管狐 くだきつね 第二章

 あれから一週間。最初の数日は訳もなく緊張した晴助だったが、何の音沙汰もなく一週間過ぎ、いつしかその緊張も薄らいでいった。黒手の仕事は当然無報酬なので、晴助はバーテンダーという仕事を見つけていた。仕事柄夜遅くに帰宅する事が多いが、晴助は意外とこの仕事が性に合っているようだった。


 そんなある日。


 寝ている晴助の頭の中に、突然鐘の音が鳴り響いた。それは本坪鈴ほんつぼすずだった。しかし、目が覚めた後も体を動かせない。これが金縛りというヤツか、とも思ったがどうも様子が違う。


 老人がうちの神社に参拝しているのが見える。そして老人の願いが聞こえる。


 ——「どうか、うちの孫をお助けください。」


 そしてその老人の心の中の映像が流れ込んできた。とても早いスライドを見せられてる様で、これは祈願した老人の意識、又は無意識をも共有している感じだった。この感覚は多分一瞬だったんだろうが、晴助には時間の感覚が無く、数分或いは数時間にも感じられた。ふっと体が軽くなった気がした晴助は布団から跳ね起きた。が、まず何からすればいいのか、見当もつかない。狛犬が居ないかと井戸を見に行ってみると、ヤツは座って待っていた。


「……今のが?」

「はい。」

「で、どうすればいい?」

「取り合えず必要な情報は頭の中に入ってますね?」

「……多分。」

「それじゃあ支度してください。出掛けましょう。」


 玄関を出たところで晴助は狛犬に聞く。


「なあ、あんたの姿って他人には見えてないよな?」

「ええ、大丈夫です。わたしの姿は晴助さんにしか見えてませんから。まずは参拝客の家に行ってみましょうか。晴助さん、分かるでしょ?」


 狛犬の最初の話には納得したが、次の話はそんな馬鹿な、と思った。だが狛犬に促されて歩き出すとうろうろしながらも、いつの間にか目的地に着いていた。どうもあのスライドは目で見る情報以上の物が頭に残る様だ。


「とりあえず、観察しましょう。」


 我ながら気味が悪い晴助とは対照的に狛犬は落ち着き払っている。


 それから四十分ほど経ったころ、その家の二階の窓ががらっと開いて、人影が見えた。人影は窓枠を両手で掴んで、何やら大声で叫んでいる。ただ、その人影は異様な格好をしていた。シーツかなにかだろうか、布を細く切り裂いて、体中にそれを巻き付けているようで、まるでミイラのようだ。


「来いよ!!勝負してやるよーーーーー!!」


 そんな事を大声で叫んでいる。と、見る間に家族だろうか、人影は後ろから抱きかかえられ、見えなくなり、同時に窓も閉じられた。


「おい、見たか?」

「どうやら、あれがお孫さんですかね?」

「多分な。しかし、あの格好は何だ?」

「晴助さんには見えませんでしたか?」

「……何が?」

「管狐ですよ。」

「え?狐?どこに?」

「まあ、晴助さんにもおいおい見える様になるでしょう。管狐とは……」


 その時、その家の玄関が開き、先程の老人とその孫らしき男、それと多分その男の母親だろう、孫らしき男を真ん中に挟んで出てきた。孫らしき男をおじいさんと母親で腕を組んで引っ張っている格好だ。


「病院にでも連れて行く積もりか?」

「多分、そうでしょうね。我々も付いて行きましょう。」

「で?管狐って?」

「管狐とは憑き物の一種で、その名のとおり狐憑きの一種です。オサキ、イズナ、ゲドウ、等の名称で呼ばれる事もあります。管狐の管とは竹筒の事で、要は竹筒の中に入るほど小さい狐という意味ですね。」

「それがなんであの男に憑いたんだ?」

「何故憑いたかは不明ですが、この管狐は飼いならすと主人に利益をもたらす、と言われています。ですが、これが子沢山でして、あっという間に数が増えて、面倒見きれなくなるんですよ。それで、増えすぎた管狐は川に流したりする事もあるらしいんですが……」

