第5話

 俺の親父は鬼だった。

 天涯孤独で友達はおらず、根暗でいじめられっ子だったと、お袋が言っていた。

 深まりすぎた孤独は親父をバケモノに変えて、しかし。親父は人も物も壊さなかった。

 親父は終ぞその理由を教えてはくれなかったが、お袋が惚気けまくっていたので知っている。


 惚れた女の子に嫌われたくなかったからだ。


 この話をする時のお袋は、まるで年頃の少女のようで。

 親父は話が始まるとそそくさとどこかに行ったが、俺が部屋に戻った後に、二人が思い出話に花を咲かせていたことは筒抜けだった。


 人を傷つけなかったバケモノと、バケモノの孤独を癒した少女。二人は恋人となり、結婚して、俺の親父とお袋になった。

 そして、生まれてきた俺はと言えば。生まれつき、鬼の角が生えていたのだ。


 二人は俺を育てるため、始めからバケモノの仲間だった俺を生かすため、日本政府の鬼殺したちに協力を始める。

 親父は実験動物として、時に戦士として。お袋はそんな親父が壊れてしまわないように、精神のケアをしながら育児をした。

 生まれついての鬼だからか、俺は孤独を制御できる。もし、この特異な体質がなければ、いくら付きっきりで育児をしていたというお袋と言えども、暴走した俺が殺していたかもしれない。


 俺は。須藤公佳は、両親が死んでも鬼の血を抑えた。

 それを見て政府は、角を切り落とされて死んだ父の代わりを、俺に求めていた。

 そう、あの日までは。



 ☆☆☆



「公佳…公佳!目が覚めたのね!大丈夫かしら、どこも痛まない?角は?」


「耳元で騒ぐな、振動で角折れるぞ」


「ばか!冗談でも言わないで。…心配したんだから」


 警察病院のベッドで、俺は意識を取り戻した。

 どうにも身体のだるさと筋肉痛がぬけなかったが、未だあたふたとしている優姫を見ていると、なんだかバカバカしくなって来て。


「ふ、ふふ…ははは!なんだよその顔。ひっどいな。ちょっと落ち着けよ」


「なによなによ。あたしが折角付きっきりで看病してあげたのに。少しは感謝したら?」


「ああ。ありがとよ。…でもおまえ、顔色悪いぞ?ちょっとは休めよ。美人が台無しだ」


「なっ…あ、あんたはそうやって…!」


 あの雪の鬼と同じ人物とは思えないほど、目の前の栗髪の美少女は赤面していた。


「ほら」


 ぽんぽん、と。一人では広すぎるベッドの左側を開けて、入るように示す。

 だが、百面相の後、彼女はきっぱりとそれを断った。


「あんたね!そうやってそうやって、あたしをからかって。あとで手酷く返してくるんでしょ?その手には乗らないから!」


 ああ、そうか。そういえばこいつにはまだ、嫌いと言ったままだったか。


「いや、今回ばかりはからかうネタにもしないが。俺は好きな女に添い寝してもらいたいんだよ」


 そう、そうだ。懐かしい…親父とお袋の夢のあとに、もうひとつ。大切な思い出を見たのだ。


「俺な、去年のあの日に、おまえが鬼になっても美しさを失ってなかった時から。ずーっと、おまえに夢中だったらしい」


「確かに、おまえは溢れ出た冷気で住んでた家をぶっ壊して、結果夏城家からまあ…追放されたわけだけどさ。あの日、誰も傷つけなかっただろ?自分を本当に理解してくれなかった、恨んでもおかしくない家族を」


 優姫はあの日、破壊し尽くした邸跡の真ん中で立ち尽くしていた。

 ラピスラズリの角を輝かせて、排除するために発砲すら厭わなかった警官隊に向けても、一度として冷気の鎌を振るわなかったのだ。


 だから、俺はこいつを救いたいと思ってしまった。


「もしおまえが、家族や警官を血の海に沈めていたら、俺はおまえを殺してたよ。でも、おまえはそうしなかったんだ、優姫」


 まだ全く治っていない左手を伸ばし、ふわふわとしたウェーブロングを撫でる。


「その在り方が、俺は好きだ。だから、おまえに角の欠片を飲ませたんだよ」


「………………はあ!?」


 ころころと表情を変えながら、大人しく俺の話を聞いていた彼女が、突然左手を払い、ベッドに膝立ちで詰め寄ってくる。


「飲んだ?あんたの角を、あたしが?」


「ああ。というか、覚えてねぇのかよ」


「じゃあもしかして、その…今回、右のそれが折れかけたのって…」


「その時傷つけたからだろうな。仕方ない」


「あんたねぇぇぇ………」


 すぅ、と愛らしい顔を憤怒に歪めて、目の前で大きく息を吸った。


「ばっっっっっっかじゃないの!?」


「角折れちゃったらおしまいなんでしょう?それに、引っ掻いたことあるけど角ってめっちゃ痛いじゃない!それを削るとか…しかも、自分の身体の一部を女の子に飲ませるとか、意味わかんなすぎ!」


