3つのお題でお話を書きます
@Superhuna
ひなぎく お題 球体関節人形 海 気球
「あ、気球」
僕は指差す。
水平線の先。どんよりした灰色の海面から浮き上がるように姿を現す丸い飛行体。
相方の観測者が望遠鏡で僕の指差すその先を確認する。
そして相方は素早く野外電話機を掴み取る。電話の相手が出るまで僕は気球を数える。1、2、3、4、5、6。
「こちら本部」
「観測班です気球確認、気球確認」
「何機?」
18、19
「おい」
相方が僕を呼ぶ。
「20機、いや20機以上だよ」
「こちら観測班、20機以上、20機以上来てます」
「了解」
相方が受話器を置いたとほぼ同時にサイレンが鳴り響く。いままで静かだった海岸が騒がしくなる。
機関銃をくるんでいたカバーが外されていく。海岸はたちまち機関銃の群れでハリネズミのようになる。
銃弾を運ぶ者、装填する者、気球の距離と速度を測る者、機関銃座に取り付く者、それぞれがテキパキと動いていく。まるで精巧な機械のように。
でも、僕たちは落第生だった。兵役試験で不合格をもらってすごすごと家に帰った者たちを寄せ集めて作ったのが眼前でうごめく気球迎撃隊だ。
ダダダ、ダダダ、機関銃が火を吹き始める。
と同時にドーン、と遠くで気球が爆発する。
僕たちは戦争をしている。
もっと立派な人たちは本土から遠く離れた最前線の地で敵を目の前にして戦っている。けれど、僕らは内地から少し離れた島の海岸で敵の放つ気球爆弾を毎日迎撃している。敵の顔は一度も見たことがない。
ただただ毎日飛んでくる気球を迎撃するだけ。時には千を超える気球爆弾が僕らの島に向かってくる。そんな時はとても全ては落とせなくて、僕らの頭上を通過していく気球を見ながら「どうか誰も傷つきませんように」と僕は祈る。
「観測班!あと何機だ!」
怒鳴り散らすのは迎撃隊長。かき集められた僕らを気球迎撃用の機械に仕立てた男だ。前線で上官を殺したという噂がある。赤ら顔の中年でラグビー選手のような体躯をした、まるで鬼のような男だ。
「あと7機です!」
今日はいつもより少ない。敵はもう気球爆弾を飛ばす力を失いつつあるのかもしれない。戦争はもうすぐ終わるのだろうか。そういう噂は1日に数度は耳に入る。僕が徴兵されるとき、家族は青ざめて「おまえまで連れていくようではこの国は終わりだ」と言っていたけれど、意外とそうでもないようだ。
機関銃は未だに吠え続けているけれど、もうすぐそれも静まるだろう。
今日は全機落とせそうだ。あの方もきっと褒めてくれる。僕はそれを期待していた。
あの方、自らを「ひなぎく」と呼ばせるアンドロイド。この国の王がかつて愛し亡くした従者たちを模して大量に作られたアンドロイドのうちの一体。兵を教え導く教導者として各戦線に派遣されている。少佐の迎撃隊長と同じ階級の少佐であるひなぎくは自由奔放にこの島を歩き回っている。いつも同じ音色の口笛を吹きながら。
ダダダと機関銃が吠え、ドーンと虚しく気球の爆音が響いた後、波の音以外しなくなったところへ口笛が聞こえてきた。みなそちらへ顔を向ける。口笛が止まる。
「やぁみんな!今日はよくやったみたいだね!」
ひなぎくが両手をあげてニコニコしながら歩いてくる。純白の軍服に陶器のような白い顔、切れ長の凛とした目、絹のような白い髪は日の光を受けて金色に輝いたり銀色に輝いたり時には虹色に輝く、両襟には鮮血のように真っ赤な階級章がついている。ベルトには鞭と大型の拳銃が下がっている。
「ひなぎく少佐に敬礼!」
一番前にいた太っちょが号令をかける。
全員がひなぎくに敬礼をする。するとひなぎくは両手を腰に当てて少し冗談っぽく気分を害したフリをする。そしてフラリと敬礼を返す。
「僕には敬礼なんかしなくて良いのに」
「規律がありますので」
