ふたりでひとり

第3話

「きゅ?」

「……ドラゴン?」


 目を覚まして真っ先に視界に取り込んで来たのは、小さな黒いドラゴンだった。猫と同じくらい小さな、つぶらな瞳の可愛らしいドラゴン。


 覚醒し切らない意識で、龍太は周囲を見渡し記憶を手繰る。

 眠らされていたのは、木造の建物の一室。ふかふかのベッドの上で横になり、胸の上に小動物じみたドラゴンが乗って、こちらの顔を覗き込んでいる。

 どうして自分がこんなところにいるのかと考えれば、記憶が途切れる直前の出来事に思い至った。


「って、ドラゴン⁉︎」

「きゅー!」


 勢いよく起き上がると、ドラゴンも驚いて翼を羽ばたかせる。

 ついさっき、かどうかは分からないが、なにせ龍太の中のドラゴンとは、あの時襲ってきた恐ろしい化け物だ。ハクアには怖がらないでほしいとか、ドラゴンがみんなあんな風だと思わないで欲しいとか言われたけど。

 一度植え付けられた恐怖は、そんな簡単に拭えない。


 ベッドの上で警戒しながら宙を飛ぶドラゴンと睨み合っていると、部屋の扉が開かれた。現れたのは、出会った時と同じ純白のドレスを着た美しい少女。

 あれだけの戦いがあったにも関わらず、その白を全く損なっていないハクアだ。


「あ、起きたのね、よかった……おはよう龍太、体調はいかが?」

「お、おはようハクア。体調は大丈夫だけどよ……こいつは……?」

「この子はわたしの友達。エルって言うの、仲良くしてあげてね」

「きゅー」


 パタパタと翼をはためかせ、龍太の目の前にやって来る。その小さい手を差し出してきたので、困惑しながら龍太も人差し指で応えた。嬉しそうに笑っている。


「意外と可愛い……」

「ふふっ、そうでしょ?」


 膝の上に降りたエルは、猫のような可愛らしさがある。恐る恐る頭を撫でてみれば、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らした。やっぱり猫じゃん。


 ただ、冷静になって考えてみると。こうしてドラゴンなんてファンタジーな存在が、普通にいるということは、やはりここは異世界なのだろう。今更ではあるけれど、あの雪山の中では考える時間もなかった。


「そう言えば、あれからどれくらい経ったんだ? 玲二は見つかったのか⁉︎」

「落ち着いて、リュータ。順を追って説明するから」


 身を乗り出して尋ねる龍太を、ハクアは座っているように宥める。たしかに、体全体になんとも言えぬ倦怠感がある。あの時気を失ってしまったことと関係あるのか。


「まずは改めて自己紹介ね。わたしはハクア。考古学者として世界を旅して回っているわ。こう見えて、エルと同じドラゴンなの」

「ドラゴン? ハクアが?」

「あの時にも言ったけれど、ちょっと事情があって龍の姿になれないのよ。今は人間の可憐な美少女だけれど、本当の姿を見たらびっくりするわよ?」


 クスクスと楽しそうに笑っているハクアを見ていると、本来の姿とやらも気になってくる。人間体のこの姿や、ハクアという名前と関係していないとは思えないし、きっと真っ白な美しいドラゴンなのだろう。


「そしてここは、中央大陸にある最果ての地。この世界のこの星で、最も北にある場所。土地の名前は特に決められていないのだけれど、『始まりの場所』と呼ばれることがあるわ」

「始まりの……? ようは北極みたいな場所なんだろ? だったらなんでまた」

「この世界における現代の文明、それが始まったとされる場所だからよ。わたしがこの村に滞在しているのも、それが理由」


 考古学者として、ということか。

 つまり龍太は、幸運に恵まれたと言うことになる。もしもハクアがこの地に訪れていなかったら、あの時ドラゴンに殺されていただろうから。


 村と聞いて、龍太は窓の外を見た。たしかに木造の建物がいくつか見えるし、住人たちの姿も。彼らが着ている服は、元の世界で日本の都会に住んでいたら、まずお目にかかれないような格好だ。元の世界のような高度な製法技術からは考えられない、それこそゲームのキャラクター、NPCなどが着ていそうな素朴な服装。


 ゲームのキャラクターのようといえば、ハクアもその通りだ。

 豪奢な意匠の施されたドレスは、汚れなき純白。形のいい胸元の膨らみにリボンが乗せられ、腰のあたりまではスリムなボディラインが浮かび上がっている。丈の長いスカートは、足元まで覆い隠していた。肩から手首の辺りまでも完全に布で覆われ、更に手袋まで嵌めている。