 最後の一節に関しては、ちょっと犯罪臭いから警察病院では言わないで欲しい。なんか改めて言われると恥ずかしいし。


「俺はバカだよ。おまえの言う通りだ。だけど、角が折れても死にはしないさ…なんたって、二本あるからな」


 にっかり笑ってみせると、優姫は今日一番の呆れ顔で溜息をつきやがった。



 ☆☆☆



「なあ、優姫」


「なによ」


 何だかんだとあって、結局添い寝はしてくれた彼女が、布団の中(やましいことは無い)で上目遣いに聞いてくる。


「右の角。ヒビ入っちまったしさ、残りもおまえのものにしてくれないか?」


「何言ってんの?さすがにちょっと、引くかも」


「バカ。これにはふかーい理由があるんだよ」


 実の所、俺は俺自身が血を制御できる理由に、割と早い段階で検討がついていた。

 暴走した鬼の身体は、角から崩壊を始める。これは、親父がたくさんの鬼を殺して、得たデータだ。

 つまり、この出っ張りこそ、謎多きバケモノの重要器官であり…俺にはそれが、二つあった。


 俺は、角が一本しかなければ容易く暴走して崩れてしまう鬼の身体が、二本ある事によって、二輪車のように絶妙なバランスで活動し続けられるのではないか、と考えている。

 今のところ俺以外に、二本角の鬼に出会ったことがないから、確証は無いのだが…優姫に角の欠片を飲ませた日から、夜に限って血が身体の中を暴れ回ることが増えたため、ほぼ真実だろう。


 今回の件でその右角にヒビがはいり、俺個人でバランスをとることはもはや不可能に近くなっているはずだ。


「ならさ、俺ら二人の…一本ずつしかない角で、バランス取り合うのはどうかって。そう思ったんだよ」


「…っ、ばか公佳。それ、プロポーズみたいじゃないのよ」


「ま、そういうことだな」


 布団の中で優姫を強く抱き寄せ、自分の顔が赤くなっていることを隠す。バレたら何を言われるか分からないから。


「そ、そういうのはもっと…シチュエーションとか、情緒とか大事にして欲しいんだけど!」


「悪いな。それで?優姫の答えは?」


「……あたし、ずっと後悔してたの。あの日、あんたに救われたこと」


 ぼそぼそと、今まで消して語らなかった、聞かなかった、世界で一番近いところにいる少女の、心の内が明かされていった。


「だって、期待に応えられなかったあたしに生きる意味なんてないし、バケモノになっちゃったんだったら、なおさら。あたしはあの日、死にたかったのよ」


「でも、あんたはあたしを救ってくれた」


「そのうえ、隣に引っ越しても文句も言わないし、嫌そうな顔しながらも、抱きついたら応えてくれたし。あれは必要な行為であって、願望は混ざってないけど!」


「とにかく、双つ角の王子様は、あたしにはもったいなさすぎたの。…でも、今更自分の価値を見いだせなくて、なにをやっても空回りばっかり」


「だから、一週間前にね。梓沙の周りの空気がおかしいなって、気づいた時に…梓沙が鬼になったら、刺し違えて死のうって思ったのよ」


「もうあんたに迷惑はかけたくなかった。あんたの側で、どんどん甘えてしまう自分を認められなかった。…我ながら、子供だわ」


「だけど。それだけ決意したのに。あんたは…須藤公佳は、またあたしを救ってくれてしまった」


 強く、強く抱きしめた。俺の顔は優姫に見えていないだろうし、優姫の泣き顔も俺には見えない。見たくない。


「っく…だから、ね?ひくっ……こんなにしあわせじゃ、本当はダメなのよ」


「めんどくさい女だよ、おまえはさ」


「あんたに言われたかないわよ、この朴念仁」


 それから彼女は、一頻り俺と同じ布団で嗚咽を零した。

 俺は一度も、涙を見はしなかったけれど。

 結局、プロポーズの答えは先に持ち越されて。というか、やり直しを要求されたのだった。



 ☆☆☆



 退院してからは、てんてこ舞いの大忙しだった。

 六条は東原とのデートを事細かに解説してくるし、西島はしつこく俺に優姫となにをしたのか聞いてくる。

 直接鬼を見てしまった南への事情説明は、さすがに警察が対応しているが、相棒が「困ったら殴って記憶飛ばせばいいじゃないの。できるでしょ?」などとふざけたことを言ってくるため、使い物にならないのが問題だった。

