第3話

 全くもって、西陽というのはどうしてこうも人を不愉快にさせるのが上手いのだろうか。

 俺は帰り道、六条とくだらない話をしながら自転車を漕いでいた。

 公園で遊んでいたガキが帰るような時間になっても、アスファルトから立ち上る熱気は収まることを知らない。むしろ、的確に瞼を焼いてくる夕陽は、昼間よりも俺を夏嫌いにさせようとしてきていた。


「ようするにだな。貴様は夏城嬢をこき下ろすことが多いが、それは愛情の裏返しなのだ。そして、そういった形でしか愛を伝えられない番というのは、大抵死に別れる。つまりおまえは死ぬ」


「は?なんもわからなかったが?どこをどう弄り回したら、人気女優のスキャンダルと俺が死ぬことが繋がる?」


「これだから貴様は…」


 ハンドルを握ったまま、悪友は器用に肩を竦めて見せた。

 こいつはよく、自分の中でよくわからない関連性をつけて、時事ネタを俺と優姫に繋げて話してくる。

 その多くがバカらしい、論理の飛躍もいいところな与太話なのだが、たまに正鵠を射てくるから始末が悪い。

 果たして下手な鉄砲を撃ちまくってるのか、俺が思ってる以上に俺はわかりやすいのか。

 警戒半分と、与太話が結構面白いことが、こいつを嫌いになれない理由だ。


「ふ、貴様。今俺を褒めたな?馬鹿め。男に褒められても嬉しくなどない」


「気持ち悪。なに?その溢れ出る自意識過剰」


「ふははは!」


 訂正しよう。こいつはただのバカだ。友達やめようかな。


「そういえばだ、我が友須藤。今日、A組を盗さ…覗き見していた時に、面白いものが見えたのだが」


「よし、おまえはブタ箱に入れ。紹介状なら書いてやるよ」


「なにを。犯罪の証拠などない。俺は、シャッターをいつでも切れる状態のレンズ越しに見る美少女が性癖なのだ」


 おまけに変態ときた。なんで俺、こいつと友達やっているのだろうか。


「それで、だ。…珍しく夏城嬢の取り巻きが口論をしていた」


「口論、か」


「おや。貴様さては心当たりがあるな?吐け。キャットファイト観戦も悪くないが、俺はラブアンドピースな彼女たちを見る方が好きなのだ」


 こいつ、マジで意味がわからないな。やっぱりバカと天才は紙一重なのかもしれない。察しがいいのか、何も考えていないのか。

 いや、俺も少し気を抜いたな。反省せねば。


「口論してたのはボブカットのやつと、いつも片耳にイヤフォン突っ込んでる金髪だろ?」


「そうだが。もしや貴様も覗きをしていたのか?救いようない変態だな。死ね」


「は??????」


 思わず隣を走る背中を平手打つ。こいつ、転けて頭打てばいいのに。バカも叩けば治るだろ。


「おっと!舐めてもらっては困る。この六条恵、安全な自転車帰宅に関して貴様ごときの妨害には屈さぬ!」


「うるせぇ。もういいから本音を言えよ。俺に心当たりがなかったら、おまえは何を言おうとしてた?」


「ふ、それはもちろん。今夜夏城嬢をディナーにでも誘い、この由々しき事態の解決について話し合いをだな」


 何を言い出すかと思えば。

 そもそも六条と優姫のディナーデートなど、絶対にロクなものにならないだろう。俺の悪口で盛り上がるのが関の山だ。

 もうやめよう。こいつと話していると頭のネジが吹っ飛んでいく気がする。