 僅かに顕となっている顔の肌も、ドレスに負けず劣らずの白だ。だからこそ、瞳の真紅がより一層引き立っていた。


 本当に、作り物めいた美しさ。まるで現実感のない可憐さ。

 ハクアの存在そのものが、非現実を、ここが異世界なのだということを証明している。


 そんな美貌を持つ少女に対し、ひとつ疑問が生じた。


「もしかして、ハクアってドラゴンの国のお姫様とか、そんなんだったりするのか?」

「お姫様? なんで?」


 え、なんで? なんでって、そりゃそんくらい可愛いからだけど、説明すんの?

 コテンと小首を傾げていたハクアだが、なにかに気づいたのか、ニマァ、と口角が上がっていく。


「ねえねえ、なんでそう思ったの? ほら、教えてごらん?」

「な、なんでもいいだろ!」

「いいからいいから」


 顔を寄せられ、至近距離でジーッと見つめられる。幼馴染以外の女子とこんなに急接近することなんて、これまでの人生で一度もなかった。端的に言えば、女子の相手に慣れていない。

 だから頬が勝手に熱くなってしまって、恥ずかしいことこの上ない。


 このままだったら話が進まないどころか、一生離れそうにないので、観念してため息をひとつ。視線は逸らしつつも、蚊の鳴くような声を出した。


「そんなに可愛いんだから、どっかのお姫様なんだって思うだろ、普通……」

「聞こえなかったからもう一回」

「勘弁してくれ!」


 クスクスと、鈴を転がしたような耳触りの良い声が響く。からかっているようにも喜んでいるようにも見える笑みは、本当に愛らしい。至近距離で見せられたら心臓に悪い。


「可愛いって言われただけなのに、こんなに嬉しくなるだなんて。これも誓約龍魂エンゲージ出来たからなのかしら」

「そういや、そのエンゲージ? ってのが、あの鎧と関係してるのか?」


 言葉の響きから予想したのだが、どうやらそれは当たりらしい。

 笑みを抑えて真剣な表情になったハクア。自然と龍太も緊張してしまい、居住まいを正してしまう。


「まず、最初に謝っておくわ、リュータ。ごめんなさい、わたしのせいで、あなたのこれからは不自由になってしまう」

「どういうことだよ?」

誓約龍魂エンゲージというのは、龍と人の魂を一つにする術。そうすることで互いの力を何百倍にも増幅させる、失われた技術なの。本来は、将来を誓い合った龍と人が結ぶ、一種の契約だったのだけれど」

「将来を誓い合ったって、まさか……」

「ええ、人間同士の結婚に近い」


 十六歳の男子高校生には気が早すぎる話だった。だって結婚って、つまり好きあったもの同士がするもので、エンゲージたら言うものもその一つで。

 ハクアとは出会ったばかりなのに、色々とすっ飛ばしすぎじゃなかろうか。


 俄かに頬を赤くする龍太。そんな思春期真っ盛りの少年を優しい笑みで一瞥する。


「そういう性質を持つからか、魂の相性がいいもの同士で、なおかつ互いの感情が向かい合っていなければならないの」


 互いの感情が向かい合っていなければならない。首を傾げるところだ。たしかに龍太は、この純白の美しい少女に、一目惚れにも似た感情を抱いたけれど。つまりそれは、ハクアの方も同じでなければならない。


