天佐具売 あめのさぐめ 第三章

 次の日の夕方、二人はラーメン屋に居た。


「いやー、でもそれじゃあ申し訳ないですよ。」


 晴助は割りばしを手渡しながら、そう言う。


「いや、これは決まってる事やから。」


 黒耳は割りばしを受けとりながら、そう答える。


「黒衆の間で金のやりとりは無しや。」


 黒耳はしつこく胡椒のびんを振る。晴助はその不穏な動きを警戒しながら割りばしを割る。


「ええか、晴助君。黒衆の決まり事では、こういう時は宿と飯を用意する。それだけや。それ以上でそれ以下でもあかん。」

「はぁ。」

「手助けする方も、される方も、忘れたらあかんで。それ以上でそれ以下でもあか……」


 黒耳は思ったとおり大きなくしゃみをした。


「でも社務所に泊まって、飯もラーメンじゃあ、俺としてもちょっと……」


 晴助も大きなくしゃみをした。


「ぐだぐだ言っとらんと、はよ食いや。伸びるで。」

「……昨日はどうでした?」

「……空振り三振や。」


 二人は麺をすする。


「まあまあ、じきや、じき。ええか、こういう仕事は……」

「焦ったらあかん、でしょ?……ところで、黒耳さん、いつもその道中合羽を着てるんですか?」

「これか?いやいや、いつもこんなん着てたらおかしいやろ。」

「じゃあ、仕事着ですか?」

「うん、まあ、そんなもんやな。それにな、これは、実は道中合羽に見えて、ちゃうねんな。」

「?」

「道中合羽からインスピレーションを得たうちオリジナルの別注黒耳専用索敵コートや。」

「なるほど、特注品ですか。」

「なあなあ、渡世人とうちらって似てると思わんか?」

「……え?うちらって?」

「だから、渡世人と黒衆が、ちゅうこっちゃ。どっちも社会の端っこの縁の上を歩いてる。せやろ?」

「……なるほど、アウトサイダーって事ですね。確かに渡世人も黒衆も社会の枠組みの外で生きている感じですもんね。」

「そうそう、だから渡世人と言えば道中合羽や。な?」

「……そう、ですかね……」

「木枯らし紋次郎で道中合羽を見て、パキーンと来ちゃった訳よ、これが。」

「……はぁ。」

「さーて。」


 黒耳はそう言って伸びをし、煙草を灰皿で揉み消す。


「行こかな。」


 もう少しで日が落ちる灰青の雲が広がるなか、鴉が鳴いている。それを聞いた黒耳は


「ほら、鴉もええ声で鳴いてるわ。これは吉兆やな。」


 と言った。晴助にはただの鴉の鳴き声であったが、黙っていた。黒耳は去り際に、


「じゃ、御免なすって。」


 と言って、晴助はその後ろ姿に、


「お気を付けて!」


 と声を掛けて、夕闇に消えていく黒耳を見送った。


 ・・・・・・


 黒耳はある民家の前に居た。今日二件目の捜索だ。黒耳は姿を消し、家の周りを一周する。平屋の小ぶりな住宅である。開け放した窓からテレビの大きな音が聞こえてくる。覗き込むと老婦人がうつらうつらとテレビを見ている。


(耳が遠いんか知らんけど、近所迷惑やし、なにより黒耳迷惑やわ。)


 黒耳はそんな事を考えながら、窓から侵入する。ひととおり家の中を見て回るが、他に人は居ない。おかしい、まだ人が居るはずだが……黒耳は外に出て、もう一度家の周りを見て回る。すると、奥まった所に離れの様な建物があった。前に軽トラが停められていて見落としていたらしい。プレハブの様な粗末な建物で雨戸が閉まっていて中がどうなっているのか、外からでは窺う事が出来ない。黒耳は耳を澄ます。一人、いや二人の気配、それとこれはテレビの音だろうか。玄関のドアは閉まっている。黒耳は道具を取り出し、鍵穴に突っ込むと、慣れた手つきで鍵を開けた。