「じゃあな。俺、こっちだから」


「騙されんぞ!何度共に下校したと思っている?」


 脇道へ逸れる口実を潰されたばかりか、野郎は猛スピードで俺を追い越して、立ち往生した。


「ちっ、わかったよ。心当たりはある。…恐らくボブカットの南が、夏城に俺の危険性を訴えたんだろうな」


「ほう。貴様は犯罪者予備軍だからな。それで?」


「はっ倒すぞ。…それを聞いた金髪。あー、名前なんだっけ。まあいいや。金髪が、それなら教師や警察に届け出ればいい…とか言ったんだろ」


「ふむ。何も間違った提案ではないな。金髪の西島嬢は、あのような格好だが一番正義感が強い」


「ああ、そうそう西島。それに対して、南が反論したんだろうよ。自分たちでなんとかしないとより事態は深刻化する、ってな」


 当たらずとも遠からず、といったところだろう。

 南は俺が威圧した。俺の極論をほぼ呑んだ。大事にはしたがらないはずだ。

 西島は公的権力を過信している節があるから、すぐにでも警察に届けようと言い出しただろう。金髪は地毛らしいから、見た目ほどグレていないというわけだ。


「その、南嬢が過度に貴様を恐れる理由が気になりはするが。まあいい、一つだけ面白い発見があったのでな、そこは追求しないでおいてやろう」


「あ?なんだよ。何を見つけたって?」


「須藤、貴様は自分で口に出しているほど夏城嬢のことに無関心ではないし、むしろ監視しているレベルだな」


 押し黙る。雑談で出てきた愛の表現方法の話が頭に引っかかり、どうにも言い返せなかったからだ。


「ふははは!やはり俺と同類だよ、貴様は。惚れた女は独占しないと気が済まない、醜い男だ!」


 醜いと言いながら、ずいぶんと嬉しそうに六条はそう語った。

 俺は、小声でうるせぇよ、としか返せやしなかった。



 ☆☆☆



 帰宅後、面倒な課題を片付けて夕飯の準備をした。

 六条との会話と、放っておけば勝手に俺を通報しかねない西島への対処を考えていたら、青椒肉絲を作りすぎてしまった。

 …ピーマンの種とヘタを取る瞬間の快感が悪いのだ。


 がらんがらんがらん!


 仕方なく俺は、隣の部屋のペットボトルを鳴らす。

 誠に不本意だが、作った食事を残すことは俺のポリシーに反する。作りすぎたこれを、嫌いな顔と食べることすら、コラテラルダメージだと言わざるを得ない。


「うるっさいわね!こっちは勉強してんのよ!カップ麺片手にね!起きてるんだからがらがら鳴らさないでよ、近所迷惑男!」


 糸電話から帰ってきた声を聞いて、やっぱり辞めようと思った。腹がたってきたから。


「不健康な食生活を送っている哀れな女に、俺が晩飯を恵んでやろうというお誘いだ。乗らなくていいぞ」


「誰が乗るかそんな…いえ。ちょっと待ちなさい。この匂い…タケノコを炒めたわね?」


 なんでわかるんだこいつ。タケノコは確かに味こそ独特だが、炒めた時に強烈な匂いを放つ類の食材ではないはずだが。


「メニューを吐きなさい。今すぐ」


「青椒肉絲とスープ餃子ですよ、オジョウサマ」


「…………………………………すぐ行くわ」


 絞り出したような声を最後に、隣からガタゴト音がなり始める。

 あいつ、そんなにタケノコ好きだったのかよ。というか最後の声はなんだ?どこから絞り出したんだ?

