天佐具売 あめのさぐめ 第二章

 そのまま晴助はいつの間にか眠っていたようだ。玄関を叩く音で目が覚めた。見るとあたりは真っ暗だ。晴助は急いで玄関に向かう。戸を開けると、黒っぽいポンチョを着た女性が立っていた。多分黒耳だろうと晴助は思う。晴助の謝罪の言葉を手で押しとどめて、彼女はずいと玄関に入り込み、腰を落とし前かがみになり、右手は膝に置き、左手を突き出すと手の平を上にして良く通る声で言った。


「お控えなすって!」


 晴助は思わず框に尻餅をついた。黒耳は晴助の眼をぐっと捉えて続ける。


「手前生国は摂津国東生郡高津せっつのくにひがしなりぐんこうづ、名は琴春笹、と発しやす。親分なし子分なしの未熟のやつがれでござんす。お見知りありまして万端よろしくお頼み申し上げやす。」


 黒耳は少し晴助の反応を窺ってから、いたずらっぽく笑った。


「びっくりした?ごめんなー。一昨日木枯らし紋次郎を見直したから、やってみたくなってん。」

「……は、はー、なるほど……」


 晴助は二の句が継げなかった。


「ほな、上がらしてもらうで。」


 そう言って、黒耳は框に腰かけブーツを脱ぎ始めた。彼女が着ているのはポンチョかと思ったがよく見ると、それは道中合羽だった。晴助は我に返ると、先に立って、リビングに案内する。


「いやー、久しぶりやけど……あんま変わってへんな、この家。」

「駐車場はすぐ分かりましたか?」

「神社はちょっとも変わってへんからな。」


 晴助はコーヒーを淹れる。改めて考えると、自分以外の黒衆と会うのは初めてだ。


「家具とかもそのまま使わせてもらってるんで。」


 晴助は黒耳にコーヒーを勧める。


「そーか。あの人意外と道具は凝り性やったからな。」

「あのー、今回は本当にありがとうございます。」


 晴助は席に付き、そう言って頭を下げた。


「あんた、黒手になって一年くらいか?」

「はぁ、一年半くらいです。それで、実は黒衆の方にお会いしたのも初めてです。」

「ほーか、ほーか。じゃあ、うちも改めて自己紹介しとこうか。」


 黒耳はそう言って両耳に手をそっと添えた。一瞬で耳が真っ黒になった。みみたぶに神紋が浮かんでいる。


「うちは黒耳の琴春笹ことはるささや。」


 晴助はその黒い耳を見て、驚きで声が出ない。


「……なんや、真っ黒の耳がそないに珍しいか?」


 黒耳はにやにやして言った。真っ黒の耳は珍しい物に違いないが、考えてみると黒手の俺が驚くのも変な話だ。


「いや。すいません。……やっぱり遠くの音も聞こえるんですか?」

「三里先の針が落ちた音でも聞く事が出来る、というのが黒耳の謡文句や。」

「なるほど。で、三里ってどれくらい?」

「約十二キロメートルくらい、らしいで。」

「へぇー。それであやかしの場所が分かるんですか?」

「大体の場所は分かる。それと、これは経験からやけど、大体の種類も分かる。そやからあとは虱潰しに潰していくだけや。」

「なるほど。」

「ほんで、仕事の内容は?」


 晴助は例のチラシを差し出した。


「この子を探してるんか?」


 黒耳は驚いて、思わず口を手の平で押えた。


「……うちもニュースで見たわ。そーか……」


 黒耳はチラシを指で叩いて、何か思案している様だった。


「まさか、この事件にあやかしが噛んでるとは、びっくりやわ。……えーと、晴助くん、やったよな?」

「はい、加貫晴助です。」

「多分、これ狒狒が噛んでるわ。」

「狒狒?」

「そう。でかくて、いやらしい猿。」


 黒耳はそう言って、顔をしかめた。


「狒狒かー、どないしょうかな。悉平太郎しっぺいたろうに来てもらうか?うーん…」


 黒耳は何やら悩んでいる。


「あのー、悉平太郎さんてどなたですか?黒衆の方で?」


 何やら深刻な話になってきたと思った晴助はたまらず質問した。


「悉平太郎さんて……よう言うわ。悉平太郎は犬やで。」


 黒耳はやや呆れた顔で言った。


「え?犬?」

「そうや、お犬さまや。ちゅうてもそんじょそこらの犬じゃなくて……まあ、ゆうたらうちらのお仲間や。」

「はぁ。」

「……どうも、話が通じてへんみたいやな?」

「……どうやら、そうらしいです。困りましたねぇ……」

「まず、狒狒っていうあやかしはな、力が強くて、知恵もまわる。しかも群れでいる事が多い。」

「はあ。」

「そして、こいつらは人の言葉を理解し、そして人の心を読む事もある、と言うのが通説や。ほんでな、昔から伝わる多くの狒狒退治の話には、犬が出てきて狒狒を退治するという流れが鉄板なんや。」