 玄関を開けると廊下の端にゴミが溜められていた。その先に灯のついた部屋が見える。その部屋からテレビの音と男女の話し声が漏れ聞こえてきた。


「これ、赤と青、どっちが勝つと思う?」

「……さあ、青かな?」


 少女はベッドの上に座り、気のない返事をし、うつろな目でテレビ画面を見ている。感情を押し殺そうとしているが、目の奥に怯えが見て取れた。


「あー、赤の勝ちか。」


 男はそう言うが、その勝負に大した興味はないみたいだった。


「腹減ったな……ちょっと、ラーメン。」


 男は呟くように言う。少女はのろのろと立ち上がり、廊下の奥の流しに向かった。足首に拘束具の様なベルト、南京錠、ワイヤーロープ、それらと共に少女はのろのろと流しに向かう。やかんに水を入れ、火を点け、カップラーメンの封を切る。少女は流しに両手を付いて、天井を見つめる。やかんが蒸気を立て始め、やがて注ぎ口からピーピーと甲高い音が聞こえてくるが、少女は微動だにせず、天井の一点を見つめ続ける。


「おい!ピーピーうるせえって!」


 男は少女に突進し、躊躇なくスタンガンを押し付ける。少女はぎゃっ、と言ってその場にへたり込んでしまった。


「何度言ったら分かんだよ!」


 男は吐き捨てる様に言って、自分でカップラーメンにお湯を注ぐが、勢い良くお湯を注いだから、へたりこんだ少女に熱湯のしぶきがかかる。少女はびくっとするが、声を押し殺してそれを我慢している。


 その時、男の肩から、ゆっくりと毛むくじゃらの腕が出てきた。まるで猿の腕の様だ。それを見て黒耳ははっ、とする。


(しもた。あまりの怒りに気配が漏れ出してもうたわ。……あの猿め。)


 黒耳はその光景から目を背け、もう一度精神を集中させる。二人は部屋に戻り、男はラーメンを啜る。それを見届け、黒耳は外に出た。


(黒手、見つけたで。)


 その頃、晴助は店の後片づけの最中で、空き瓶を外に運んでいるところだった。


(黒手、急いでくる必要はあらへん。仕事を終わらしてからで、ええで。)

(黒耳、了解、後十五分くらいで出れます。)


 やがて駆けつけた晴助は軽トラの陰に待機していた黒耳と合流し、その建物を窺う。


(黒手、思ったとおり、狒狒やったわ。しかもこいつは一匹で行動してるみたいや。)

(黒耳、群れじゃなかったんですね。この後は?)

(黒手、中には男一人とあの子、ほんで今は二人とも寝てる。そんで、この後はいよいよお待ちかねの、狒狒退治や。)

(黒耳、了解です。)


 ・・・・・・


 黒耳は玄関に近づき、ドアをノックした。強くではないが、規則正しく、男が起きるまでノックし続ける。やがて、男はノックの音で目を覚ましたが、上半身を起こしたまま、様子を窺う様にノックの音を聞いている。だが、そのノックが余りにしつこいので、のそのそ起き上がって玄関に向かった。


「すいませーん、この子知りませんか?」


 玄関を開けると、見知らぬ女が立っていて、突然変な事を聞いてくる。しかし、その女が持っているチラシの写真を見て、男は残っていた眠気が吹き飛んだ。


「……あんた、一体誰だ?」

「この子は返してもらうで!このクソ猿が!」


 その時、男の肩からまたあの毛むくじゃらの腕が伸びてきた。次に肩が出て、最後に顔が出てきた。その顔は黒耳を見ると不気味に笑い、笑うと唇が捲れ上がり、歯茎が丸見えになった。狒狒が黒耳に飛びかかろうとしたその時、後ろから三本の鎖が飛んできて、狒狒の腕を掴み、首に絡み付いた。そのまま狒狒は断末魔とも思える叫び声を上げながら、廊下を引きずられていった。


「捕まえた。」


 晴助は狒狒を後ろから抱え込んで言った。そのまま狒狒のこめかみあたりを手の平で押えた。


「登場してすぐの退場で申し訳ないが。」


 晴助はそのまま指に力を入れる。こめかみに指がめりこんでいき、その穴が大きくなると共に狒狒の顔が砂の様に崩れていき、やがて全身がぼろぼろと崩れ、最後にはキラキラ輝く塵が舞うだけになってしまった。


(黒手、終わったか?)