 あいつが合鍵で部屋に入ってきて、転がり回る俺に、平手打ちをしてくるまでの数分間。俺は近所迷惑も考えずに爆笑した。


「美味しい…腹立つわ。なんであたしより料理できるのよ」


「所詮おまえはお嬢様ってことさ。ふ、ふふ…」


「思い出し笑い禁止!餃子ひとつ没収よ」


 まるで普通の兄妹みたいに、俺たちは食卓を囲んだ。

 そういえばここ数ヶ月、こいつは家でまともな飯を食べてなさそうな雰囲気だが、どうやってこの見てくれを維持していたのだろうか。


「今、失礼なこと考えてるわね。もう一個没収しようかしら」


「待て。これは俺が作ったスープ餃子だ。それ以上は俺の分が不当に少なくなる」


「ふん。大方あたしの生活習慣の無駄な心配をしたんでしょうけど。そんなものは不要よ」


 だって、あたしたちは人間じゃないんだもの。

 優姫は、さらりと口にする。俺たちが普通でないことを、普通になれないことを。

 それ以降は特に会話もなく。黙々と晩飯を口に運んだ。


 そのあと彼女は、自分の食器だけ洗って、そそくさと自分の部屋に戻って行った。

 去り際に、西島麗亜が暴走しないようにそれとなく釘を刺しておいたなどと、余計な気遣いを見せて。

 本当に、腹が立つ。

 朝に弱くて、口が悪くて、生活力がなくて、すぐに手が出るところに目を瞑れば。

 夏城優姫は、いい女だということに。



 ☆☆☆



 前言撤回、いい女認定はやめだ。こいつは心底ダメな女だったらしい。

 俺は連休初日、ここ最近で最悪の目覚めを経験していた。


「おい、起きろよ優姫。おい!」


「ん…あと10分…いいでしょ?お母様も休みの日は遅くまで寝てらっしゃること、結構あるしぃ…」


「なに寝ぼけてんだバカ、おまえ自分の格好と状況を見やがれ!」


 酷い有様だった。

 何故か俺の右腕にしがみついたまま寝ている優姫は、下着の上にキャミソールを着ただけの薄着。

 ぐちゃぐちゃに寝乱れた髪はところどころ俺に絡まり、シーツは寝相の悪いバカのせいでほとんど役割を果たしていない。


 所謂、事後に酷似している、俺の寝室兼居間。いやなにもしていないのだが。


「おい、いい加減に起きろよ。その格好のまま叩き出すぞ」


「公佳の腕、あったかくて気持ちいいんだもん…うん?公佳の、腕?」


 ようやく目が冴えてきたのか、ぽーっとしながらも、自分と俺の状況を把握し始めた、隣の部屋で寝ているはずの女。


「よーし。名前で呼んだな?叩き出す。容赦はしない」


「ちょ、ま、こ、ち、や!」


 日本語で話せ、ボケが。

 まあ、これで事情を理解してしまったことが、俺が俺自身を嫌いな理由のひとつなのだが。


「ばかぁ……」


 ようやっと俺の腕を離した、とびきり美人でとびきり朝に弱いバカの身体は、ずいぶんと冷たかった。


 すったもんだの末、朝食を二人分適当に作りながら、あいつを待つ。

 隣の部屋から戻ってきた彼女は薄青のワンピースで、ラフながら露出が減ってかなり安心した。


「服、着たわ。朝ごはんありがとう。でも、もういいでしょ。あたし、やる事あるの」


「いいや、ダメだね。俺はまだおまえに説教をしていない」


「どうしてよ!とりあえず服を着ろって言ったのはあんたでしょ!?」


 何を言っているんだこいつは。どうして俺は常識を説いただけなのにキレられているのだろうか。

 適当につけた土曜のニュースは、変わらず不審死の話ばかりで。その中身を知っている俺からすれば茶番すぎて、やっぱり消した。


「まず。昨日の晩おまえは俺を抱きしめなかった。その理由は、晩飯を作ってもらった上に生命維持活動に付き合わせるのが申し訳ないと思ったからだ。違うか?」


「ち、違うに決まってるでしょ!?あたしがそんな、そんな…別に、いつあんたに抱きつこうがあたしの自由じゃない。役得って言葉覚えたら?枯山水」


「自由なわけあるか、箱入り耳年増お嬢様が。変な意地を張って、ルーティンを怠った結果、おまえは深夜の発作に耐えられなかった」