「それじゃあ、あの男に憑いた管狐はどこかで捨てられたヤツって事か?」

「恐らくそうだと思います。まだ一匹しか見えませんし、あの男性の様子からして自分から進んで管狐を呼んだとも思えません。」

「一匹しか見えないという事はまだ憑いて間がないって事だな。」

「ええ、そうです。今ならまだ比較的楽に祓えると思います。」


 やがて、彼らは病院に入っていく。


「やっぱり、病院か。」


 晴助と狛犬は病院の前で様子を窺う。と、孫がなにやら叫びながら、病院を飛び出してきた。どうやら、老人と母親の隙を見て逃げ出したようだ。老人と母親も追いかけてきたが、孫の足には追いつけず、見る間に孫は遠ざかっていく。それをみて晴助と狛犬は駆け出した。


「これは好機です。追いついて祓ってしまいましょう。」


 やがて、孫は寂れた廃工場に入っていった。晴助と狛犬も後に続く。孫は空のドラム缶を覗き込み、何やら奇声を発している。


「いいですか、晴助さん。」

「お、おう。」


 六角棒を構えて晴助は言うが、少し緊張で声が上ずる。狛犬は遠吠えのような奇妙な音程で鳴き出した。その遠吠えを聞いた孫は雷で打たれた様に体がびくっと痙攣し、そのまま動かなくなった。同時に、男の脇のあたりから何かが転げ出してきて、やがてその物体も動かなくなった。


「晴助さん、あれ、良く見てみてください。」


 狛犬はひそひそとそう言う。言われた晴助がその物体を良く見ると、銀色の毛に覆われた、いたちに似た動物だった。


「あれが……狐というよりは、いたちだな。」

「さあ、近づいてあれを祓ってきてください。私があれを縛りましたので、近づいても大丈夫ですよ。」


 近づいて良く見てみると、確かにその管狐とやらは金縛りにあった様に、体の自由が利かない様子だ。晴助は恐る恐る手を近づけた。すると、その管狐は何の手応えもなく触れたところからサラサラと崩れて消えていった。むしろ、その管狐よりも、孫が発した断末魔の絶叫のような恐ろしい叫び声の方が晴助を驚かせた。その孫は突然叫び声を上げて、そのままバタンと倒れてしまった。管狐が祓われた事を確認した晴助は孫に駆け寄った。


「お、おい……」


 倒れた孫を覗き込んで、声を掛ける晴助だが、狛犬は至って冷静な様子だ。


「大丈夫ですよ。彼はそのうち目を覚まします。さあ、さっさとここから離れましょう。」

「え……」


 狛犬はそう言って、もう出口に向かって歩き出していた。晴助は狛犬に追いすがって抗議する。


「おい、あの男をあのままにしておくのか?」

「大丈夫ですよ。目が覚めれば正気に戻るはずですから。」

「ちょっと待ってくれ。」


 晴助は立ち止まる。少し待っていると男がふらついた足取りで出てくる。それでも心配な晴助は男の後を付いていく。付いてこい、と手で合図する晴助。


「しょうがない、付き合いますよ。」


 狛犬はしぶしぶ付いてくる。


「あの男、俺たちの事憶えてるのかな?」

「殆どの人は、祓われた時に記憶を失う様です。つまり取り憑かれてから祓われる時までの記憶を、です。」

「なるほど。」


 男はふらふらしながらもちゃんと家にたどり着いた。それを見届ける晴助と狛犬。


「えーと……これで仕事は完了なの?」

「ええ、そうですよ。最後のは余計でしたけど。まあ、とりあえずご苦労様でした。」


 二人は帰宅するために歩き出した。


「これを次から一人でやるのか……あんたは俺に務まると思うか?」


 晴助は初仕事が無事終わった事に安堵を覚えていたが、この先の事を考えて少し不安を感じてもいた。


「ええ、大丈夫ですよ。ここだけの話、左次さんはもっとひどかったんですから。」

「……先代はもっとひどかったのか?」

「ええ。あやかしを見た途端一目散に逃げ出しましたよ、がたがた震えてね。」


 狛犬も少し笑っているように見えた。大きく薄く広がったうろこ雲に赤い夕映えがきらきらと光っていて、それを眺めていた晴助はなんだか気持ちが軽くなり、帰って風呂でも入るかなどと考えながら、大きな伸びを一つ、振り返って待っている狛犬のところへまた歩き出した。

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