隊長が応える。
「つまんないなぁ、君のせいだよ?みんながぼくをひなぎく少佐だなんて呼ぶのは、ひなぎく少佐じゃなくてひなぎくなんだよ僕は」
「規律がありますので」
隊長は同じ言葉を繰り返す。
ふん、とひなぎくは鼻で笑い隊長を避けて僕らへ歩み寄る。そして一番近くにいた太っちょの腕を掴んでグイッと引き寄せて抱きしめる。それから今度は太っちょをくるりと回転させる。後ろから抱きしめる。抱きしめたままひなぎくは太っちょの頭にキスをしてから顎をのせる。はぁ、と安心するような吐息をもらす。
「みんないつも頑張ってくれて僕はとても満足しているよ」
太っちょを優しく離し、みんなの頭を順になでていく
「きっと王様も同じ気持ちだよ、君たちを誇りに思っている」
僕の番だ。白く半透明で中には球体関節が収まっている。あの手が触れる。ヒヤリと冷たく柔らかい感触、その冷たさは風邪をひいて火照った頭を冷やす氷嚢のような心地よさがある。
なんて素敵な手だろう。
「明日も頑張ろう、みんな、愛してるよ」
あらかた撫で終え、最後の一人の頭にキスをする。そしてひなぎくはまた口笛を吹きながら去っていく。
魅了されたようにひなぎくを見つめる者もいれば引きつって目を背ける者もいる。
ひなぎくに恐怖心を抱くものは少なくない。
全機落とした日には優しいひなぎくも、撃ち漏らしがあった日にはまったく違った顔を見せる。
いや、いつもの顔で微笑みながら隊員を折檻するのだ。そう、撃ち漏らした日は隊長が報告のために電話をする。その間、青ざめて硬直した僕らを見守るのは指揮棒のように鞭を持った教導者ひなぎくだ。その辺にいる隊員を無造作に選び襟首を掴んで、引き倒し、強引に服を剥がす。
選ばれた隊員は振り上げられた鞭に恐怖して、許しを乞う。
「許す?こんなに愛してるのに許すはずないよ」
そう言って鞭を振るうのだ。あの鞭を持つ白く輝く手、透けて見える球体関節、なんて美しいんだろうと僕は思う。
僕ら気球迎撃隊はだいたいそういう日常をおくる。気球が来れば撃ちまくる。ひなぎくは僕たちが成功すれば愛を与え、失敗すれば恐怖を与える。
僕は、ひなぎくの与える愛も恐怖も含めて、魅了されていた。
交代制で観測や射撃をするなかで時々休みがもらえる。
そんなとき僕は抜け出して慣れない口笛を吹いた。ひなぎくのあの口笛を。
ある日、休みがもらえてまた口笛の練習をしていたとき、僕の口笛にあわせて唄いながら近づいてくるものがいた。ひなぎくだった。
僕は拙い口笛を聞かれたことに恥ずかしさを覚えたが、ひなぎくは気にしていないようだった。
「君はこの曲が気に入ってるみたいだね、いつも口笛の練習をしてる」
「あ、はい……知ってたんですね……あの、さっきの歌は……」
と僕が言うとひなぎくは歌い始めた。どこか遠くへ連れて行かれるような歌声で。
歌い終わると、一瞬考え込むように腕を組む。白く輝く美しい手に僕は見惚れる。それからひなぎくはフッと我に帰って放心している僕を見つめる。
「良い曲だよね」
そして僕に口づけをする。
「口笛がうまくなるためのおまじない」
ひなぎくが、口笛を吹きながら去っていくのを放心したままで僕は見続けていた。
早朝
「気球、500機以上あります!」
その言葉に隊長は怒声をあげる。
「1機も逃すなッ!」
気球が射程圏内に入ると海岸は機関銃の咆哮で溢れかえる。霧のようにたちこめる硝煙、足元に積み上がる薬莢。気球が爆発する音が遠雷のように轟く。その日弾薬係だった僕はひたすら弾薬庫から弾薬箱を運んでいた。
弾がたっぷり詰まった箱は二箱とちょっとで僕の体重を超える。
「おい、弾だッ!早くよこせッ!近いぞッ!」