「そうよ。悪い!?…あんただってわかるでしょ?鬼になる瞬間の苦しみ」


 朝から胸糞の悪いことを想像させるな。

 ああ、そうだ。俺はそいつをよく知っている。だから、責めてるのは優姫が発作を我慢できなかったことじゃない。


「逆ギレすんな。俺が言いたいのはな、発作で起きてこの部屋まで来た時点で俺を起こせ、ってことなんだよ!」


 そう。そこだ。いくら深夜だとはいえ、鬼への変化は急を要する事態だ。

 叩き起されて鎮静の手伝いをさせられようと、俺は一向に構わない。それを承知で、俺はこいつと共に生きているのだから。


「そ、それは…その。なんていうか」


「歯切れの悪い返事と、誰にでも媚びる女は嫌いだ」


「なっ…そんなにあたしの身体が不服だったのかしら!?」


「誤解を生むような表現をするな、マジで。まだ寝ぼけてるんなら裏の井戸に突っ込むぞ、頭から」


「…無理よ。あんなに苦しそうな顔して、どうにかこうにか眠ってます、なんていうやつを起こすなんて。あたしには無理なの」


 本当に、最低最悪の朝だ。再確認した。

 あの顔をこいつに見られて、気遣われたと思うと、鳥肌が立つ。


「俺の寝顔を今すぐ忘れろ。そして今後一切、俺を安心させるために抱きしめて眠ろう、なんて考えるな」


「そんなこと考えてないわよ!破廉恥ね!…あたしはただ、あたしのためにあんたを抱きしめないといけなかっただけなの」


 クソが。やっぱり俺はこいつが嫌いだ。

 青白かった頬を朱に染めた彼女を見て、俺はその思いを強く強くした。



 ☆☆☆



 一度鬼へと崩れた人間が、再び人間として生きることは不可能だ。

 鬼に変わるというのは、例えばそう。木枠に嵌ったパズルのピースを、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて糊付けしてしまったような、そんな感覚。

 枠から飛び出た人間性という名のピースは、角として身体の外に現れる。

 だが、俺は少しだけその仕組みに逆らうことができた。


 俺に出来るのは延命措置。溢れ出る鬼の力を、角ごと体内に無理矢理封じ込める。

 当然、元の完成されたパズルに戻るわけはないし、押し込められた力はすぐに飛び出てこようと藻掻く。

 そう、嫁入り前のお嬢様であったはずの夏城優姫が、ただの男子高校生である須藤公佳と人目を忍んで抱き合っている理由。

 それこそが、俺の延命措置だ。

 まあ、令嬢というのはもはや、形骸化したものでもあるが。


 あの雪の日、優姫は鬼になった。

 重圧を、孤独を、生い立ちを恨み、氷より冷たい身体のバケモノになった。

 それを俺は、同族意識と哀れみと、エゴで救い。以来、彼女が外側だけでも人間に見えるよう、尽力している。

 ある種、俺の宿命だと信じて。


「もういい。部屋に戻れよ、夏城。やる事あるんだろ?」


「…そうね。失礼するわ、須藤くん」


 互いに気まずい表情のまま、俺たちは別れる。たった二人の、鬼にも人間にもなれないモノだから、俺たちはよく距離感を間違えた。

 俺たちは危険因子だ。当然、公的機関からの監視を受けているし、この街から出ることも許されていない。殺されていないのは、父さんたちの功績と、権力争いの道具としてまだ使える駒だからだ。


 つまり、どれほど友人に恵まれて、どれほど取り巻きが居ようとも。俺たちは本質的に二人ぼっちで、寄り添いあって生きるしか方法は無いのだ。


「ちくしょう。二度とごめんだ、他人の人生を背負うなんて、バカげてる」


 誰にともなくそう呟いて、俺は散歩に出かけた。

 あいつは、優姫は今日、なんの用があるのか、何をする予定なのかなんて。考えたくもないことばかり頭に浮かんで、無性に腹が立って仕方なかった。

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