第3話 鳴子温泉!
「この松島は9m近い津波が来てね。あの赤い神社も飲まれてしまったのよ」
指さした先には五大堂がある。大陸から少しはみ出た、島の上に建つ本堂は松島の象徴でもある。
「このあたりもヘドロが打ち上げられていてねー。そりゃひどいもんだったわ」
「ヘドロ……?」
「それだけ海が汚いってことさ」
「それで、どうしたんですか?」
板橋さんが眉を寄せて訊ねる。
「そりゃ、みんなで大掃除さ。このあたりにも消毒剤をまいて、ようやく落ち着いた頃にはまたコロナ……。ホントいやになっちゃうね」
「復興までにそれだけかかったのですか?」
「ん。いや、未だに復興は終わっていないさ。何を持って復興というのかは知らないけど、あたしのじっちゃんやばっちゃんは帰らないからね」
苦いものを噛んだような顔をするおばちゃん。
「まあ、自然を相手にする以上、それも考えていたけどね。牡蠣をとるのも命がけよ」
「……そんな危険な目に遭っているから、わたしたちは安全に食べ物を得られるのですね」
「そうさ。だから命の味をしっかりとかみしめてほしいね。これは他の仕事にも言えることだろうけど」
僕は焼けた牡蠣を口に運ぶ。
これが命の味。命の重さ。
彼ら、彼女らが必死になって育てた味。
「牡蠣なんかは一本のロープにホタテの殻をつけて牡蠣の稚貝を育てるんだい。実りのいいときはあるけど、それも津波で流されっちまってね」
貝殻を捨てる。
「一度は廃業も覚悟したさ。でも、広島の漁業関係者から手伝いが来てね! 他にもボランティアの団体が支援してくれたのさ」
メガネをとり、汗を拭き取るおばちゃん。
「あのときは泣いたね。人間の温かさ? というのを思い知ったさ。それもこれも、人の助けあってのこと。あたしも、もう少し頑張ってみようと思ったさ」
「いいですね。その話」
「でも、コロナにオリンピック。あたしらはどうしたらいいのか全く分からないね」
コロナで出る感染者は抑えたい。でも、オリンピックという祭典によって観客や観光を潤したい。
でも、今回は無観客、観光を抑える方向に働いた。
「一世一代の観光チャンスだったのに、それも失われてしまったさ」
「そうですね。もっと早くにワクチンが打てれば良かったのに」
「そのワクチンも、効果ないときがあるみたいで、困ったもんさ」
ため息を吐き、次の牡蠣を持ってくるおばちゃん。
「おばちゃん、なまりあるね。どこ出身?」
「ふふ。秘密さ。でも、その子はかわいいねー」
「ええと。めんこいですよね」
はははと乾いた笑いを浮かべる僕。
「まためんこいって言う」
「なんだい。そっちの子はめんこい言われて嬉しくないのかい?」
「だって知らない言葉ですし……」
ぶつくさと小言を言う板橋さん。
「さて。牡蠣も食べ尽くしたし……」
僕は板橋さんを見やる。
「そろそろ鳴子に行こうか?」
「……そうね。そろそろ我が儘も終わり。山根くんや九条くんに悪いよね」
「そうだね」
僕は連絡を入れると、山根、九条、沢城、雫が了承する。
仙石線で仙台へ戻ると、そこから一時間かけて鳴子へ向かう。
鳴子は宮城でも有数の温泉街だ。あちこちから硫黄の匂いが漂い、僕と板橋さんは雫たちに合流する。
と、山根が小突いてくる。
「なんだ? 気を利かせて、二人きっりにすれば良かったか?」
「いうなよ。鈴木は奥手なんだ。こうしておれらが卒業旅行を計画しなければ、あのままお別れだろ?」
「おいおい。まさか、僕が告白しないからってこの旅行を計画したのか?」
「そりゃ」「もち」
目頭が熱くなる。まさかこんなに友に愛されているとは思いもしなかった。
今度こそ、僕の本当の気持ちを伝えよう。そうしなければ、彼らの思いが報われない。僕の気持ちも消えてどこかへさまよってしまう。そんなのは嫌だ。僕はこの気持ちを伝えたい。
「よし! 今日こそ、板橋さんに告白する!」
「いよ! よく言った! マイブラザー!」
「その覚悟に敬意を表する!」
曲がりくねった道を上がると、今夜泊まる予定のホテルが見えてくる。
この旅行は、僕がためたバイト代と、両親の粋な計らいがあってのこと。それを無駄にはしたくない。
何かしらの成果を上げねば!