 エンゲージ出来たから。

 先程のハクアの言葉を思い返す。今こう言う状況になったからこその感情ではなく、そのような感情を龍太に対して持てるからこそ、エンゲージ出来た。


 何故、という疑問が尽きない。


「あの時あなたは、あのドラゴンの攻撃で一度死んだわ。あなた自身も、それは薄々勘づいていたでしょう?」

「まあ、そうだな……」


 できれば思い出したくはないが、あの瞬間、激痛と共に体全体の熱が失われていくような、自分というものが希薄になっていくような、とてつもない喪失感。

 あれが死だというのなら、納得できてしまうものだ。


「あの時わたしは、リュータをどうしても助けたかった。自分の全てを、それこそ魂すら投げ捨ててでも、わたしを庇って死に行くあなたを、見捨てることなんてできなかった」


 だから、エンゲージできた。

 龍太がハクアを助けたいと、ハクアが龍太を助けたいと、互いに想いあった結果として、エンゲージは成功した。


 そのような経緯ゆえ、ハクアとしても少し照れくさいのか、はにかんだ笑みが浮かぶ。


 だけど、と。そこで一度言葉を区切った彼女は、一転して表情を沈ませた。


「成功はしたのだけれど、誓約龍魂エンゲージは不完全なの」

「不完全って……でも、俺はこうして生きてるわけだし、あのドラゴンだって倒せたじゃねえか」

「そうね。ドラゴンを倒せたのは、本当に運が良かったとしか言いようがないわ」


 言葉の意味を捉えかねて、龍太は首を傾げるしかない。暗い顔をしたままのハクアを心配してか、膝の上で丸くなっていたエルが、ハクアを見てきゅー、と鳴いた。


「まずあの時のリュータの状態。一度死んでいる以上、魂は肉体から離れて、消える。完全に消える前に処置は施したけれど、あなたも例外ではなかった。だから今のわたしたちは、魂を一つにしたわけじゃない」

「ひとつの魂を分け合ってる……?」

「そう。わたしの魂を、命半分を、リュータに上げたの」


 それを聞いて、龍太の顔から血の気が引いた。魂が具体的にどう言ったものかなんて、龍太は言葉の上でしか知らないし、そもそも元いた世界ではオカルトじみたものだった。

 けれど命を分け与えられたと聞けば、ことの重大さが見えてくる。


 龍太があそこでヘマをしたばかりに、ハクアは自分の命を削ることとなってしまった。


 そんな心情を察してか、少女は安心させるように笑みを向ける。


「リュータが悪いわけじゃないわ。あなたは、わたしを助けてくれたのだもの。あの時庇ってくれなかったら、死んでいたのはわたしだった」

「でもよ……」

「だからリュータは、わたしにとっては紛れもなく、ヒーローなの。胸を張ることはあっても、落ち込む必要なんてない」


 ヒーロー。

 その言葉を聞かされて、少しだけでも気が楽になってしまう。単純な自分に嫌気がさすけど、でも。

 そう言ってくれているのに落ち込んだままなのは、それこそヒーロー失格だ。なにより、ハクアに対して失礼極まりない。


「これが一つ目の理由。二つ目に、わたしが魔力を持っていなかったから」

「そもそも魔力ってなんなんだ?」


 魔法を使うための力。ということは想像できるが、それでもやはりオカルトじみたそれを、龍太は上手く理解できていない。

 先の戦いで、自分の中にもそれが巡っていることは把握した。ただ、あの時は龍太の魔力をハクアが動かしていたのだ。自分でやれと言われても出来ないだろう。


「大体想像通りだとは思うわ。この世界には、魔導と呼ばれる科学分野があるのだけれど、それを扱うための力。この世界に生きとし生けるもの全てが持つ、いわば血液と似たものよ」

「でも、ハクアはそれを持ってないんだよな? 血液と似てるってことは、なかったらマズイんじゃないのか?」

「持っていないと言うよりも、封印されてると言った方が適当ね。ただ、他の人たちからは感知されないし、自分で自分の魔力を感じることもできない。だからないのと同じなの」


 血液と似たような、というからには、当然生体活動には必要不可欠なものなのだろう。

 あるにはある。だから生きているだけなら問題ないが、その魔導とやらを扱うことができない。


「ん? いやでも、あの銃は?」

「あれは龍具。大昔、まだわたしの力が残っていた時に、わたしが作った魔導具なの。魔導具は使用者の魔力を使うことはないから、わたしも使えているだけ」

「なら、魔力を持ってなかったらエンゲージが不完全ってのは?」

「あなたの世界では、魂から生命力を汲み取り、生命力を魔力に変換しているみたいだけれど。この世界の生物は、魂から魔力を直接汲み取るの。だからわたしの魂は、いわば欠陥品ってこと」


 そもそもこちらの世界の魔力やらをよく知らないし、そんなものがこっちでもあったなんて初耳なのだが。


 まあ、そこは一旦置いとて。


「リュータの魂は完全に消えていたわけじゃなかったから、リュータは魔力を問題なく使えるわ。それはあの時に分かったでしょう?」

「ああ、まあ……あんなに凄い力を出せるなんて、今でも信じらんねえよ」


 ハクアのライフルを素体として作られたらしい、あの鎧。

 龍太は元々、腕っ節には自信があった。路地裏での喧嘩なんて日常茶飯事で、それこそこの世界に来る直前のように、他校の生徒に絡まれている幼馴染を何度も助けたものだ。自分でも鍛えていたし、そのおかげで負けることはなかった。