 脳筋め。


 とにかく、俺は今回の夏城優姫失踪と、それに伴う捜索騒動についての事情を、色々誤魔化しつつ説明しきった。

 そして、そんな疲れている俺を迎えた使い物にならない方の当事者は、というと。


「公佳ー?帰ったのね。晩御飯作ってちょうだい」


「おまえさぁ…俺が今まで何やってたかわかって言ってるわけ?」


「うん。麗亜のところで謝り倒して、ついでにあたしがもうお嬢様じゃないことを大暴露してきたところでしょ」


「わかってるなら少しはいたわれよ!おまえ、俺が西島苦手なの知ってるだろ!?」


「あ、でも。…彼女としては?ほかの女の子の自宅に行ってた彼氏に埋め合わせを要求したいわね」


 盛大にため息をつく。

 元々俺の要求をほとんど聞いちゃあくれない彼女だったが、あの病院での夜以降はこの調子で、よく言えば甘えたがり、悪く言えばわがまま放題なのだった。


「だー、わかったよ。あるもので適当にやるからな?」


「待ってるわ!…でも、その前に。おかえりのハグよ」


 まあ、それを黙認しているというか、これはこれで可愛いからいいか、などと考えながら優姫を抱きしめている俺も俺なのだが。

 仕方ないじゃないか。彼女の言うとおり、俺たちは「恋人」で。俺もその事実に少し、浮かれているのだから。


 冷食のチャーハンを炒めつつ、冷蔵庫に残っていた高菜を混ぜる。

 おにぎりの具にしたものの残りだが、高菜入りチャーハンは美味いので正義だ。


「そういえば優姫、あれの調子はどうだ?」


「あれって…ネックレスに調子もなにもないでしょ?何言ってんのよ」


「そうか…鬼の血の制御に一役買えばいいと思ったんだが、何も変わらないか」


「え、あんたそんなこと考えてたの?てっきり、あたしに自分の一部をずっと持ってて欲しい的なシュミなのかと…」


「んなわけあるか!」


「あたしは別に、あんたを近くに感じられていいけどね。でも、これで暴走を防げちゃったら、あんたと合法的にハグできなくなっちゃうし、効果なくてよかったかも」


 本当に、調子が狂う。

 前の彼女なら、この会話の中でも憎まれ口の四つや五つ普通だったのだが。

 俺の折れた右角を入れたロケットを、優姫は首から掛けている。

 それがなんだか急に気恥ずかしくなって、俺は出来上がったチャーハンを、どっかりとテーブルに置いた。


「ほら、食うぞ」


「おいしそ!いただきます」


 ボロアパートは二部屋借りたままだ。

 事実がどうであれ、形として高校生の男女が同棲するのは問題が多すぎるし、なにより元お嬢様の日用品まで収納出来るほど、俺の部屋は広くないから。

 それでも、朝ごはんと晩ごはんは必ず一緒に食べているし、彼女は三日に一回俺の部屋に泊まっていく。


「今日はどうすんの?」


「シャワー浴びたら戻ってくるわ。布団引いて待っててちょうだい」


「はいはい、仰せのままに」


 俺のへりくだった言い方に顔を顰めながらも、ぞんざいな態度であったからか、優姫文句を言わなかった。

 最近は冗談でもお嬢様扱いすると口うるさいから、ちょっと面倒だ。

 なんでも、対等でありたいらしい。


「ご両親に挨拶とかしなくていいのかね」


「いいわよ。あたしもうあの家の人間じゃないようなものだし」


「そうは言ってもな。まあ、なんだ。将来結婚する相手の親に会わないっていうのはなんかな」


「んっ……!こほこほ、ちょっと。軽率にそういうこと言わないでよ!」


「え?なんで?…ああ。く、ははは!俺の部屋に泊まるのは平気なのに、将来の話するのは恥ずかしいの?おまえ。ははは!」


「ばか、笑うなぁ」


 全く、俺の好きな人は恥ずかしさのツボがよくわからなすぎて面白い。

 指摘されて恥ずかしがるところも、どうしようもなく可愛らしいのだが。


「じゃあ、嫌なわけ?俺と一緒になるのはさ」


「べ、べつに。嫌じゃないわよ…っていうか!プロポーズはもっとムードをって、この間言ったばかりじゃない!」


「へいへい。また不合格か。いやー、先が思いやられるな」


 こうして、俺たちのしあわせな夜は更けていく。

 ふたりでいるかぎり、寂しさも哀しさも、憎しみも湧いては来ない。

 俺たちが鬼であることは変えようのない事実でも、孤独を克服すれば、人間となんら変わりなく生きていける。


 食器を片付けて、風呂に入って、布団を敷いて。

 テレビをつける。


「今年も海のシーズンがやって来ましたが、週末はどう過ごされるでしょうか。家族や恋人と楽しく、夏を満喫してくださいね」


 夏はまだ始まったばかり。


「おやすみ、優姫。愛してる」


「あたしもよ。おやすみなさい」


 彼女の額にキスをして、俺は目を閉じた。



 END

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姫と双つ角 りあ @hiyokoriakyo

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