と意気込んだは良かったものの。
(フラれたらどーしよー!!)
その一点につきる。
この旅行中、ずっと気まずいまま過ごすのは、豆腐メンタルな僕にはあまりにも酷だ。
「おい。今なら板橋はひとりだぞ」
「おい。あっちいこうぜ!」
「だぁー! 板橋さんは向こうにいったぞ」
山根、沢城、九条が僕のために時間を作るが……。
「へぇ~。あっちも面白そうだね。私もついていっていい?」
「ええと。うん」
なぜか雫が邪魔をするように間に入ってくるのだ。
「花菱さん。ちょっとこっちへ来てくれないかな?」
「何かしら? 告白? ならもっと品のある場所がいいわね」
「え。や、そういうんじゃないけど……」
「違う奴なら告白したがっているけどな」
「おい山根!」
「あ。やっべ」
「ふーん。やっぱり。私が来て正解だったね。悠人」
「それってどういう意味?」
「私が告白させない、って言っているの。この旅行で気まずい思いはしたくないんでしょ?」
「そ、それは……」
「だったら。そんな関係は終わらせよ? 大丈夫、私がいるじゃない」
「そ、それは……」
確かに雫は美人さんだし、理解力もある。こちらが下手なことをしなければまず間違いなく、幸せな家庭を築けるだろう。
と、そこまでは予測ができるが、僕の望んだ世界に彼女は含まれていない。それを直接伝えれば、雫は傷つく。
「いや、僕は板橋さんに告白するんだ」
「本当に? できるの? 悠人は頑張らなくても幸せを手にできるんだよ?」
「え?」
「私、ずっとあなたを観てきたの。……好きなの。分かってよ」
口元に手を持っていくあたりあざとい、と思うが耳まで真っ赤にするのはかわいい。
「で、でも、僕は……」
確かに安定した幸せというのもあるだろう。現に今、目の前の幸せを手にすれば、あとの人生、バラ色になるのかもしれない。
でも、それは本当に僕が望んだことか?
いや、僕が心に決めたのは雫じゃない。そうわかりきっているじゃないか。
「ごめん。僕、他に好きな人がいるんだ。だから諦めてくれ」
「……いいよ。諦めるのはなしかな。ずっと追いかけちゃうかも。だからいつでも帰っておいで」
「……粘り強いんだ」
「そう。納豆みたいでしょ」
納豆。納豆菌は繁殖力が強く、簡単に言えばタフだそうだ。酒屋などの発酵食品を扱うところでは納豆を食べるのを禁止されているとさえ聴く。
まあ、この話は雫から聴いたものだけど。
でも彼女が言うということはそれこそ一生忘れさせないつもりなのだろう。そして一生忘れるつもりもないのだろう。
「重いよ」
「重い女は嫌い?」
「嫌いじゃないけど……。でもごめん」
「ふふ。フラれてしまったわね。またチャンスがあったら、狙うからね」
「じゃあ」
僕は雫から離れると、お土産を選んでいる板橋さんに駆け寄る。
「鈴木くんか。どれがいいと思うお土産?」
「ええと。ゆべしとか、牛タン、ずんだ?」
「くじらもなかっていうのもあるよ」
「そうだね。どれも魅力的に映っちゃうよね」
多分、板橋さんだけでなく、雫も魅力的なのだ。でも、二股はダメだ。僕は一人に決めなくちゃいけないんだ。
「これなんてどうかな?」
僕が手を伸ばすと、その先にあった萩の月を手にする。
顔を上げると、触れあえそうな距離に板橋さんの顔がある。
「あ。ごめん」
きめこまやかで白い肌。それにかすかに硫黄の匂いがする。
「いいよ。でも萩の月かー。おいしそうだね。これにする」
「そ、そう。決まって良かったね」
「まだ。こっちは決まっていないけどね」
「そう言えば、先に温泉に入ったんだね」
「うん。鈴木くんもどうぞ」
「そうだねそうしてくる」
※※※
「なんだよ。水くさい」
「で。相談ってなんだ?」
