、かなり疲労しているはずよ。しかもこれからは長い旅になるんだから、休めるうちに休んでおかなくちゃ」
旅に慣れているハクアから言われてしまえば、龍太も返す言葉を持たない。
どうやら龍太は、雪山で気を失った後、丸一日ほど眠っていたらしい。結構ぐっすり寝ていたのだが、たしかに体の倦怠感は完全に抜けたとは言えない。
このまま山越えをするなんてのは、自殺行為にも等しいだろう。
渋々ながらも頷けば、ハクアは満足そうに微笑んだ。
話すべきことも粗方終えたので、そろそろお暇しようとしたその時。
家の扉が、勢いよく開かれた。
「大変だ村長!」
転がり込んで来たのは、若い男だ。ただならぬ剣幕に、その場の全員が立ち上がる。
遅れて、外から爆発音が響いた。
「なにごとか!」
「変な奴らが急に村にやってきて、リュウタを出せって言うんだ!」
「リュータを……? って、リュータ!」
迷うことなく、駆け出す。村長の家を出て村の入り口まで向かえば、そこには多くの村人が集まっていた。
それだけじゃない。村人たちと少し距離を空けて、妙な集団がいる。
中心に立つのは、いかにも高級そうな服に身を包んだ、眼鏡をかけてオールバックの男性。高慢な笑みを浮かべる男性の背後には、明らかに異様な姿をした人型のナニカが十体ほど立っていた。
石像のような体は真っ赤に染まった、無貌の怪人。
そう形容するのが妥当か。
「おや、言い争っている間に、そちらから来てくれましたか」
村人たちの間を縫って前に出た龍太。少し遅れてハクアも隣に並び、二人を見た男の口角が邪悪に歪む。
見れば、民家のひとつが炎上していた。先程の爆発音は、あの民家に対してなにかしらの攻撃をしたからか。村人に対する脅し。あるいは見せしめ。
怪我人が出ていないのが幸いだ。
「お前ら、何者だよ」
「我らはスペリオル。人間をより高位の存在へと変革させるための組織です」
「スペリオル……まさかそのような輩がこの村まで来ようとは……」
「知ってるんすか、村長?」
なにやら訳知り顔の村長に視線だけを向けてみれば、苦い表情が返ってくる。
どうやらハクアも知っていたのか、説明は彼女が引き継いだ。
「ここ数年、各地でテロ行為を繰り返している組織よ。人間を進化させるだの世界を変革させるだの、胡散臭いことばかり謳ってるの。ああいう、魔導で作った怪人を使ってね、巫女たちが大規模な掃討作戦を率いてからは、鳴りを潜めていたはずなのだけれど」
テロリスト集団。つまりは、この上なく分かりやすい悪の組織。
そんな連中が、どうして龍太の身柄を狙うのか。真意を探ろうと中心に立つ男を睨むが、やつは不気味な笑みを浮かべるだけだ。
「アカギリュウタ君、我々の目的のため、あなたを保護しに参りました」
「保護だと? そんな得体の知れない連中引き連れといて、ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ」
そもそもなんだ、人間をより高位の存在にって。小難しいこと並べてたら子供は納得するとでも思ってるのか、こいつは。
敵意を隠しもせずに睨んでいれば、男は徐にため息を吐き出し、わざとらしく肩をすくめた。
「やれやれ、下手な抵抗はやめた方が賢明ですよ? さもないと、痛い目を見ることになります」
途端、彼の背後にいた怪人たちが一斉に、虚空から剣を取り出した。
息を呑む。ハッタリではない。こいつらは本当に襲いかかってくる。バハムートセイバーを起動すれば戦えるが、数の不利は覆せない。一体か二体、多くても三体相手している間に、他の怪人は村人を襲うだろう。
苦しい表情で打開策を考える中。
『Reload Explosion』
無機質な音声が、その場に響いた。
次いで、容赦のない発砲。怪人のうちの一体に直撃した瞬間に爆発。粉々に砕けていくその様を、誰もが呆気に取られて見ていた。
「なんのためにリュータを攫おうとしているのかは知らないけれど、そんなことさせるわけないでしょう」
涼やかな声による堂々とした宣誓。
純白の少女が放つ威容が、一瞬でこの場を支配した。
「さあリュータ、戦いましょう! あなたが守りたいものを、守るために!」
「ああ、そうだな……こんなやつらについて行く気もなければ、村に手出しさせる気もない! 俺たちが全部守ってやる!」
差し出された手を取る。まるでそうするのが自然であるように、互いの指を絡め合う。
唱えるべき言葉は分かっている。誰になにを聞いたわけでもないのに、頭の中にそれはあった。
今はもう、一人じゃない。
欠けてしまった自分を埋めてくれる存在が、すぐ隣にいる。
ハクアとふたりなら、戦える。
だから叫べ、ヒーローになるための言葉を!
「「
繋いだ手を中心に、二人の体とハクアのライフルが光の球体に包まれた。それが弾けて消えた時には、純白の鎧を身に纏い、真紅の瞳を持った仮面の戦士が立っている。
「なっ、なんだそれは……王の託宣にそのようなものはなかったぞ!」
狼狽する男の言葉に、ふたりでひとりの戦士は、力強く答える。
『わたしたちは、バハムートセイバー!』
「お前らを倒すヒーローの名前だ! 覚えておけ!」
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