(黒耳、はい。今そっちに行きます。)


 晴助は外に出ると、入れ替わりに姿を消した黒耳が建物に入っていく。


 黒耳は中に入ると少女が居る部屋を確認する。外から鍵が掛けられていた。黒耳は廊下に鋏を突き立て、部屋の鍵を開けて外に出た。


 晴助は狒狒に憑かれていた男を軽トラの陰まで引きずっていき、意識が戻って騒ぎ出すと面倒なので、猿轡を噛ませ、両手を縛っておく。そこまでやって晴助の心に不意に激しい憤りが吹き出した。こいつはどうせ大した刑期をつとめる事もなく、自由を得るのだろう。彼女の人生を目茶苦茶にしてその程度で許されるのか?またいつか誰かがこいつの犠牲にならないと誰が保証出来るのか?なんなら今こいつの体のどこかに致命的なダメージを与えて、こいつの人生にペナルティを課してもいいんじゃないか?俺ならそれが出来るし、それが間違ってるとも俺には思えない。晴助が男に手を伸ばそうとした時、


(黒手、止めとき。)


 黒耳がいつの間にか横に立っていた。


(黒手、気持ちは理解出来る。ただ、それはご法度や。ええか、こいつを裁くのは社会や。決してうちらじゃない。)


 晴助は黙って手を戻した。


(黒耳、渡世人はなかなか辛い物ですね。)


 黒耳はふっと笑ってまた軽トラの陰に身を隠した。そして二人はじっと待つ。彼女が出てくるのを。


(黒耳、彼女は自力で出てこれますかね?)

(黒手、うちは信じてるよ。あの子は自分の足でしっかりばっきり立って、あそこから出てくる。あんな猿にあの子の全てを奪い去られたなんて考えたくもないわ。)


 二人はドアを見つめ続ける。やがて、ドアがそっと開き、闇夜に白い素足が二つ浮かんで見えた。少女は頭を出し、辺りを確認する様に、ぐるっと左右に振る。見守っている二人には永遠に続くかと感じられた間をおいて、少女は駆け出す。脱兎のごとく、まるで足が地面に着くと死ぬと信じているかの様に、跳ね上がりながら、一気に外に出ていく。しかし過ぎてみれば一瞬の出来事であった。二人は間を置いて、ふーっと息を吐いた。そして二人とも暫く口を開く事も出来なかった。


 彼女は走る。真っ暗な夜の無人の街を素足で走る。無心で走り続け、やがて声が漏れた。


「ああ、ああ……」


 開放された喜びが恐怖心を薄めていくのを彼女は感じた。


「ああ……神様!」


 彼女は振り返る事もなく走り続ける。


「……帰ろか。」

「はい。ただ、ちょっとだけ寄り道してもいいですか?」


 二人は交番の前に居た。一人の警官が自転車に乗って慌ただしく出掛けて行き、交番の中の警官は顔を紅潮させ、どこかに電話をしている。彼女は交番の中で背中に毛布を掛けられ、こちらに背を向けて座っていた。それを認めた晴助は黒耳に向き直って言った。


「黒耳さん、どうすか、一杯やって帰りませんか?」

「ええなー。うち餃子食いたいねんけど。」

「餃子ですか?」

「そうや、餃子とビールでやっと仕事完了、店じまいや。」

「いいすね、じゃあ行きましょう。」


 二人は夜の街に消えていった。

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