射手が怒鳴る。汗と硝煙で視界がぼやける。なんとか運び終え、フラフラと弾薬庫へ向かう。とその瞬間、後ろから強く突き飛ばされる感覚。追って爆発音が全身にぶち当たる。気球が僕と銃座の間に大穴を作っていた。落ちてきたんだ。銃座は一瞬怯んだ後、再び火を拭き始めた。
隊長が走ってくる。僕を抱き上げて対空壕に寝かせる。
「弾薬手交代!急げ!」
休みの人員が急いで弾を運び始める。
海岸での爆発音がそこかしこで起きる。どうやら敵は僕らにも照準を合わせ始めたらしい。僕らに向かってくる気球への対処に迎撃隊は慣れていない。
恐怖で対空壕に入ってそこから出てこない者が相次ぎ、沈黙する銃座が増える。
「バカヤロー!撃て撃て!」
隊長が別の銃座へ駆けていく。
空を見上げると次々と気球が通り過ぎていく。
そしてひなぎくの口笛が近付いてくる。
対空壕で震えている隊員に鞭を打って立たせると銃座へと放り投げていた。
「どうしたんだい?弱虫くんたち!僕の愛がたりないのかなぁ!?」
大型の拳銃を抜くと対空壕にいた隊員の足を撃ち抜いた。悲鳴が響く。ひなぎくはその隊員を壕から持ち上げると地面に放り投げた。間髪入れずに傷口へ鞭を振るう。さらなる悲鳴。容赦なく振り続ける。
「みんな愛してるよ!さぁ!戦えッ!」
それを見ていた隊員たちは震えながら銃座へ付き撃ち始める。何とか数機は落としたがほとんど逃してしまった。
気球の群れは去ったが、隊員たちは青ざめて緊張していた。ひなぎくはいつもよりニコニコとしている。鞭も拳銃も手にしていない。
「愛する君たちに今日はいいものを見せてあげる」
今更フラフラと対空壕から立ち上がった隊員の腹にひなぎくは鋭い打撃を食らわせる。いや打撃ではなく腹に手を突き刺したのだ。なぜそうだと分かるか。僕の腹にひなぎくの手が突き刺さっているから。
そう、ひなぎくは僕を選んだんだ。
腹に手を突き刺したままひなぎくは僕の体を高々と頭上へあげる。
苦痛に僕は目を見開く。口を大きく開けるが声が出せない。
ひなぎくは僕の顔を見ると一瞬目をみ開いて、あっ、と声をだすが、ゆっくりと笑顔にもどりイタズラっぽく首を傾げる。髪がサラサラと揺れる。
「みんな!心臓って見たことある?」
ドシン、と今度は地面にたたきつけ、いよいよ手を腹にズブズブと沈み込ませていく。そして徐々に不思議な快楽が僕を犯し始める。苦痛に悶えていたはずの僕の体に変化が起きたことに気付かず、ひなぎくは僕の腹にねじ込んだ手を更に奥へ押し入れる。冷たく柔らかいその感触に僕の体は勝手に震えだす。
「あたたかいよ」
慈しむようにひなぎくは言う。
「でも、もうすぐ死んじゃう」
ひなぎくは優しく教えるように言う。しかし、その言葉を僕はぼんやりと気持ちよさそうに聞いている。
「ねぇ君」
ひなぎくが僕に話しかけながら手を腹の中でグチュグチュとかきまわす、僕は答えることができない。激痛、体は必死に僕の脳にそれを訴えている。なのに、僕の頭は、どうしようもなく快楽に犯されていて、何も考えられなくなっていた。ひなぎくのあまりにも美しいあの手、あの手が僕の体を侵している事実に、どうしようもなく感激してしまうのだ。
「ねぇッ!」
ひなぎくの怒気がこもった声。はい。と返事をする。声を出すのが苦しい。
「おかしいねぇ?殺されちゃうのに、なんでそんなに悦んでいるのかなぁ?」
「ごめん……なさい」
恥ずかしい。でも、あぁ、悦んでいる自分を抑えられない。恥ずかしい……。
そんな僕の顔を切れ長の瞳がジッと見つめる。全ての美を究極させたような顔がグッと近付く。
そして、何かを探すようにひなぎくは音もなく僕の体内へ更に手を押し込む。既にあの美しい球体関節を内包した手首は僕の体に飲み込まれている。強い痛み、未経験の圧迫感、死への恐怖、そしてそれらを上回る快感。全てが同時に押し寄せ涙が溢れる。
「アハハッ!泣いちゃった!怖いよね!泣いちゃうよね!かわいそう!」