「つまりその犬が悉平太郎?」

「そうそう、そういう事。話によって犬の名前は色々やけど、まあ、狒狒からしたら犬が天敵みたいなもんなんやろうなぁ。」

「なるほど、犬猿の仲って奴ですね。それで、悉平太郎って犬は、その、黒衆なんですか?」

「いや、黒衆というか……狛犬に近い感じ、かな。まあ、そんで、うちみたいな能力が戦闘向きじゃない黒衆が狒狒を祓う時は、悉平太郎に来てもらう訳よ。」

「ちょうど今僕が黒耳さんに助けてもらってる感じですか?」

「そう、それそれ。」

「はーなるほどね。……それでどうしましょう?悉平太郎に来てもらいましょうか?」

「いや、敵情視察が済んでから考えよか。こっちには黒手もおるけど、もし群れで居たら、悉平さんにお願いするかも、な。」

「分かりました。で、具体的にはどうやってこの少女を見つけるんですか?」

「具体的になぁ……」


 黒耳はそう言って、ちょっと笑うと、首に巻いていた布を取って、頭から被った。


「これはな、佐具売さぐめ羽衣はごろも、っていうねん。」


 黒耳はそう言って、「しょう」と唱えた。すると、見る間に黒耳の姿が消えていった。晴助は驚いて立ち上がった。あたりを見回すが黒耳の姿はどこにもない。晴助は黒耳が座っていた椅子に手を伸ばそうとした。


「こっちや、こっち。」


 見ると黒耳は縁側に座っていた。


「つまり、こういうこっちゃ。うちが目ぼしいところを見つけて、これで忍び込む。そこでその子が居るか、居ないか確認するっちゅう算段や。」


 黒耳はそう言って、にかっと笑った。


「……なるほど。じゃあ俺は何をすればいいですか?」

「あんたは……取りあえず地図を持って来て。」


 晴助は地図を用意する。


「この家と、事件の大体の発生場所に印を付けて。」


 晴助は言われたとおり、印を付ける。


「ふんふん。あ、そや、あとこれ飲んどいて。」


 そう言って、黒耳は紙包みを取り出した。中には黒い丸薬の様なものが二粒入っていた。黒耳は一粒を取って口に入れコーヒーで流し込むが、明らかに飲み込む時に顔をしかめていた。その様子を見ていた晴助は恐る恐る尋ねる。


「……あの、これは?」

「ん?これは見ての通り、上尸じょうし丸薬がんやくや。」


 晴助はそれ以上聞くのは諦め、観念して口に入れた。なんとも苦い味が口一杯に広がる。晴助も慌ててコーヒーでその丸薬を飲み込んだ。


「薬が効いたら、うちは仕事にかかるわ。」

「え?もう夜中ですよ?」

「うちの仕事はな、夜の方がやりやすいねん。雑音が少ないからな。」


 そう言いながら、黒耳はコーヒーをもう一杯くれという仕草をする。


「あの、それで、俺は何をすれば?」


 晴助はコーヒーのお代わりを注ぎながら、尋ねる。


「あんたは、取りあえず待機や。」

「えっ、待機ですか?」


 黒耳は煙草に火を点け、言う。


「人にも、黒衆にも適材適所ってもんがあるんやで。あんたは寝とき。」

「……でも、ほんとに手伝える事は無いんですか?」

「ちょっと調べてみて、時間が掛かりそうやったら、そん時は、また頼むから。」


 どうにも承服出来ない晴助だったが、その時突然頭の中に声が響いた。


(黒手、こういう仕事は焦りは禁物やで。)


 晴助は驚いて周りを見渡す。しかし、どこから声が聞こえてくるのか分からない。ふと黒耳を見るといたずらっぽく笑っている。


「薬が効いてきたみたいやな。」

「……これは、さっきの薬?」

「そうや。あんたもやってみい。最初に黒耳って付けて、頭の中で伝えたい事を考えるんや。」


 晴助はやってみる。


(黒耳、聴こえますか?)


 すると返事が返ってきた。


(黒手、はいはい、よー聞こえるよ。)


「おお。」


 晴助は思わず口に出してしまった。


「よくあるトランシーバーみたいな代物や。最初に話しかける人の名前を呼ぶ、そして連絡事項を伝える。」

「へー。」

「しかも交信範囲はかなり広い。」

「なるほど。……しかしこれだったら携帯でもいいんじゃ?」

「うちの仕事は聞く事やけどな、音を出す事は厳禁やねん。姿を消す事が出来ても、携帯でくっちゃべってたら、どこにおるかあやかしにまる分かりやろ。」

「確かに、そうですね。」


 黒耳は立ち上がって用意しはじめた。


「ほな、行くわ。何かあったらお互い連絡やで。」

「はい。じゃあ、お気を付けて。」


 晴助は、どうにも落ち着かない気分を抱えたまま、黒耳を見送った。


 晴助の家を出てから数分後、黒耳は犯行現場近くのマンションの屋上に立っていた。そして両手を耳に添えて、眼を瞑る。黒耳に様々な音が流れ込んでくる。黒耳は口を開けて、あー、あー、と音程を変えて声を出す。色々な音程を試すが、ある音程で黒耳の声がすーっと消えていく。


「捕まえた。」


 黒耳はにやっと笑う。


「二匹ほど怪しいのがおるな。よし、手近なとこからいてこましたるか。」


 黒耳は駆け出した。

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