 正義のヒーローになるためには、力が必要だったから。


 でも今では、力というものが怖い。

 そのおかげで自分の身を、ハクアのことを守れたのだとは言え。己の身に余るあの力が、無性に怖くて仕方ない。


 無意識に震える拳を、白い指がそっと包み込んだ。顔を上げれば、優しい表情のハクアが笑いかけている。


「バハムートセイバー」

「え?」

「あの鎧の名前。いえ、あの状態のわたしたちの名前よ。あれはリュータとわたしの力、あなた一人の力じゃないわ。だから、あの力がもし怖いのなら、わたしを頼ってもいいんだからね?」


 年上のような慈愛に満ちた言葉。実際にハクアはドラゴンらしいから、見た目通りの年齢ではないのだろうが。

 ほんの少しだけ、心が軽くなった。あの力に対する恐怖が完全に消えたわけではないけれど、今の龍太は一人ではないのだと、理解できたから。


「そうだな……ありがとう、ハクア」

「ふふっ、わたしの方が何万歳も歳上なのだから、これくらい当然よ」


 何万歳と来たか……正直予想以上というか、そこまで来たらもはや歳の差とか意味ないじゃん、なんて思ってしまうレベルだ……。


 なんて思いつつ、ハクアの笑みがどこか擽ったくて、視線を逸らしながら話も逸らした。


「あー、それで? 誓約龍魂エンゲージが不完全だってのは分かったけど、不完全だったらどうなるんだ?」

「そうね。まず、魔力の絶対量が減ってしまっているわ」

「さっきの話を聞いてる限りはそうだろうな」


 魂から魔力を直接汲み取るというなら、その魂そのものを分け合っている二人は、魔力の絶対量も減っているだろう。


 バハムートセイバーは、ハクアの龍具、あのライフルが素体となっているため、その力を使うことができる。減っている魔力はそこで補うことができた。

 だから、今後もしまた戦うことになっても、あまり不安はない。


「問題はもう一つなのだけれど。魂を分け合った影響なのか、あまり離れることが出来ないのよ」

「……っていうと?」

「10メートル以上は離れられないわ」

「10メートル……」


 これは、かなりの死活問題ではなかろうか。

 エンゲージを結んでしまった以上、これからはハクアと行動を共にすることとなる。それ自体は言葉に出さずとも、互いになんとなく分かっていたことだ。


 ただ、10メートル以上離れられないというのは、ちょっとどころじゃなく問題な気がする。


 例えば日常生活。寝る場所は近い部屋じゃないといけないし、近い部屋がなければ同じ部屋になってしまう。思春期の男子高校生的にそれは色々やばい。

 しかもどちらか片方がお花を摘みに行きたい場合、部屋やお手洗いの位置によっては、それにも同行しなければならない。プライバシーもクソもあったもんじゃない。


「もしそれ以上離れたら……?」

「バハムートセイバーが勝手に起動するわ」

「セーフティがあるならまだマシと見るべきか……」


 一発アウトの即死とかじゃなくて良かった。考えようによっては、結構役立つ機能かもしれないし。


「ん? ていうか、試したのか?」

「試したっていうか……村長のところに挨拶しに行こうと思ったら……」


 ああ、勝手になっちゃったのね。ハクアも把握していなかったということか。


「だから、村長への挨拶はこれからなの。悪いのだけれど、リュータも一緒に来てくれる? 他の状況については、そこで説明するから」

「もちろんだ」

「なら早速行きましょうか。着替えはそこに入っているから」


 タンスを指差すハクアに、今更気がついた。自分が制服姿ではなく、村人と同じ服を着ていることに。

 まさかと思って少女の顔を見返せば、どうやらそのまさからしい。


「リュータって、意外としっかりした体つきなのね。惚れ惚れとする筋肉だったわよ」

「そういうの一々言わなくていいからッ!」


 真っ赤な顔で叫べば、小悪魔のような笑みを残してハクアは去っていく。

 女子に、それも美少女に着替えさせられた。裸を見られたとか下着を見られたとかよりも、その事実こそが龍太に羞恥心を煽り、自尊心をごりごり削る。


「きゅー」


 膝の上に残ったエルは、心なしか慰めてくれているようだった。

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