まわりで青ざめる僕の仲間たちに聞こえるようにひなぎくは声を張り上げ、そしてそっと僕の涙をすくい取り、頭をよしよしとなでる。ひなぎくは耳もとで囁く、
僕にしか聞こえないように。
「可愛いよ君」
ひなぎくはもう一度僕の頭をなでてから、一気に肘まで腕を押し込む。そして、あの美しい手が僕の心臓に達する。僕の命をひなぎくの手がやさしく包み込む感触に気が狂いそうなほど快感を覚えてしまう。ひなぎくはそれを見透かしている。
「もうすぐ死んじゃう、でも、気持ちいいから嬉しいんだよね?」
そう囁いて、耳もとでフッ……と笑う。吐息のように微かに。
心臓を包んでいた手が徐々に狭まっていく。僕はひなぎくの手に心臓を犯されて、絶命するのだ。ひなぎくの手が不意にギュッと心臓をつかむ、その瞬間に視界が真っ白になり呼吸も思考も真っ白になる。僕の心臓を引きちぎって体外に取り出し高々と空に掲げる、そんなシーンだけが僕の頭に浮かぶ。
しかし、心臓をつかむ手をひなぎくは離す。あっ……と声が漏れる。
ひなぎくの両目はジッと僕を見つめたままでいる。興味深そうに。唇の両端は微かに上がっている。
僕の目の焦点がひなぎくの目に合った瞬間、また心臓を握られる。頭が真っ白になる。あぐぅ……と情けない声が漏れ出る。脳がスパークするような感覚、ひなぎくのあの美しい手の中で僕の命がもてあそばれている快感。永遠とも思える感覚。
面白さに耐えきれないようにひなぎくはクククと笑う。
「ねぇ、君の大好きなひなぎくはこんなことするの?」
心臓を離す。離された瞬間心臓が焦るように鼓動する。ハッハッと息をすることが精一杯でなにも言えない。混乱する僕。ひなぎくはこんなことをする?しないかもしれない、でも、してほしい。ただ、切迫した僕は思考できない。混乱している。何に?苦痛?恐怖?心臓を掴まれるその一瞬、快楽に包まれる永遠とも思われるこの一瞬に混乱している。
また心臓を掴まれる。
「ねぇ、本物のひなぎくはこんなことするかな」
僕の頭の中はもうぐしゃぐしゃになる。もう、まともにものごとを考えられない。恐怖と快楽が僕の命を握っている。白くなっていく視界の中で、ひなぎくの頬を涙が、ピアノ線のように一筋光って落ちていくのが見えた。なぜ泣いているの?わからない。
海の匂いが消え、花のような甘い香りが満ちていく。これがひなぎくという花の匂いなのだろうか、僕にはわからない。
「気持ちいいね」
心臓を握りしめたままひなぎくは僕の頬をやさしく撫でる。
「でももうオシマイ」
グッと力が入るのが分かる。ついに、終わるのだ。ガタガタと震える身体は恐怖からか歓喜からか、どちらともなのか。わからない。でも、もうオシマイ。
その瞬間。
パン。
と弾ける音がした。ひなぎくは心臓から手を離し振り返る。そこには拳銃を上空に挙げた隊長が立っていた。
「そんなんじゃ死なないよ」
ひなぎくは得意気に言う。
「時間切れだ、ひなぎく少佐、私の、部下を、返してもらおう」
走ってきたのか息が切れている。
「もうすぐ終わるのに」
ひなぎくはそう言うが、もう僕を殺すことに興味が無いとわかった。
「ただでさえ、少ない人員で回しているのだ、駒は多いほうが良い。ゴミクズ共でもな、だから、そこまでにしてくれんかね」
ひなぎくは少し宙を眺めてから視線を僕に向ける。
「いいよ、やめてあげる」
ズルっと僕の体からひなぎくの手が抜かれる。淡い喪失感が痛みと共に深い喪失感へと変わっていく。ひなぎくは血で汚れた自分の手を見てからペロリと舐める。
「楽しかったー、ね、楽しかったよね?」
そう言うとひなぎくは白く綺麗なままの右手と血で汚れた左手とで僕の顔を強引に引き寄せ口づけをした。それから、ドン、と突き放す。微笑みを崩さずにスクっと立ち上がったひなぎくは、後ろに手を組んで軽快に数歩後ずさってから上着を拾ってクルリと背を向け、そのまま向こうへ歩き出す。あの口笛を吹きながら。歩みを止めず遠くなっていく口笛に僕は絶望感を抱いた。