「……告白ってどうするんだ?」
僕は神妙な面持ちで友に訊ねる。
「そりゃ、『好き』の一言でいいじゃないか?」
「それだけ? 『人目みたときから』とか、付け加えるといいんじゃないか?」
「バカ、長くすればするほど、うさんくさくなるだろ。ここは『好きです。付き合ってください』くらい短くていいんだよ」
「そ、そんなものかな?」
「いいんだよ。しかし気持ちいいな。鳴子温泉」
「源泉掛け流しなんて、贅沢だな」
「いや、今は僕の告白について」
「えー。自分で選べよ。自分の人生だろ。ここまで手伝ったんだから、あとは自分の足で進め。じゃないと、いつまでたっても独り身だぞ」
雫がいるから、独り身にはならないけども。言われたことは確かなものだった。
というか、雫という存在がいるから、少し落ち着いているのかもしれない。
「みんなに支えられて生きているんだな……」
「ようやく分かったか。ならさっさと告白してこい」
「うん。分かった。いってくる」
僕はすぐに上がり、着替え、板橋さんの元に駆け寄る。
といっても僕たちの部屋の向かいだけど。
こんこんと控えめなノックをすると、鈴のような声音が帰ってくる。
「どうぞ」
「い、いやぁ。ははは」
「ありゃ、鈴木くんじゃない。どうしたの?」
板橋さんは雫と一緒にトランプをしていた。
「ええと。その、板橋さんに重要なことをお伝えしたくてきました」
なんだこれ。まるで告白の雰囲気じゃないな。
「え。まさか、お母さんにバレたの!?」
「バレてない。……え。無断できたの?」
「へ」「あ」
「まさかの結果、悠人頑張れ」
投げやりな気遣いに泣きながら「ありがとう」と返す。
「と、とりあえずきて」
僕は彼女の袖を引っ張り、川沿いに行く。
ムードもへったくれもないけど、ここなら誰にも聴かれない。
「ずいぶん、歩いたけど、何?」
「そ、その……。僕は君が好きだ。初めて出会ったときから付き合いたいと思った!」
「……へー。そうなんだ。ありがと」
「え! それだけ?」
「ふふ。わたしも好きよ。付き合っちゃおうか?」
「う、うん。いいの?」
「いいよ。ずっと前から好きだし」
「やったー!」
「なんか恥ずかしいね」
そう言う板橋さんは顔を真っ赤にしている。夕焼けのせいではない。パタパタと手で顔を仰いでいる。
「やっぱりめんこいね」
「まためんこい言う……」
「ごめんごめん。でも『めんこい』は東北地方のなまりで『かわいい』の意味だから」
「え!」
さらに顔を赤くする板橋さん。今にも沸騰しそうだ。
「もうバカ!」
※※※
大学一年。
僕は環境専門の大学に進学した。あの日あのとき出会った釣り人、牡蠣小屋のおばちゃん。彼ら彼女らの思いを無駄にしたくなく、そういった研究を行いたいと思った。
当然隣には板橋さんがいる。
将来を誓いあった仲だ。
彼女もまた経済の観点から自然災害への向き合い方を考えている。
先人の知恵を借り、僕たち若者は次の世代へと自然との向き合い方を伝えていく。これも立派な仕事だ。
僕たちの子供には、今の世界を変えられるかもしれない。少しずつでも、その兆しが見えているのは嬉しいものだ。
まだ、子供はいないが、伝え託す気持ちはもう決まっている。
「そろそろ講義始まるよ」
「うん。分かった」
これはふたりだけの問題ではない。誰もが志しを持って生きているわけじゃない。でも、こうした人もいなくては国はなりたたないのだろう。
きっとその先にある未来は輝いているから。
宮城より、僕の彼女はめんこい! 夕日ゆうや @PT03wing
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