「衛生兵!なにをしている!さっさと手当して医官のところへ持っていけ!」
隊長が怒鳴る。衛生兵たちはいそいそと僕の体を触り包帯を巻く。
「そんなに酷くはないぞ」
衛生兵は励ますように言う。担架に乗せられる。
放心している僕に隊長は腰をかがめてそっと声をかける。
「危なかったな。戦争はもうすぐ終わるんだ。絶対に生きて帰れよ」
隊長は真面目な顔で僕と目を合わせ、それからまた立ち上がる。
「お前ら何を突っ立っている!さっさと陣地の補修をしろ!第二波が来るかもしれんぞ!」
弾薬が云々、土のうが云々、隊長の怒鳴り声は続く。
結局、僕の国は戦争に勝った。でも実感が湧かなかった。あの事があったあと、僕はずっと病院にいたし、帰ってからも特に感激されず、日帰り旅行から帰ってきたかのように「どうだった?」と聞かれただけだった。実際、特に家族に話したいことは無かった。立派に戦って帰ってきた兄弟たちの武勇伝に比べたら気球迎撃はどうも地味だった。
僕は、少しだけかじった言語を少し勉強しなおして翻訳の仕事を始めた。少しお金が貯まって一人暮らしを始めた。贅沢をしなければそこそこ暮らせたが、なるべく仕事を増やした。どうしても仕事で時間を埋められない時は小説を書いた。とにかく生活の全てを何かに没頭させようと心がけた。
そんなある日、僕を訪ねる人がいた。戦時中世話になった隊長だ。立派な体躯と赤ら顔なのはそのままだったが当時の雰囲気と違って親切そうな紳士という感じの男になっていた。
「久しぶりだなぁ、元気にしてそうで良かった」
隊長はそう言って、戦争後の気球迎撃隊の隊員たちを訪ねているというようなことを言った。
「負傷して困窮してるものや、そうじゃなくても生活が上手くいってないものもいる。当時の記憶が蘇ってな」
隊長のその言葉に僕はハッとする。ただ、それはバレないようにした。
「君はどうだね、生活はなんとかなっているか?助けられることはないか?」
真剣な眼差しに、僕は翻訳の仕事について少し話して、彼を安心させることに努めた。
「なるほど、うまくやっているようで安心したよ。ただなんだ、少し息抜きしてもいいとは思うぞ?」
「ええ、そうですね」
元隊長は満足そうに帰っていった。
僕は言えなかった。息抜きなんてとんでもない、と。
記憶が蘇ってしまうのです。とも言えなかった。いや、言わなかった。僕だけの秘密にしたいから。
僕は腹に残った傷口を撫でる。そして思い出す。あの強烈な恐怖と快感を。ひなぎくの手で犯された心臓が鼓動を早める。頭を抱えてうずくまる。どうしようもない快楽の余韻がいまだに続いている。なにかしなければ、それが永遠に続くのだ。
そして、あの口笛がおいかけてくるのだ。ほら今も……。
口笛は、僕のいるアパートの1室へ向かってくる。ギシギシと足音がする。……いやこんなこと今まではなかった。今までにない現実感をもってやってくる。……もしかしてひなぎくがここに本当にやってきたのだろうか。元隊長のように。ついに口笛はぼくの部屋の前に来た。足音も口笛もピタリと止まる。
どうしてここへ?わからない。いや、これは幻想だ。ついに僕の頭はおかしくなってしまったんだ。
部屋の前に立つ者がノックをする。
そんなはずはない。そんなはずはない。
もう一度ノック
部屋の前に立つひなぎくを想像すると身体が震えるほどの歓喜が脳の奥底から湧き上がってくる。
もう、無理だ。
僕は震えながらドアノブに手をかけた。
オシマイ
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